次女の視点:味のしない食卓
夕食の時間が来ても、空気は冷えたままだ。姉たちと向かい合い、食卓に座っているけれど、目の前の料理にはまったく食欲が湧かない。箸を手に取って野菜を一口運んでみるが、味なんてしない。ただ歯の間で何かが潰れていくだけ。その鈍い感覚に、少しだけイライラが募った。
食事は栄養を摂るためのものだ。 味なんて本当は二の次だと思っているのに、こういうときはやけに気になる。それは、きっとこの場が気まずいからだ。姉たちとの沈黙が、このまずい食卓に拍車をかけている。三女がせっかく作ってくれたのに、私たちはまた無駄なことをしてしまった。
長女が黙って箸を進めているけど、その仕草がぎこちなく、重たい。 あの正義感の塊みたいな人間が、こうして黙り込むことなんて滅多にない。今も、私の言葉がずっと彼女の頭の中でこだましているんだろう。
「貴方の理想を振りかざすせいで、私が、みんなが死ぬ。それでいいの?」
あの瞬間、私はそう言ったも同然だった。長女は責められたと思っただろう。それに、たぶん正直なところ、私は彼女を責めていた。だけど、そんなつもりで言ったんじゃない。ただ、現実を理解してほしかっただけだ。
目の前の味気ない食卓を見下ろしながら、心の中で苛立ちが静かに広がっていく。彼女の理想を否定したわけじゃないのに、あの人は自分が責められていると決めつける。 そうやって、いつも自分が「正しさ」の重荷を一人で背負おうとする。だけど、その「正しさ」が危険なときだってあるんだ。どうしてそれが分からないの?
「……」
何か言おうとしたが、結局言葉にならなかった。言葉にしても、どうせ通じない。 長女は私の言葉を理屈ではなく、感情の攻撃だと受け取る。だから、何を言ってもあの人の心に届くことはない。
三女が静かに料理を口に運んでいるのを、横目でちらりと見る。あの子だって、この沈黙の中で必死に何かを考えているはずだ。三女は長女の気持ちも、私の気持ちもわかっているんだと思う。けど、どちらの側に立つこともできず、ただ黙ってここにいる。あの子なりの、精一杯の調和だ。
でも、それができるのは三女だからだ。長女と私は違う。どちらかが正しいと信じる道を選ぶしかない。私は、冷たい現実を見るしかない。
「……ごめん。」
誰に言ったわけでもなく、小さく呟いた。三女の手料理がこんなに味気ないのは、私たちのせいだ。あの子はきっと、ただ姉妹みんなが笑って過ごせるようにしたかっただけなのに、私たちの喧嘩で台無しにしてしまった。
でも、分かっている。私は、きっとまた同じことを言うだろう。 どんなに後悔しても、私の信念を曲げることはできない。理想を追い求める長女に、現実を見せつける役割は、私しかできないからだ。
私はまた箸を取って、冷めた料理を口に入れる。何を食べても、やっぱり味はしない。ただ、無理やりにでも咀嚼し、胃に押し込む。食事は必要な作業だ。食べなきゃ体がもたない。それは事実で、私はその事実に従うだけ。
食べ終わるまで、誰も言葉を発しなかった。食卓に並んだ皿も、私たち三人の間に横たわる沈黙も、重く、冷たいままだった。




