第十三話:電子の楽園と道化の宣戦布告
アルフレッドの研究日誌によって、彼の狂気的な計画『Project: ARK』の全貌を知った俺は、すぐに行動を起こすことはしなかった。迂闊に動けば、狡猾な彼にこちらの意図を悟られ、計画を前倒しにされる危険性がある。彼は、俺とアレン、そしてセレスティーヌの魂が「最も輝いた瞬間」を狙っている。つまり、俺たちがそれぞれの敵と死闘を繰り広げ、限界を超えた力を発揮した時こそが、彼にとっての収穫の時なのだ。
ならば、俺がやるべきことは一つ。
彼が仕掛けた盤上で踊るフリをしながら、水面下で、彼の計画を根底から覆すための準備を進めることだ。
「イゾルデ。《星辰の使い》による、アルフレッドの研究室の監視は、24時間体制で継続しろ。ただし、決して気づかれるな。彼の計画の進捗を、常に把握しておく必要がある」
「御意。ですが主、彼の計画を止めなくてよいのですか? このままでは、我々は……」
イゾルデは不安げに俺を見る。彼女もまた、アルフレッドの計画の全容を知り、その壮大さと狂気に戦慄していた。
「止めるさ。だが、今ではない。最高のタイミングで、最高の絶望を、彼にプレゼントしてやる」
俺は静かに笑った。その瞳には、もはや敵を前にした焦りはない。ただ、より複雑で、より難解なパズルを与えられた、挑戦者のごとき闘志が燃えているだけだった。
まず俺が着手したのは、アルフレッドの計画の心臓部――『ARK』そのものへの対抗策だった。ARKが、魂をデジタルデータ化して取り込む装置であるならば、その根幹技術は、俺が転生前にいた世界の「科学技術」に近いはずだ。ならば、俺の持つ《星辰の魔力》と、転生前の知識を融合させれば、対抗できるかもしれない。
俺は、王宮の地下、アルフレッドの研究室とは別の区画に、新たな秘密の研究施設を建造させた。そして、そこで、来るべき「電子の神」との戦いに備え、新たな力の開発に没頭した。
俺が目指したのは、二つの概念の実装だ。
一つは、究極の「防御」。アルフレッドが魂を刈り取りに来た際に、それを防ぐための絶対的なバリア。魂そのものを、世界の理の外側に「隠す」技術。
俺は、自らの星辰の魔力を使って、極小の「鏡面世界」を生成する訓練を始めた。あらゆる物理法則、魔術法則、そして魂の観測さえも反射し、無効化する、因果律の外側に存在する聖域。
《魂の隠れ家》
これは、極めて高度な時空間魔術であり、習得には膨大な集中力と魔力を要した。だが、俺にはやらねばならない理由があった。
そして、もう一つが、究極の「攻撃」。ARKのシステムそのものを、内部から破壊するための、ハッキング能力。
俺は、自らの魔力糸を、物理的な糸から、情報を伝達する「データ」の糸へと昇華させる研究を始めた。魔力で編んだ、一種のコンピュータウイルスだ。これを、ARKのシステムに侵入させ、そのプログラムを書き換え、暴走させる。
《星辰の侵食》
この二つの技術が完成すれば、アルフレッドの計画を、理論上は無効化できるはずだ。だが、問題は時間だった。彼がいつ、収穫に乗り出してくるか、分からない。
そんな中、事態は、俺の予想よりも早く動いた。
きっかけは、国外からもたらされた、一つの凶報だった。
「主! 緊急報告です!」
影蜘蛛が、執務室に駆け込んできた。
「大陸東方の、自由都市同盟が……! 謎の疫病によって、壊滅状態に陥っているとのこと!」
「疫病だと?」
報告書に目を通した俺は、その内容に眉をひそめた。
その疫病の症状は、異常だった。感染した者は、高熱を出して倒れた後、数時間で回復する。だが、回復した者は、まるで魂を抜かれたかのように、一切の感情と意志を失い、ただ、ぼんやりと空を見上げるだけの「人形」になってしまうのだという。そして、その「人形」たちは、ある一点――アルテミア聖王国の方向に向かって、ただひたすら歩き始めるのだという。
「……セレスティーヌか」
俺は即座に断定した。これは、通常の病気ではない。彼女の新たな「信者」獲得のための、大規模な精神汚染攻撃だ。彼女は、嘆きの谷での敗北を経て、より狡猾で、より悪質な方法で、自らの軍勢を増やし始めたのだ。おそらく、彼女もまた、アルフレッドとは別の形で、何者かの協力を得て、その力を増している。
このまま放置すれば、大陸中の人間が、彼女の操り人形と化してしまう。それは、アルフレッドの計画にとっても、俺の計画にとっても、最悪の事態だ。
「出撃する。黒騎士団、及びデューク、イゾルデを招集しろ」
「しかし主、今、王国を離れるのは……」
「構わん。アルフレッドの監視は、星辰の使いに任せる。それに……」
俺は、不敵に笑った。
「あの男が何か仕掛けてくるなら、むしろ好都合だ。奴の本当の牙を、白日の下に晒してやる、絶好の機会だからな」
俺たちは、少数精鋭で、疫病の中心地である自由都市同盟へと向かった。
現地に到着した俺たちが見たのは、地獄そのものだった。街には、生気のない瞳で、聖都アルテミシアの方角へ向かって、ゾンビのように歩き続ける「人形」たちで溢れかえっていた。彼らを止めようとする兵士たちも、彼らに触れただけで、同じように感染し、人形の仲間入りをしていく。
「なんて、おぞましい光景だ……。これが、聖女の奇跡だというのか……」
デュークが、怒りに声を震わせる。
俺は、《星辰の魔力》で、この疫病の「正体」を探った。
それは、ウイルスや細菌ではなかった。音だ。ごく微弱で、人間の可聴領域をわずかに外れた、特殊な周波数の「音」。その音が、人々の脳に直接作用し、その精神構造を書き換え、セレスティーティーヌへの絶対的な信仰心を植え付けているのだ。おそらく、大陸中に設置された、複数の発信源から、この「呪いの音波」が放たれている。
「イゾルデ、デューク。お前たちは、人形たちを足止めしろ。ただし、決して殺すな。彼らは、まだ救える可能性がある。俺は、この呪いの大元を叩く」
俺は、単身で、空高く舞い上がった。そして、意識を集中させ、大陸全土に広がる、呪いの音波の「流れ」を読み解く。
《星律の調律》
俺の聴覚は、神の領域へと拡張され、世界中に張り巡らされた、無数の音のネットワークを捉えた。発信源は、十数カ所。自由都市同盟だけでなく、他国の主要都市にも、巧妙に隠されている。
そして、それらの発信源を、一つの巨大なハブとして束ねているのが、聖都アルテミシアの大聖堂。その地下に、嘆きの谷にあった《精神感応増幅器》の、数倍の規模を持つ、超巨大な増幅器が設置されているのを、俺は突き止めた。
(すべての元凶は、やはりあそこか。だが、今から聖都に乗り込んでも、時間がかかりすぎる)
ならば、やることは一つ。
この大陸中に広がる、呪いの音波のネットワークそのものを、ハッキングし、無効化する。
俺は、空中で、静かに歌い始めた。
それは、セレスティーティーヌの《聖唱》とは、対極をなす歌。
世界に存在する、すべての「音」を支配し、その周波数を、俺の意のままに書き換える、究極のカウンター技。
《創世の交響詩》
俺の声は、星辰の魔力によって増幅され、大陸全土へと響き渡った。
それは、呪いの音波を打ち消すための、清らかな「癒やしの旋律」。俺の歌声が届いた場所から、人形と化した人々が、次々と正気を取り戻していく。彼らは、何が起こったのか分からず、その場にへたり込んだ。
「やったか!?」
地上で戦っていたデュークが、希望の声を上げる。
だが、セレスティーヌも、黙ってやられてはいない。
聖都アルテミシアから、さらに強力な呪いの音波が放たれ、俺の《創世の交響詩》と、空中で激しく衝突し始めた。大陸の空で、目に見えない、音と音との、壮絶な覇権争いが繰り広げられる。
俺の額に、汗が滲む。
(……なんて力だ。彼女もまた、あの戦いの後、さらに進化している……!)
俺とセレスティーヌが、音の覇権を巡って、空中でせめぎ合っていた、その時。
俺の脳内に、緊急のアラートが鳴り響いた。
それは、王宮に残してきた《星辰の使い》からの、緊急通信だった。
『――警告。アルフレッドに、動きあり。Project: ARK、最終フェイズに移行。対象の魂の捕獲準備を開始』
――なんだと!?
アルフレッドの奴、俺が国を離れ、セレスティーヌと戦っている、この絶好のタイミングを狙って、仕掛けてきたのか!
だが、彼のターゲットは、俺と、アレンと、セレスティーヌのはず。アレンは行方不明。俺とセレスティーヌは、今まさに戦っている最中だ。魂の輝きは、まだピークに達していない。なぜ、今なんだ?
俺の疑問に答えるかのように、《星辰の使い》が、衝撃の映像を送り込んできた。
アルフレッドの研究室。
巨大な球体装置『ARK』の前で、彼は、恍惚とした表情で、宙に浮かぶ三つの光の玉を見つめていた。
一つは、赤く燃えるような光。
一つは、白く清らかな光。
そして、もう一つは、青く、穏やかな光。
そして、その青い光の中に、見覚えのある顔が、苦悶の表情で囚われていた。
「――レオナルド……!?」
そうだ、弟の、レオナルド・フォン・ヴァーミリオンだ。
アルフレッドは、俺やアレンの代わりに、レオナルドの魂を、三つ目の「燃料」として選んだのだ!
研究日誌の映像が、脳裏に蘇る。
『――ARKの起動には、膨大なエネルギーが必要となる。そのエネルギー源として、最も効率的なのは、三つの『特異点』の魂だ』
俺は、勘違いしていた。
彼が必要としていたのは、俺やアレンという「個人」の魂ではなかった。彼が必要としていたのは、「勇者の血を引く者」「神の代行者を名乗る者」、そして、「世界の理を書き換える者」という、『役割』を担う魂だったのだ。
行方不明のアレンの代わりに、同じ「勇者の血」を引くレオナルドを。
そして、「世界の理を書き換える者」として、俺を狙いつつも、保険として、俺のやり方を真似て、ヴァーミリオン王国で民衆の心を掴み始めていた「レオナルド」をも、ターゲットに含めていたのだ。
アルフレッドは、俺の行動、俺の改革、そのすべてを、レオナルドを通して把握し、彼を、俺の「代用品」として、完璧に育て上げていたのだ。
「……そういうことか、アルフレッド……! お前の、本当の狙いは……!」
俺とセレスティーヌを戦わせ、その間に、最も手に入れやすい駒であるレオナルドの魂を、まず確保する。そして、その魂を人質にして、俺とセレスティーヌを、投降させ、自らARKの燃料となるよう、仕向けるつもりなのだ。
すべてが、あの男の掌の上だった。
「――おのれええええええ!!」
俺の絶叫が、空に響く。
セレスティーヌとの音の覇権争いなど、もはやどうでもよくなった。
俺は、《創世の交響詩》を中断し、全星辰の魔力を、一つの目的のために収束させる。
王都ヴァーミリオンへの、超長距離・空間転移だ。
「イゾルデ! デューク! 後は任せる! 必ず、民を守れ!」
「主!? どこへ!?」
俺は、彼らの制止を聞かず、自らの体を、光の粒子へと変えた。
《星巡りの道》
空間を飛び越え、因果を断ち切り、ただ、目的地へと、一直線に突き進む、最速の転移魔術。
俺の視界が、光に包まれる。
待っていろ、レオナルド。そして、覚悟しろよ、アルフレッド。
お前が始めた、このくだらない神への叛逆ゲーム。
俺が、最悪のバッドエンドを、見せてやる。
道化の仮面を被り、悪役を演じていた頃の、黒い感情が、俺の心に蘇る。
だが、それは、もはや演技ではない。
純粋な、殺意だった。