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そのドッペルゲンガーは、安堵する


「すみません、手伝ってもらえませんか?」

「え?」


夕暮れの公園。

(あさひ)は、中年のサラリーマンに声を掛けられ、足を止める。


「今、ちょっと物を探してて。手を貸してほしいんです」

「物を?」

「ええ。落としちゃって」


人の良さそうな顔の男は、困ったように眉を下げて旭に頭を下げる。

旭は頷いた。


「分かりました。どの辺りですか?」


男は、旭を公園の奥にある桜の木の前まで連れて行く。咲き始めたいくつかの桜の花が、淋しげに揺れている。

公園には人気がなく、風の音だけが響いていた。


(何か……寒いし、不気味な感じだな)


旭はその考えを追い払うように、男に声を掛けた。


「そういえば、何を探しているんですか?」

「靴です」


嫌に近くで、男の声が聞こえた気がした。


「靴?」


旭が思わず男を見れば、確かに男は片足だけ靴が脱げた状態だ。


(何で靴?どうしたんだろう?)


男は屈んで、熱心に地面を見ている。

旭も、地面へ目をやった。

桜の木の根元に、分かりやすく革靴が転がっているのを見つける。


「あ、あれじゃないですか?」

「おお!」


旭の声に男も声を上げ、木の根元を見た。


ぎしり。


旭の耳に、何かが軋むような音が聞こえた。

ハッと、旭は顔を上げる。

目の前には、桜の木の根元に転がる革靴。

その上。

黒い何かが、微かに揺れている。


(あ、)


目で追ってはいけない。

そう思うのに、旭はゆっくりとそれを辿る。

薄暗闇の中、今目の前で靴を探しているはずの男が、物言わず、桜の木に揺れていた。


「う、あ、」


旭は、男から、木から、距離を取る。

屈んでいた男は、ゆらりと立ち上がった。

黙って、揺れる自分を見上げている。

やがて、何か諦めたような顔で笑った。


「そっか。せっかく見つけたけど、もうどうしようもないか」


旭を見て呟くと、男は掻き消える。

旭は靴をしばらく見つめた後、大きく息を吐き出して、通報した。



「で、それから事故やら自殺やらの現場に、やたら行き遭うようになったのか」


夜の縁側。

煙草を吸い終えた叔父の弥命(みこと)が、愉快そうに笑う。

黒地に桜吹雪の柄シャツ姿。

左耳には、いつもの朱い大きな金魚が揺れている。

隣に座っている旭は、そんな弥命を、苦い思いで見た。


「笑わないでくださいよ……」


桜の木の下の一件から、一週間。

旭は、何件もの事故や自殺の現場に行き遭うようになった。

旭自身や弥命の身に危険は無かったが、目に見えて旭は参っている。


「ま、続く時は続くしな、そういうもんは」

「そう……ですよね。分かってるんですけど」


溜息をつく旭を、弥命は何か探るように見つめている。


「叔父さん?」


視線に気付いた旭が声を掛けると、弥命はいつもの調子に戻って笑う。


「だから、サービスでレモネード作ってやったじゃん。参ってる旭くんの為に」


言われて、旭は手に持つグラスを見る。

弥命の作ったレモネードだ。

旭は、ようやく笑う。


「それは……嬉しいです。美味しいですし」

「そりゃ何より」

「ありがとうございます」


穏やかに笑うものの、旭の目にはまだ、翳りがある。

それを見つけ、弥命は笑いながらも内心息をついた。


次の日の夕方。

旭は、大学帰りの道を一人歩いている。

今日も、ビルからの飛び降り直後の現場に行き遭い、気分が沈んでいた。


(早くこの偶然というか、流れというか、終わってくれないかな)


溜息をついていると、前方から誰かやって来るのが見えた。旭は目を丸くする。

パーカーにジーパン、黒のリュック、天鵞絨色の髪。何もかも、自分と同じ姿。


「僕……?」


もう一人の旭は、旭と向き合うように立ち止まる。

にやりと笑った。

口を開いたが、それが言葉になる前に、違う声が被さる。


「旭!」


弥命の声。

もう一人の旭は、ちらりと声の方を向いたが、そのまま走り去った。

弥命が旭の元へやって来る。


「旭、今、」


言いかけた弥命は、真っ青な顔をした旭を見た途端、言葉を止めた。

見ただけで、旭に何が起きたのか、理解出来てしまった。


「もう一人の僕が、いたんです。全く同じ姿で……これ、ドッペルゲンガーですか?……僕、死ぬんでしょうか」


呟く旭の背を、弥命が強く叩く。


「しっかりしろ、旭。帰るぞ」


旭は、弥命の言葉が上手く耳に入って来なかった。

旭に前を歩かせ、弥命はその後ろを追いながら思案する。


(ドッペルゲンガー、ね……こりゃ恐らく、警告か。旭は今、死の気配が濃い。このままじゃ、向こうに引っ張られる)


前を行く旭の影は異常に薄く、なのに全身が強く翳っている。弥命はそんな旭を難しい顔で見やり、息をついた。


深夜。

沈んだまま眠った旭は、夢を見ていた。

縁側に、弥命が倒れている。

誰かが馬乗りになって首を絞めていた。弥命は苦しげに、だが、その誰かを睨み抵抗している。


「叔父さん!」


旭は慌てて弥命に近付く。

月明かりが、馬乗りの誰かを照らす。

パーカーにジーパン、天鵞絨色の髪。何もかも、自分と同じ。


「……僕?」


弥命の首を絞めるもう一人の旭は、旭を見るとにやりと笑って、呟いた。


「――近いよ」


「はっ!?」


旭は、跳ね起きた。

まだ深夜で、暗い部屋。乱れた息を整えていると、階下で大きな物音がした。

旭の脳裏に、今見たばかりの夢が蘇る。

息を乱したまま、旭は階下へ向かった。

縁側に、弥命が倒れている。

誰かが馬乗りになっていた。


「叔父さん!」


月明かりが、馬乗りの誰かを照らす。

何もかも、自分と同じ姿。夢と同じ。


「やあ、また会えたね、もう一人の僕」


立ち尽くす旭に、もう一人の旭が、にやりと笑いかける。


「僕を、やっつけるかい?叔父さんを助ける為に僕に接触したら、君は消滅するかもよ?僕は、君のドッペルゲンガー、だからね」


もう一人の旭の手が、強く深く、弥命の首に食い込む。弥命の呻き声が漏れる。

旭は、迷わなかった。


(それでも、僕は、)


息を大きく吸い込み、もう一人の旭に飛び掛かる。旭の濡羽色の瞳が、強い光を宿した。

あっさりと、もう一人の旭の身体は弥命から離れ、二人は庭へ転げ落ちる。


「叔父さんを困らせたくないなら、もっと自分を知って大事にするんだね」

「え?」


笑って言うもう一人の旭は、その姿が揺らぎ始めている。

旭を見上げ、楽しげに笑った。


「叔父さんは、もう分かってるよ。何で僕が現れたのか。もう君が大丈夫になる訳も」


旭が何か言う前に、もう一人の旭は霞のように消えてしまった。

咳が聞こえて、旭は縁側に目を戻す。

不機嫌な顔で、弥命が起き上がっている。


「弥命叔父さん!」

「頼むぜ、旭くん〜」


弥命は駆け寄って来た旭の頬を、引っ張った。


「わっ、あの、」


目を白黒させる旭を、弥命はじっと見つめている。やがて、大げさに溜息をついた。


「やっぱ、気配なくなってやがる。……マジかよ」

「え?気配?」


首をさすりながら座る弥命の横に、旭も座った。


「昼間、旭のドッペルゲンガーを見たんだよ」

「え、」


弥命の言葉に、旭は目を見開く。


「庭中に水撒き散らかしてて、見ものだったな」


思い出したのか、弥命はゲラゲラと笑う。


「そんなことを……」

「声掛けたら飛び出してったんで、後追ったら、本物が帰って来たってわけ」


昼間の顛末を話し、弥命は旭を見る。


「ドッペルゲンガーってのは、見るから死ぬんじゃない。死が近いから見るんだ。警告なのか報せなのかは分からんが、今回の旭の場合は、警告だろうな」


旭の瞳が揺れる。


「死が、近い」

「桜の木で首吊り死体見てからこっち、やたらそういうもんに行き遭ってたのは、旭が死期の近い人間に近付いてたからだ。ああいうのは続く時は続くもんだが、旭は引っ張られてたんだな。帰って来た旭見て、結構ゾッとしたんだぜ。急に影が薄くなってるし、それでいて全身には真っ黒な翳りがあるし。いわゆる、死相が出てた」


聞いた旭も、ぞわりとした。


「……全然、分かりませんでした」

「渦中にいりゃ、そういうもんだ。大体、自分じゃ分からんしな。どうすっかな、って思ってたら、ドッペルゲンガーの旭に襲われた」


弥命はそう言って、意地の悪い顔で笑う。


「すみません、それは、」

「ま、あのまま旭がへこみっぱなしだったら、本当に死んでたかもな」


自分を見回しながら、旭は尋ねる。


「もう、死相は無いですか?」


弥命は笑って頷く。


「無いな。死相もだが、死の気配も」

「何で……」

「人間は生きてるだけで、死より強い。エネルギーつうのか、精力つうのか、死者とは断然違う。よく、心身が弱ってる時に自殺スポットに行くと連れてかれる、なんて話があるが、ありゃ弱って死に近付いてるからだ。死者が干渉しやすくなる。連れて行きやすいんだな。旭は、その状態だったわけだが」


旭は、弥命の話を分からないまま聞いている。

その顔を見、弥命は息をつく。


「ごちゃごちゃ言っちまったな。早い話、旭が気を強く持って立て直したのが良かった、ってこと」

「気を強く持って……って、まだよく、分からないんですが」


旭は言いながら、弥命を見、今さっきまでドッペルゲンガーのいた庭を見た。

弥命は、面倒くさそうに目を細める。


「……仕方ねぇな。自分が死ぬかもしれないのに、あいつに挑んだのは、何でだ?」


弥命の言葉に、旭は目を見開いて、庭を凝視する。

もういない、ドッペルゲンガーを探すように。


(僕は、あの時。叔父さんを助けられるなら、ドッペルゲンガーは、怖くなかった。僕の方が、死の気配より強くなった、から……?)

「……これ以上は、俺に言わせんな」


弥命は旭を無理やり自分に向かせ、その両頬を両手で強く引っ張る。


「わっ、いたた、痛いです叔父さん!」

「本当にそうかは、俺は知らん。案外、ドッペルゲンガーの気まぐれかもな」

「いえ。気まぐれじゃないです。やっと分かりました。……弥命叔父さん」

「何だ?」


弥命は、旭の頬から手を離した。


「叔父さんのこと、好きで困らせてる訳じゃないですよ」

「知ってるよ。だから俺も、身体張ってんだ」


旭は目を見張り、何も言えなくなる。

弥命は不敵に笑って、庭を見た。

ドッペルゲンガーの旭に襲われた時のことを、弥命は思い出している。


煙草を吸っていた縁側に、突如現れた旭。

ドッペルゲンガーだと直ぐ見抜いた弥命へ、旭が笑いかける。


「叔父さん。『僕』が本気になるくらいの茶番に、付き合ってください。このまま『僕』が本当に死んじゃったら、叔父さんも困るでしょう?」


弥命は凶悪な眼光で、目の前の旭を射抜く。


「……俺で、どうこうなると思ってんのか」


それに怯む様子も無く、旭は小さく笑った。


「なら尚更、答え合わせしたら良いじゃないですか。……『僕』も早く気付けば良いのに」


気付くと、弥命は馬乗りになった旭に首を絞められている。

苦しくは無いが、動くことが出来ず痛い。声も出ない。

茶番の意味を理解したところで、本物の旭がやって来た。

ドッペルゲンガーに迷わず飛び掛かった瞬間、旭の濡羽色の目が煌めき、死相も、招く死の気配も、全てが消える。

それを、弥命は確かに見たのだ。

ドッペルゲンガーの旭が、安堵したように微笑んだのも。


弥命は、首を撫でながらくつくつと笑う。


「ちぇ、旭にしてやられるとはな」

「何ですか?」

「いーや。こっちの話。……叔父さん冥利に尽きますね」


ますます不思議そうな顔になる旭を見、弥命は旭の背を強く叩く。


「もう何もないから寝ろ!こういうもんの対策で一番手っ取り早いのは、自分自身、健全な身体と精神にするこった」

「分かりました」


その勢いで立ち上がった旭を見て、弥命は耐えきれず、噴き出した。




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