ご飯処ツチ
すっかり夜が更けた頃。
バイト帰りの旭は、家へ向けて歩いていた。
「あれ?」
少ない街灯が並ぶだけの道に、やたら明るい建物が見えた。それに惹かれるように、旭は近付く。
「『ご飯処ツチ』?」
山小屋のような見た目のその建物は、飲食店らしい。
扉の前の台には、冊子タイプのメニューが置いてある。
(こんなお店、あったかな?)
今まで何度も通った道だが、見たことがない。
不思議に思いながら、旭はメニューを手に取って開いてみる。
「え、」
旭は一目見て、絶句した。
『ツチノコの姿焼き』『ツチノコ鍋』『ツチノコ酒』『ツチノコ焼きのアイス添え』等々、全ページツチノコのメニューしか記載がない。
「ツチノコ、って未確認動物の……?」
メニューの料理写真は、全て土色の、胴の太いヘビのような生き物で溢れている。
とても、未確認動物とは思えぬ扱われ方と数の多さに、旭の思考は止まってしまった。
呆然とメニューを見ていると、シャランと音がして、店のドアが開く。
「いらっしゃいませ!一名様ですか?」
店員らしきエプロン姿の中年男性が、にこやかに出て来て、旭にそう言った。
旭はハッとして、メニューを台に戻す。
「いえ。僕は客では、」
「珍しいでしょう!メニュー以外にも、いろんな料理がありますよ」
店員は離れようとする旭へ近付き、あっという間に店内へ押し入れてしまった。
(どうしよう)
席に通され、水を出されても、旭は全く落ち着かない。
店内には、旭が思うより客がいた。
談笑する声があちこちから聞こえる。どのテーブルの皿にも、土色の何かが載っているのが見えた。
(お客さん、結構いるんだ。まさかみんな、ツチノコを食べて……?)
旭の座る席にも、メニューがある。
旭はそれを手に取り、開いてみた。
だがやはり、表と同じツチノコのメニューがずらりと並んでいる。旭は目眩を覚えた。
(やっぱり、ツチノコ?このお店、一体……)
青い顔でいると、先ほどの店員が注文を取りに来た。
「ご注文、お決まりですか?」
「いや、あの、僕は食事の予定は、」
「こんなにメニューがあると、悩みますよね?当店のオススメは、『ツチノコの姿焼き』です!採れたてを焼くんで、人気なんですよ」
にこにこと笑って話す店員に、旭はいよいよ言葉を失う。
「では、姿焼きですね!お待ちください!」
店員は高過ぎるテンションで笑いながら宣言すると、キッチンの方へ戻って行く。
(もうダメだ。出なくちゃ)
旭が腰を浮かせかけると、周りの席の客たちが一斉に旭を見た。
「え……」
さっきまでの談笑する声も消え、何の表情も無い顔で、客たちは旭をじっと見ている。
その数多の視線に圧され、旭は落ちるように座り直してしまった。
それを見、客たちはまた一斉に旭から視線を外して談笑を始め、元の空気に戻る。
(このお店、何なんだ……?)
呆然としていると、旭のスマホから着信音が鳴る。
びくりとしながら出ると、相手は叔父である弥命だった。
「弥命叔父さん?」
[おう。旭、今家に居るか?]
「いえ……」
[どうした?]
旭の声がいつもと違う調子に気付いた弥命が、怪訝な声で尋ねる。
旭は声を潜めて、今いる店の話をした。
[ふうん。んなとこに飯屋出来てたの、初めて聞いた。……ツチノコねぇ。食べてみれば良いんじゃねぇの。滅多にないだろ、そんな機会]
「いやですよ……」
くつくつと笑う弥命に、旭はげっそりとした様子で返す。
それからも、弥命はとりとめのない話を続け、旭は相槌を打つ。
[旭、通話切るなよ]
「え?」
不思議に思っている旭の元へ、店員が料理を持って来た。
「ツチノコの姿焼きです!美味しいですよ!」
「これが?」
大きな皿には、土色の、胴が太いヘビのような生き物が丸焼きにされて載っている。
旭は言葉を失った。
店員は旭の前で、笑いながらナイフとフォークでツチノコを一口大に切り分ける。
中から、黒いとろりとした液体が溢れて来て、旭は息を呑む。
「そ、それ……」
(絶対、食べたらダメなやつなんじゃ)
旭の手が震え、スマホを持つ手が思わず下がる。スマホを落とすことは無かったが、弥命の声が遠ざかった。
「やあ、やはりツチノコは姿焼きが良いですね」
「いいですなあ、ツチノコを食えると言うのは」
「私たちは幸せ者ねぇ」
「選ばれたんですもの」
気付くと、周りの席の客たちが、旭と店員を囲むようにツチノコを見ている。
皆同じ笑顔を顔に張り付けているように見えて、旭の背が一気に冷えた。
「あなたたちは一体……ツチノコって、」
旭の問いには答えず、店員は勢い良く、ツチノコを切り分けたものへフォークを突き刺す。
「さあ、どうぞ!口を開けて!美味しいんですから」
店員は笑って、フォークを、ツチノコを、旭の口元へ近付けて来る。
「何するんですか!?」
周りの客たちが笑ったまま、口を押さえようとした旭の両手を強く掴んで離さない。
スマホが旭の手から落ちた。
もがきながら、旭は迫って来るツチノコから顔を背け、目も強く瞑って下を向く。
瞬間。
シャン!という音と共に、店のドアが乱暴に開いた。
「ぎゃっ!」
何かが店員の手に当たり、フォークごとツチノコの肉片が落ちる。
「客でもねー人間に、無理やり物食わそうとするとか……なんつー飲食店だよ」
呆れたようなその声に、旭はハッと顔を上げる。
ドアの前に怠そうに立っていたのは、凶悪な眼光を宿し、白地に梅の花柄のシャツ姿、左耳に朱い大きな金魚のピアスを揺らした、弥命だった。
「弥命叔父さん!」
立ち上がり、そこで旭は、客たちが消えていることに気付いた。席も、店さえも。
旭の側には、店員がいて、地面に落ちている焼けたツチノコを鷲掴みにして拾い上げた。
それを見て一歩身を引いた旭の側へ、弥命がやって来る。
店員は、旭と弥命を見て、尚も笑っていた。
「食べませんか?こんなに美味しいのに。幸せなことなのに」
おもむろに、店員はツチノコを頭から食べ始める。
旭は青い顔で絶句し、弥命は顔をしかめた。
旭も弥命も無言でいる内に、店員は踵を返し、雑木林の闇の向こうへ消えて行った。
「この辺、ツチノコがいる話もいた話も、昔からねぇよ」
弥命がそう、呟いた。
「そう……ですか」
旭はようやく、それだけを答える。
「客どもの声も聞こえてたが。何に選ばれたんだかな。ツチノコも、本当にツチノコだったのかね」
弥命は、旭を見て面白そうに笑う。
青い顔のまま、旭は息を吐き出した。
「ツチノコより、お店の人やお客さんが怖かったので……少し、ツチノコが可哀想な気もします。本物でも、そうでなくても」
「珍しさはあっても、有難がるもんじゃねぇよな。ありゃまるで……いや。もう良いな」
弥命は頭を一つ振り、家の方へ向かって歩き出す。
「忘れもんしてよー。旭が家に居たら、届けてもらおうと思ったのに。あてが外れたぜ」
「え。そういえば、さっきの電話それだったんですか?叔父さん、お店行って良いですよ。僕が家に戻って、持って行きますから」
目を丸くしながら言う旭。
それを弥命はじっと見た後、雑に旭の頭を撫で、また歩き出す。
「わ、叔父さん?」
「ツチノコねぇ……」
くつくつと笑う弥命を、旭は分からないまま追いかけた。




