第二十四話:浮遊大陸の攻略チャートと心のバグ
「ついてこい、勇者」
俺が放った、冷酷極まりない言葉。それは、アレンの心を、絶望のどん底に突き落とすには、十分すぎた。彼にとって、俺はもはや、倒すべき仇敵ですらない。人の心を持たない、理解不能な「怪物」。その認識が、彼の戦う意味さえも奪い去ろうとしていた。
「……行くのか、アレン」
ガレスが、力なく問いかける。
「……ああ。行くよ」
アレンは、虚ろな目で答えた。
「行かなきゃ分からないから。あの人が、本当にただの怪物なのか。それとも……。それに、このままじゃ犠牲になった、みんなに顔向けできない」
彼の瞳の奥底には、まだ消えぬ光があった。俺の真意を確かめたいという、最後の希望。そして、これ以上、俺という怪物に好き勝手はさせないという、新たな決意。それこそが、俺が計算した、彼の「次の行動原理」だった。
俺は、アレン一行と、デューク、レオナルド、イゾルデといった、俺の直属の部隊を率いて、管理者たちの本拠地――王都の上空に、今なお浮かぶ巨大な浮遊大陸へと向かった。
浮遊大陸への唯一の進入経路は、大陸の核である動力炉の直下に存在する、小さな搬入口のみ。そこは、無数の調律者と自動防衛システムによって、鉄壁の守りが固められている。
連合軍の誰もが絶望的な戦いを覚悟した。
だが、俺はその光景を冷めた目で見下ろし、淡々と指示を出し始めた。
「――作戦を開始する。プランB-32。コードネームは、『神々の食卓の、テーブルクロス引き』だ」
俺の意味不明な作戦名に、誰もが戸惑う。
俺は、構わず続けた。
「まず、イゾルデ」
「……はっ」
「お前は、浮遊大陸の座標X-749、Y-322の地点に、最大出力の《重力特異点》を、一点集中で発生させろ。誤差は0.01ミクロンも、許さん」
「……御意」
イゾルデは、俺の指示の意図が分からないまま、しかし、その正確無比な座標指定にただならぬものを感じ、言われた通りに重力魔術を発動させる。
「次にレオナルド、デューク。お前たちは、全軍を率いて、座標Z-555の、第三防衛ラインに全力で陽動攻撃を仕掛けろ。敵の注意を完全にそちらに引きつけるんだ」
「しかし、陛下! そこは、敵の戦力が最も集中している……!」
「いいからやれ。これは命令だ」
俺の、非情な命令に、レオナルドたちは、唇を噛み締めながらも従う。
そして、最後に俺は、アレンに向き直った。
「勇者アレン。君の役目は、最も重要だ」
俺は、彼に一枚の地図を渡した。
そこには、浮遊大陸の内部構造が、寸分の狂いもなく描き込まれていた。それは、俺がこれまでの戦闘データと、ARKの残骸を解析して作り上げた、完璧な攻略マップだった。
「君は、このマップの赤い線で示されたルートだけを進め。決してそこから逸れるな。ルート上には、敵はほとんどいない。いたとしても、旧式の警備ゴーレムだけだ。君の力なら、問題なく突破できる」
「……なんだ、これは。なぜ、あんたがこんなものを……」
「質問は後だ。君は、ただ進め。そして、最深部にある、動力炉を破壊しろ。それが、君の役割だ」
俺の、そのあまりにも非人間的な、効率的すぎる作戦に、アレンはもはや、反論する気力も失っていた。彼は、ただ黙って、頷いた。
作戦は開始された。
イゾルデが指定された座標に、超重力点を発生させると、浮遊大陸の巨大な構造の一部が、僅かに軋み、そのエネルギー循環システムに、微細なエラーが生じた。
そのエラーを感知した中央司令部が、迎撃システムの一部を再起動させるために、ほんの一瞬、レオナルドたちが攻撃している、第三防衛ラインへのエネルギー供給が低下した。
その、絶妙なタイミングで、レオナルドたちが総攻撃を仕掛けたことで、敵の意識は、完全にそちらへと引きつけられた。
そして、そのすべての陽動によって、がら空きになった、秘密のメンテナンス用通路――俺が、マップに記したルートを、アレンたちが駆け抜けていく。
すべてが、完璧な歯車のように噛み合っていた。
それは、もはや、戦争や戦闘ではない。
精密機械を組み立てるかのような、完璧に計算され尽くした「作業」だった。
俺は、そのすべての戦況を、後方の安全な空中艦艇のブリッジから、ただ、モニター越しに観測していた。
その姿は、かつて、俺が忌み嫌っていた、世界の「管理者」たちと、何ら変わらなかった。
「……兄上。本当に、これでいいのですか……」
俺の隣で、レオナルドが悲痛な声を漏らす。彼の部下たちは陽動作戦で、多大な犠牲を払っていた。
「……犠牲は、最小限に抑えている。これが、最も効率的な攻略法だ」
俺は、冷たく言い放った。
俺の心は、もはや痛まなかった。
RTAプレイヤーにとって、犠牲者の数は、ただのクリアタイムに影響しない、無意味な数字でしかない。
その、俺の冷酷な心を揺さぶったのは、またしてもアレンだった。
彼は、動力炉の目前までたどり着いた。
だが、彼は、そこで足を止めた。
彼は、俺の指示を破り、ルートを外れたのだ。
そして、彼が向かった先は、動力炉の隣にある、巨大なカプセルが並ぶ部屋だった。
『目標、ルートを逸脱。何をしている、勇者アレン……』
俺が、モニター越しに眉をひそめた、その時。
アレンは、その部屋に、無数に並べられたカプセルの一つをその聖剣で、破壊した。
カプセルの中からは、液体と共に、一人の人間の赤ん坊が現れた。
その赤ん坊は、生きていた。
そうだ、この部屋は、管理者たちが世界をリセットした後に、新たな人類の「種」として撒くために保管していた、人工生命体の培養室だったのだ。
このことは、攻略には全く関係がないため、俺はアレンには伝えていなかった。
「……そうか。そうだったのか……」
アレンは、その赤ん坊をそっと、抱き上げた。
彼の、虚ろだった瞳に、再び、温かい光が宿った。
「あんたたちも……生きてたんだな……。俺たちと、同じ命なんだな……」
彼は、動力炉を破壊する、という、最大の目的を一旦放棄し、その部屋にある、すべてのカプセルを破壊し、赤ん坊たちを救出し始めたのだ。
『……馬鹿な。何を考えている。非効率極まりない。クリア条件は動力炉の破壊だ。そんな寄り道は、計画の遅延に繋がるだけだ……!』
俺の、RTAプレイヤーとしての脳が、エラーを起こす。
アレンの、そのらあまりにも非合理的で、人間的な行動。
それは、俺の完璧な攻略チャートには存在しない、イレギュラーな「バグ」だった。
その、アレンの行動を感知した管理者たちが、ついに、最後の切り札を投入してきた。
動力炉そのものが変形し、一体の、巨大な黄金の調律者――この浮遊大陸のボスである、「調律神」が、姿を現したのだ。
「愚かなる生命よ。神の計画を邪魔するバグは、ここで消去する」
調律神が、アレンに向かって、必殺の殲滅光線を放つ。
アレンは、赤ん坊たちを庇い、絶体絶命の窮地に陥った。
俺の脳内では、二つの思考が、激しく衝突していた。
RTAプレイヤーとしての、俺は叫ぶ。
『――見捨てろ! アレンは、もはや制御不能なバグだ! この作戦は失敗だ! 全軍を撤退させ、次のプランを立て直せ! それが最適解だ!』
だが、その冷徹な声の奥底から、もう一つの声が聞こえてきた。
それは、かつての、守護者としてのゼノンの魂の、最後の叫びだった。
『――助けろ! 彼こそが希望だ! 効率や、理論なんかじゃない! その、非合理な優しさこそが、世界を救う、本当の光なんだ! 俺が間違っていたんだ……!』
二つの、人格。
二つの、価値観。
俺、心の中で、激しい戦いが繰り広げられる。
そして、俺は――。
RTAプレイヤーとしての俺は、ついに、人生で初めて、合理性では説明できない「選択」をした。
俺は、空中艦艇のブリッジを飛び出した。
そして、自らの、最後の魂の欠片を燃やし尽くす覚悟で、アレンの元へと転移した。
俺は、調律神の殲滅光線の前に立ちはだかった。
そして、俺の、すべての星辰の力を、一つの防御壁へと変換した。
それは、もはや技の名前など、ない。
ただ、守りたいという一念だけで作り上げた、魂の盾だった。
凄まじい光と衝撃が、俺の体を貫く。
俺の意識が、今度こそ、本当に消滅しかけていく。
だが、俺のその行動は、アレンに、最後の、そして、最大のチャンスを与えた。
俺が作り出した、一瞬の隙。
その隙を、アレンは見逃さなかった。
彼は、赤ん坊たちを仲間に託すと、調律神の懐へと飛び込んだ。
そして、その聖剣に、俺への想い、仲間への想い、そして、今救った新しい命への想い、そのすべてを乗せた。
「うおおおおおおお!! これが、俺たちの、人間の想いだあああああ!!」
アレンの剣が、調律神の核を貫いた。
浮遊大陸が、崩壊を始める。
俺は、薄れゆく意識の中で、アレンが、俺の元へ駆け寄ってくるのを見た。
「ゼノン! しっかりしろ、ゼノン!」
彼の、その必死な呼びかけを聞きながら、俺は満足して、目を閉じようとした。
だが、その時、俺のRTAプレイヤーとしての魂が、最後の警告を発した。
『……警告。警告。最終ボス……『プライマス』の、覚醒を確認。原因……勇者アレンの魂の輝きが、想定されていた閾値を突破。最終イベントフラグが、強制的に起動しました……』
そうだ、俺は忘れていた。
このゲームには、隠された、真のラスボスが存在することを。
特定の条件を満たした時にしか現れない、最強の敵が。
そして、俺がアレンを助ける、という非合理的な「バグ」を起こしたことで、その、最悪のフラグが立ってしまったのだ。
崩壊する浮遊大陸の、さらに上空。
次元の裂け目から、一体の、他の調律者とは比較にならない、巨大で、荘厳な神々の王が、その姿を現そうとしていた。
俺の、RTA計画は、完全に破綻した。
そして、世界は、俺の計算外の最悪のエンディングへと突入しようとしていた。