人の直ぐ側にある駅
「きさらぎ駅の展示イベントでバイト?」
ある夜。
旭が作った夕飯を食べながら、弥命は目を丸くした。
対面で、やはり夕飯を食べている甥の旭は、一つ頷いた。
「ええ。期間限定なんですが」
「旭が、んなバイトによく応募したな。きさらぎ駅って、都市伝説のやつだろ?」
感心したように言う弥命に、旭は苦笑いを浮かべる。
「そうです。都市伝説で有名な、異界駅のきさらぎ駅です。最初、友達がバイトしてたんですけど、人手が足りないからって誘われたんですよ。受付の仕事で座ってれば良いので、難しいことはなくて」
「なるほどねぇ。展示って、何あんの?」
「中で寝てる乗客の人形がある電車や、きさらぎ駅のホームのセットとかがあります。きさらぎ駅の都市伝説の話のパネルも。別に、見応えのある何かがある訳じゃないんですが、薄暗くて雰囲気はありますね。あとは、グッズ販売もしてます」
弥命は、感心したような気の抜けたような溜息をつく。
「商魂すげぇな。盛況なわけ?」
「結構賑わってますね。入場は数百円するんですが、若い人が多いです」
「そりゃまぁなあ」
食べ終えて、旭の表情が曇っていることに、弥命は気が付いた。
「どうした?」
麦茶のポットを手に取りながら、旭は弥命を見る。
「明日が最終日なんで、もういいかな、って思ってるんですけど。変なことが続いてて」
「変なこと?」
弥命は、旭が入れた麦茶を受け取りながら聞き返した。
「はい。営業が終わった後の、誰もいない展示スペースから、物音や人の声が聞こえたり、展示してる人形がいつの間にか無くなって、全然違う場所で見つかったり。動かないように固定してますし、もちろん誰も触ってないってことで、その時はちょっとした騒ぎになりました。そういうことが、頻繁に続いてるんです」
旭の話に、弥命はくつくつと笑う。
「ふうん。んな企画展示してるからだろ」
「それはその通りなんですけど」
「でも、面白そうだな。俺も見てみるか、きさらぎ駅」
「面白がらないでくださいよ……」
ようやく食べ終えた旭は、弥命を呆れた目で見ながら、溜息をついた。
次の日。
展示終了時間に近い夕方、本当に弥命はやって来た。
商業施設の貸しスペース内に広がる展示の数々は、薄暗さやBGMも相まって、雰囲気が出ている。
受付にいた旭は、黒地に朱い提灯の描かれた柄シャツ姿の弥命と会い、目を丸くした。
「今、失礼なこと考えてるだろ」
弥命の左耳の、朱い大きな金魚が揺れる。じろりと睨む叔父に、旭は首を横に振った。
「いえ、そんなことは。……今、ちょうど空いてますし、ゆっくり見られると思いますよ」
苦笑いと共に入場チケットの半券を返す旭に、弥命は息をついた。
「ま、確かに、見応えのあるもんはねぇか。強いて言うなら、電車とホームのセットかな」
タイミングが良いのか悪いのか、展示スペースに入った頃には、客は弥命の他に誰もいなくなっていた。
ぶらぶらと歩きながら、弥命はセットから離れた場所にあるパネルを眺めている。
不意に、背後から笑い声が聞こえた。
「きさらぎ駅は何故、『きさらぎ』という名なんじゃろうなあ」
弥命は振り向いた。
直ぐ後ろに、老人が一人、立っている。
片足が無かった。白いシャツに、ベージュのパンツ姿だが、服はぶかぶかで、しかも古めかしく見える。
(何だ?気配を感じなかった)
弥命が何も返さないでいると、老人はまた笑い出し、ぴょん、と片足で飛ぶように一歩、弥命へ近付いた。
「お兄さん、きさらぎ駅に興味があるのかい?」
弥命は老人を見、展示のパネルをちらりと見やってから、小さく笑った。
「あまり無いね」
「ほう。では、何故ここに?」
「ここで起きてることが、面白そうだったから」
弥命の答えに、老人は声を上げて笑う。
「面白いお兄さんだな。きさらぎ駅の名が、何故『きさらぎ』なのか、不思議に思わないか?」
「別に。怪しい噂の名なんて、そんなもんだろ」
にべもなく告げる弥命へ、老人は楽しげに目を細めた。
「――鬼だ」
「鬼?」
弥命は凶悪な眼光を宿し、老人を見据える。
老人の目が、ぎらりと光った。
きさらぎ駅のホームを、すっと指差す。
弥命はそれを目で追った。今いる場所からは見えないが、ホームの奥には、電車のセットがある。老人は、ホームを見ているようにも、電車を見ているようにも見えた。
「追儺で追われた鬼どもが逃げた先の異界が、始まりよ。鬼とは、角があるモノだけに非ず。鬼が寄り、異形が寄り、異界が異界を生む。面白いとは思わんか?」
「今は節分だろ。……だから、『きさらぎ』と?」
(突拍子もねぇ話だな)
老人は不気味な笑みを浮かべる。
「きさらぎとは、『衣更着』とも呼ぶ。衣を更に着るという字よ。衣を重ねるように、怪は今でも、重なり続けているのかもしれぬな」
無音だった展示スペースに、祭り囃子が響き出している。照明がますます暗くなっていた。
そろそろ終了時間が近いはずだが、誰も来ない。弥命は、音を聞く内に意識がぼんやりしてきたことに気付き、頭を振る。老人を睨んだ。
「じいさん。あんた、何者だ?この場所に何をしてる?」
「うん。やはりお兄さんは、気付くほどの力があるか。ちょうど良い青年がいるかと思って、前から目をつけてたが。あの子がまさか、お兄さんに約束があるとはな」
歪みかけた視界の中で、弥命は『約束』という言葉に反応する。
老人に何か言いかけて、弥命の耳に、長い笛の音が鋭く刺さる。
それで目が覚めたように、意識が元に戻った。
この音を、弥命は知っている。
「旭!」
弥命は老人に構わず、音の聞こえた方へ駆ける。老人は意地の悪い顔で、ニヤニヤと笑っていた。
電車のセット内に、複数の人影を見つけた弥命は車内に飛び込んだ。
車内の照明が、ちかちかと点滅している。寝ている人間を模した人形たちが、今は何故か立ち上がり、倒れている旭を囲んでいる。
弥命は、人形たちを蹴り飛ばす。
倒れた全ての人形たちは、再び動き出す気配はない。
「旭」
弥命が抱き起こすと、旭は直ぐ目覚めた。
血の気の引いた顔。手に、いつも首から下げている銀色の笛を握り締めている。
「……叔父さん」
「怪我は」
「無いです。……怪我したから電車まで来てほしいって、女の人に呼ばれて。来ても誰も居なくて、出ようと思ったら、ドアが閉まったんです。このセット、ドアなんて無いのに。開かないし、驚いてたら、人形たちが一斉に立ち上がって……。怖くなって笛を吹いたことまでは、覚えてるんですが」
話す内、少し顔色が戻った旭を見て、弥命は息をつく。
「聞こえた。俺もそれで助かったしな。さんきゅー」
「え?」
不思議そうな顔の旭を見ていた弥命は、視線を感じて顔を上げる。旭も、弥命と同じ方を見た。
若い女が一人、外から二人を見ている。
女は、二人に背を向けると、ホームの方へと歩いて行く。
弥命は旭を立たせると、二人で電車から出てホームへと女を追う。
「えっ、電車?」
旭が呟いた。きさらぎ駅のホームには、あるはずの無い電車が止まっている。
弥命が、近付こうとする旭を手で制した。
旭は大人しく、足を止める。
二人の目の前には、女と、弥命の出会った片足の無い老人が立っていた。女が、旭を寂しそうに見つめて、薄く口を開いた。
「あなたには、助けてくれる人がいるんだね」
その声があまりに切なく、旭は胸が苦しくなる。弥命は僅か、背に旭を隠す。
老人は弥命を見て、挑戦的な笑みを浮かべた。
「きさらぎ駅は、いつでも人の側にある。人の理などではない。我らの理よ」
弥命は射殺さんばかりの目で、老人を睨んだ。
老人はそれを笑いながら、女を電車へ押し込み、自分も乗り込む。
ドアの閉まった電車はそのまま、溶けるように消えてしまった。
「これ……」
旭が呟いた途端、他のスタッフたちの悲鳴が響き渡った。人形を見たのかもしれない。
明るくなったホームの上で、旭と弥命は顔を見合わせる。
「きさらぎ駅のイベントらしいフィナーレじゃねぇの。お客さんは帰るから、あと頑張れよ〜」
弥命は面倒そうに気の無いエールを送ると、さっさと出口に向かう。
「弥命叔父さん!」
離れかけた背を、旭の声が追う。
「何だ?」
肩越しに、弥命が振り向く。
「あの、」
何か言い淀む旭に、弥命は怪訝な顔になる。
やがて、何か吹っ切れたように穏やかな表情になった旭が、言った。
「ありがとうございます、来てもらって」
「まぁまぁ良かったんじゃないの。ご苦労ご苦労」
弥命は片手をひらりと振って、今度こそ出て行った。
動かないはずの人形が動いたり、設定していないお囃子のBGMを多数の人間が聞いたりと、怪現象が続発したおかげで、イベントが終了してからも騒ぎは続いた。
お祓いに行くの行かないのまで事は発展し、旭も随分バタバタしたのだ。
しばらくして、ようやく旭も落ち着いて来た頃。
居間でスマホを見ていた旭は、寝転んでいた弥命に声を掛ける。
「叔父さん。この前のきさらぎ駅のイベント、営業時間後に怪現象続発、ってネット記事になってます」
弥命は怠そうに起き上がり、旭を見る。
「ああ、あれね。……まだまだ『きさらぎ駅』は廃れそうにねぇな」
心なしか不満そうな顔の弥命に、旭は首を傾げる。
「旭が行っちまったら、迎え行くのだりーだろ」
旭は、一瞬言葉に詰まったが、ややあって言い返す。
「……叔父さんが行くのは、考えないんですか?」
「そうねぇ、俺は別に、」
「帰って来てもらわないと、困りますよ」
被せるように言う旭に、弥命は目を丸くする。
「叔父さんは大丈夫だって、分かってますけど」
真剣な旭の目を見る内、弥命は笑い出した。
「へいへい。ちゃんと帰って来ますよ。旭くんが困らないように」
立ち上がり、まだ何か言いたげな旭の頭を雑に撫でると、弥命は煙草を吸いに縁側へ向かった。




