レモネードが救う日常
「なぁ、旭。頼まれてくれ」
「はい?何でしょう」
ある日の昼下がり。
叔父の弥命に呼ばれ、旭は台所に向かう。
家では、ほとんど台所に立たない弥命にしては珍しく、何か作っているようだった。
「レモネード作ったんだけどよ」
「レモネード?」
首を傾げる旭に、弥命は少し笑った。
「店で出す用のな」
弥命は言いながら、レモネードの入ったグラスを旭に渡す。
「飲んで、何でも良いから感想くれ」
「分かりました」
旭は、グラスのレモネードに口をつける。飲んだ瞬間、目を丸くした。弥命は、黙ってそれを見つめている。
「……思ったより、すっぱくないんですね。甘さもあまり無いし、レモン水みたいな」
「それが一番、特徴っちゃ特徴だな。俺、世間に多いタイプのレモネード苦手なんだよ。酸味が強すぎてな。それがレモネードって言えば、当然なんだが」
旭は、弥命の話を意外そうに聞いている。またグラスに口を付けてから、頷いて笑った。
「僕、このレモネード好きです。美味しいですよ」
弥命も、自分用のレモネードを飲む。
「やっぱこのくらいが良いんだよな。――味見役さんきゅー、旭」
空になった旭のグラスを見、弥命はいつもの険しさが無い目で笑った。
それから数日後。
弥命は自分の店である『BAR KOTO』で、レモネードの提供を始めた。
それは好評となり、品切れとなる日もあった。
そんなある夜。
旭は、弥命に呼ばれ、弥命のバーへとやって来た。
閉店後の店には、カウンターの中に弥命が一人きり。紺色地に、キブシの花柄のシャツ姿。
「よぉ。お疲れ様。悪いな、呼びつけて」
「お疲れ様です、叔父さん。どうしたんですか?珍しいですね」
旭はカウンター内の弥命をじっと見ていたが、弥命に促され、カウンター席に座る。
「今夜は珍しく盛況でな。片付けに、人手が欲しかったんだよ」
「そうでしたか」
納得して頷く旭を見て、弥命は少し笑う。
「ま、少し休め。来たばっかだし」
作業に入ろうとした旭は目を丸くしたが、言われるまま座り直す。
弥命は唐突に切り出した。
「……なぁ、旭。『地球外生命体』っていると思うか?」
「ええ?何ですか、急に」
驚く旭を、弥命は笑いながら見ている。
「客がそんな話してたんだよ。『地球外生命体』がいるのかいないのか」
「それって……僕は『宇宙人』を想像してしまうんですが」
「そうとも言うだろうな。『宇宙人』の方がむしろ馴染み深い。俺たちには」
旭は混乱したまま、弥命を見る。弥命は変わらず笑っていた。
「いると思うか?って話ですよね。僕は、いると思っています」
空を睨んで考えつつ、旭は答えた。弥命は面白そうに笑う。
「へぇ、何で?」
「地球以外にも星はたくさんありますし、どこかの星には僕らみたいな存在があっても不思議じゃないと思ってるからです。それに。……これは、僕の希望みたいなものですけど」
旭は、気恥ずかしげに目を伏せる。弥命は不思議そうな顔で、旭を見た。
「いないと思うより、いると思う方が、面白そうじゃないですか」
旭の答えに、弥命は声を出して笑う。
「なるほどねぇ」
旭はそんな弥命の声を聞きながら、何かに気付いてメニューを手に取る。
「そういえば。この前作ってたレモネード、始めたんですね。僕、また飲みたいです。作ってくれませんか?」
弥命は一瞬動きが止まったが、直ぐに頷いた。
「ああ。待ってろ」
作業する弥命の姿を、旭はそっと目で追っている。
やがて、レモネードのグラスが旭の前に置かれた。
「ありがとうございます」
ストローに口を付け、レモネードを飲んだ旭は、一口で一つ頷いた。少しむせる。
「大丈夫か?」
「すみません。変なところに入っただけです。……叔父さんは、いると思いますか?『地球外生命体』」
旭の問いに、弥命もまた空を睨む。
「そうねぇ……ごまんといるだろ。『宇宙人』で考えると、俺たちみたいな人型の生物を想像しがちだが。『生命体』なら、形は問わねぇだろ。アメーバやスライムみたいなやつらだけの星が、あるのかもしれんし。それに、知性を持ってる生物が地球人だけって考えは、傲りだからな」
「傲り?」
聞き返す旭へ、弥命は不敵に笑う。
「ああ。もっと高い知性を持つ生命体もいる。そうだろ?」
「……そうですね」
旭はゆっくりと立ち上がる。
カウンターから距離を取り、弥命を見た。息を深く吸い込む。
「それで……あなたは誰ですか?弥命叔父さんは、どこですか?」
旭の言葉に、弥命は目を丸くした。
「旭?何言ってんだ?」
旭は、首を横に振る。
「レモネード、この前作ってもらった時と全く違う味です。ほとんど、レモンの果汁しか入っていないような。僕がお願いした時、一瞬様子が変でしたし……レモネードの作り方、ご存知ないのでは?」
ゆっくりと言う旭に、弥命はカウンターを出ようとして、手が何かに当たる。
「痛っ」
手を少し切ったようだった。だが、その小さな傷口から滴るのは、赤ではなく、青い血。
それを見て、旭はハッと息を飲む。
弥命は、肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「……なるほど。人一人に真実成り代わるのは、思ったより難しく、面倒なようだ」
弥命とは違う、ノイズ混じりのような、異質な声が弥命の口から零れる。
弥命の姿は、背の異様に高いスーツの男のそれになった。顔には、目の部分に、銀色の面のようなものを着けている。
「こういう姿の方が、まだ分かりやすいかと思うからね」
「あなたは一体……」
あまりのことに、旭はそう呟くので精一杯だった。男の口元が、にこりと笑みを浮かべる。指をパチン、と鳴らした。
「ぐっ……」
「弥命叔父さん!?」
旭の足元に、突然、倒れた弥命が現れた。
旭が屈むと、黒地に赤いチューリップ柄の派手なシャツ姿の弥命は、怠そうに起き上がる。左耳の大きな朱い金魚が、揺れた。
「……旭か」
「弥命叔父さん、大丈夫ですか?」
「ああ、おかげ様で。……お前、この話、俺の勝ちで良いな」
差し出した旭の手を借りながら立ち上がり、弥命は凶悪な眼光で男を射抜く。旭も立ち上がった。
男は満足そうに笑う。
「もちろん。貴方が思うより、優秀な人間のようですよ、彼」
男は旭を手で示しながら、愉快そうに言った。
弥命は、複雑な表情で旭を見る。
「あの……これ、どうなってるんですか?」
旭が、二人を見比べて尋ねた。男が口を開く。
「では、その説明は私が。ーー私は、お二人から見て『地球外生命体』です。旭さんは先ほど私の体液を見ましたし、この言葉で十分伝わるかと。どこの星か、等の説明は長くなりますので、地球よりはるか遠くの、知性ある生物が住む星より参りました、とだけ」
呆然とする旭を見ながら、男は笑う。
「私はこの星の観察をする為に、そちらの御剣弥命さんを消して、彼に成り代わろうと思いました。姿が同じ人間が二人いては、いろいろ面倒ですし。いつも通りに」
さらりと言われた言葉に、旭は青ざめる。
そんな旭を見ても、さして表情を変えず、男は続けた。
「ですが、ふと思ったんです。いつも成り代わりがあまり上手くいかない。加えて、どうやらこの星の生物は生物同士『繋がり』を築いている。何か関係があるのか、それを観察するにはどうすればいいのだろう、と」
男は弥命を見た。それを、弥命は射殺さんばかりの目で睨み返す。
「ですから、私は御剣弥命さんに持ちかけました。『貴方の身近な人が、私をニセモノだと見抜いたら、成り代わりはしない。見抜けなかったら、そのまま「御剣弥命」として成り代わる』と。見抜けないのなら、私のままであっても何も問題ないでしょう?なので、旭さんに来ていただいたのです」
ゾクリと、旭は背筋が凍るような思いがした。無意識に、少し前に立つ弥命の服の裾を掴んでいる。
「御剣弥命さんは、旭さんが見抜けるか、半信半疑みたいでしたし、私もでした。ですが、こうしてみると少し、楽しかったです。良い経験になりました。より、今後の活動の参考になります」
言葉が出ない旭に、男はにこりと笑いかける。
「見抜かれてしまいましたし、私は去ります。もうお目にかかることはないでしょう。あなた方の周りでは」
それでは、と言いおいて、男は悠々と店から出て行く。ドアを閉める間際、不意に男は旭を振り向いた。
「そうそう。旭さん、見抜いた決め手は、レモネードだけですか?いつから、私を疑っていたのです?」
旭は男を真っ直ぐに見て、答えた。
「この店に入って、『お疲れ様』とあなたに言われた時からです」
男は目を丸くした。
「ほう!それはなぜ?」
「弥命叔父さんは、『お疲れ様』とは言いません。『ご苦労』と言ってくれるんですよ。それから、ずっと見ていました」
穏やかに言う旭を見て、男は何度か納得したように頷いた。弥命は、旭から目を逸らして、後ろ頭を掻いている。
「この星の人間は、奥深いようですね。成り代わりが失敗続きの謎の、一つ大きなヒントになりそうです。観察期間が延びそうですね」
ドアが閉じ、男は居なくなった。
旭と弥命はしばらく、男が出て行った後のドアをじっと見ていた。
やがて息をついて、弥命が旭を見る。
「悪かった、いきなり」
「いえ。弥命叔父さん、大丈夫ですよね?何かされたりとか、」
「してない。何も無い部屋に入れられてたが、それだけで、特に何もなかったな」
旭はほう、と息を吐く。
「叔父さんは、僕が見抜けないと思ってたんですか?」
旭の問いに、弥命は少し意地の悪い顔で笑う。
「まーね。旭は、俺がちょっと正装しただけで、誰だか分からなくなるみたいだし?」
「う。それ、まだ怒ってるんですか……?」
過去、正装した弥命を弥命だと気付けなかった件を蒸し返され、旭は弥命から目を逸らす。弥命は声を出して笑う。
「冗談。……一人で追い詰めたのは、感心しないけど。あいつが消すつもりで襲って来たら、やられてたぞ」
弥命は軽く、旭の頬を引っ張る。旭は少し、俯いた。
「あまり、そんな余裕がなくて。……どうにもならなくても、やらなきゃいけない時って、あると思います」
弥命は、目を見張った。
「ふうん。……言うじゃん」
落ちた弥命のトーンに、旭は慌てて弁解する。
「文句とかじゃなくて、」
「さんきゅー。今回、その切り札切ってくれて」
「わ、」
弥命は雑に、旭の頭を撫でる。そのままカウンター内に入ろうとして、弥命は旭を見た。
「旭?」
「え?……あれ、すみません」
旭はずっと、弥命の服の裾を掴んでいた。今更気付いて、旭はパッと手を離す。それをじっと見、弥命は息をついた。そして何を思ったか、旭の席にあるレモネードに近付き、唐突に口に含む。直ぐにむせた。
「ひっでぇな、おい。旭、これ飲んだのかよ」
「一口だけですよ」
旭は目を剥く弥命を、苦笑いを浮かべて見た。
そんな旭を見、弥命は不敵に笑う。
「本物のレモネード、作ってやるよ」
「ありがとうございます」
旭は、ホッとしたような顔で笑った。




