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アストラル・リライト  作者: 葱甘
第1章:守護者とRTAプレイヤー
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第二話:王城の不協和音と影の囁き

王都ヴァーミリオンに凱旋した俺を待っていたのは、民衆からの歓声ではなく、恐怖に満ちた静寂だった。エルドラドでの苛烈極まる鎮圧の報は、疾風の如く王都を駆け巡っていた。反乱軍だけでなく、それに与した領民まで容赦なく粛清した――そういう噂が尾ひれをつけて。無論、その噂を流したのは俺自身だ。「悪役王子ゼノン」のイメージを確固たるものにするための、必要経費である。


謁見の間。大理石の床に俺の靴音だけが冷たく響く。玉座には、病の影が色濃く浮かぶ父、国王カイン・フォン・ヴァーミリオンがやつれた顔で座っていた。その傍らには、柔和な笑みを浮かべながらも、その瞳の奥に怜悧な光を宿す腹違いの弟、第二王子レオナルドが控えている。原作では、アレンのライバルとして幾度も立ちはだかり、最終的には共闘する誇り高き騎士王子だ。今はまだ、俺という存在を疎ましく思う、ただの野心的な弟でしかないが。


「見事であった、ゼノン。反乱の鎮圧、大儀であった」


国王のか細い声が、広い謁見の間に虚しく響いた。その声には労いの色よりも、息子への恐怖が滲んでいる。計画通りとはいえ、胸の奥がチクリと痛んだ。


「当然の責務を果たしたまでです、父上。我がヴァーミリオンに牙を剥く愚か者共には、相応の報いを与えねば示しがつきません故」


俺はわざとらしく口の端を吊り上げ、レオナルドに視線を流した。


「そうは思わんか? レオナルド。貴様が温情などという甘ったれた感傷に浸っている間に、国は腐っていくのだ」


「兄上のやり方は、あまりに過激です。力による支配は、さらなる憎しみを生むだけ。民の信頼こそが、王国の礎となるべきです」


レオナルドは涼やかな顔で、しかし明確な敵意を込めて反論する。正論だ。あまりにも正しく、眩しいほどの理想論。かつての俺なら、間違いなく彼に同意していただろう。だが、今の俺は道化を演じなければならない。


「信頼? 戯言を。民とは、恐怖と僅かな飴で支配すべき家畜。貴様には、王の器はないな」


「なっ……!」


激昂するレオナルドを、国王が咳払いで制する。

「……ゼノン。一つ、報告と違う点がある。反乱の首魁、ガレス・アードラーを取り逃がしたそうだな。あれほどの徹底的な粛清を行いながら、なぜ首謀者だけを? 何か理由があるのか?」


鋭い問いだった。国王は病に蝕まれながらも、その慧眼は失われていない。ここで下手に言い訳をすれば、疑念の種を植え付けてしまう。俺は、心の底からつまらなそうな顔を作り、鼻で笑って見せた。


「理由、ですか? ありませんな。ただ、あまりにも弱く、つまらなかった。虫けらを一匹一匹踏み潰すのも飽きまして。生かしておけば、また面白い余興を企てるやもしれませぬ。それだけのことです」


傲岸不遜。あまりに理不尽で、自己中心的な理由。謁見の間にいる誰もが息を呑んだのが分かった。レオナルドは侮辱されたように拳を握りしめ、国王は深い溜息をついて目を伏せた。完璧な反応だ。これで誰も、俺がガレスに「未来への投資」をしたなどとは思うまい。


「……下がってよい。長旅、疲れたであろう」

「ええ、退屈なだけの旅でした」


俺は一瞥もくれずに踵を返し、謁見の間を後にした。背中に突き刺さる、弟の憎悪と父の憂慮、そして家臣たちの恐怖の視線を感じながら、俺は自分の役割が順調に進んでいることを確信し、密かに安堵した。


自室に戻ると、俺はまず従者をすべて下がらせた。この部屋だけが、俺が「悪役王子ゼノン」の仮面を外し、本来の自分――物語の守護者としての顔に戻れる唯一の場所だ。


窓辺に立ち、喧騒から切り離された王宮の庭園を見下ろす。エルドラドでの一件は、計画の第一段階に過ぎない。ガレスを生かし、勇者アレンの最初の仲間となるべき道筋は守った。そして、イレギュラーであったジンを排除した。


だが、代償はあった。俺がジンのゴーレムを、原作知識にはない《支配者の劇場》の力で粉砕した瞬間、確かに感じたのだ。世界の理が軋むような感覚を。俺という「バグ」が、本来の歴史にない力を行使したことで、「物語の強制力」による修正作用がより強く働こうとしているのを。


その証拠に、謁見の間から戻る途中、些細な悲劇が起きていた。俺に長年仕えてきた老兵の従者が、濡れた床で足を滑らせて転倒し、打ちどころが悪く、あっけなく死んだのだ。ただの事故? 違う。あれは「歪み」の清算だ。俺がイレギュラーを排除したことで生まれた物語の余白を、世界が無理やり埋め合わせた結果だ。俺のせいで、また一つの命が失われた。


唇を噛みしめる。悲しんでいる暇はない。感傷に浸っている余裕もない。俺が立ち止まれば、さらに多くの歪みが生まれ、無関係な人々が死んでいく。


「……いるか」


俺が小声で呟くと、部屋の隅、光の届かない影が僅かに揺らめいた。そして、まるで影そのものが人の形をとったかのように、黒装束の人物が音もなく膝をついていた。


「お呼びでしょうか、あるじよ」


彼らは、俺がこの五年間で秘密裏に育て上げた諜報部隊「影蜘蛛シャドウスパイダー」の構成員。その存在は、国王ですら知らない。俺が原作知識を元に見出した、孤児やならず者たち。俺は彼らに生きる術と居場所を与え、彼らは俺に絶対の忠誠を誓っている。彼らは、俺が「悪役」ではないことを知る、数少ない協力者だ。


「報告を」

「はっ。まず、エルドラドの残党ですが、首魁ガレスを中心に山中へ潜伏。主の『気まぐれ』に感謝しつつも、強い憎悪を抱き、再起の機会を窺っている模様です」


「それでいい。奴の憎悪が強いほど、アレンと出会った時の輝きは増す。監視は続けろ。だが、手を出すな。次に、勇者の村――リース村の動向は?」


勇者アレンが育ったとされる、王国北部の辺境の村だ。原作では、魔物の襲撃をきっかけに彼が旅立つことになる。


「特異な動きはありません。ですが一点、不可解な報告が。村の子供たちが数日前から、『空から降ってきた光る石』で遊んでいる、と。ただの石英の類かと思われますが……」


光る石。俺の記憶が警鐘を鳴らす。原作の序盤イベントだ。アレンがその石を拾い、内に秘めた聖なる力に目覚めるきっかけとなるアイテム「勇者の原石」。それが、すでに村に出現している。まずい。俺の行動が、物語の進行を早めてしまっている。アレンの旅立ちが早まれば、ガレスや他の仲間たちとの出会いのタイミングがずれ、最悪、物語は破綻する。


「……続けろ」

「はっ。次に、諸外国の動向。特に、西方の商業都市連合と、南のアルテミア聖王国が、今回のエルドラドでの一件を受け、我が国への警戒レベルを最大に引き上げました。特にアルテミアでは――」


影蜘蛛の男が、一瞬言葉をためらう。


「どうした」

「……『奇跡の聖女』を名乗る少女が出現した、との情報が。不治の病を癒やし、枯れた土地に水をもたらすなど、にわかには信じがたい力を持っていると。民衆は彼女を熱狂的に支持し、教皇庁も彼女を正式な聖女として認定する動きを見せています。少女の名は、セレスティーヌ」


セレスティーヌ。その名に、俺の知る『アストラル・サーガ』の登場人物リストには存在しない。そして、その奇跡の内容。明らかに、この世界の物理法則を無視している。

間違いない。ジンと同じ、新たな「イレギュラー」だ。しかも今度は、人心を掌握する厄介なタイプ。


(聖女、か。民衆を扇動し、物語を自分の都合のいいように書き換えるつもりか。ジンよりも遥かにタチが悪い)


俺の計画は、あくまで原作の英雄譚をなぞること。アレンという「光」が輝くためには、俺という「闇」が必要だ。だが、そこに「偽りの光」が現れれば、物語の根幹が揺らいでしまう。アレンが真の勇者として覚醒する前に、民衆が偽りの聖女に心酔してしまえば、世界は救われない。


俺が思考に沈んでいると、部屋の空気が、ふっと重くなった。

肌を刺すような、明確な殺気。


「――下がれ」


俺が短く命じると、影蜘蛛は音もなく再び影に溶けて消えた。直後、窓の外から、三つの影が高速で部屋に侵入してきた。全員が黒装束。その動き、常人ではない。プロの暗殺者だ。


「愚かな」


俺は呟くと同時に、指先から不可視の魔力糸を室内に瞬時に展開する。《支配者の劇場(ルーラーズ・シアター)》の完成だ。


暗殺者の一人が、天井から俺の死角を突いて短剣を振り下ろす。だが、その刃は俺の首筋に届く前に、見えない壁に阻まれて停止した。


「なっ!?」


驚愕する暗殺者の横から、別の二人が左右同時に襲い掛かる。一人は毒針を、もう一人は呪符を投げつけてくる。毒も呪いも厄介だが、俺の「劇場」の中では意味をなさない。


「《千の音色を聴く(サウンド・エコー)蜘蛛の巣(・ウェブ)》」


俺は魔力糸を微細に振動させ、空気の反響を探る。毒針の軌道、呪符に込められた魔力の流れ、暗殺者たちの心拍数と筋肉の収縮。すべてが、俺の脳内に三次元の音響マップとして描き出される。


俺は最小限の動きで毒針を避け、飛来する呪符を魔力糸で捕縛し、そのまま投げ返す。


「ぐあっ!?」


呪符は術者である暗殺者自身に命中し、彼は黒い炎に包まれて倒れた。残り二人。


「貴様、何者だ! 王子ごときに、これほどの使い手がいるはずが……!」

「質問はこちらの台詞だ。誰の差し金だ? レオナルドか? それとも、どこぞのネズミか?」


俺は指先を操り、魔力糸で見えない刃を作り出す。そして、それを暗殺者の一人の腕に絡ませた。


「《傀儡の糸(マリオネットワイヤー)》」


「がっ……あ……!」


暗殺者の体が、彼の意志に反してぎこちなく動き始める。俺の魔力糸が彼の神経系に直接接続し、その体を無理やり操っているのだ。俺は彼の腕を操り、その手にした短剣を、もう一人の仲間の喉元に突きつけさせた。


「さあ、喋れ。喋らなければ、お前の仲間が、お前を殺すことになる」


冷酷な脅迫。仲間同士で殺し合わせるという外道なやり方に、暗殺者は恐怖に顔を引きつらせた。


「……我らは『黄昏の蛇』。依頼主の名は、決して口にしないのが我らの掟だ」

「そうか。ならば、その掟とやらに殉じるがいい」


俺が指を動かしかけた、その時。暗殺者は自らの舌を噛み切り、口から血の泡を吹いて絶命した。操っていた男も、すでに懐に隠していた毒で自害していた。見事なプロ意識だ。


だが、甘い。


俺は彼らの死体を魔力糸で探り、その所持品を検分する。懐から出てきたのは、ヴァーミリオン王国のものではない、特殊な合金で作られた硬貨。そして、微かに香る、嗅ぎ慣れない香木の匂い。


「アルテミア聖王国の香……か。なるほどな」


レオナルドの差し金ではない。とすれば、依頼主は「聖女セレスティーヌ」。俺という存在が、彼女の計画の邪魔になると判断し、先手を打ってきたということか。あるいは、彼女を担ぎ上げている教皇庁の仕業か。


いずれにせよ、答えは一つ。

この「偽りの聖女」は、俺が「悪役」として断罪しなければならない、新たなイレギュラーだ。物語を歪める害虫は、勇者が現れる前に、俺がすべて駆除しておく。


俺は再び影蜘蛛を呼び出した。


「計画を変更する。これより、アルテミア聖王国へ向かう」

「なんと……! 表向きの口実はどうなさいますか?」


俺は窓の外、遥か南の空を見据え、悪役の笑みを浮かべた。


「決まっているだろう。『奇跡の聖女』とやらが、どれほどのものか見物しに行く。そして、気に入らなければ――」


俺は指先で、まるで何かを摘まみ取るような仕草をした。


「我がヴァーミリオンに持ち帰るまでだ、とでも言っておけ」


聖女の強奪。これ以上ないほどの、暴君の所業だ。世界は俺をさらに非難し、憎むだろう。それでいい。それがいい。


「偽善者を裁くのは、本物の悪役の仕事だろう?」


俺の呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな部屋に溶けて消えた。孤独な戦いの第二幕は、聖なる都を舞台に、今、始まろうとしていた。

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