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出会い

 自分の人生の主人公が自分なのだと知った。そんなことを気づかされるくらい、怒涛の日々を過ごしていた。ただ死ぬのが怖くて、生きる意味を探さないまま平凡な日々を過ごしていたそんな日々は、ある日の出会いを境に全てが変わった。

 あの日に感謝するか、憎むかどうかはしばらく分からなかった。でもあの日が無かったら、この世界に何も期待せずに、苦しまないで楽に死ぬ方法だけを探していた気がする。そう考えると、生きる意味を与えてくれた彼女には、感謝せざるを得ない。

 果てしなく遠い世界にいる君に、俺は勇気をもらった。





 バイト先の焼肉店は、今年一繁盛したといっても過言ではない。だから休む時間が皆無で、常に注文が入っては品を届けている。シフトに入っている従業員をフル稼働しても足りないくらいだった。夏休み初日の俺にとって最悪のスタートではあるが、特に予定がない俺は怠惰だけを覚えながら仕事をこなした。

奥の方では、何か祝い事があるのか決起集会なのか分からないが、大人数の団体客によって大量のアルコールやつまみが注文され、それを届けては戻ってまた届けて、この行為を何度も繰り返している。同僚の女子高生はブツブツと文句を言っている。そいつとすれ違う度に「早く帰ってくれないですかね」と俺の肩を触りながら告げる。確かに、帰ってほしい気持ちはある。忙しいから。だが俺はそんな彼らが羨ましく思えた。何が楽しくてあんなに騒げるのか、俺には全く分からないし、分かる日は来ないだろうから。

ラストオーダーを過ぎ、店員である俺たちはようやく休息することができる。とはいっても煙が充満するこの店では体を癒すことは全くできない。団体客が会計を終えるまで、同僚とただ愚痴話をするばかりだった。

 団体客の一人が会計をしようとレジに向かう姿を見た俺は、同僚の目を見て、俺が行くべきだと察し、急いでレジに向かった。

「すみません、会計の方お願いします」

 おそらく素面の若い男が伝票を持って低い姿勢で言った。上司に財布を渡され、清算をしに来たのだろう。俺はその伝票を受け取り、入力する。

「一括で大丈夫ですか?」

俺はそう聞くと若い男は「お願いします」と食い気味で答えた。

 人数も人数だからなかなかの代金となったが、その若い男はブランド物の長財布から札を十数枚取出し、トレーに置いた。若い男は腕時計に目をやり、人差し指でトントンと叩いている。

それを自動精算機に入れ、お釣りがジャラジャラと送られる。そのお釣りを取り出し、レジに映された数字を読み上げてトレーに置いた。若い男はトレーごと持ち、長財布にそのまま流し込む。相当焦っていたのか、チャリンチャリン、と数枚小銭を落とした。

「すみません」と掠れる声で言い、若い男は小銭を拾う。若い男は小銭を全て拾うと勢いよく直立し、「すみません。ごちそうさまでした」と言った。

 若い男は何度も頭を下げて団体客がいる席に向かった。戻る途中、その男性がスマホを取り出したときに一枚の写真が落ちた。それを拾うと薬指の指輪をアピールする男女がいて、その男は今の男だった。ものすごい深読みだが、奥さんの出産が近いのかもしれない。そう思うと、こんな人たちに付き合わなければいけない社会に、嫌気がさした。



 仕事を終えた俺はスタッフルームに一直線に向かった。急いで着替えてさっさと帰ろう、そう考えていたら、三十代の先輩に肩を組まれた。しつこい炭の匂いの奥からタバコの匂いが鼻を刺激する。

(とおる)ちゃんさぁ、このあと時間ある?」

 その先輩はヘラヘラと笑いながら聞いてきた。この人は、掛橋(かけはし)という名字ではなく馴れ馴れしく下の名前にちゃん付けで呼ぶ。こういう人は心底嫌いだ。にんにくの匂いか、刺激臭も相まって本当に嫌な気分だ。

ここで論理的な嘘をついて帰ろうと考えた。でもスッと言い訳が思いつかず、流されるまま「ないです」とだけ答えた。

「そんなこと言わないで、今日はイベントがあんのよ」

 一筋縄ではいかないと分かってはいたが、今回の誘いには珍しくしっかりとした理由がついているみたいだ。いつもなら「ちょっとくらいいいじゃん」とか「若い人と喋りたいのよ」などのぼやけた抽象的な理由が並べられるのだが、イベントという行事的な言葉を、その先輩から初めて聞いた。

「イベントって何ですか?」と訊いてみる。

「店長の結婚祝い。だからみんなでお祝いしようって。女子高生たちは夜遅いから誘えないけど、大学生の透ちゃんなら誘えるじゃん?」

 毎度思うことは、未成年を飲みの席に誘う思考がどうかしている。今までは練りに練った言い訳をして二、三回ほど避けることができたが、今回ばかりは店長が絡んでいるし、言い訳を考える頭も働かないため、避けられそうになかった。それに、変に職場内の空気が悪くなるのは御免だ。俺は渋々、その飲みの席に赴くことになった。



 未成年であるにもかかわらずたくさんの酒を飲まされた。今までは上手いこと避けてきたのだが、今日の先輩は酷い酔い方をしていた。拒否しても酒飲みの常套句である「ジュースみたいなもんだから」、「水だから飲んでみ」を何度言われたことか。うんざりした俺は、飲んでやろう、そう決めて酒に手を出してしまった。

 いざ飲むと、案外いけるものだった。大学に入学した翌日にパッチテストを受けたため、体質上、アルコールに問題はないことを知っていたから、加減も知らずに酒を流し込んだ。先輩に飲みっぷりを褒められ、いい気分になった俺は、レモンサワーやハイボール、赤ワインに白ワイン、焼酎や生ビールなど様々なアルコール飲料に手を出した。

次第に意図する行動が出来なくなり、目を開けるのがやっとの状態だ。これを酩酊というのだろう。そんな状態で俺は同僚たちと別れを告げ、一人帰り道を歩く。しっかり歩くことはできるものの体のどこかで不快なものが込められる。胃かどこかから滲み出る忌々しいものが徐々に上ってくる。

もう少しで自宅だが、少し気持ち悪くなった俺は道中にあった公園に寄り、ベンチで酔いを醒まそうと倒れこむように座った。だが頭を支えることすら疲れる俺は、実った稲穂のように頭を垂らす。そして静かに目を閉じる。

夜空に煌めく星たちは、夜風の一部になって消えてしまいたい、なんて俺の願いを叶えてくれるだろうか。

頭を垂らした状態を続けていると、誰かが近づいてくる足音が聞こえる。カツ、カツ、という音が徐々に大きくなり、やがて音は消えた。

「あの、大丈夫ですか?」

 声をかけられると思っていなかったから、心臓が一度大きく跳ねあがった。

ゆっくりと顔を上げ、その声の主に目をやる。ポートレートの背景のように視界がぼやけていて全く識別できない。どうやら視覚まで狂ってきたみたいだ。でもその人が女だということだけは、なんとなく判別できた。声の感じとか、髪の毛の感じとか。

「……すんません、無理です」

 俺はどうしてか、大丈夫と嘘を言わなかった。

「あの、こんなところにいたらけっこう大変だと思いますよ。職質されたり、ヤンキーにお金盗られたり、はたまた集団暴行されるかもしれません。お家に帰った方が……」

「家がどこか、わかんねえし動けねえ」

 そう言って夜空を見上げた。藍色の空を背景に、黄色い丸がぼんやりと浮かんでいる。

「俺はこのまま、寒空の下で野垂れ死ぬから」

 うっ、と胃の中の液体がこみ上げる。突如として吐き気に襲われ、そのまま吐き出してしまった。この吐しゃ物がその女にかかっていないかどうかなんて考えが回っていない。

「このままじゃあ、身体壊しますよ」

 羽で撫でられているかのような、優しい感触が背中に伝わる。

「……あ。あの、じゃあ私の家に来ますか? 同い年っぽいですし」

 その女はなぜか家に誘った。同い年っぽいという理由だけで家にあげる女なのか、もしくはそういう手口で金を巻き上げる女なのか、それとも家に行けば男がいる美人局なのか。色んなパターンを考えるものの、俺は正常な判断ができない。

 まぁいい。ここで全て終わってしまえばいい。こんなつまらない人生、終わった方がマシだ。

 明日のトップニュースは、きっと俺のことでいっぱいだろう。最後の最後に、生きた証を残せるんだろうな。

 そんな誇らしい結末を予想しながら、俺は小さく頷いた。

「じゃあ、一緒に帰りましょうか」

 女は何の躊躇いもなく俺を誘った。女はこんな俺に手を差し伸べる。俺は立ち上がり、その女のか細い手を握った。女は驚くことなく、むしろ握り返した。その感触はよく覚えている。

 女は俺の手を引っ張り上げ、抱き寄せる。頭が鉛のように重く、女の肩に首をひっかけていた。

「歩けますか?」と女は軽く背中をさすりながら優しく訊いた。

「ああ」と俺はぶっきらぼうに答えた。

 こうして俺たちは歩き始めたが、道中の会話は全く記憶に残っていなかった。そもそも話していたとか歩いていたとか、俺は覚えていない。

 ただ目を覚ましたとき、異様に真っ白な世界に包まれて、俺は死んだのだと、そう錯覚した。


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