第一章【手紙】
この私、アウグストがこの陸軍大学に入校した理由は、主に2つある。
ひとつは単に、軍人という職業は過酷ながらも公的な立場であり、稼ぎも良いため、母への孝行になると考えたからだ。
母は父の死後で、終戦後の忙しい中でも東奔西走し、この私に腹いっぱいのご飯を食べさせてくれた。
これ以上の孝行はないだろう。
もうひとつの理由としては父が亡くなったというその日に夢を見た。
今でも鮮明に思いだす、遠くのところに父が背中を向けて立っていたが、その服装は軍人としてのキチッとしたものでも、戦場に出た男のようでもなかった。
まるで、旅でも経た傭兵かのような服装であったような気がする。
父は背中を向けたまま、何か喋った。
何かは聞き取れなかったが、私になにか重要なことを伝えようとしていることだけは分かった。
私は父のそばに走ったが、そこで目が覚めてしまった。
父の格好はどうしたのだろうか。父は一体何を伝えたかったのだろうか。
その後、自分でそれを探しているうちに父が当時所属していた部隊は機密指定されており、軍や政府の高官しか閲覧できないものとなっていた。
どうにかこれを探りたい。
この真実を突き止めることこそ、私がやらねばならないことだと直感した。
その想いを胸に、ここミュンヘンにある陸軍の士官学校への入校を決意した。
ここはかつて父の通っていた士官学校の後身の機関だそうだ。
特に期待はしていないが、何か父の手がかりを得られればいいなとも考えた入校だった。
◇
入校からしばらく経った1957年7月、真夏の厳しい暑さと過酷な訓練に倒れる者も少なくない。
そんなある日、校内の廊下をシャツをパタパタと扇ぎながら歩いていると背後から学校長のイザーク・エデルマン大佐に呼び止められた。
「君は確か、アウグスト……デーリング君?だよね?」
「え。ああ、はい!何でしょうか。」
突如、学校長に呼び止められ、ビクッとしてすぐに振り返り、背筋を張り敬礼でもって返事をする。
「ああ、君のお父さんについてなんだが、お父さんの名前はレオポルトだね?」
「!!!」
まさか、ここに来て父の名前を聞くことになるとは。私がびっくりしている様子はあからさまだったのだろう。
イザークは察して、
「やっぱりか!実は彼とは、私たちが士官学校にいた時の親友でね。よく手紙のやり取りもしていたんだ。」
「そうなんですか!?」
彼は父の旧友だったようだ。
しかも手紙のやり取りもしていたときた。
私は、これは何か生前の父についての情報を得られるかもしれない、と直感した。
「ハハハッ。私も驚いたよ。この立場になって長いが、友人の息子とこうして話せるとは。」
「まさか、学校長が父と親友だったとは。父さんはどんな感じだったんですか?」
「そうか。君はあまり知らないのか。そうだな。彼は出身もあって、なかなか最初は馴染めなかったんだろうな。まあそこで、声をかけてやったのが私だ。」
確かに父は、母や私と同じく低地ドイツの出であるので、言語も通じづらく最初は苦労しただろう。
今の政権になってからは民族の統一という名目上、方言というもの全般が嫌煙されがちで、教育などの場面でもほぼ全て標準ドイツ語である。
僕自身も理解できはするが、そこまで使った印象はない。
イザークはなおも続けて、
「話してみると面白いやつだったよ。ユーモアのあるやつだった。それまで皮を被ってたあいつの本性がみるみる顕になっていってな。ちょっとしたイタズラなんかもよくやってた。」
そう言って、イザークは士官学校時代を思い返して、話をしてくれた。
無名の馬の話や生卵の話などなど、多くはイタズラの話ばかりだった。
ちょっとしたというレベルではないような気がしたが、ユーモアがあり、ムードメーカーのような存在だったことは確かであろう。
「父が、そんなこともやってたんですか。」
「当時は若かったし、そんなもんさ。私も一緒になってやんちゃしたこともあったよ。士官学校を出たあともちょくちょく手紙で連絡取り合って、君が生まれたことも手紙から知ってはいたんだ。」
父は手紙にそんなプライベートな事も書いていたのか。父と彼はそれほどまでに仲が良かったということに驚かされる。
そこで、ふと思った。『それほどまでに個人的なことまで手紙に記していたと言うなら父は自身の部隊についてなんらかの記述を残しているのではないか。』と。
「その手紙、見せていただいても?」
「ああ、もちろん。ただ、手紙のついでにと言っちゃあれだが、執務室の整理を手伝ってくれないか?この年になっても片付けは苦手でね。」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
「それじゃ今日の放課後、私の執務室に来てくれ。」
父の手がかりを得られる可能性がある、それを見返りにしての部屋の整理など朝飯前である。
「はい!」
私は、新兵に相応しい元気な返事を返した。大佐はそんな私のキラキラと光る瞳を見て、もう一度微笑んだ。
◇
課業後、イザークの執務室にて、私と彼とで手分けをして部屋の整理に取り掛かる。
書類を両手で抱え棚に戻していると、イザークは、
「お父さんのこと、なぜこうも躍起なんだい?」
「!」
そこで、自分でも不思議なほどに、自分が父のことに対して躍起になっていることに気付かされた。
「……考えたこともなかったです。でも、なんだか呼ばれているような気がするから。」
「なるほどね。ならきっとそれが君のやりたいことなんだろうな。ところでお母さんは元気か?」
「ええ。元気にやってますよ。今は家庭菜園でルバーブとかベリーを育ててるらしいです。」
「ほう。ルバーブといえば、私ルバーブジャム大好きなんだよ。ほれ。」
そう言うと、イザークは部屋の隅にあった統一電気会社VEG製の冷蔵庫からルバーブジャムの瓶をひとつ取り出して、私に見せる。
「そうなんですか。私はあの独特な風味がちょっと……。」
ルバーブジャムといえば、ルバーブ特有の酸味と香りが特徴で、そここそが好き嫌いの分かれるところである。
「その独特の風味こそがいいんじゃないか。体にもいいしね。」
イザークはジャムの瓶の蓋を開け、鼻で香りを楽しみながら答える。
「お母さんも同じこと言ってましたよ。ところで、その冷蔵庫はVEG製ですよね?しかも新しいモデルですか?」
「おお、よく分かったな。我々ゲルマン人の技術の集約って感じがしてカッコいいだろう?」
鉄板にエンボス加工で『VEG』のロゴが浮き出た無骨な感じのデザインだが、カッコよさも兼ね備えたデザインで実にドイツらしい。
いいセンスだ。
VEGはかつてあったいくつかの電機メーカーを統合してつくられた「統一電気会社(Vereinigte Elektricitäts-Gesellschaft)」という党運営の会社だ。
現在では、VEGは今や日本の三井財閥や三菱財閥の傘下企業と肩を並べて世界的なシェアを誇る企業の一つである。
最近では徐々に家電類の需要も増加傾向にあり、私も母親に買ってやりたいものだ。
◇
しばらくしてイザークの執務室はあらかた片付き、ようやく手紙の件に取り掛かる。
冷蔵庫の上に置かれていた弾薬箱の中に父から送られてきた手紙を入れて保存しているそうだ。
少し錆びかかったような金属音を発しながら、その弾薬箱を開ける。
中には、多少黄ばみや金属の錆、泥のような汚れが付着したものも見受けられたが概ね保存状態のよい手紙が山になっていた。
「案外状態は良さそうですね。」
私はイザークと弾薬箱の中を覗きながら言う。
「あ!これだよ。これに君が生まれたことも書いてあったんだ。」
イザークは少し興奮気味の口調でそう言い、一枚の手紙を取り出す。
「お、こっちは結婚の報告だな。今の君のお母さんだよ。戦時下で挙式こそできなかったが幸せだったんだろうな。」
また、イザークはノスタルジーな口調で、唯一封蝋のされた手紙を取り出す。
「っと。こんなこと言ってたら終わらないな。さ、取り掛かろう。」
イザークはそう声を放ったが、私の意識はその山の中に埋もれたある一枚の手紙を見ていた。
それは差出人の所在地が黒塗りされていた手紙だった。
このようなのはよくある検閲されたものなのだろうが、私はどうしてもその手紙から目が離せなかった。
「どうかしたか?」
私はその差出人の所在が黒塗りされた封筒を手に取る。
黒塗りされた部分以外はいたって普通の手紙だ。
父の名前も書かれている。
「それが気になるのか?」
イザークは少し訝しむように問う。
私はゆっくりと頷き、封筒を開く。
その1枚の手紙の内容には、父が謎の死骸(?)を見つけたこと、父は523部隊というところの部隊長補佐として任命されたこと、その部隊は総統閣下の勅命にて設立されたことなどが書かれていた。
ビンゴ、これだ。
523部隊という名称自体は父から実家に送られてきた手紙にも書かれていたが、こっちにはより少し詳しいことが書かれていた。
おそらく宛名も軍関連だったことから検閲をすり抜けたのか、はたまた当時は部隊の所在はともかく、存在自体は検閲対象ではなかったのか、真相は知れないが思いがけない進展だ。
「大佐。ここに書かれてる〝523部隊〟ってどういう部隊なんですか?。」
「523部隊?聞いたことがないな。当時は戦時だったし、勅命のいろんな部署とか部隊とかがあったしなあ。」
大佐でも心当たりない内容らしい。
となれば、少なくとも戦後に検閲対象となったのか、隠蔽されたのか。
まあその辺りだろう。
どうやら私がこれまでに得てきた情報はかなりギリギリのところのようだ。
しかし、問題は何も解決していない。
この〝523部隊〟とは一体何なのか。
「総統閣下の勅命ともあるが、私やまして君なんかがそう簡単にお会いできる方じゃないからな。」
それは、至極当然のことだ。
総統閣下は一国の国家元首であるのに対し、彼はいち大佐であり、私なんかはただの一兵卒でしかないのだ。
「いっそ、シュヴァルツヴァルトで手がかりを探るのはどうですか?」
「お前はバカか。そんなことやったら終わるのはいつになるんだ。」
一概にシュヴァルツヴァルトと言えども、5000km²以上の面積を持つ巨大な森林である。
簡単なことではないし、イザークがそう言うのも無理はない。
当時を生きた彼でさえ知らなかった情報である。
「そう、ですよね。」
「そうだ!ゲルマニアにある国立図書館へは行ったことはあるか?」
ゲルマニア国立図書館か。戦後に設立され、世界首都ゲルマニア(旧ベルリン)に位置する国立図書館である。世界中のあらゆる書籍の所蔵を目指している、らしい。
というのも、おおかた都合の悪い書籍に関しては所蔵はしているが、一般人が閲覧できるようなところには置かれていない。
「ええ、何回か。ユーゲントに入ってたときですかね。」
「ああ、あれか。」
そう、HJ。この小中学生向けの団体では、年に何度かキャンプなどが催されることがあるので何度も参加している。
全体主義のプロパガンダの一環だ。
「でもその時に、あそこの禁書庫に入ったことはないだろう?」
イザークは不敵な笑みを浮かべて言う。
「そんな、まさか!ってまさか!?」
「ああ、そのまさかだよ。私が閲覧許可書を発行してやろう。」
「な!!いやいやいや、大佐の名義でそんな。……いいんですか?」
ここまで来ると流石に尻すぼみしてしまう。しかし、こんなのはまたとない機会だろう。断るわけにもいくまい。
「もちろんさ。そう遠慮することはない。君のお父さんとのよしみだよ。幸いにも8月は一ヶ月まるまる戦勝記念の式典の関係で、我々もゲルマニアにほとんど出払う。しばらく学校も休みだ。このときにでもゲルマニアに訪れてみるといい。外泊に関しては、私から言っておくよ。宿泊先も手配しておこう。」
そう言って、彼の名義の証書をそっと手渡した。
「え!?外泊ですか!?」
「ああ、知り合いに、そのあたりに住んでるやつがいるんだ。気にすることはないよ。」
かくして、私はゲルマニアへ訪問をすることとなった。
えびです。一章ちょっと長めですが拝読ありがとうございます。
「Vereinigte Elektricitäts-Gesellschaft」の読みは「フェアアイニヒテ エレクトリツィテーツ‐ゲゼルシャフト」です。
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