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episode6【Switch on】

 昨晩殺人事件があったというのに、翌朝目覚めたアネリは清々しいくらいの快眠を味わった気分だった。

 気付けばベッドの中にいたし、窓の外からは爽やかな朝陽が差し込んでいる。

 目をこすりながら、顔を窓の反対側に向ければ、


「おはようございます、お嬢様」


 相変わらずにこやかなパーシバルが朝一番の挨拶。

 アネリは「うん」と答えてふかふかのベッドから降りる。

 室内はいつも一定の温度に保たれているはずなのだが、今朝は少しだけ肌寒く感じた。


「お嬢様、昨晩の事件についてトレイシー警部からお話があるそうです。朝食を召し上がってから1階の監視室にお越しいただきたい、と」

「あ、そういえば起こってたわね事件。忘れてた」


 昨日とは一変し、軽くひどいことをつぶやくアネリにすら、パーシバルは微笑ましい眼差しを向ける。

 事件の他にもうひとつ気付くことがあった。


「あら? 今日はいないのね。マドック刑事」


 昨日あんなにすぐ身近で警護したがっていたマドック刑事が、今朝はどこにもいないのだ。

 昨晩座っていた椅子は無人。部屋にいるのは寝起きのアネリと、不眠不休なのにやたら顔色が良いパーシバルだけ。

 ふたりの本心を言ってしまえば、彼がいてもいなくてもどうでもいいのだろうが。

 部屋の入り口に目を向けたのと同時にタイミング良くドアがノックされ、


「ちょ、朝食をお持ちしました」


 時間通りに、食事係らしいメイドの声が聞こえてきた。

 しかし部屋に入ってきたのは、いつも食事を運んでくるメイドではなかった。

 昨晩の彼女よりもずっと若く、ずっと痩せているメイドだ。


「ねえ、今まで運んできた人はどうしたの?」


 当然疑問に思い訊ねると、メイドは背中に大きな金定規でも入れられたようにビシッと直立した。

 アネリよりはいくつか年上なのに、やはり目上の立場の相手に緊張しているらしい。


「は、はいっ。ドリーさん……あ、いつも担当している者が体調を崩してしまいまして。体調が回復するまでの間、わたしがお嬢様のお食事を運ばせていただきます」

「ふうん、そうなの……」


 アネリは納得した。

 昨日の今日だ。心当たりは大いにある。事件のショックのせいか、それともアネリに嫌味を言われて頭に血が昇ったせいか。


 ーーまあどちらでもいいことなのだけど。


「うん、じゃあ、今日からよろしくね。名前を聞いてもいい?」

「は、はいっ。クレメンスと申します。お嬢様…!」


 アネリの言葉は友好的だが、顔は相変わらず無表情だ。

 そういえば前のメイド(どうやらドリーというらしい)を名前で呼んだことなかったな……とまたひどいことを朧げに考えながら、アネリは頭の中で二、三度クレメンスの名前を繰り返した。

 女性にしては珍しい名前なので、覚えるのは簡単だった。

 くるくると頭の中を回転させていると、いそいそと食事の準備を始めたクレメンス。


「?」


 アネリは、やはり食器が自分とパーシバルの分しかないことに気付く。


「ねえ、マドック刑事どこに行ったか知ってる?」

「あ、はい…。あの刑事さんなら1階の、えと、監視室…?に下りて行かれました。昨晩、お嬢様がお部屋に戻られたすぐ後だったと、記憶しています……」


 たどたどしい答えだが、その目で見たのなら間違いはなさそうだ。


「あらら。あんなに“離れるな離れるな”言ってたのにね」

「どうやら私の願いが神様に通じたようでございます」


 こそこそと耳打ちし合うアネリとパーシバル。その辛辣な内容は、離れた場所にいるクレメンスには聞こえない。

 そうこうしている間にクレメンスは食器を並べ終え、配膳車をドア脇に移動させていた。

 やけに仕事が速い。と思ったが、並べ方はやや雑さが目立つ。やはりまだ仕事に慣れていないらしい。

 一方のアネリはまだネグリジェのままだ。


「パーシバル、着替えるから後ろ向いてて」


 アネリが一言命じれば、パーシバルは素直に回れ右をし、おまけにちゃんと両目を瞑る紳士ぶりを発揮した。

 と同時に、アネリは着替えのために、部屋の隅に立ててある仕切り板の裏へ消えていく。


「…………」


 しばらくぼんやりと主人の消えた空間を眺めていたクレメンスだが、突然ハッと目を見開いた。


「お、お嬢様っ! 今お着替えの手伝いを…!」


 メイドなら主人の身の回りの世話をしなくては、と考えたのだろう。

 しかし、そう言って足を踏み出しかけたのも無用の心配に終わる。


「ん? 何か言った?」


 仕切りから再び顔を出した時、アネリはもうグレーのワンピースに着替え終えた後だった。



 ***



「トレイシー警部、おはよう。入ってもいい?」


 自分の別荘の中で入室の許可を待つのはなんだか妙な気分だ。

 グレーのワンピース、いつも通りの綺麗なお下げ髪を揺らして、監視室の前でアネリは返事を待つ。

 ここはもともと使われていなかった空き部屋だ。それこそ、主に2階から上の部屋を多く使うアネリは、1階の隅のこの部屋には滅多に足を踏み入れない。あのがらんとした部屋がどのように模様替えされているのか。少し楽しみでもあった。

 やがてドアが軽い音を立てて開かれた。開けたのは、


「おはようございます、アネリさん」

「!」


 いつの間にかいなくなっていたマドック刑事だ。


「今朝は予告なく警護を離れ、申し訳ありません。警部と監視カメラの映像をチェックしていたもので」


 話に聞いた通りだ。アネリは思った。

 しかし彼も最善のことをしたまでだ。責める気もないし、むしろ警護から外れてくれたほうがこっちとしてもありがたい。


「あら、そうだったの。突然いなくなったから心配したわ」


 社交辞令的に、そういうことにしておく。


「あぁ、そうでしたか……。これは失礼いたしました」


 マドック刑事は言葉の通りを信じたのかそうでないのか、感情をあまり表にしない様子で答えた。さらには、


「こっちが一段落ついたら、また警護の任につかせていただきますので」


 気を利かせたつもりなのか。アネリにとってはまったく嬉しくない申し出だった。

 しかしそう指摘するわけにもいかないので、アネリは愛想笑いを浮かべておいた。


「…………」


 食い違った意味で笑い合うふたりを、パーシバルはただ無言で見つめていた。


 奥に通された時、まず目に入ったのは複数台のモニターと、画面に映る館中のリアルタイムの映像。アネリの部屋や廊下、さらには、昨晩事件のあった厨房も映されている。


「うーむ…。……ん?」


 画面の前に陣取り難しい顔で唸っていたトレイシー警部が、アネリとパーシバルに気付き振り返った。

 一晩中監視していたのだろうか。目の下にはうっすらと隈が浮き出ている。


「おー、お嬢さんよく来てくれたな」

「ええ、おはよう。だいぶ疲れてるみたいだけど?」


 アネリのどこか心配そうな言葉に、トレイシー警部は「あぁ、ちょっとな…」と濁した答えを返す。


「ところでお嬢さん達、昨日亡くなった使用人や事件の詳細については知ってるか?」

「いいえ。あの後すぐに部屋に戻ったもの。……多分」


 そんな気はするが、半分夢見心地だったために絶対とは言えない。


「確かでございますよお嬢様。昨晩は私がお抱きしてお連れしました」


 それをすぐさまパーシバルがフォローした。

 トレイシー警部はなるほどなるほどと無言で頷き、手近な椅子に座るよう促した。

 椅子はふたつ。ひとつはアネリはお行儀よく座ったが、パーシバルはやはりその傍らに立つのだった。

 話をする体制が整うと、トレイシー警部はリモコンで録画していた昨晩の映像を巻き戻す。

 映像内でまだ生きて動いている、昨晩の犠牲者。


「まず亡くなった使用人だが、彼はこの館の料理番のひとりだったようだな。前掛けも付けてる。この映像は昨晩の11時以降。つまり事件が起こる直前だ」


 料理番はまだ生きている。

 この辺りからパーシバルはひとつのことを危惧する。アネリに、直接的な殺害映像を見せることになるのでは……と。


「………」


 だからいつでも彼女の目を覆えるように構えておく。死角になっているため、端から見たら怪しいその様子にアネリが気付くことはない。


「今やってんのは…明日の料理の仕込みか。ガスレンジの前に移動し……、ここだ」

「あ」


 トレイシー警部の合図と同時に、画面が真っ暗闇に変わった。

 映像に問題があるわけではない。どうやらこれは昨晩起こった停電のようだ。

 ただし、それも僅かな時間のこと。再びパッと電気が点いた時には、


「っ!」


 料理番の死体が完成していた。

 画質は悪いが頭に矢が刺さっていることは分かる。

 アネリは息を呑んだ。


「まあ……。こんな一瞬だったのね」


 しかしそれほど怖がってはいないようだ。むしろこんなに的確な即死を初めて見たことによる、感動に似たものを覚えていた。パーシバルが目を覆うまでもないようだ。

 映像の料理番が倒れた拍子に、彼の伸ばした手が、台に積まれていた陶器の皿の数枚に引っ掛かる。皿は床に落ち、粉々に割れた。

 これが昨晩のガシャンという音の正体のようだ。


「そんでこの直後に厨房に入ってきたメイドが発見し、悲鳴を上げる」


 画面の端に見切れているメイドが、死体を見て大袈裟なほど取り乱しているのが見て取れる。

 メイドの悲鳴を皮切りに続々と他の使用人達が集まっていき、あっという間に昨日の野次馬の群れが完成した。


「使用人達を散らした後に現場を調べたんだがな。料理番を殺した凶器は、低い位置に、食材の山に紛れ込ませて設置されてた。自動式のボウガンだ。そのスイッチはレンジのツマミ。捻った瞬間に発射される仕組みだ。つまり鍋に火を着けて火力を確認しようとしゃがんだら、その頭を矢が貫くって段取りになってたようだぜ」


 厨房のレンジなんてアネリが触るわけがない。どうやらこれは使用人を無差別に殺すための仕掛けらしい。

 おまけにご丁寧に凶器を隠して、スイッチを押した人間が自動的に死ぬように細工されているとは。


「犯人は相当ひねくれてるわね」


 軽い調子で率直な感想を述べる。

 が、その表情はいつもと違い、うっすら怒りの色が滲んでいる。

 扉の脇に控えるマドック刑事も、画面を憎々しい顔で見つめている。

 と、ここで、トレイシー警部は言いにくそうに言葉を詰まらせ始めた。


「……で、なあ。そのボウガンを調べてみたところ、…。あー、うん…。リトル・レッド社の製品だったんだよな」

「えっ?」


 これにはアネリも、椅子から腰を浮かせるほど動揺した。

 パーシバルがすかさずアネリの体を支えるが、彼の表情も驚きを隠せないでいる。


「ますます妙だろ…? 殺人予告を出すほど恨んでる会社の武器を使うなんて。これはオレの勘だが、もしかしたら犯人はリトル・レッド社の武器によって親しい者を亡くした奴で、復讐の意味で同じ武器を用いているんじゃないか……と思うわけだ」

「…………」


 アネリは下を向き、唇を強く引き結ぶ。

 ショックを受けているのだろうか。自分の大好きな父親の製品が、復讐に使われることに。


「………今日は、2日目…」

「…お嬢さん…?」


 と思えば、案外すんなりと顔を上げた。思わずホッとするトレイシー警部。


「…ッ!!」


 ……が、アネリの顔を見た瞬間、トレイシー警部は言いようのない恐怖を覚えた。

 アネリが、今まで見せたことのないくらい、怒りに包まれた冷たい表情をしていたのだ。

 つっけんどん、なんていう生温いものじゃない。肉食動物のように吊り上げられた目は、気を抜いたら敵味方関係なく飛び掛かりそうな危うさを秘めている。


「……最初の殺人が終わって、残るはあと4日。これだけ復讐心の強い犯人が、罠だけで殺害を済ませるわけない。必ず姿を見せるはずだわ。………ねえ? パーシバル?」


 アネリの目が、傍らの従者に向けられる。

 口調は穏やか。だが、殺気は少しも和らげていないため、主人のそんな目に真っ向から睨まれたパーシバルは…、


「はい、お嬢様……。貴女様の望むままを、私に叶えさせてくださいませ……」


 陶酔しきった幸せそのものの表情で、アネリに願う。

 明らかに異常なふたり。今まで多くの異常犯罪者を見てきたトレイシー警部ですら、スイッチの入った彼らを見慣れることはできない。いつ見ても、不気味だ。


 だが、不気味と同時に、


「…へへっ、おっかねぇなあ、おふたりさん…」


 頭の奥が小さく痺れる。

 不気味さと同時に、彼らには言葉では言い表せない、複雑怪奇な魅力が備わっているらしい。

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