緊急事態宣言(5)長女の視点
テレビ画面の中で、人々が怒りに任せて街を破壊していた。車が燃え、窓ガラスが次々と粉々に砕け、店から物が盗まれ、人々が無秩序に叫んでいる。音声のない映像でも、その狂気と憎悪は手に取るように伝わってきた。
心の奥から、何かがぐらりと揺れるのを感じる。
「なんで……なんでこんなことをするんだ」
唇をかみ締め、拳が自然と握りしめられる。こんな時こそ助け合わなければいけないはずだ。助けが必要なのは、こんな風に他人を傷つけたり、物を壊すことじゃない。みんなが怖くて不安だからこそ、お互いに支え合わなければならないのに……。そのはずなのに、どうしてこんなことになるんだろう?
目をそらしたい。こんな映像を見続ける意味なんてないはずだ。
だけど、なぜかチャンネルを変えることができない。指がリモコンに触れたまま動かなくなっていた。もし今ここで目を逸らしたら、何かとても大事なことを見逃してしまう気がする。いや、本当はただの言い訳だ。私は、現実がこんなにも醜く、無力なものだということを認めたくないだけなんだ。
横を見ると、三女が肩をすぼめてじっと映像を見ていた。彼女の顔はいつもより蒼白で、眉が不安げに寄っている。かすかに唇が震えているのがわかる。
「三女……」
声をかけようとして、喉の奥に言葉が詰まる。どうしたらいい? 彼女をこんな映像から遠ざけた方がいいのはわかっている。でも、もし今チャンネルを変えたら――彼女の目に映る世界が、私たちが向き合わなければならない現実が、もっと恐ろしくなるのではないかという恐怖が私を縛り付けていた。
「大丈夫だよ」と言ってあげたい。でも、今この瞬間、私はその言葉を信じる自信がなかった。
その隣で、次女が画面をじっと見つめている。彼女の表情はいつも通りだ。でもその目の奥には、深い暗闇が広がっているように見えた。怒りでも、恐怖でもなく、何かもっと底知れないもの。冷静で、理屈があって、それでいて全ての感情を断ち切ったような――そんな目だ。
何か言うべきだと分かっていたが、言葉が見つからない。次女のその目が、私を黙らせていた。彼女が一体何を考えているのか、私には想像もつかなかった。
しばらくの沈黙の後、次女がふいに口を開いた。
「……もしここに私たちがいたら、どうする?」
彼女の声は、あまりに淡々としていて、まるで感情が一切存在しないようだった。冷えた刃物のように鋭く、その言葉は私の胸に突き刺さった。
答えようとして、何も言えなかった。喉が乾き、体の中が凍りついたように動けなくなる。ただその言葉の意味だけが、ゆっくりと私の心を締め付けていく。
それは、もし私たちがこの暴動の中にいたら――その時、私は本当に姉として彼女たちを守れるのか? その問いだったのかもしれない。




