第十二話:偽りの忠誠と王宮の深淵
嘆きの谷での戦闘は、俺たちヴァーミリオン側の圧勝に終わった。だが、俺の心には、勝利の昂揚感など微塵もなかった。あるのは、アルフレッドという裏切り者の存在がもたらした、冷たい疑念と焦燥だけだ。
王都へ帰還した俺は、何食わぬ顔で日常業務に戻った。デュークやイゾルデには、水晶の自壊と共に敵の通信があったことだけを伝え、アルフレッドの件は伏せた。この疑念は、まだ誰にも明かせない。確たる証拠を掴むまでは、下手に動けば、あの狡猾な狐に感づかれ、尻尾を切られて逃げられるだけだ。
俺はまず、アルフレッドという男について、徹底的に洗い直すことにした。影蜘蛛を総動員し、彼の身辺調査を秘密裏に開始する。同時に、俺自身も、記憶の奥底を探った。転生してからこれまで、アルフレッドと接触したすべての場面を、一つ一つ、再検証していく。
アルフレッド・マインツ。齢三十代半ば。平民出身でありながら、その類稀なる魔術の才能を認められ、異例の速さで宮廷魔術師の地位までのし上がった男。専門は、古代魔導具の解析と復元。常に穏やかな笑みを絶やさず、物腰も柔らかい。特に、第二王子であるレオナルドからの信頼は絶大で、彼の私的な相談役も務めている。
原作ゲーム『アストラル・サーガ』において、彼は「便利な脇役」だった。レオナルドに古代遺跡の情報を教えたり、魔導具の修理をしたりする、いわゆるNPCの一人。物語の根幹に関わるような、重要な役割は一切担っていなかったはずだ。
(だが、もし、その「無害なNPC」という立ち位置自体が、彼の擬態だったとしたら?)
俺の背筋を、冷たい汗が伝う。
セレスティーヌが見せた映像が真実なら、彼はジンが使っていたゴーレムの技術や、聖女騎士団の近代兵器、そして精神感応増幅器まで開発できる、超絶的な頭脳を持っていることになる。そんな男が、なぜ、一介の宮廷魔術師の地位に甘んじている? なぜ、正義感は強いが青臭いレオナルドの側近などという、面倒な役回りを演じている?
答えは一つしか考えられない。
彼には、巨大な「目的」がある。その目的のためなら、何十年でも、完璧な「駒」を演じ続けられる、恐るべき精神力と忍耐力を持っている。
その夜、俺はレオナルドを、自らの執務室に呼び出した。表向きの理由は、彼が長官を務める「民生安定局」の業務報告だ。
「兄上、お呼びでしょうか」
レオナルドは、以前のようなあからさまな敵意は見せないものの、まだ俺に対して警戒を解いていない様子で部屋に入ってきた。
「ああ。民の暮らしはどうだ? 俺の軍拡政策で、不満は高まっていないか」
「……今のところは。兄上が、いえ、陛下が起こされた『奇跡』――星辰の力による豊作と、病の治癒によって、民衆は陛下を、新たな『守護神』として崇め始めています。ですが、これは危険な兆候です。力による支配と、個人への盲目的な崇拝は、いずれ必ず、大きな歪みを生みます」
レオナルドは、真っ直ぐな目で俺に諫言する。彼の言うことは、正しい。そして、その正しさこそが、アルフレッドにとって、最高の隠れ蓑になっているのだ。
俺は、彼の報告を聞き流すフリをしながら、本題を切り出した。
「ところで、レオナルド。お前の側近の、アルフレッドという男。最近、彼の様子に何か変わったことはないか?」
俺の唐突な問いに、レオナルドは訝しげな顔をした。
「アルフレッドが、どうかしましたか? 彼は、いつもと変わりありません。私の良き相談役として、民生安定局の業務も熱心に手伝ってくれていますが」
「そうか。いや、少し気になってな。彼は、宮廷魔術師の中でも特に、古代の遺物に詳しいと聞く。今度、俺の執務室の警備システムを、古代の技術で強化してもらおうかと思っている。一度、彼をここに連れてきてくれ」
もちろん、嘘だ。俺の目的は、アルフレッドを俺の目の前に引きずり出し、直接、その本性を探ること。
数日後。レオナルドに連れられて、アルフレッドが俺の執務室にやってきた。
「陛下、お呼びとのことで、参上いたしました。宮廷魔術師のアルフレッドと申します」
彼は、完璧な臣下の礼をとり、穏やかな笑みを浮かべていた。その表情からは、一片の悪意も読み取れない。俺が《星辰の魔力》で彼の内面を探っても、その精神は、静かな湖面のように、全く波立っていなかった。まるで、高度な精神防御魔術で、常に心を覆っているかのようだ。
(……化け物が)
俺は内心で悪態をつきながらも、にこやかに彼を迎えた。
「ああ、来てくれたか。早速だが、この部屋の防御を、古代の技術で固めたい。何か、良い案はあるか?」
「はて……陛下ほどの御方が、今更、警備の強化など、必要でしょうか?」
アルフレッドは、不思議そうに小首を傾げる。その仕草すら、計算され尽くしているように見えた。
「念のためだ。最近、どうにも寝覚めが悪くてな。そうだ、例えば、アークライト家が使っていたという、空間を固定する結界などは、再現可能か?」
俺は、カマをかけた。イゾルデを仲間に引き入れた一件を、彼はどこまで知っているのか。
だが、アルフレッドの表情は、全く変わらなかった。
「アークライト家の……。失われた技術ですな。文献は残っておりますが、再現は極めて困難かと。ですが、陛下のご命令とあらば、全力を尽くしましょう」
完璧な回答。隙がない。
ならば、と俺は、さらに踏み込んだ。
「そうか。ならば、もう一つ、頼みがある。実は、先日の嘆きの谷での戦闘で、面白いものを手に入れてな」
俺は、執務机の引き出しから、一つの「破片」を取り出した。それは、俺が《超新星》で破壊した、聖女騎士団員の鎧の破片だ。俺は、その破片に、《星辰の魔力》を使って、特殊な細工を施していた。
俺は、その破片をアルフレッドに手渡した。
「この金属、解析できるか? どうやら、ただの合金ではないらしい。聖女騎士団は、こんなものを量産している。その技術の源を、突き止めたい」
アルフレッドが、その破片を受け取った、瞬間。
彼の表情が、ほんの僅かに、コンマ一秒にも満たない時間だけ、硬直したのを、俺は見逃さなかった。
俺が破片に施した細工。それは、俺の星辰の魔力を、ごく微量、トラップとして仕込み、それに触れた者の魔力や精神と、強制的に「リンク」させるというものだった。そして、リンクした相手が、この破片の「正体」――つまり、自分自身が開発したものであると認識した瞬間に生じる、微細な精神の揺らぎを、俺が感知するという仕組みだ。
名付けて、《真実の共鳴》。
心理的な揺さぶりと、俺の新しい力を組み合わせた、尋問のためのオリジナル技。
アルフレッドは、すぐに平静を取り戻し、破片を興味深そうに眺め始めた。
「ほう……これは、確かに興味深い。アダマンタイトに、ミスリル、それに、未知の元素が……。素晴らしい技術ですな。お時間をいただければ、必ずや、この謎を解き明かしてみせましょう」
彼は、白々しくそう言ってのけた。
だが、俺にはもう、分かっていた。彼が触れた瞬間に感じた、あの微かな精神の共鳴。それは、間違いなく、彼が「犯人」であることを示す、動かぬ証拠だった。
(……黒だ。確定した)
俺の心は、怒りよりも、むしろ、ある種の興奮に打ち震えていた。これほどの敵と、これから知略の限りを尽くして戦えるのだ、と。
「そうか。頼んだぞ、アルフレッド。期待している」
俺は、何も気づいていないフリをして、彼とレオナルドを下がらせた。
一人になった執務室で、俺は思考を巡らせる。
アルフレッドの尻尾は掴んだ。だが、彼の目的は、まだ分からない。彼がセレスティーヌに協力しているのも、おそらくは、彼女を利用するためだろう。彼は、誰の駒でもない。彼自身が、プレイヤーなのだ。
では、彼の最終目的は、一体何だ?
彼が、原作ではただのNPCだった男が、これほどの知識と技術を持っているのはなぜだ?
俺の脳裏に、一つの、最も忌まわしい可能性が浮かんだ。
(まさか……こいつも、俺と同じ、「転生者」なのか……? しかも、俺の知らない、未来の知識や、全く別のゲームの知識を持った……)
もしそうだとしたら、事態は、俺の想像を遥かに超えて、深刻だ。
俺が『アストラル・サーガ』の知識で物語を修正しようとしているように、彼もまた、彼の知識で、この世界を、彼にとって都合のいい「ゲーム」に作り変えようとしているのかもしれない。
俺は、すぐにイゾルデを呼び出した。
「イゾルデ。マキナの追跡と並行して、もう一つ、極秘の調査を命じる」
俺は彼女に、アルフレッドの研究所――王宮の地下にある、彼のプライベートな研究室――に侵入し、彼の研究内容を探るよう命じた。
「ですが主、彼の研究室は、王国でも最高レベルの防御結界が張られています。私ですら、侵入は……」
「お前の重力魔術で、空間ごと、ほんの僅かな『穴』を開ければいい。その穴から、これを送り込め」
俺は、イゾルデに、手のひらサイズの、蜘蛛の形をした機械を渡した。
これは、俺が星辰の魔力と、転生前の知識を融合させて作り出した、超小型の偵察ドローンだ。
《星辰の使い》
この機械蜘蛛は、あらゆる魔力探知を無効化するステルス機能を持ち、見たもの、聞いたもの、すべてをリアルタイムで俺の元へ転送することができる。
その夜、イゾルデは、危険な任務を完璧に遂行した。
彼女は、アルフレッドの研究室の壁に、重力魔術で原子レベルの微小なワームホールを生成し、そこから《星辰の使い》を内部へと送り込むことに成功した。
俺は、執務室で、機械蜘蛛が送ってくる映像を、固唾をのんで見守っていた。
研究室の内部は、予想通り、俺の知らない、超科学的な機械で満ち溢れていた。壁には、理解不能な数式や設計図がびっしりと書き込まれている。
そして、研究室の中央。そこに、一つの巨大な球体の装置が設置されていた。
その装置は、いくつものケーブルで、壁に設置された巨大な魔力水晶と接続されている。そして、その球体の表面には、一つの文字が、不気味な光を放って浮かび上がっていた。
『Project: ARK』
アーク? 箱舟、か?
一体、何をしようとしているんだ。
機械蜘蛛が、さらに奥へと進む。
そこには、アルフレッドが書き記したと思われる、研究日誌が開かれていた。蜘蛛のカメラが、その内容を映し出す。
俺は、その文字を読んで、全身の血が凍りつくのを感じた。
『――この世界の"神"は、欠陥品だ。彼らは、物語をエネルギーとして搾取するだけで、世界の根本的な救済には興味がない。いずれこの世界が、魔力枯渇や、バグ(マキナのような存在)の増殖によって、緩やかに崩壊していくのを、ただ傍観しているだけだ』
『――故に、我は、新たなる"神"を創造する。この世界のすべての生命、すべての魂、すべての物語を、デジタルデータとして取り込み、保存し、永遠に存続させるための、電子の楽園。それが、『Project: ARK』の全容である』
『――ARKの起動には、膨大なエネルギーが必要となる。そのエネルギー源として、最も効率的なのは、三つの『特異点』の魂だ。
一つは、勇者の血を引く者、アレン。
一つは、神の代行者を名乗る者、セレスティーヌ。
そして、最後の一つは、異界からの来訪者にして、世界の理を書き換える者、ゼノン・フォン・ヴァーミリオン』
『――私は、彼ら三つの駒を、互いに争わせ、その魂が最も輝きを放った瞬間に、捕獲する。そして、彼らの魂を動力炉として、ARKを起動させる。それが、我が計画の最終フェイズだ』
日誌は、そこで終わっていた。
「……そういうことか……」
俺は、椅子に深く沈み込んだ。
アルフレッドの目的。それは、この世界を救うこと。だが、その方法は、あまりにも狂っていた。彼は、この物理世界を見限り、すべてをデータ化して、仮想世界に閉じ込めることで、「永遠の平和」を実現しようとしていたのだ。
そして、そのための生贄として、俺と、アレンと、セレスティーヌを選んだ。
彼にとって、俺たちは、箱舟を動かすための、ただの「燃料」でしかなかった。
俺たちが、マキナや管理者と戦っている裏で、彼は、俺たちの魂を刈り取るための準備を、着々と進めていたのだ。
俺は、静かに立ち上がった。
怒りも、恐怖も、もう感じなかった。ただ、やるべきことが、あまりにも明確になっただけだ。
「アルフレッド。お前のその歪んだ救済計画は、俺が、完全に破壊してやる」
俺は、執務室の窓から、王都の夜景を見下ろした。
深淵は、俺が思っていたよりも、ずっと、すぐ近くに口を開けていた。
守護者の戦いは、今、真の敵を捉えた。
それは、世界を救おうとする、最も歪んだ「正義」との、絶望的な戦いの始まりだった。