恐怖の箱
仕事終わり。
片付け後、店を出ようとした弥命は、カウンターの真ん中に、木製の小さな箱が置いてあるのを見つけた。
「何だこれ?」
自分で置いた記憶は無い。見覚えも無かった。
閉店した際に店内は一度確かめた為、客の忘れ物という可能性も低い。
「あからさま過ぎるが……面白そう、ってことで」
小さく笑った弥命は、辺りに何も異常が無いことを確かめて、箱を開けた。
中には、弥命の予想に反して何も入っていない。
(ただの箱か、あるいは……『もう出た』か)
弥命は、箱の蓋を閉じる。すると、蓋の表面に文字が浮かんでいるのを見つけた。
「『恐怖の箱』?」
何か起きるのかと、反射的に辺りを見渡すが、異常は無い。
「とりあえず帰るか」
弥命は、箱を持って眠たげに欠伸を一つすると、今度こそ店を出た。
無事家に着いた弥命が、寝入った後。
夢を見た。
真っ暗な空間に、薄明るい一本道がどこまでも続いている。
弥命は、そこを一人で歩いていた。
周りは闇ばかりで、何も無い。道ではない闇に足を踏み入れようとしたが、何かに弾かれそれ以上は入れなかった。
「道を進めってことね」
弥命が足早に進むと、目の前に台が現れた。
その上に、件の恐怖の箱が置いてある。
弥命が何の気なしに箱を開けると、中から巨大な骸骨が飛び出して来た。
「うお、ガシャドクロみたいだな」
目を丸くして感想を述べる弥命に、骸骨は襲い掛かって来る。
(とりあえず逃げるか。デカすぎる)
弥命はパッと身を翻し、来た道を駆け足で引き返す。騒がしい音を立てながら骸骨は追って来ていたが、いつしか消えていた。振り向きながらその姿が消えたのを確かめて、弥命は足を緩める。
息をつくと、少し前方にまた台が見えた。
近付くと、恐怖の箱が載っているのが分かる。
弥命は少し考えたが、また箱を開けた。
幽霊画のような着物姿の女が、ゆらりと立ち昇るように現れる。
「雰囲気出過ぎてやべーな」
痩けた顔で薄く笑い、風のようにこちらへ流れて来る女をかわしつつ、弥命はまた走り出す。
夢から目覚めようとしてみたが、出来なかった。
何か自分に都合の良い物や状況を作り出そうとしても、何も変わらない。
(何かに押さえつけられてるみてーな。面倒くせぇ。自業自得なんだが)
この状況と自分の業深さに、弥命は自然と笑みが浮かんで来ている。
(これはこれで面白い)
そのうち、恐怖の箱が現れた。
目の前の箱の向こうは闇。後ろからは化け物。
弥命は、箱を開けた。
箱の向こうの闇が消え、道が出来ている。飛び出して来た鬼火たちをスライディングで避けつつ、弥命は新たに出来た道を駆けた。
だが、しばらく行くと、また同じ恐怖の箱。
「……ループかよ」
弥命は辺りを見渡す。他に道や物は無い。
箱を開けた。
身構えた弥命の前に現れたのは、旭。
「旭?」
旭は淋しげに笑って、弥命を見ている。
「叔父さんすみません……僕も箱を開けてしまって。この箱から出られなくなったんです」
一瞬、弥命の瞳が揺れた。
だが、次の瞬間には一歩踏み出し、旭を殴り飛ばす。
「俺は旭に箱を見せずにしまってた。旭も寝てたしな。何で開けられんだ?」
手応えはなく、旭は掻き消える。
弥命は顔をしかめた。
「だから夢は嫌なんだ。ダメージ入らねぇから」
道は、また現れた。
「『恐怖の箱』って、箱の中身がバケモンてことに対することなのか、この状況のことなのか、ひっくるめてなのか。どうかねぇ」
顎に手をやりながら、弥命はゆっくり歩く。
恐怖の箱は、当然のように弥命の前へ現れた。
(箱を開けて、バケモンが出て、逃げた先にまた箱。こりゃ夢だが、目覚められない。恐らく、箱の力で閉じられてる。道を辿ってるだけじゃ、出られねぇだろうな。骨は折れそうだが、どっか壊すか……)
そこまで考えたところで、弥命ははたと立ち止まる。
「風?」
何も無い空間で、今まで無かった清涼な風が微かに吹いていた。
弥命は箱を開けず、その風を辿る。
道の無い闇の向こうに、仄かな明かりが一つ見えた。風はそこから吹いて来ている。
そこへ行こうとしてみても、やはり元からある道以外には、進めない。
「ここにも道がありゃあな」
弥命が思わず呟くと、弥命の足元から明かりに向かって、石橋が出来た。古いそれは、
「あ?家の前にある橋?」
出来過ぎな状況に小さく笑いながら、弥命は足を踏み出す。橋の上は歩くことが出来た。
そのまま明かりへ向かって進む。
見えて来たのは、少し開いた障子戸とそこに置かれた小さな懐中電灯。
そして、先ほどから感じていた風も吹いて来ている。
「明かりはこれか。風は……」
顔を上げた弥命は、目を丸くする。障子の前。
扇子で障子の外に向けて風を起こしながら、旭が座っていた。傍らには、袴を着た少年の姿の万寿もいる。
「弥命叔父さん」
「旭か。何でここに?」
旭は困ったような表情で、弥命を見た。
「これ、夢だと思うんですけど。弥命叔父さんがずっと同じ場所でお化けに追い掛けられてるの、遠くから見えて。万寿が、あれは叔父さんの夢で、何か良くない力で閉じられているから、僕の夢と繋げてみては、って言ってくれたんです。でも、叔父さんに僕らの声は届かなくて。風は流れて行ってるみたいなんで、こうして風を送ってみてました。叔父さんが、来てくれるんじゃないかなと思って」
「ここは旭さんの夢ですから、風も明かりも自由に調整出来ますし」
万寿は穏やかに笑って、旭を見上げている。
弥命は、旭の手元にある扇子を見た。弥命の持つ蛍の柄の扇子。
弥命の視線に気付き、旭は苦笑いを浮かべる。
「すみません、僕は扇子を持ってないので、叔父さんの借りちゃいました。前使っていたでしょう?」
様々な思いが去来し、弥命は旭を見つめたまま、言葉に詰まった。
「なるほどねぇ……」
しばらくしてようやく呟いた弥命の声音は優しく、旭は目を丸くしている。
「何で、化け物に追われてたんですか?」
旭に問われ、弥命は説明する。
旭は少し呆れたような表情になった。
「分かりましたけど……何で箱開けちゃうんですか……?」
弥命はくつくつと笑う。
「面白そうだったから」
答えながら、弥命は旭のいる部屋へ入れるか試してみるが、やはり弾かれた。
だが、空間に薄い膜のようなものを感じ、弥命は小さく笑う。
(やっぱ、繋ぎ目は脆いな)
「叔父さん」
立ち上がる旭と万寿を、弥命は手で制す。
「旭たちは下がってろ」
弥命はそのまま、拳を一発振るう。
バリン、と音がして、夢は破られた。
弥命は部屋に入り旭の前に立つと、息をつく。
「とりあえず、ループは終わりだな」
「あ、」
旭が弥命の背後を見、声を上げる。
弥命も振り向く。
どろりとした真っ黒な人型のモノが、部屋に入って来た。それは伸び上がり、弥命ではなく、旭に踊りかかる。
「てめぇの相手は俺だろうが」
弥命は凶悪な眼光でそれを射抜き、蹴り飛ばす。弥命が進んで来た闇の中へ、その姿は消えて行った。
「ありがとうございます、叔父さん」
「んや。礼言うのはこっちだな。さんきゅ。やっぱ、夢はやり辛ぇ」
「え?」
苦笑いを浮かべる弥命を、旭は不思議そうに見ている。その旭の頭を雑に撫で、弥命は呟いた。
「本物だな、こっちは。今更だけど」
ますます不思議そうな顔の旭の姿が揺らぎ、弥命は夢から覚めた。
「げ、蓋開いてやがる」
朝。
目覚めた弥命が恐怖の箱を確かめると、自室の引き出しに入れていたそれは、ひとりでに蓋が開いていた。
弥命は少し考え、紙を人型に切り「恐怖の箱」と書いて箱に収める。更に、ガムテープでぐるぐるに封をした。
中から、断末魔のような絶叫が轟き、家中に響く。
旭が飛んで来た。
「弥命叔父さん!?」
「旭か。起こしたか」
「今起きたばかりですけど、今の悲鳴なんですか?」
「こいつ」
弥命は、手に載せた恐怖の箱を旭に見せる。
「これが、叔父さんが言ってた恐怖の箱、ですか?」
「そ。今は自分で蒔いてる「恐怖」にやられてるみたいだがな」
弥命は可笑しそうに笑って、箱を指で弾く。
旭は気味悪そうに箱を見た。
「それ、どうするんですか?」
「そうねぇ……燃やすゴミにでも出すわ。旭が開けたら困るし」
言われて、旭は一歩、箱から距離を取る。
それを、弥命は愉快そうに笑って見ていた。




