第二十二話:神殺しレースと観測者の視点
俺が仕掛けた「神殺しレース」という名の、壮大な陽動作戦。それは、驚くべき速度で、大陸全土へと波及していった。西の勇者アレン一行、東の守護者ゼノン(俺)。二つの勢力が、競い合うように、世界各地に出現した管理者たちの浮遊大陸を攻略していくというニュースは、絶望に沈む人々の心を奮い立たせ、対管理者連合の結成を、強力に後押しした。
もちろん、東の「守護者ゼノン」の戦果は、ほとんどが、俺が流したフェイクニュースだ。実際には、俺は王宮の執務室から一歩も動かず、魂の回復と、アレンたちの戦闘データの解析に、全神経を集中させていた。
「……素晴らしい」
執務室の巨大な魔導スクリーンに映し出される、アレンたちの戦いぶりを見て、俺は思わず、感嘆の声を漏らした。それは、もはや一人のゲーマーとしての、純粋な称賛だった。
アレンは、俺の予想を、遥かに超える速度で、成長していた。
ヒノモト国で得た「気」の力と、勇者本来の「聖なる力」。彼は、その二つを、完全に融合させ、新たな戦闘スタイルを確立していた。
例えば、調律者の絶対領域に対して、彼は、俺のように、因果律を断ち切るような、大技は使わない。彼は、まず、仲間との連携で、調律者の注意を引きつける。その隙に、自らの「気」を、極限まで高め、それを聖剣に螺旋状に纏わせる。
《聖気螺旋剣》
その剣は、物理的な硬度や、魔術的な破壊力を持つのではない。その剣は、相手の、法則そのものに、「干渉」し、その「矛盾」を突く力を持つ。調律者の絶対領域が「Aという法則を、Bという法則に書き換える」力であるならば、アレンの剣は、「Aでもなく、Bでもない、Cという、新たな可能性」を、その一点に無理やりこじ開けるのだ。
それは、まるで完璧なプログラムコードの中に、たった一行、予期せぬコマンドを挿入し、システム全体をフリーズさせるような、トリッキーな技だった。
「……なるほど。因果律そのものを断ち切るのではなく、その『隙間』に、新たな理をねじ込む、か。正規の勇者の力と、東方の未知の力が、これほど、見事な化学反応を起こすとは……。俺の理論には、なかった発想だ」
俺は、彼の戦いの、すべてを記録していく。
ガレスの、決して折れない不屈の精神力が仲間たちの盾となり、戦線を維持する「タンク」としての、完璧な役割。
カエデの、忍術によるかく乱や罠の設置が、戦況を有利に導く「デバッファー」としての、意外な活躍。
ゲンジの、一撃にすべてを懸ける必殺の剣技「心眼一刀流」が、仲間たちが作り出した、僅かな好機を、確実にものにする「アタッカー」としての、絶大な決定力。
彼らのパーティーは、ロールが、完璧に機能していた。それは、俺が一人で、すべてを計算し、支配しようとしていた戦い方とは全く違う、有機的で、温かい、人間らしい戦い方だった。
俺は、その戦闘データを解析し、それを、ヴァーミリオン王国軍の、新たな戦術として落とし込んでいく。デュークが率いる黒騎士団に、アレンたちの連携を模倣させ、対調律者用のシミュレーション訓練を繰り返させた。
その結果、ヴァーミリオン軍は、俺が直接介入しなくとも、限定的な状況下であれば、調律者を撃退できるほどの力をつけ始めていた。
すべてが順調だった。俺の、完璧なシナリオ通りに。
だが、その完璧すぎるシナリオに、最初に異を唱えたのは、俺の、一番近くにいた男だった。
「……兄上。少し、よろしいでしょうか」
レオナルドが、俺の執務室に入ってきた。
彼の目は、まっすぐに俺を見据えていた。その瞳には、もはやかつてのような反発心はない。だが、そこには、深い悲しみと、そして、心配の色が浮かんでいた。
「なんだ、レオナルド。民生安定局の報告か?」
「いいえ、違います。兄上、貴方ご自身のことです」
彼は、巨大な魔導スクリーンに映し出された、アレンたちの戦闘データと、俺が作成した、膨大な攻略マニュアルを指差した。
「兄上は、いつから戦いを『ゲーム』のように、語るようになられたのですか? 貴方が、今、やっていることは、かつて我々が、最も忌み嫌っていたアルフレッドのやり方と、何が違うのですか?」
レオナルドの、その痛烈な一言は、俺の心の、一番柔らかい場所を抉った。
「……黙れ。俺は、あいつとは違う。俺は、世界を救うために、最も効率的な方法を選択しているだけだ」
「効率、ですか……。人の命も、仲間との絆も、すべてを『データ』として、処理することが、本当に正しい道なのですか? 兄上は、アレン殿を一人の人間としてではなく、ただ、便利な『駒』として、利用しているだけに見えます。それは、あまりにも……」
「黙れと言っている!」
俺は、思わず、声を荒らげた。
その声に、星辰の魔力が無意識に乗り、部屋の空気が、ビリビリと震える。
レオナルドは、怯まなかった。
彼は、悲しそうな目で俺を見つめ、続けた。
「……兄上は、お気づきでないのですか。貴方自身の魂が、少しずつすり減って、人間としての、大切な何かを失っていっていることに……。その瞳は、まるで心を失った機械のようです。私には、それがたまらなく、悲しい……」
俺は、言葉を失った。
そして、魔導スクリーンのガラスに映った、自分の顔を見た。
そこに映っていたのは、確かに、レオナルドの言う通り、一切の感情を排し、ただ、盤面だけを見つめる冷徹な「プレイヤー」の顔だった。
(俺は……いつから、こんな顔に……)
ゲームのプレイヤーとしての、記憶と思考。
それは、世界を救うための強力な武器であると同時に、俺から、人間らしい感情を奪い、魂を蝕む、劇薬でもあったのだ。
俺と、レオナルドの間に、重い沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、またしても緊急の報告だった。
「陛下! 緊急事態です! 東方の、アレン一行が交戦中の浮遊大陸で異変が発生!」
影蜘蛛が、転がり込んできた。
魔導スクリーンに、現地の、リアルタイムの映像が、映し出される。
アレンたちは、大陸中部に位置する、巨大な、砂漠地帯に出現した、浮遊大陸を、攻略中だった。
その大陸の、動力炉を、破壊する、寸前まで、彼らは、追い詰めていた。
だが、その時、異変は起こった。
破壊される寸前の、動力炉から、黒い、霧のようなものが、溢れ出し、それが、一体の、巨大な「影」を、形成したのだ。
その影は、アレンの姿に、酷似していた。
だが、その全身は、負のエネルギーで、構成されており、その瞳は、憎悪と、絶望に満ちた、赤い光を放っていた。
《勇者の影》
それは、管理者がアレンを倒すために、送り込んだ、最終兵器だった。
彼らは、これまでのアレンの戦闘データを、すべて解析し、そのデータを元に、アレンの弱点、トラウマ、そして、心の闇を具現化させた、完璧なアンチ・ヒーローを作り出したのだ。
「アレン……! なぜ、お前は、妹を、見捨てた……?」
「ガレス……! なぜ、お前は、仲間を、見殺しにした……?」
勇者の影は、アレンたちの声で、彼らの、最も触れられたくない、心の傷を抉ってくる。それは、マキナが使った、精神攻撃よりも、遥かに狡猾で悪質だった。なぜなら、それは、彼ら自身の心の闇から、生み出された言葉だったからだ。
「う……ああ……」
「やめろ……!」
アレンたちは、動きを、止められてしまう。
その隙に、勇者の影は、アレンの必殺技である、《聖気螺旋剣》を、完全に模倣し、さらに、それを闇の力で増幅させた黒い螺旋の剣を、アレンに向かって、放った。
《暗黒螺旋剣》
絶体絶命。
アレンは、もはや、それを避けることも、防ぐこともできない。
俺は、スクリーンを食い入るように見つめていた。
俺の、プレイヤーとしての脳が、瞬時に計算する。
この状況を、打開するための最適解を。
(……ダメだ。打つ手がない。俺が、今から、転移しても間に合わない。アレンの、心の弱さを、突かれた、この攻撃は、物理的な、介入では、防げない。彼が、自力で、このトラウマを、乗り越えない限り……)
だが、今の彼に、その、精神的な強さは、まだ、ない。
このままでは、アレンは死ぬ。
俺の、最も重要な「駒」が、ここで失われる。
俺の世界攻略計画が、ここで破綻する。
その、結論に至った時。
俺の中で、何かが、壊れる音がした。
RTAプレイヤーとしての、冷徹な思考が、初めて、感情の奔流に飲み込まれた。
(……ふざけるな……!)
俺の、守護者としての魂が叫んでいた。
(俺が、悪役を演じてまで、守り、育ててきた物語の主人公を……! こんなくだらない後出しの、チートキャラに殺させてたまるか……!)
俺は、玉座から立ち上がった。
そして、俺の魂の最後の残滓を燃やす覚悟を決めた。
俺は、レオナルドに向き直った。
「レオナルド。俺は、今から、禁じ手を使う。これを使えば、おそらく俺の魂は、完全に燃え尽きるだろう。二度と、元には戻れん」
「兄上!? まさか……!」
「後のことは、お前にすべて託す。アレンと共に、この世界を守ってくれ。……いい弟だったぞ、レオナルド」
俺は、彼の返事を聞く前に、その場に膝をつき、祈るように、両手を組んだ。
そして、俺の意識を、物理的な距離を完全に無視して、東方のアレンの精神世界へと、直接接続させた。
それは、もはや魔術でも、超能力でもない。
この世界の、「観測者」である俺にしかできない、神の御業。
そして、俺の魂のすべてを代償とする、最後の奇跡。
《魂の共鳴・最後の福音》
俺の意識は、光となって、アレンの、閉ざされた、心の中へと、飛び込んでいった。
そこは、燃え盛る、故郷の村。
絶望の中で泣き叫ぶ、幼いアレンと、彼を責め立てる妹の幻影。
そして、それらを作り出している、巨大な勇者の影。
俺は、その絶望の中心に、静かに降り立った。
「……誰だ、あんたは……?」
幼いアレンが、俺を見上げる。
俺は、静かに答えた。
「俺は、道化だ。お前という主役を輝かせるためだけの、な」
そして、俺は、勇者の影に向き直る。
「よくも見せてくれたな。俺の大事な物語の主人公の心を、ここまで弄んでくれて」
俺の、星空の瞳が怒りに燃える。
「お前が、アレンの『影』だと言うのなら、俺は、その影さえも飲み込む『深淵』だ。消えろ。俺の舞台から」
俺は、アレンの精神世界の中で、自らの、星辰の力を解放した。
それは、アレンの心の闇を照らし、そして、その闇から生まれた影を、光と共に消滅させる、絶対的な浄化の光。
「……思い出せ、アレン。お前は、一人じゃない。お前の背中には、俺がついている。……いや、俺だけじゃない。お前の仲間たちが、世界中の人々が、ついている」
俺の声は、アレンの魂に、直接響いた。
現実世界で、アレンの瞳に、再び光が宿った。
そして、彼は、目の前の自分自身の影が放つ、暗黒の剣を見据えた。
彼は、もう迷わなかった。
彼は、自らの聖剣を構え直す。
その剣に、仲間たちの想いと、そして、今、心に響いた、俺の魂の声援を乗せた。
「……ありがとう、ゼノン。あんたが誰なのか、まだ、分からない。でも、あんたの想い、確かに受け取った!」
アレンの聖剣が、これまでで、最も眩い黄金の輝きを放った。
二つの、光と、闇の螺旋の剣が激突する。
そして、世界が白い光に包まれた。