第五章 【いのち】
ヒトラーの演説も大詰めに近づき、聴衆や観衆らは熱狂する。
かくこのように私━━━アウグストも声を張る。
ハインリヒたちも、周囲の人々とともに声高らかに称える。
だが周囲に目を向けると、一人だけ、北欧の人だろうか、肌の白いブロンドヘアーの女性が軽蔑の眼差しをディスプレイに向けていた。
ただ立っているだけであった。
彼女は、何か口を動かしていたが、ここからでは何を言っているのか分からない。
彼女の口元の動きが止まった瞬間、轟音が街中を駆けた。
テロだ。
ディスプレイはすぐに砂嵐に切り替わり、私は遅ればせながら状況に気づく。
フォルクス・ハレの柱が爆破され、巨大なピッケルハウベが落ちてくる。黒い煙に白い粉塵と化した建物の一部が風とともに混じり合う。
気付いたころには逃げ惑う人々に押し倒されていた。
人混みに踏み潰されそうだ。
誰も足場なんて見ずに、ただ己の命さえと逃げ惑う。
人という恐ろしさを識った。
「おい!大丈夫か!」
ふと声がした方に目をやると、ハインリヒが私の近くまで来て、手を伸ばさんとしていた。
そこで私は我に返り、力を振り絞り、立ち上がる。
その頃には、周囲に人はいなくなっており、私一人だけだった。
血が飛び散っているのも散見される。
……ハインリヒは?
「ハインリヒさ――――ん!ハインリヒさ――――ん!」
大声で彼を呼んでみるが、当然、返事はない。
まさか、と思いつつも周囲を探してみる。
すると彼がつけてる腕時計と腕が柱の下から覗いていた。
それ以上下はなかった。
硬直した。
本当に?
いや、そんな。
俺を助けようとして?
一気に血の気が引いていくのが分かる。
私は首を振りながら、目を閉じる。
そうして立っているうちに、どれくらい時間が経っただろうか。
立ち込めていた煙も徐々に引いていき、随分周りが見渡せるようになっていた。
私は目元をこすり、十字を切って腕時計を外して、そっとポケットに入れる。
立ち上がると、
「くっ。」
頭が痛む。
どこか変な変なところに瓦礫でも当たったのだろうか。
遠くの方には軍らによる救援だろうか、こちらへ駆け寄ってくる人影が見て取れる。
私はそちらに行こうとしたが、思わず、足を踏み外した。
◇
《パパ?》
ハンナがハインリヒらしき人物を呼ぶ。
でもハインリヒは、先へ進んでいくハンナとは対象的に俯いたまま立ち止まっている。
その間もハンナはローザに手を引かれてどんどん進んでいく。
彼はこのまま止まったままなのだろう。
そういった焦燥感のようなものがどっと押し寄せてきた。
《ハインリヒさん?》
私は彼の肩に触れようとするが触れられない。
私の左手は彼の方をすり抜けていった。
彼は腕時計をつけていなかった。
◇
病室で目が覚める。
そうだ、あの時足を踏み外して倒れた後、そのまま意識を失ってしまったのだ。
そうだ!ローザとハンナは?
ばっ、と起き上がると、まだ全快はしていないのだろう、頭が少し痛む。
ベッドのそばで包帯を頭に巻いたローザとハンナが寝ていた。
良かった。
二人とも少し外傷はあるが、無事なようだ。
病室の窓の外からは朝日が昇っていた。
その橙色の光は残酷にも多くの人を夢から覚めさせる。
それは、ある人にとっては秩序の、平和の崩壊かもしれない。
また、ある人にとっては新たな秩序と平和の幕開けかもしれない。
すると、病室に誰かが入ってきた。
その音に目を覚ましたローザが私に気づく。
「!起きた!アウグスト、ハインリヒは?ハインリヒを見てない?」
彼女の一言で思い出す。
先の出来事を。
「知ってるの?」
私はポケットから例の時計を手渡す。
「っ!?」
ローザは腕時計を受け取って、全てを理解した。
その後静かに立ち上がって、
「ハンナを少し頼むわ。」
と、残して病室を後にした。
彼女の顔は長い髪に隠されて見えなかった。
しかし、必死にこらえているのは分かった。
ハンナはまだ気持ちよさそうに寝ていた。
◇
間を見計らって、イザークがカーテンから顔を覗かせる。
「今、いいか?」
「大佐!?あ、はい。」
どうやらさっき病室に入ってきたのはイザークだったらしい。
話していたため、入るタイミングを待っていたようだ。
彼は入ってくるなり、やけに深刻そうな表情をしていた。
「体調はどうだ?」
「ついさっき起きたところです。まだ、ところどころ痛みますけど、これくらいなら大したことはありません。」
「そうか。良かった。」
イザークは簡潔に応えた。
「急で悪いが、お前は3日寝てた。んで今日は19日だ。」
「え?3日も?」
「ああ、そうだ。だが、問題なのはここからだ。」
イザークは一層深刻そうな表情を浮かべて告げる。
「あの後、ラインハルト・ハイドリヒ総督が軍の士官学校や教導隊の一時的な解散を命じた。」
「え?え、ちょっと待ってください。それって、それってどういう……。」
突然の解散命令に驚く。
せっかく父の部隊の手がかりが得られたというのに。
「そのまんまの意味だ。きっともうすぐ内戦が始まるんだろう。母さん一人なんだろ。一緒にいてやれ。」
「え、ちょっと待ってください。大佐は?」
「戦場で待ってる。」
大佐はそう言い残して、病室を後にする。
彼の背中からは、かつて夢で見た父と同じ雰囲気がした。
◇
病室の窓に光が差し込む。
その光は私を嘲笑っているように感じられた。
ひとまずは、回復するまでここにいなくてはならないが、その後はどうしたものか。
ハンナはまだぐっすり眠っている。
この笑顔は失われてはならない。
受け入れがたい現実は幾度となく、その身に降りかかるだろう。
父のように。
すると、ハンナが目を覚ます。
辺りを見回し、私が目を覚ましたこと、いつの間にかローザがいなくなっていることに気がついた。
「あ〜!お兄ちゃん、生き返った!あれ?ママとパパは?どこ行ったか知らない?」
「ママならもうすぐ戻ってくるよ。お父さんは……もうちょっとかかるかもしれない。」
そう言うと、病室の扉が開き、まもなくカーテンからローザが入ってくる。
彼女の目は少し赤くなっていたが、もう落ち着いたようだった。
「ありがとう、アウグスト。」
そう静かに礼を述べた。
「そこに差し入れも置いてるから、良かったら。」
彼女はベッドの隣の台の上を指差す。
そこには、アイリスの花とカゴに入った一房のブドウがあった。
「さ、そろそろ帰りましょ。ハンナ。」
「うん!お兄ちゃん、またね。」
私はその背中を見送る。
ブドウは非常に熟していて甘かった。
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