海(1)次女の視点
アスファルトの歩道を踏みしめるたび、靴底から伝わる感触が微妙に違うのがわかる。夏の陽射しに熱せられた道路はじんわりと温かく、街灯の根元にはひび割れた隙間から雑草が顔を出している。どれも「ここにある」。見ればわかる。でもね、問題は「見えない」ものの方なんだ。
「宇宙と海は同じだって、いつも言ってるけど、あれね、ほんと冗談じゃなくて。」
言葉がつい口をついて出た。長女と三女は私の横で歩いている。返事はないけど、それでいい。私は話を止めない。彼女たちに届くかどうかじゃなくて、伝えることが大事なんだ。
「だってさ、深海の一番深いところ、光も届かないんだよ。私たちが普段見てる海とはまるで別世界。それでもそこに生き物がいるんだ。ほら、アンコウみたいに自分で光を出すやつとか、透明で骨が透けてるクラゲとかさ。普通の『常識』じゃ理解できない形をしてる。でも、あいつらはそこにいる。それが事実。」
三女が私の隣でうなずいているのが視界の端に見えた。ちょっとだけ勇気をもらう。
「でね、その深海って、宇宙と似てるのよ。宇宙にも暗黒物質とか暗黒エネルギーっていう、全然見えないけど確かに存在するものがあるんだって。理論で証明できても、目では見えない。でもその『見えないもの』が、星や銀河を支えて、全部が崩れないようにしてるんだよ。深海の海流だって同じ。流れは見えなくても、生き物はその流れに沿って生きてる。」
少し息が上がってきたけど、話したいことはまだまだある。ふと見上げた空は雲ひとつない青空で、太陽がじりじりと肌を焼く。見えるものばかりに気を取られそうになるけど――違う。ここで伝えたいのはその奥のことだ。
「さっきね、三女が海の生き物の話をしてたけど、そこがまた面白いの。クジラの歌って、何百キロも離れた場所に届くって知ってた? ほぼ宇宙スケールよ。あれ、音波が水を伝って届いてるんだけど、それもただの音じゃなくて、まるで星と星の間で交わされてる電波通信みたい。重力波とかさ、宇宙に漂う『見えないシグナル』が、もしかしたらどこかで会話をしてるのかもしれない。」
「クジラも、宇宙人も、同じように歌ってる?」
三女がぽつりと聞いた。小さな声だけど、彼女の想像力がその言葉に込められてるのがわかる。私は思わず笑った。
「そうそう、まさにそれ! もしかしたらね、銀河の向こう側にも、クジラみたいに重力波で歌ってる生命体がいるかもしれないの。見えないけど、確かにそこにあって、お互いを探してるのかもって思わない?」
長女は少しだけ困ったような顔をしてるけど、私の話を止めようとはしない。彼女もきっと、なんとなく感じてるんだと思う。宇宙と海、深海と深宇宙。そこにある「見えないもの」が、私たちの想像をはるかに超えて広がってるってことを。
「それに、ほら。全部がどこかでつながってるんだよ。原子とプランクトン、星とクジラ――全部がね。例えば、今この道端に咲いてる雑草だって、どこかで星の死骸が降り積もってできた土から生えてるかもしれない。私たちの体もそう。昔、星だったものが今は私たちの中にあるんだよ。」
「星だったものが……?」
三女がつぶやく。彼女の瞳は遠く、まだ見ぬ海の向こうを見つめている。
「そう。すごいと思わない? あらゆるものは、何かとつながって影響し合ってる。だから、クジラが海で歌うのも、私たちがこうやって歩いてるのも、全部が偶然じゃないんだよ。」
私たちは海の匂いを感じるほど近くまで来ていた。潮風が頬を撫で、かすかに波の音が聞こえる。
「見えないけど、全部がそこにある。私たちが知らないだけでね。」
そう言うと、長女がふと口を開いた。
「それを知るために、もっと探さなきゃいけないのかな。」
私は彼女の言葉に少し驚いた。でも、同時に嬉しかった。長女も私と同じように、「見えないもの」の存在を感じてくれてるんだ。
「そう。だから、探すんだよ。」
砂浜が見えた。私たちはようやく海にたどり着いた。波打ち際で揺れる水面は、一見ただの水たまりみたいに見えるけど、その奥には無限の深さが広がってる。
「ねぇ、あの海の底にも、私たちが知らない何かがいるかもしれないよ。」
私は言った。長女も三女も、その言葉を胸にしまい込むように、静かに海を見つめた。
見えないもの。深海の暗闇の中、宇宙の彼方、そして私たち自身の中。全部が何かでつながっていて、何かを伝えようとしている。




