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第一話:断頭台の上の道化

降りしきる雨が、血の匂いを洗い流そうとしては、新たな死臭に上書きされていく。泥濘と化したエルドラド辺境伯領、その名もなき丘の上で、反乱は終わりを告げようとしていた。


「化け物が……」


生き残った反乱兵の一人が、恐怖に引きつった声で呟いた。彼の視線の先、累々と横たわる味方の死体の山の上に、一人の青年が玉座にでも腰かけるように悠然と座っている。濡れた黒髪が額に張り付き、その隙間から覗く血のように赤い瞳が、まるで舞台を観劇する王のように、眼下の惨状を愉しげに見下ろしていた。


彼こそが、この地を圧政で支配し、今回の反乱を引き起こした元凶。ヴァーミリオン王国の第一王子にして、俺が転生した姿――ゼノン・フォン・ヴァーミリオン。


そして、原作ゲーム『アストラル・サーガ』において、序盤で勇者アレンに討伐され、彼の英雄譚の最初の礎となるべき、愚かで傲慢な「悪役」である。


「終わりか? まるでなっていないな。余興としても三流だ。貴様らの覚悟とやらは、この程度のものだったのか?」


ゼノンの声は、雨音に負けぬほど冷たく、明瞭に響き渡った。その声には侮蔑と嘲りがたっぷりと含まれており、生き残った者たちの心をさらに絶望で削り取っていく。


これが、俺の役目。これが、俺が選んだ道。

この世界の物語を「トゥルーエンド」に導くための、たった一つの正しい道だ。

……だが、なぜ俺はこの物語をトゥルーエンドに導こうとしているのだろうか…?


「まだだ……まだ終わっていない!」


瓦礫の陰から、満身創痍の男が雄叫びと共に飛び出した。歳は二十代半ば。鍛え上げられた肉体と、絶望の中でも折れない強い光を宿す瞳。彼こそがこの反乱軍のリーダー、ガレス・アードラー。原作では、この戦いを生き延び、後に勇者アレンの最初の仲間となる頼れる兄貴分の戦士だ。


(来たな、ガレス。お前を生かすことこそ、この茶番における俺の最低限のノルマだ)


内心で冷静に分析しながらも、俺――ゼノンは、心底つまらなそうな表情で彼を見下ろす。


「ほう、まだ虫けらが残っていたか。貴様が首謀者だな? 名は?」


「エルドラドの自由を願う者! ガレス・アードラーだ! 暴君ゼノン! 貴様の圧政も今日で終わりだ!」


ガレスは大剣を構え、大地を蹴った。彼の全身から闘気が立ち上る。それは並の騎士を遥かに凌駕するもので、彼が天賦の才を持っていることの証明だ。だが、俺にとっては赤子の手をひねるより容易い。


転生して五年。最初の二年で悟った。この世界には、ゲームのシナリオ通りに物事を進めようとする「物語の強制力」が存在することを。俺が生き残ろうとすれば、その歪みで別の誰かが死ぬ。善政を敷こうとすれば、疫病や災害が起きて民が死ぬ。俺という「バグ」が存在する限り、世界は正しい形を保てない。


だから、決めたのだ。

「悪役王子ゼノン」を完璧に演じきり、勇者アレンに討たれる。それが、最も犠牲が少なく、世界が幸福になる唯一の道だと。


そのために、俺は原作知識を総動員し、この世界の理である「魔力」を独自に解釈し、昇華させた。ゲームにはなかった、俺だけの力。


ガレスが俺の懐に飛び込んでくる。渾身の一撃。大気が裂けるほどの剣閃が、俺の首筋に迫る。だが、その刃は俺の喉元まで数センチの空間で、ピタリと停止した。


「なっ……!?」


ガレスが驚愕に目を見開く。彼の剣は、まるで分厚いガラスに阻まれたかのように、びくともしない。


「遅い。弱すぎる。そして、あまりにも直線的だ」


俺は指先を軽く振るう。それだけで、ガレスの巨体は目に見えない何かに殴り飛ばされたように、後方へ吹き飛んだ。


「ぐっ……はっ!?」


受け身も取れずに地面を転がったガレスが、信じられないという顔で俺を見上げる。


「何をした……?」


「知りたいか? だが、死ぬ人間に教える知識などない」


俺はゆっくりと立ち上がり、彼我の距離を詰めていく。俺が使っているのは、魔力を極細の糸状に練り上げ、空間に張り巡らせて支配するオリジナル戦闘術。名付けて、《支配者の劇場(ルーラーズ・シアター)》。


この一帯は、すでに俺の魔力糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされた、俺だけの舞台だ。敵の動き、呼吸、心拍数、魔力の流れ、そのすべてを俺は「糸」を通じて感知している。ガレスの剣を防いだのも、彼を殴り飛ばしたのも、すべてはこの不可視の魔力糸の操作によるものだ。


(原作のガレスは、こんなに弱くはないはずだ。アレンと出会うことで覚醒するにしても、基礎能力が低すぎる。これはまずい。俺というイレギュラーの存在が、彼の成長すら阻害しているのか……?)


計画の綻びに内心で焦りながらも、俺はあくまで傲慢な笑みを崩さない。


「さあ、第二幕を始めようか。今度はもう少し、余を楽しませてみろ」


挑発に乗り、ガレスは再び突進してくる。だが、彼の動きはすべて俺の掌の上。右に避ければ糸が足に絡みつき、左に跳べば糸が腕を締め上げる。剣を振るえば、見えない壁に弾かれる。彼はまるで、操り人形のように踊らされているだけだった。


「くそっ! くそっ! なぜだ!」


ガレスの心が折れかけているのが、糸を通じて伝わってくる。これではダメだ。彼には、勇者を支えるに足る不屈の精神をここで養ってもらわねば困る。


俺はわざとらしく溜息をつき、魔力糸の操作を少しだけ緩めた。


「もう飽きた。終いだ」


俺は右手をガレスに向ける。その指先に、螺旋状に収束した魔力糸が黒い輝きを放ち始める。対象を原子レベルで断ち切る、俺の最強の攻撃技。


断罪の糸切り鋏(ジャッジメントシザー)


ガレスは死を覚悟したのか、ぐっと奥歯を噛みしめ、俺を睨みつけた。その目だ。その目を失わせるわけにはいかない。


(この一撃は、お前の背後、瓦礫の山にいる“ネズミ”への牽制だ)


俺が指先から黒い閃光を放とうとした、その瞬間。


――ズドドォォォン!!


突如、戦場に不釣り合いな爆発音が響き渡った。ガレスの背後、瓦礫の山が内側から吹き飛び、中から一体の巨大なゴーレムが姿を現したのだ。原作には登場しない、明らかに異質な存在。そのゴーレムの肩には、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる小柄な男が乗っていた。


(……出たか、イレギュラー。三体目)


俺は内心で舌打ちする。

この世界には、俺以外にも転生者がいる。彼らは己の欲望のままに行動し、物語を自分本位に改変しようとする「害虫」だ。原作知識を持っている者もいれば、いない者もいる。共通しているのは、彼らが現れると「物語の強制力」が大きく乱れ、予測不能な犠牲者が出ることだ。


世界の秩序を守るため、そして俺の計画を完遂するため、こいつらは絶対に見逃せない。


「ヒャッハー! いいザマだな、反乱軍! だが、お前らの命も、そこの傲慢王子の命も、この俺様がいただくぜ! このゴーレムは、俺が現代知識というチートで作った特別製だからな!」


転生者特有の、軽薄で自己中心的な叫び声。間違いない。


ガレスは目の前の俺と、背後に出現した新たな脅威との間で混乱している。


「誰だ、お前は!?」

「俺か? 俺はそうだな……この世界の新たな神になる男、ジンだ!」


ジンと名乗る転生者は、ゴーレムに攻撃を命令する。巨大な岩の拳が、俺目掛けて振り下ろされた。反乱軍の兵士たちは、その圧倒的な破壊力に悲鳴を上げて逃げ惑う。


だが、俺は冷静だった。むしろ好機だとすら思った。


(ガレス、よく見ておけ。絶望とは何か。そして、それを超える意志の力を)


俺は振り下ろされる拳を避けもせず、ただ静かに右手を掲げる。


「――やかましい」


俺の指先から放たれた不可視の魔力糸が、一瞬でゴーレムの全身に絡みついた。


「ん? どうした、止まったぞ?」


ジンが不思議そうに首を傾げた、次の瞬間。


ギチギチギチッ……!!


巨大なゴーレムが、まるで巨大な万力に締め上げられるかのように、嫌な音を立てて軋み始めた。全身に亀裂が走り、岩のパーツがボロボロと崩れ落ちていく。


「な、なんだよこれ!? おい、動け! 動けって!」


ジンがいくら叫んでも、ゴーレムは俺の魔力糸の支配下から逃れられない。


「下等な人形遊びはそこまでにしろ。舞台が汚れる」


俺が指を握り込むと同時に、ゴーレムは凄まじい音を立てて内側から圧壊。粉々に砕け散った。


「うわああああ!?」


ジンはなすすべもなく地面に叩きつけられる。俺はゆっくりと彼に歩み寄り、その胸に突き刺さらんばかりに魔力糸の刃を突きつけた。


「さて、ネズミ。お前、どこから来た? 何が目的だ? 俺の知る物語に、お前のような道化は登場しない」


「ひっ……! な、なんだお前! ゼノンはこんなに強くないはずだ! ゲームじゃ、ただの雑魚だったじゃねえか!」


やはり、原作知識持ちか。だが、浅い。やりこみ度が足りていない。


「ゲーム? ほう、面白いことを言う。だが、お前の知る物語は、ここでおしまいだ」


俺は躊躇なく、ジンの心臓を魔力糸で貫いた。彼の命が霧散していく感覚が、糸を通じて伝わってくる。これで、物語の歪みは最小限に抑えられたはずだ。


一部始終を呆然と見ていたガレスが、我に返って叫ぶ。

「お、お前……一体……」


俺はジンを始末した刃を、再びガレスに向ける。彼の瞳には、先ほどまでの反抗心に加え、得体の知れないものへの恐怖と、そしてほんの少しの「疑問」が浮かんでいた。それでいい。


「まだやるか? それとも、犬のように尻尾を巻いて逃げるか?」


「……っ!」


ガレスは歯を食いしばり、よろよろと立ち上がると、大剣を杖代わりに俺を睨み据えた。

「……俺は、逃げない。ここで死んでも、俺の意志を継ぐ者が必ずお前を討つ!」


(そうだ、それでこそガレス・アードラーだ)


俺はその答えに内心で満足しながらも、口元に冷酷な笑みを浮かべる。


「意志、か。くだらんな。そんな不確かなものに何の意味がある」


俺はわざとらしく天を仰ぎ、見えない「観客」に語りかけるように言った。

「貴様も、他の連中も、結局は盤上の駒に過ぎん。踊らされていることにも気づかずに、正義だの自由だのと騒ぎ立てる。滑稽な道化だよ、お前たちは」


これは、ガレスに言っているのではない。この世界のどこかにいるであろう「管理者」と、そして、いずれ現れる「勇者アレン」へのメッセージだ。この世界の構造に、欺瞞に気づけ、と。


俺はガレスに背を向け、歩き始めた。


「なっ……なぜ、とどめを刺さない!?」


背後からガレスの戸惑った声が飛んでくる。


「……殺す価値も無い。そう判断しただけだ。無様に生き延び、己の無力さを噛みしめながら、二度と余の前に姿を現すな」


俺は一度も振り返らない。

ここで彼を生かすことは、俺の計画の根幹に関わる。だが、その理由を誰にも悟られてはならない。俺はあくまで、気まぐれで敵を見逃した傲慢な王子でなければならないのだ。


丘を降り、自軍の陣地へと戻る。兵士たちが恐怖と畏敬の入り混じった目で俺に道を開ける。彼らの視線が心地よかったと言えば嘘になる。だが、これも必要な孤独だ。


自室に戻り、血と雨で濡れた上着を脱ぎ捨てる。窓の外では、まだ雨が降り続いている。今日の戦いで、俺はガレスという「駒」を正しい位置に戻し、イレギュラーという「ノイズ」を排除した。計画は、かろうじて軌道修正できた。


だが、代償はあった。

俺がイレギュラーを排除するために、原作以上の力を使ったことで、「物語の強制力」がより強く俺に干渉してくるだろう。俺の「死」という結末を確定させるために、世界はこれから、より強力な「刺客」を送り込んでくるはずだ。


その刺客こそが――勇者アレン。


「待っているぞ、アレン。お前という光が、俺という影を討ち滅ぼすその日を」


俺は窓ガラスに映る自分の顔――赤い瞳を持つ悪役王子の顔を見据える。

その瞳の奥に、かつての平凡な日本の青年だった頃の自分が、泣いているような気がした。


「もう誰も、俺のせいで死なせはしない。俺が死ぬことで、すべてが終わるのだから」


これは、転生という名の呪いを背負った男が、愛する物語を救うために、自ら断頭台へと歩みを進める道化の物語。

世界中から憎まれ、誰にも理解されず、それでも史上最も世界に愛された悪役の、孤独な戦いの記録だ。


その幕は、今、静かに上がった。

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