第十七話:白き光の代償と残されたチェスボード
光。
すべてを飲み込み、すべてを浄化する、絶対的な白い光。
セレスティーヌが、いや、光の女神アウローラが放った《光の創造・第七天》と、マキナの混沌の自爆が衝突したエネルギーは、俺の意識を容易く刈り取っていった。レオナルドを庇い、その衝撃の余波を受けた俺の体は、限界を超えていた。これが、本当の「死」か。そう、ぼんやりと思った。悪役としてではなく、守護者として、やるべきことはやった。もう、いいだろう……。
だが、俺の意識は、暗闇に落ちることはなかった。
次に目を開けた時、俺は見慣れた自室――ヴァーミリオン王宮の、ゼノン王子の執務室のベッドの上に、寝かされていた。
「……ここは……?」
「お目覚めですか、主」
ベッドの傍らには、イゾルデが、心配そうな顔で付き添っていた。彼女の後ろには、デューク、そして、まだ顔色は優れないものの、意識を取り戻したレオナルドの姿もあった。
「……何が、起こった? 俺は、一体、どれくらい……」
「三日です」
と、答えたのはデュークだった。
「主が、あの地下の研究室で倒れられてから、丸三日、意識を失っておられました。王宮内は、イゾルデ殿の重力魔術で完全に封鎖し、事態の収拾にあたっておりました」
三日。俺は、あの後、三日間も眠り続けていたのか。
俺は、飛び起きようとして、全身に走る激痛に顔を顰めた。無理な転移と、アルフレッドとの戦い、そして最後の光の余波。その代償は、俺の魂と肉体を、未だに蝕んでいた。
「アルフレッドは? そして、マキナは……セレスティーヌは、どうなった?」
俺の問いに、部屋の空気が、重くなった。
イゾルデが、静かに、しかし、重い口調で語り始めた。
「……アルフレッドは、その場で死亡が確認されました。ARKとの融合が、彼の肉体を完全に破壊したようです。彼の研究室と、巨大なARK本体は、現在、私の重力結界で、完全に隔離・封印しています」
「そうか……」
あの狂気の天才は、自らの夢と共に、潰えたか。
俺は、続けた。
「……マキナと、セレスティーヌは?」
イゾルデは、首を横に振った。
「……分かりません。あの光の後、研究室には、貴方様と、レオナルド様、そしてアルフレッドの亡骸しか、残っていませんでした。マキナと、聖女セレスティーヌの姿は、どこにも……。まるで、二人とも、光と共に、この世から消滅してしまったかのようでした」
消滅。
その言葉に、俺の胸が、ずきりと痛んだ。
セレスティーヌ……いや、アウローラ。彼女は、自らの命と引き換えに、マキナを封印したのか? 神話の時代と同じように、またしても、闇と相打ちになるという、悲劇を繰り返したというのか。
彼女が最後に俺に向けた、あの微笑みの意味。
それは、別れの挨拶だったのか。
『貴方が記憶を取り戻してくれて、嬉しいわ。これで、ようやく、本当の話ができます』
そう言った彼女と、俺は、まだ、ほとんど何も、話せていなかったのに。
「……一つだけ、現場には、これが残されていました」
イゾルデが、俺に、一つの小さなアイテムを差し出した。
それは、白金の髪を束ねていた、セレスティーヌの髪飾りだった。その髪飾りには、彼女の、微かで、しかし、温かい光の力が、まだ残っている。
俺は、その髪飾りを、強く、握りしめた。
(……ありがとう、アウローラ。お前の犠牲は、決して、無駄にはしない)
だが、本当に、彼女は死んだのだろうか?
マキナのような、混沌の化身が、そう簡単に消滅するとは思えない。もしかしたら、二人は、共に、別の次元へと飛ばされただけ、という可能性はないか?
その時、レオナルドが、おずおずと、口を開いた。
「兄上……。いえ、陛下。今回の件、すべては、私の、私の愚かさが招いたことです。私が、アルフレッドのような男の甘言に乗り、兄上の真意を見抜けなかったばかりに……。どのような罰でも、お受けします」
彼は、俺の前に、深く、頭を下げた。
俺は、ベッドからゆっくりと体を起こし、彼の肩に、手を置いた。
「顔を上げろ、レオナルド。お前は、騙されただけだ。それに、お前のその真っ直ぐすぎる正義感は、決して、間違いではない。むしろ、今の、猜疑心に満ちた俺にはない、眩しい光だ」
俺は、彼に、セレスティーヌの髪飾りを見せた。
「俺たちは、あまりにも多くのものを、失った。だが、その犠牲の上で、俺たちは、生かされている。俺たちの戦いは、まだ、終わっていない。お前には、その罪を償うためにも、俺と共に、戦ってもらう」
「……兄上……」
レオナルドの瞳に、再び、力が戻った。
俺たちの間にあった、長年の確執は、この瞬間、完全に氷解した。
だが、安堵している暇はなかった。
俺たちは、マキナとセレスティーヌという、二人の巨大なプレイヤーを失った(あるいは、一時的に退場させた)。そして、アルフレッドという、裏の支配者も消えた。
だが、この世界の「本当の敵」は、まだ、健在なのだ。
世界の「管理者」。
彼らは、この一連の騒動を、高みの見物を決め込んでいたはずだ。そして、盤上が、大きく動いた今、必ず、次の一手を打ってくる。
俺の予想は、的中した。
影蜘蛛が、海外からの、緊急情報を、立て続けに持ってきたのだ。
「陛下! エルドラドの、ガレス殿が率いる『自由の翼』から、緊急の通信です!」
「なんだ?」
「それが……行方不明だった、勇者アレンが、帰還した、と!」
「――なに!?」
俺は、思わず、声を上げた。
アレンが、帰ってきた?
マキナによって、ランダム転移させられた彼が、無事に、帰還したというのか。
報告によれば、アレンは、大陸の遥か南、これまでどの国とも交流のなかった、謎の島国「ヒノモト国」に飛ばされていたのだという。そこで、彼は、サムライやニンジャと呼ばれる、独自の戦闘技術を持つ者たちと出会い、新たな仲間と共に、驚異的な成長を遂げて、帰還したのだという。
原作には、全く存在しない、未知の展開。だが、物語の強制力は、勇者が、さらに強くなるための、新たな試練を、用意したということか。
「……分かった。アレンの帰還は、朗報だ。だが、今は、彼らと接触するな。こちらの状況が、まだ安定していない」
俺がそう指示を出した、矢先。
さらに、衝撃的な、第二の報告が、もたらされた。
「陛下! 今度は、世界各地の、古代遺跡から、緊急事態です!」
「古代遺跡だと?」
「はい! 全世界に点在する、神話時代の遺跡が、一斉に、謎の光を放ち、活動を再開! そして、その遺跡から……!」
影蜘蛛は、信じられない、という顔で、続けた。
「……管理者、と名乗る、銀色の巨人たちが、無数に、出現! 彼らは、『この世界の、秩序安定化と、バグの駆除を開始する』と宣言し、各地で、無差別に、破壊活動を始めた、との報告が!」
「……来やがったか」
俺は、唇を噛んだ。
管理者。
彼らは、マキナ、セレスティーティーヌ、アルフレッドという、イレギュラーなプレイヤーたちが、盤上から消えたこの機を捉え、自らが、直接、この世界に介入してきたのだ。
彼らの目的は、「秩序の安定化」などではない。この世界を、彼らにとって都合のいい、管理しやすい、面白みのない「箱庭」へと、リセットすることだ。
そして、彼らにとっての最大の「バグ」とは、混沌のマキナだけではない。
俺や、帰還したアレンのような、彼らの筋書き通りに動かない、イレギュラーな存在、すべてだ。
チェスボードは、一度、空になった。
そして今、新たな、そして、最強のプレイヤー――「管理者」が、その駒を、盤上に、並べ始めたのだ。
俺の体は、まだ、万全ではない。
だが、時間は、待ってはくれない。
俺は、ベッドから、完全に立ち上がった。
そして、部屋にいる、三人の、最も信頼できる仲間たちに、告げた。
「これより、我々は、世界の、本当の『神』に、戦いを挑む」
デュークが、剣を抜き、その場に膝をつく。
「この命、陛下の、いえ、世界の守護者のために」
イゾルデが、その瞳に、決意の光を宿らせる。
「私の魔術のすべてを、貴方に捧げますわ。主」
そして、レオナルドが、俺の隣に立ち、聖剣を構える。
「兄上。今度こそ、貴方の背中は、俺が守ります」
俺の孤独な戦いは、終わった。
今、俺の隣には、信頼できる仲間たちがいる。
そして、世界のどこかでは、新たな力を得た、勇者アレンが、同じ敵を見据えているはずだ。
「さあ、始めようか。俺たちの、本当の物語を」
俺は、セレスティーヌの形見である、髪飾りを、固く握りしめた。
その髪飾りに宿る、温かい光が、俺の傷ついた魂を、優しく、癒やしてくれるような気がした。
神々が去り、狂気の天才が消えた、残されたチェスボードの上で。
人間たちの、神への反逆の物語が、今、静かに、幕を開けた。
それは、やがて、銀河を揺るがす、壮大な戦いの、ほんの序章に過ぎないことを、まだ、誰も知らなかった。