珍しい朝:長女の視点
夜明け前の空はまだ紫がかっていた。薄い朝靄が家庭菜園を包み込んでいる中で、私はいつものように小さな畑の中央にしゃがみ込んでいた。湿った土の匂いが鼻をくすぐり、冷えた空気が肺に入るたびに、体が少しずつ目覚めていくのを感じる。手元では、小さなカゴに次々とトマトが転がり込んでいる。赤く熟したその肌は、朝露でうっすらと濡れ、指先に冷たく滑らかだった。
「それ、違う!」
三女の声が鋭く空気を裂いた。思わず顔を上げると、珍しい光景が目に飛び込んできた。次女が、私の作業を真似しようとでもするかのように、畝にしゃがんで野菜を引っこ抜こうとしている――いや、ほとんど引きちぎっていると言ったほうが正確だろう。
「だから、上じゃなくて、根元を持ってゆっくり引っ張るの!」
三女が一生懸命に身振り手振りを交えて説明している。彼女の小さな手が泥だらけになっているのが見える。次女は、いつもの不機嫌そうな顔をほんの少し緩めて、三女の言葉に耳を傾けていた。しかし、その手元を見る限り、状況は絶望的だ。
「ほら、これだよ!」
三女が実演するように、小さな手でそっと大根の葉を掴み、根元を支えながら一気に引き抜く。土がパラパラと落ち、大根の白い肌が現れた。次女は少し感心したように頷いたが、その後、何がどう間違ったのか、目の前で彼女が収穫しようとしたにんじんは、茎だけが無惨に千切れてしまった。
「ねえっちょっと…」私はつい口を出してしまった。「そんな力任せにやったら、全部折れちゃうよ」
「分かってる!」次女が顔を上げて、むすっとした表情で言い返してくる。「でも、こんなのただの植物でしょ? なんでこんなに難しいの?」
その言葉に、三女が驚いたように目を丸くする。
「ただの植物じゃないよ!」彼女は少し怒ったように口を尖らせた。「私たちが大事に育てたんだよ! だから、ちゃんと扱わないと野菜だって可哀想だよ!」
次女は、少し目を伏せて何か言い返そうとしたが、結局言葉を飲み込んだようだった。代わりに、雑に扱ってしまった茎の残骸を拾い上げ、小さなため息をついた。
私は苦笑しながら立ち上がり、次女の側に歩み寄った。「ねえ、ここを持つの。三女が言ってたでしょ? 根元。力を入れるんじゃなくて、じわっと引く感じ。ほら、試してみて」
次女は私をちらりと見てから、半ば渋々といった様子で言われた通りに手を動かした。初めはぎこちなかったが、やがて土の中から小ぶりなにんじんが顔を出した。次女の顔にほんの一瞬、誇らしげな表情が浮かぶ。
「やればできるじゃん」私は笑いながら次女の肩を軽く叩いた。
「…まあ、簡単とは言えないけどね」と次女がぼそりと呟く。
そんな二人のやりとりを見ていた三女は、安心したように微笑むと、再び畑に向き直った。彼女の小さな体が泥と朝日に包まれて、どこか絵になる風景だった。
「これで、次女も手伝ってくれるね!」と三女が明るい声で言った。その無邪気な響きに、次女はまた少しむくれた表情をしたが、否定はしなかった。
ふと顔を上げると、朝焼けのオレンジ色が空に広がり始めていた。こんな日常が、あとどれくらい続くのだろう――そんな不安が頭をよぎる。それでも、今この瞬間の平穏に感謝したい気持ちが胸の中に広がっていた。
「さあ、もうちょっとだけ頑張ろうか」私は二人に声をかけた。彼女たちが言い合いをしながら作業を再開する様子を見て、少しだけ笑顔がこぼれた。




