プロローグ1:0時間0分0秒
ディスプレイの光だけが、薄暗い部屋の闇を切り裂いていた。
画面の中では、世界の終焉を告げるカウントダウンが、無慈悲に時を刻んでいる。
『――アストラル・コアの崩壊まで、残り10秒』
キーボードを叩く指が限界を超えた速度で躍る。汗が目に入り、視界が滲む。だが、構わない。俺の意識は、もはやこの現実の肉体にはなかった。画面の向こう、ピクセルで構成されたあの世界の一人の登場人物と完全に同期していた。
『9』
「……間に合え……!」
画面の中のキャラクター、白銀の鎧を纏った剣士が崩れ落ちる神殿の瓦礫を駆け抜ける。俺の指の動きと寸分違わず。
『8』
最終ボスの神々の王を倒した。だが、それは罠だった。奴は自らの死と引き換えにこの世界そのものを道連れにする自爆プログラムを発動させたのだ。正規の攻略ルートでは、脱出は不可能。ゲームオーバー確定のいわゆる「詰み」イベント。
『7』
だが、俺は知っている。
このゲーム――『アストラル・サーガ』には無数のバグが存在することを。
開発者さえも想定していなかったシステムの僅かな綻び。
『6』
神殿の最深部。崩れた女神像の右目。
そこに、判定が存在しないオブジェクトがある。
そこに、特定の角度で特定のスキルを叩き込むことで……。
『5』
「――今だ!」
俺はコマンドを入力した。
剣士が神速の突きを放つ。スキル名は《ディメンション・ピアス》。
その突きは、女神像の右目を貫き、そして、何も起こらないはずの空間に突き刺さった。
『4』
刹那、世界がフリーズした。
画面が、バグの証である七色のノイズに覆われる。
やった。成功だ。
強制イベントの座標判定を、バグでずらし、世界の外側――システムの裏領域へと脱出したのだ。
『3』
だが、代償は大きかった。
俺のキャラクターもまた、正規の座標を失い、データの奔流の中へと飲み込まれていく。
だが、それでいい。それがこのゲームの最速クリアへの唯一のルートなのだから。
『2』
俺は、ワールドレコードの更新を確信し、安堵の息を吐いた。
椅子に深くもたれかかる。
何十時間もぶっ通しでプレイしたせいで、体は鉛のように重い。
『1――』
最後のカウントが表示された、その時。
世界が、本当に終わった。
だが、それはゲームの中の話ではなかった。
ゴウッ、と腹の底から突き上げるような轟音。
部屋が激しく揺れる。
窓の外が、一瞬真昼のように明るくなったかと思うと、次の瞬間にはすべてが暗闇に包まれた。
「……え……?」
ディスプレイの電源が落ちる。
部屋を照らす唯一の光が消えた。
俺の三百時間を超えるプレイデータも世界記録も、そして、俺自身の命も唐突に終わりを告げようとしていた。
トラックの暴走か、あるいはテロか。
そんな、どうでもいいことを考えながら俺の意識は急速に薄れていった。
(……ああ……。せっかくクリアしたのに……。セーブ……してねえや……)
それが、俺の最後の思考だった。
次に俺が目を覚ました時。
俺は、見たこともない豪奢な天蓋付きのベッドの上に寝かされていた。
柔らかなシルクのシーツ。
部屋には嗅いだことのない甘い香りが漂っている。
「……ここは……?」
体を起こそうとして俺は気づいた。
自分の手が、見慣れた自分の手ではないことに。
白く、細く、そして驚くほど小さな手。
まるで、子供の手だ。
鏡台が目に入る。
俺は、ベッドから転がり落ちるようにして鏡の前へと這っていった。
そして、鏡に映った自分の姿を見て絶句した。
そこにいたのは、俺ではなかった。
星空を彷彿とさせるような、美しい青い瞳。
プラチナブロンドの、美しい髪。
まだ幼さを残しながらも、その顔立ちには傲慢さと気品が同居している。
その顔を俺は知っていた。
嫌というほど知っていた。
『アストラル・サーガ』の物語の序盤で、主人公である勇者アレンに討伐される運命にある、小国の傲慢で無能な「悪役王子」。
「……ゼノン……フォン……ヴァーミリオン……」
俺は、自分の喉から絞り出された声が、自分の声ではないことに、再び戦慄した。
状況が飲み込めない。
事故に遭ったはずだ。
死んだはずだ。
なのに、なぜ俺は生きている?
しかも、俺がやり込んでいたゲームのキャラクターとして。
その時、部屋の扉がノックされ、一人の老齢の執事が入ってきた。
「ゼノン王子。お目覚めでございますか。本日はアレン様との初めての御前試合の日。お支度をなさらねば」
アレン。
その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に電撃のような痛みが走った。
そうだ、今日だ。
今日、この日こそが、原作ゲームにおいてゼノン王子が勇者アレンの才能に嫉妬し、彼を疎ましく思い始める物語の最初の分岐点。
そして、ここから彼の破滅へのカウントダウンが始まるのだ。
俺は転生したのだ。
この物語の世界に。
しかも、いずれ必ず死ぬ運命にある最悪のキャラクターとして。
冗談じゃない。
俺は死にたくない。
俺の、RTAプレイヤーとしての魂が叫んでいた。
こんな理不尽なゲームオーバー、認められるか。
正規ルートがダメなら、バグ技でも裏技でも、何でも使ってやる。
俺は、このクソみたいな運命から生き延びて、このゲームの誰も見たことのない「俺のトゥルーエンド」をこの手で掴み取ってやる、と。
こうして、俺の二度目の人生という名のRTAが始まった。
それは、世界を救うためでも、誰かを守るためでもない。
俺自身がこの世界で生き延びる。
俺にとってのトゥルーエンドにするための孤独で壮絶な戦いの始まりだった。
読んでいただき、誠にありがとうございます!作者です。いやはや、人生という名のRTA、皆様は順調でしょうか?
当方、主人公のゼノン君に感情移入しすぎて、執筆チャートがガバガバになりつつあります。
本当はもっとサクサク進むはずが、寄り道イベントが多発しており、クリアタイムが大幅に遅延しております。誠に申し訳ございません。
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