第十一話:白き聖女のチェスボードと黒の奇襲
俺がヴァーミリオン王国で絶対的な権力を掌握し、国家改造という内政に集中している間、世界の他のプレイヤーたちも、また静かに駒を進めていた。特に、アルテミア聖王国の聖女セレスティーヌの動きは、不気味なほど静かだった。
「主、アルテミアからの報告です」
執務室で、俺は影蜘蛛の長から定期報告を受けていた。
「聖女セレスティーヌは、例の蒼い炎の火災事件の後、公の場に姿を現していません。ですが、聖都アルテミシアを中心に、彼女への信仰は、もはや熱狂的なレベルに達しています。民衆は、自主的に『聖女騎士団』なる組織を結成し、その規模はすでに数万。ヴァーミリオンの正規軍に匹敵するほどの戦力になりつつある、と」
「……そうか。水面下で、着実に牙を研いでいるわけだ」
俺は地図に目を落とす。セレスティーヌは、俺との直接対決で、その力の根源――信仰心――が、純粋な戦闘力を持つ者に対しては脆弱であると学んだはずだ。だからこそ、彼女は今、自らの手を汚さず、狂信的な民衆という巨大な駒を育て、次の手を打つための準備をしている。
俺と彼女のチェスゲームは、まだ続いている。アレンという勇者が盤上から一時的に消えた今、この世界の覇権を巡る戦いは、俺と彼女の二人のプレイヤーに絞られたと言ってもいい。
「主、もう一点。聖女騎士団の武装が、異常な速度で近代化しています。彼らが使用している剣や鎧は、ドワーフの国でも量産できないほどの高品質な合金製。また、一部の部隊では、魔力を込めると炸裂する、特殊な矢が配備されているとの情報も」
炸裂する矢。それは、俺の知る『アストラル・サーガ』の技術レベルを遥かに超えている。火薬の知識か? いや、それだけではない。明らかに、イレギュラーの力が働いている。
(セレスティーヌの他に、まだ協力者がいるのか? それとも、彼女自身が、俺の知らない『チート能力』を隠し持っているのか?)
いずれにせよ、放置はできない。彼女の軍事力がこれ以上増強される前に、一度、釘を刺しておく必要がある。
「……面白い。ならば、こちらからも、ささやかな挨拶を送ってやるとしよう」
俺は不敵な笑みを浮かべ、一つの奇襲作戦を立案した。
その数日後。アルテミア聖王国とヴァーミリオン王国の国境付近にある、巨大な渓谷――「嘆きの谷」。かつて両国が領土を争った古戦場であり、今は中立地帯となっている場所だ。
その谷の底を、一台の豪奢な馬車が、数十名の護衛騎士に守られながら進んでいた。アルテミア聖王国の紋章が刻まれたその馬車には、セレスティーヌが溺愛しているという、彼女の神託を運ぶための神獣――純白のグリフォンが乗せられている、という偽の情報を、俺は流した。
もちろん、これは罠だ。俺がセレスティーヌの動向を探るための、ブラフ。もし彼女がこの偽情報に食いつき、神獣を奪還するために軍を動かせば、彼女の現在の戦力や指揮系統をある程度、把握することができる。
俺は、嘆きの谷を見下ろす崖の上で、イゾルデと共に息を潜め、その時を待っていた。俺の周囲には、新たに編成した、俺直属の特殊部隊「黒騎士団」の精鋭百名が控えている。彼らは、俺がデュークから引き継いだ近衛騎士団の中から、特に優秀な者を選りすぐり、俺の《星辰の魔力》で武具と肉体を強化した、文字通りのスーパーソルジャーだ。
「……主。本当に、来るのでしょうか」
イゾルデが、不安げに呟く。
「来るさ。彼女は、プライドが高い。そして、自らが作り上げた『聖女』というイメージを、何よりも大切にしている。信者たちの前で、神獣を野蛮なヴァーミリオンに奪われた、などという失態は、決して許さないはずだ」
俺の読み通りだった。
谷の向こうから、砂塵を巻き上げて、一糸乱れぬ隊列を組んだ軍勢が現れた。その数、およそ五千。全員が、噂の高品質な合金製の白銀の鎧に身を包み、その士気は恐ろしく高い。聖女騎士団だ。
「五千か。たかが神獣一頭のために、随分と大げさな出迎えだな」
俺は冷静に敵の戦力を分析する。だが、何かがおかしい。彼らの動きは、ただの狂信者の集団ではない。まるで、一人の指揮官の脳で直接操られているかのように、完璧に統率が取れている。
その時、俺の《星辰の魔力》が、敵陣の中心に、極めて異質で、強力な「精神波」の源を感知した。それは、セレスティーヌ本人のものではない。もっと機械的で、無機質な……。
(……なんだ、あれは?)
俺は視力を強化し、敵陣の中心を凝視する。
そこにいたのは、巨大な神輿に乗せられた、水晶のオブジェだった。その水晶は、心臓のように脈動し、周囲の兵士たちの脳に、直接、命令のテレパシーを送り続けている。
《精神感応増幅器》
俺の脳裏に、転生前の知識――SF系のゲームやアニメの記憶がよぎった。そうだ、これは、個人の精神波を増幅し、軍団全体を一つの生き物のように操るための、思考制御装置。セレスティーヌは、こんなものまで持っていたのか。彼女の協力者は、一体何者なんだ。
「イゾルデ。計画を変更する。あの水晶を破壊するぞ」
「あの水晶……? あれが、この軍団の要だと?」
「そうだ。あれがある限り、兵士たちは痛みも恐怖も感じない、最強の駒であり続ける。逆に、あれを壊せば、この軍団はただの烏合の衆に戻る」
俺は黒騎士団に、突撃の合図を送った。
「――時は来た。我が黒翼よ、神の使いに、我らの牙を見せてやれ」
俺の号令と共に、百名の黒騎士たちが、一斉に崖から飛び降りた。彼らの背中からは、俺が与えた星辰の力によって生み出された、漆黒の翼が生えており、彼らは空を滑空し、谷底の聖女騎士団へと奇襲をかけた。
《黒翼降臨》
「なっ!? 敵襲! 空からだ!」
聖女騎士団は、突然の奇襲に一瞬動揺する。だが、水晶から送られる精神波によって、即座に冷静さを取り戻し、完璧な迎撃態勢をとった。
「対空迎撃! 魔導矢、放て!」
後方の弓兵部隊から、例の炸裂する矢が無数に放たれる。空中で炸裂した矢は、広範囲に魔力の衝撃波をまき散らし、数名の黒騎士が翼を傷つけられて墜落していく。
「怯むな! 目標は中央の水晶のみ! 道を切り開け!」
俺は自らも黒翼を広げ、先陣を切って敵陣へと突っ込む。俺の周囲には、星辰の魔力で作られた、不可視のバリアが展開されている。炸裂矢の衝撃波も、俺に届く前に霧散していく。
「デューク! イゾルデ! 左右の敵は任せる!」
「はっ!」「御意!」
俺の左右で、デュークとイゾルデがそれぞれの技を放つ。
「貫け、我が星屑の剣!」
デュークの剣が、一振りで十数名の聖女騎士団員を薙ぎ払う。俺によって進化した彼の剣から放たれる斬撃は、星屑の輝きを纏い、敵の強固な鎧をバターのように切り裂いていく。
「沈みなさい、無駄な抵抗ですわ! 《重力特異点》」
イゾルデは、敵陣の一角に、超高密度の重力点を発生させる。そこにいた数十名の兵士たちは、なすすべもなく、小さな一点へと吸い込まれ、圧殺されていく。
俺たちの圧倒的な力で、聖女騎士団の陣形は切り崩されていく。だが、彼らは、仲間がどれだけ死んでも、恐怖を感じず、ただ淡々と、水晶の命令通りに俺たちを殺そうと向かってくる。その光景は、あまりにも不気味だった。
そして、ついに俺は、水晶を守る最後の防衛ライン――聖女騎士団の中でも、特に強力なオーラを放つ、十名の指揮官たちの前にたどり着いた。彼らは「聖女十戒」と呼ばれる、セレスティーヌの親衛隊だった。
「これより先は、通さん。神敵ゼノン」
リーダー格の男が、十字の紋様が刻まれた巨大な盾を構え、言い放った。
「神敵、か。面白い。ならば、その神とやらが、どちらに微笑むか、試してみようではないか」
俺は、星辰の魔力を右腕に集中させる。そして、その力を、純粋な「破壊」の概念へと変換していく。かつての《断罪の糸切り鋏》や《貫く神意の針》とは、次元の違う技。星そのものを砕く、原初の力。
《超新星》
俺の拳が、極小の太陽のように輝き、リーダーの男が構える巨大な盾に叩きつけられた。
次の瞬間、音も、光も、すべてが、俺の拳の一点に吸い込まれていくかのような、静寂が訪れた。
そして、コンマ一秒後。
凄まじい大爆発が、聖女の十戒たちを飲み込んだ。爆心地を中心に、空間そのものが灼熱に歪み、すべてを消し炭に変えていく。彼らが持っていた、どんな強固な武具も、どんな聖なる加護も、星の爆発の前では意味をなさなかった。
爆風が収まった時、そこに立っていたのは、俺一人だった。
そして、目の前には、無防備になった《精神感応増幅器》――脈動する巨大な水晶が、静かに鎮座していた。
俺はゆっくりと水晶に近づき、その表面に手を触れた。
その瞬間、俺の脳内に、直接、声が響いた。
『――見事ですわ、ゼノン王子。まさか、ここまでやるとは、思ってもいませんでした』
セレスティーティーヌの声だ。彼女は、この水晶を通して、戦場のすべてを見ていたのだ。
「お前の玩具は、これで終わりだ。セレスティーヌ」
『あら、これは玩具ではありませんわ。未来の、理想的な統治システムですのよ。ですが……ええ、このプロトタイプは、貴方には通用しないとよく分かりましたわ。今回は、素直に負けを認めましょう』
彼女の声には、悔しがる様子は全くなかった。むしろ、この状況すら楽しんでいるかのようだ。
『ですが、一つ、面白いものをお見せしますわ』
彼女がそう言った瞬間、水晶が、内部から激しい光を放ち始めた。そして、その光が、一つの映像を俺の脳裏に直接映し出した。
それは、どこかの研究施設のような場所だった。巨大な水槽の中に、一体のゴーレムが浮かんでいる。そのゴーレムの動力炉には、見覚えがあった。かつて俺がエルドラドで倒した、ジンというイレギュラーが使っていたものと、全く同じタイプだ。
そして、そのゴーレムを、白衣を着た一人の男が、満足げに眺めている。その男の顔を見て、俺は愕然とした。
その男は、ヴァーミリオン王国の宮廷魔術師の一人であり、俺の弟、レオナルドの側近でもある、アルフレッドという男だったのだ。
『……残念ながら、わたくしの協力者は、貴方のすぐ足元にいたようですわね?』
セレスティーヌの嘲笑うかのような声が響く。
どういうことだ? アルフレッドが、セレスティーヌと繋がっていた? 彼が、聖女騎士団の近代兵器や、この精神感応増幅器を開発していた? いや、それだけではない。彼は、レオナルドの側近だ。俺の行動は、弟を通して、彼に筒抜けだった可能性が高い。
俺の脳裏で、これまでの点と点が、一本の線で繋がっていく。
リース村への、早すぎた魔物の襲撃。
聖女狩りのために俺がアルテミアに向かうという情報が、あまりにも早く伝わりすぎていたこと。
そして、囚人番号「ゼロ」――マキナの脱獄。あの地下牢獄の警備システムに干渉できるのは、王宮の内部の者、それも、高い権限を持つ魔術師しかいない。
(……アルフレッド。お前だったのか。すべてを、裏で糸引いていたのは……!)
彼は、俺やセレスティーヌとは違う、第三のプレイヤーだった。いや、もしかしたら、彼こそが、このゲームの、本当の黒幕なのかもしれない。
俺が衝撃に言葉を失っている間に、水晶は自壊プログラムを発動させ、まばゆい光と共に、粉々に砕け散った。セレスティーティーヌとの通信も、途絶える。
後に残されたのは、壊滅した聖女騎士団の残骸と、俺の心に突き刺さった、最悪の「疑念」だった。
俺は、空を見上げた。
俺は、チェスをしていたつもりが、いつの間にか、その盤上で踊らされている、ただの駒の一人に過ぎなかったのかもしれない。
俺の本当の敵は、マキナでも、セレスティーヌでも、管理者でもない。
最も近くで、俺を嘲笑っている、あの男――アルフレッドなのかもしれない。
孤独な守護者の戦いは、思いもよらない裏切り者の存在によって、その前提すらも、覆されようとしていた。