第十四話:盤上の裏切りと守護者の鉄槌
光の粒子と化した俺の意識は、時空のトンネルを、凄まじい速度で駆け抜けていた。《星巡りの道》は、ただの空間転移ではない。自らを情報化し、星々のネットワークを介して、目的地に再構築する、神々の領域の転移術だ。その負荷は絶大で、俺の魂そのものを削り取るような激痛が伴う。だが、今の俺に、そんな痛みを感じている余裕はなかった。
脳裏に焼き付いて離れない、アルフレッドの研究室の光景。捕らわれた弟、レオナルドの苦悶の表情。そして、すべてを嘲笑うかのように、穏やかな笑みを浮かべていたアルフレッドの顔。
(間に合え……! 間に合ってくれ……!)
俺の祈りが通じたのか、数秒にも、数時間にも感じられた転移が終わり、俺の体は、王宮にある俺の執務室に、再び構築された。だが、その瞬間、俺は気づいた。部屋の空気が、異常に「静か」であることに。
罠だ。
俺が転移してくることを、アルフレッドは読んでいた。そして、この部屋に、何らかの仕掛けを施している。
俺は即座に、開発中だった防御技術《魂の隠れ家》を、不完全ながらも発動させた。俺の魂の周囲に、因果を反射する、見えない鏡面世界のバリアが展開される。
直後、執務室の壁、床、天井に描かれていた幾何学模様が、一斉に青白い光を放った。それは、アルフレッドが仕掛けた、対ゼノン用の捕獲トラップ。俺の魂を、この部屋ごと、ARKのシステムに強制的に接続するための、巨大な魔術回路だった。
《魂の捕囚網》
青白い光の鎖が、俺の体を、そして魂を縛り上げ、データ化して吸収しようと迫ってくる。通常の魔術師なら、一瞬で抵抗する間もなく、魂を抜き取られていただろう。
だが、俺の《魂の隠れ家》が、その光を寸前で反射し、弾き返した。
「ちっ……!」
俺は舌打ちし、執務室の壁を蹴破り、強引に脱出する。廊下に出ると、そこには、異様な光景が広がっていた。
王宮の警備兵たちが、全員、糸の切れた人形のように倒れている。そして、彼らの代わりに、通路を警備しているのは、俺が嘆きの谷で見た、聖女騎士団の兵士たちが使っていたものと同じ、合金製の鎧をまとった、無機質な戦闘ゴーレムの軍団だった。
アルフレッドは、俺が国を離れている間に、王宮そのものを、完全に制圧していたのだ。
「お帰りなさいませ、陛下。……いえ、ゼノン、と呼ぶべきかな?」
スピーカーを通して、アルフレッドの落ち着いた声が、王宮全体に響き渡る。
「思ったよりも、お早いご帰還で。セレスティーヌとの戦いは、いかがでしたかな? 貴方の魂も、さぞ、輝きを増したことでしょう」
「アルフレッド……! 貴様……!」
「おっと、そう殺気立たないでいただきたい。私は、貴方と戦うつもりはありません。ただ、私の『ARK』の最後の部品として、大人しくなっていただきたいだけです」
声と共に、ゴーレム軍団が、一斉に俺に襲いかかってきた。彼らの腕は、高周波で振動するブレードや、魔力を打ち出すキャノン砲に換装されている。一体一体が、並の騎士団長クラスの戦闘力を持つ、殺人機械だ。
「茶番は終わりだ!」
俺は、右腕に星辰の魔力を収束させ、掌から、星屑の嵐を放射状に解き放った。
《銀河の咆哮》
無数の光の粒子が、ゴーレム軍団を薙ぎ払い、その強固な装甲を、紙のように貫いていく。通路に展開していた数十体のゴーレムが、一瞬で鉄屑の山と化した。
だが、すぐに、次の部隊が通路の奥から現れる。キリがない。
「無駄ですよ、ゼノン。この王宮は、すでに、私の巨大な工場と化している。ゴーレムは、無限に生産可能です」
アルフレッドの声が、俺を嘲笑う。
俺は、雑魚の相手をするのをやめ、一直線に、彼のいる場所――地下の研究室へと向かった。
地下へ続く階段は、巨大な合金のシャッターで閉ざされていた。だが、そんなものは、俺の敵ではない。
俺は、左腕に、重力を操る力を宿らせた。イゾルデから学んだ重力魔術を、俺の星辰の魔力で、さらに発展させたものだ。
《黒龍の顎》
俺の左腕の周囲の空間が、ブラックホールのように歪み、超高密度の重力場を生み出す。その左腕で、シャッターに触れた瞬間、分厚い合金の扉は、飴のように捻じ曲げられ、内部から崩壊していった。
研究室へと続く、最後の通路。
そこに立っていたのは、一体の、異様な姿をしたゴーレムだった。
その姿は、俺の弟、レオナルドに酷似していた。だが、その体は、生身の肉体ではなく、液体金属のような、滑らかな装甲で覆われている。そして、その瞳には、一切の光がなかった。
「……兄上……」
レオナルドの姿をしたゴーレムが、彼の声で、呟いた。
「レオナルド!? なぜ、貴様がここに……! アルフレッドに、何をされた!?」
「兄上。私は、ようやく、自分の成すべきことを見つけました。アルフレッド様の、大いなる理想……『ARK』の実現こそが、この世界を、真の平和に導く道なのです」
その声は、レオナルド本人のものだった。だが、その口調は、まるで、誰かの台本を読んでいるかのように、感情がこもっていない。アルフレッドは、レオナルドの魂を捕らえるだけでなく、その精神を、自らの思想で完全に「上書き」してしまったのだ。
「貴様……!」
俺の怒りが、頂点に達した。
レオナルドを、ただの駒として、操り人形として利用する。これ以上の冒涜があるか。
「兄上、貴方には、ここで消えていただきます。貴方の魂は、ARKの礎となるのです。光栄に思いなさい」
レオナルドのゴーレムが、腰に下げた剣を抜いた。それは、彼が愛用していた、王家伝来の聖剣。だが、その刀身は、不気味な青白い光を放ち、アルフレッドの科学技術によって、魔改造が施されているのが分かった。
彼は、聖剣技の構えをとる。
だが、その動きは、生身の頃の彼とは比較にならないほど、速く、そして正確無比だった。機械の体を得たことで、彼の剣技は、人間を超えた領域へと達していた。
《聖剣技・改:零式・光速斬》
彼の姿が、消えた。
次の瞬間、俺の前後左右、上下、あらゆる方向から、同時に、光速の斬撃が襲いかかってきた。空間そのものを切り裂く、回避不能の絶技。
だが、俺は、動かなかった。
すべての斬撃が、俺の体に命中する寸前で、俺の周囲に展開された《魂の隠れ家》の鏡面バリアに触れ、その軌道を逸らされ、明後日の方向へと弾かれていった。
「なっ……!?」
初めて、レオナルドのゴーレムの顔に、驚愕の色が浮かんだ。
「お前の剣は、速すぎる。速すぎて、お前自身が、その剣の『意味』を見失っている。レオナルド、お前の剣は、そんな、空っぽの剣だったか?」
俺は、静かに、彼に語りかける。
「お前の剣は、民を守るための、弱き者を救うための、温かい光の剣だったはずだ。アルフレッドに与えられた、その冷たいだけの力で、俺を斬れると思うな」
「黙れ! 理想だけでは、何も救えない! アルフレッド様の、絶対的なる『管理』こそが、真の救済だ!」
レオナルドは叫び、再び斬りかかってくる。
俺は、その剣を、今度は、受け止めなかった。
俺は、彼の心に、直接、語りかけることにした。
俺は、右の人差し指を、レオナルドのゴーレムの、額に、そっと当てた。
そして、そこから、俺の《星辰の魔力》を、彼の魂の記憶へと、直接、流し込んだ。
俺が見せたのは、暴力や、破壊ではない。
俺が見せたのは、レオナルド自身が忘れてしまっていた、彼自身の「記憶」。
彼が、子供の頃、俺と一緒に、城下町で遊んだ記憶。
彼が、初めて剣を握り、民を守る騎士になると誓った、あの日の記憶。
彼が、俺の悪政に心を痛め、それでも、この国を愛し、民を愛していた、数々の記憶。
そして、最後に、俺が見せたのは、俺自身の、本当の記憶だった。
俺が悪役を演じていた、本当の理由。
この世界を救うために、孤独な戦いを続けていた、俺の真実の姿。
《記憶の回廊》
それは、相手の魂の深層にダイブし、その記憶を追体験させる、究極の精神干渉技。
「ああ……ああああ……」
レオナルドのゴーレムの瞳から、オイルのような、黒い涙が、溢れ出した。
アルフレッドによって植え付けられた偽りの忠誠が、彼自身の、本物の記憶の奔流によって、洗い流されていく。
「……兄上……だったのですね……。ずっと、一人で……戦って……」
彼の声が震える。機械の体が、彼の感情の揺らぎに耐えきれず、ショートしたように、火花を散らし始めた。
「思い出したか、愚かな弟よ」
「はい……思い出しました……。私は……私は、なんてことを……!」
レオナルドは、その手に持った聖剣を、自らの胸――動力炉へと、突き立てようとした。
俺は、それを手で制した。
「まだ死ぬな。お前には、まだ、やるべきことがある。その罪は生きて償え」
俺は、彼の体を構成している液体金属を、星辰の魔力で操り、その支配権をアルフレッドから、俺自身へと上書きした。
「……アルフレッド。聞こえているか」
俺は、レオナルドのゴーレムの通信機能を使って、研究室の主に宣戦布告をした。
「お前の最高傑作は、今、俺の駒となった。盤面はひっくり返ったぞ」
スピーカーから、しばらくの沈黙の後、アルフレッドの、静かだが、燃えるような怒りを含んだ声が響いた。
『……ゼノン……! よくも、私の、私の最高傑作を……!』
「お前は、大きな間違いを犯した。人の心と、兄弟の絆を、見くびりすぎた」
俺は、レオナルドの体を再構成し、彼を生身に近い状態に戻しながら、続けた。
「さあ、始めようか、アルフレッド。お前と俺の、本当のゲームを。お前の電子の楽園か、俺の守るこの現実世界か。どちらが、最後に残るか、決着をつけようじゃないか」
俺の宣戦布告を聞きながら、アルフレッドの研究室では、巨大な球体装置『ARK』が、不気味な赤い光を放ちながら、その起動を、静かに始めていた。
彼は、レオナルドという駒を失った。
だが、彼は、まだ、諦めてはいなかった。
彼の手元には、まだ、俺たちの知らない、最悪の「切り札」が、残されているのかもしれない。
王宮の深淵で、二人の「神」になろうとする男の、最後の戦いの火蓋が、今、切って落とされた。