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【三女の視点:訪問者を迎えるリビングでのひととき】


朝食の片づけを終えたばかりのテーブルに、まだパンくずがいくつか残っている。私はふきんを手に、ゆっくりとテーブルの表面を拭いていた。ふきんが滑る音は静かなリビングに微かに響き、耳に馴染んだこの家の「いつもの音」だった。それでも、心の中はどうしてもざわついている。


隣の部屋――地下へ続くシェルターの準備をしている姉たちの声が時折聞こえてくる。長女の冷静な指示や次女のやや皮肉っぽい返事が混じり合い、その音が壁越しに伝わってくる。いつもなら安心感を覚えるそのやりとりも、今日は少しだけ重く響いた。


窓の外では、街の様子がどことなく物々しい。人々が通りを歩き回るのが見えるけれど、その足取りはどこか急いていて、表情も硬い。私たちが知っている「いつもの町」じゃない――そう感じる。


そんなとき、不意にドアをノックする音がした。


「コンコン」


音は控えめだったけれど、この緊張感が漂う中では十分すぎるくらい大きく感じた。一瞬だけ心臓が跳ねる。私はふきんをテーブルの上に置いて、急いで玄関に向かった。


「はーい!」と答えながら、扉越しに聞こえてきた声に気づく。


「おい、三女ちゃんか? ボブおじさんだよ。」


ボブおじさん――。声を聞いてすぐに顔が思い浮かんだ。近所に住む気のいいおじさんで、いつも私たちを気にかけてくれる人だ。


私は扉を開けた。そこに立っていたのは、どこか埃っぽいジャケットを羽織り、大きな紙袋を抱えたボブおじさんだった。その手元には私たち家族の名前が書かれた配給リストが見える。


「町の配給品を持ってきたよ。君たち、最近外に出てないだろ?」ボブおじさんはそう言って、にこりと笑った。その笑顔は優しくて、少しだけほっとする。


「ありがとう、ボブおじさん! こんなにたくさん……。」私は彼の手元を見て驚いた。紙袋には缶詰やパックの水、乾パンのようなものがぎっしりと詰まっている。これだけあればしばらく食べ物には困らないかもしれない。でも――。


「……外、危なくなかった?」私は思わず聞いてしまった。


ボブおじさんはちょっとだけ肩をすくめてみせた。「まあ、ちょっとした小競り合いくらいはあったけど、なんとかね。町の人たちもピリピリしてるけど、俺みたいなジジイには手を出さないさ。」そう言いながら、ちらっと後ろを振り返る。その仕草に、外の空気の険しさを感じてしまう。


「とりあえず、中に入れさせてもらえるかい? 外で立ち話する気分じゃなくてね。」


「あっ、ごめんね! どうぞ、入って!」私は慌てて扉を大きく開け、ボブおじさんをリビングへ案内した。


彼がリビングに入ると、家の中の静けさに目を細めるようにして「やっぱりここは落ち着くね」と呟いた。その声に、私の胸の奥が少しだけ温かくなる。


「座ってて、何か飲む?」私はキッチンへと向かいながら聞いた。


「いや、いいよ。そんな気を遣わなくて。でも、ここに来るとやっぱり落ち着くんだよなあ。姉妹三人でしっかりやってるみたいだな。」ボブおじさんはゆっくりと椅子に腰を下ろし、紙袋をそっとテーブルの上に置いた。その仕草には優しさが滲んでいる。


私は棚から水のボトルを取り出し、おじさんの前に置いた。こういうとき、何を話せばいいのかわからなくて、でも何かをしていないと落ち着かない。


「おじさん、私たちの配給権を取りに行ってくれたんでしょ? ありがとうね。でも、本当に危なかったら、無理しなくていいから。」


ボブおじさんはその言葉に小さく笑った。「無理なんてしてないさ。俺がやらなきゃ誰がやるって話だ。それに、君たちはまだ子どもなんだから、外に出るなんて言語道断だ。こんな時こそ、大人が頼りになるべきだろ?」


その言葉には力強さがあったけれど、同時にどこか儚げな響きもあった。おじさんだって怖いに決まっている。でも、それを隠して、こうして私たちを気遣ってくれるのだ。


「ありがとう……本当に。」私は素直にそう言った。


そのとき、地下から長女と次女の声が少し大きく響いてきた。ボブおじさんはそれに気づいたようで、ちらりとそちらに視線を向ける。「お姉ちゃんたちはシェルターの準備かい?」


「うん、色々とやってるみたい。私はここでお手伝いしてるの。」そう答えながら、ふとリビングの窓の外に目を向けた。通りを歩く人影がまた増えているように見える。でも、その誰もが警戒心を帯びた足取りで、時折何かを背負っていたり、周囲を見回していたりする。


ボブおじさんがリビングにいる間だけは、この家が少しだけ守られているような気がした。だけど、この穏やかな時間も長くは続かないのだろう。それを考えると、胸が少しだけ痛くなる。


私は再びテーブルの片づけに戻りながら、ボブおじさんの温かな存在に少しだけ甘えることにした。この瞬間だけでも、「普通の生活」が続いているような気分になりたかった。

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