緊急事態宣言(2)次女の視点
家の扉を開けると、静寂が迎えてくれた。薄暗い廊下を進みながら、心のどこかで安堵感を感じる自分がいた。ここが私たちの安全な場所だと信じたい。しかし、すぐに現実に引き戻される。長女と三女のことが頭をよぎり、彼女たちを守るために何をすべきか考えなければならない。
すぐにラジオとテレビをつけた。電子音が家の中に響き渡り、緊急事態宣言の報告が流れてきた。気持ちが引き締まる。私はすぐにノートを広げ、ペンを手に取る。情報を集めなければならない。何が起こっているのか、何を警戒すべきなのか。ノートのページに素早くメモを取りながら、耳を澄ます。
「各地で買い占めが進み、混乱が広がっています。」というアナウンサーの声が響く。テレビの画面には、街中で暴動が起きている映像が映し出されていた。怒号が飛び交い、店のショーウィンドウが壊され、混乱する人々の姿が映っている。私はその様子を冷ややかな目で見つめる。感情に流されるなんて、なんて無駄なのだろう。周囲の人々がただパニックに陥っている様子は、理論的に見れば完全に非効率だ。しかし、同時に思う。感情というのは決して軽視できない要素だ。
目の前の映像には、三女と同じくらいの年齢の子供が泣いている姿が映っていた。彼女の無邪気な表情が影を落とし、私の心に静かに侵入してくる。しかし、私はすぐに理論的な思考に戻る。あの子を救う余裕など、私にはない。私の使命は姉妹を守ることだ。それが最優先であり、あの子のために自分を犠牲にすることは許されない。
テレビの画面にはさらに暴動の様子が続く。怒号と叫び声が混ざり合い、混乱と恐怖が渦巻いている。耳ではラジオの報道が、冷静な口調で続いていた。今は、情報を冷静に捉えることが最も重要だ。心が急速に冷え、思考が加速する。耳と目から入ってくる情報を吸収し、脳内で整理する。感情を排除して、事実を見極めることが、私の役割なのだ。
映像が切り替わり、各地の様子が次々と紹介される。店の棚から食料品が一掃される様子、混雑したバス停で人々が押し合いながら逃げようとする姿、警察が無力感を抱えながら群衆に立ち向かう場面が映る。何が起きているのか、私には理解できた。情報を集めることで、予測を立て、次の行動を決定する。私は緊張感を持って画面に釘付けになっていた。
あの町の様子が、私たちの近くでも起きていることを示している。もし事態が悪化すれば、私たちも同じ運命を辿ることになるだろう。こうした情報を持つことで、私は次の一手を考えなければならない。必要な物資を揃えるために、行動を起こすタイミングを見計らう。
周囲の状況を把握するために、心を落ち着ける。冷静に、しかし敏感に、どんな事態が待ち受けているのかを把握しなければならない。映像の中で人々が暴力的になる様子を見ながら、私はそれを一歩引いて見つめる。感情が暴走するのは理解できるが、それが無意味な混乱を生むことは分かっている。だからこそ、私たちは冷静でいなければならない。
テレビは暴動の様子から、各地での買い占めや、避難所の設置に関する報道へと切り替わった。そこには、何か危険が迫っていることを感じさせる情報が満載だった。私はそれをメモに取る。今、私が得られるすべての情報をノートに記録して、将来の行動に役立てるためだ。
ラジオからは、被害が拡大していることが伝えられている。「暴動の影響で、食品や水の不足が懸念されています。地域によっては、治安が悪化し、避難が必要とされています。」耳に入る言葉は、私の頭を働かせる。冷静に受け止め、次のステップを考えなければならない。
この情報が私たちに何を意味するのか、どう行動するべきなのか。現実は厳しいが、私たちは何とかしてこの状況を乗り越えなければならない。目の前のテレビ画面を見つめながら、私は再びペンを走らせた。自分の頭の中を整理し、考えを形にする。各地の状況を分析し、今後の行動を模索する。それが私にできる唯一のことだった。
心を冷静に保ちつつ、未来のために動かなければならない。あの子を救う余裕はないが、私たちが自分たちを守るためにどうするかを決めることはできる。感情に流されるのではなく、理論的に状況を捉えることで、私たちの行動が有意義なものになると信じている。私のノートには、これからの計画が刻まれていく。それが私の役割であり、私たち家族を守るための第一歩なのだから。




