緊急事態宣言(3)長女の視点
冷たい光がテレビの画面を照らし、映像が続く。暴動の様子が映し出される度に、私の心は揺れ動く。怒りが湧き上がる。こんな時に、どうしてこんなことをするのだろう。人々が助け合わなければならない瞬間なのに、互いに憎しみをぶつけ合っているのが信じられない。目を背けたくなる気持ちがどこかにあったが、それができないのは、何かを感じ取っているからだ。
三女の小さな手が震えているのが見えた。彼女は画面を見つめながら、恐怖で固まっている。幼い彼女には、この現実がどれほど衝撃的か理解できないだろう。映像の中で人々が叫び合い、暴力が振るわれているのを見て、彼女が怯えるのも無理はない。私は何か言わなければと心の中で叫ぶが、言葉が出てこない。彼女を安心させる言葉が見つからないのだ。
チャンネルを変えたいという思いが胸の内で渦巻いていた。暴力的な映像から目をそらしたくてたまらない。しかし、その思いに逆らって、私はそのまま画面を見続ける。ここで目を逸らしたら、私たちの現実を直視しないことになる。目を背けるのは、逃げることと同じだ。私にはそれができない。
次女の姿が目に入る。彼女は食い入るようにテレビの映像を見つめていた。普段は冷静な彼女が、今は強い興味を持っているように見えた。何を考えているのか、私には分からない。ただ、彼女の目には、他人の状況に対する好奇心と、危機に対する冷静さが共存しているようだった。彼女がその様子で得ている情報を理解し、分析し、次の一手を考えているのだとしたら、それは私とは違う反応だ。
どうしてみんな、こんな時に助け合わないのだろう。私たちの周りにあるのは、助け合いの精神であり、互いの力を引き出し、支え合うことではなかったのか。人々は混乱し、目の前の恐怖に押しつぶされている。私の胸は苛立ちでいっぱいになり、その感情が私の中で渦巻く。自分たちの力だけではどうにもできない状況なのに、どうして他人を思いやれないのだろう。
「こんなことをしていても、何も変わらないのに。」心の中で繰り返す。声をあげたいのに、言葉が出てこない。暴力がどれほど無意味なことか、私が訴えかけたところで、誰も耳を傾けるわけがない。それでも、この瞬間に何かを感じないことにはできない。義憤が胸の奥で燃え上がり、何かをしなければと、頭の中で叫んでいる。
映像がさらに切り替わる。叫び声、壊れるガラス、そして流れる涙。目をそらすことができない。映像の中の人々は、私たちのように家族を持つかもしれない、私たちと同じように愛し合う人がいるかもしれない。なのに、どうしてこのような状況に陥るのか。私たちの未来がどうなるのか、思考がグルグルと回り続ける。これ以上の混乱が続けば、私たちの家族もその影響を受けるかもしれない。
その時、ふと視線を感じた。三女が私を見上げていた。怯えた目が私の心に直撃する。彼女が安心できる場所であるべきこの家が、彼女にとっては恐怖の場所になってしまっているのではないか。そんなことを考えると、私はいたたまれなくなった。どうにかして、彼女を守らなければならない。
次女の姿が映り、彼女は相変わらず画面を見つめ、集中している。その姿は、私に不安を抱かせる。冷静さを保とうとしているのは分かるが、彼女の心の奥底に潜む恐怖や不安が見え隠れする。私たちが今後どうするべきか、私が彼女を支えられるのか。そんな思いが頭を巡り、冷静に行動することができるのだろうかと、心のどこかで不安が広がる。
暴動の映像は続いている。怒りと悲しみが入り混じった感情が私の中で渦を巻き、何かをしなければならないという気持ちが強くなる。こんな時だからこそ、私たちは一つにならなければならない。私の心は固く決意し、そのために何か行動を起こす必要がある。人々の思いに耳を傾け、私たちがどのようにしてこの状況を乗り越えていくのか、そのための道を見つけるために。




