episode4【Royal & Loyal】
アネリが入浴を済ませ、夕食時になっても犯人は何も行動を起こさなかった。
監視カメラにも怪しげな人物は映らず、罠らしき痕跡も、もちろん死者も出ていない。これでは命を狙われている自分達より、ただ立たされているだけの警官隊のほうが不憫だ。
そう考えた使用人達は、こぞって警官達に夕食を差し入れるのだった。
もちろん、部屋に隔離されているアネリにも。
「お食事をお持ちしました」
部屋の外からメイドの声がかかった。丁寧で落ち着いているが、バネッサではないようだ。
マドック刑事がドアを開けると、そこには3人分の食事を運んできた中年のメイドの姿。
怪しげなものを隠し持っていないことをさりげなく確認すると、マドック刑事はメイドを室内に招き入れた。
「アネリさん、パーシバルさん。食事にしましょう。長丁場になるかもしれません」
マドック刑事が声をかけた時、アネリは机に向かって本を読み、パーシバルは彼女の斜め後ろに黙って控えていた。
「……………」
アネリは栞を挟むことなく本を閉じると、メイドがテーブルに食器を並べる様子を横目で見て、
「呆れた。警察の人が傍にいると、やっと時間通りにご飯を運ぶのねあなたは」
突然、そう悪態をついた。
「…………っ」
メイドの動きが一瞬止まり、
「……あ、アネリさん?」
マドック刑事は聞き間違いかと自分の耳を疑った。
当然メイドは気分が良いわけもない。だが仕事優先だ。聞き流し、食事の準備を続けた。
しかしアネリはそれに必要以上の追い打ちをかける。
「あたしの近くに来て奇襲の巻き添えになるのはごめんなんでしょ? ほら、早く逃げなさいな。もし爆弾でも投げ込まれたら、刑事さんもあなたを庇い切れないわよ」
マドック刑事はアネリの、警察と使用人への態度の差を初めて目の当たりにした。
普通なら逆であるべきじゃないのか? 国や法律に従順な警察よりも、自分に仕えてくれる使用人を信頼するべきでは?
しかし目の前の少女は、毎日顔を合わせているはずの使用人に、明らかな敵意を見せている。それも、得体の知れないパーシバルに対してではなく、全く害のなさそうなメイドに対して。
「………ッ、失礼、いたします……っ!」
メイドは我慢の限界だった。
食器や食事の皿をやや乱暴にテーブルに並べると、配膳車を押してただちに部屋を出て行ってしまった。会釈のひとつもなく。まるで、冷たい嵐のようだった。
メイドを唖然と見送るマドック刑事をそのままに、
「お嬢様、念のため私が毒味をいたしましょう」
「ええ、お願いねパーシバル」
ふたりは何事もなかったかのように食事を始めたのだった。
マドック刑事はやっとドアから視線を離し、見慣れた笑顔のアネリに対して問う。
「アネリさん、なぜ使用人の方にあんなことを? 彼女は忠誠心を以て、貴女に仕えているのでは?」
「そんなわけない」
アネリは予想以上に冷たく、素っ気なく答えた。
「彼らが仕えてるのはあたしじゃなくパパ。正確には、パパのお金。だから命を懸けたりしない。危険を犯さない。リスクも負わない。さっきの彼女に至っては……小さい頃、食事の時間に襲撃されたあたしを助けるどころか、気付かないふりして危険が去るまで廊下で待ってたわ」
どれだけ恐ろしかったか。どれだけ助けを求めたか。
幼かった自分を傍観した瞬間に、彼らが唱える忠誠とは上っ面ばかりの綺麗事だと思い知らされたのだ。
「あたしが危ない目に遭った時、助けてくれるのはパーシバルだけ。だからパーシバルは信用してるの。ちっちゃい頃からずーっとね」
そう補足して、傍らのパーシバルにニコリと微笑みかければ、
「私には勿体ないお言葉でございます」
パーシバルもまた幸せそうに微笑むのだった。
用意された料理はどれも見栄え良く、高級レストランに出されてもおかしくないほどの雰囲気を放っている。
さっきのメイドは確かにアネリを嫌っている様子だったが、業務はきちんとこなすらしい。料理にはおかしな細工は見られなかった。
先にパーシバルがすべての皿の料理を毒味して、
「問題ありません。どうぞお召し上がりくださいませ」
「うん、ご苦労さま」
その結果を聞いたアネリはお行儀よく、食事を始めた。
「マドック刑事もどうぞ」
「あ、え、ええ……」
許しを得たマドック刑事は、アネリの向かいに座り、よく磨かれて銀色に輝くナイフとフォークを握る。
だが食欲は湧かなかった。自分が置かれている状況のせいもある。が、何より気になるのは目の前のふたりのこと。
「……? 貴方は食べないんですか?」
マドック刑事は、パーシバルがアネリの後ろに立つだけでテーブルに着こうとしていないことに気が付いた。
思わず訊ねると、パーシバルは至極当然のことのように答える。
「私達使用人は、主人が食事を済まされた後で食事を摂るのが決まりなのです。当たり前のことでございましょう」
まるで飼い犬だ。それを聞いた100人中100人がそう感じることだろう。
会話が途切れた時に訪れる、よく分からない気まずさから逃れるために料理に手を付けようとするのだが……やはり食欲は湧かない。
対面のアネリをチラッと見る。
「…………」
彼女は、文字通り黙々と食事を続けていた。美味しいとも、不味いとも取れない表情で、ただ料理を減らしていくのだ。
自分より一回り以上も年下の少女に話題を出させることほど情けないことはない。ちょうど自分は食事する気はないのだから、この際彼女のことをいろいろ訊ねてみよう。マドック刑事はナイフとフォークを元の位置に戻した。
「アネリさん、いくつかお訊ねしても構いませんか?」
「ええ、どうぞ」
「パーシバルさんのように心から信頼できる使用人は、他にはいないのですか?」
それを言い切った時、マドック刑事はピリッとしたきつい視線を感じた。
その視線を発しているのは、やっぱりと言うべきか。パーシバルだった。何か言いたそうに口を開けては、躊躇って閉じたり。それをアネリが遮った。
「さっきも言ったけど、あたしが信頼できるのはパーシバルただひとり。他の使用人達はパパの財力に虫のように引き寄せられてやって来た薄っぺらな人ばかり。パーシバルは違う。だから信頼してるの。それが答えよ」
アネリの「満足いく解答だった?」の問いに対し、マドック刑事は「はい」と短い返事をし、さらに次の質問へ繋げる。
「パーシバルさん、貴方はなぜそこまでアネリさんを庇護するんですか? 異常なほど……。従者だから、護衛だからという理由を差し引いても、私には理解できません。ウォーロック氏の命令だからですか? なぜこんな…………」
半分無意識に口を動かしていたマドック刑事はハッとして、慌てて口を押さえる。
“なぜこんな子どもの言いなりになれるのですか?”
それを言葉にした途端、激昂し襲い掛かるパーシバルの姿が容易に想像できたのだ。
口を押さえたマドック刑事の心配を他所に、意外にもパーシバルは落ち着きを取り戻していた。
「確かに。お嬢様をお護りすることは旦那様からのご命令です。……少なくとも、初めの頃は」
「?」
後付けされた言葉の意味がよく分からない。首を傾げ、目で「どういうことだ?」と訴えるのだが、
「いえ、私の話はまたの機会にいたしましょう。お嬢様、お食事の妨げをして申し訳ございませんでした」
パーシバルはあっさりと身を引いてしまった。
消化不良なマドック刑事はなんとか話の続きを聞こうとするが、アネリが少し食器の音を立てて食事を再開してしまったため、大人しく自分も料理に手を付けるしかなくなった。
『初めの頃は』
ーー何なのだろう。あの言葉の意味は……?
***
時計は午後11時56分を指す。
入浴も済ませ、食事も済ませ、いよいよベッドに潜り寝るだけとなったのだが、襲撃どころかその予兆すらもない。
アネリの推測が外れたのか。犯人がまだ機会を伺っているのか。それとも……初めから別荘を襲う気なんてない、愉快犯か。
マドック刑事は部屋の隅の椅子に腰掛け、頭を抱えてじっとしていた。まるで思い悩むように。そして肝心のアネリはというと、
「お嬢様、ご就寝中は私がしっかり警護いたします。どうぞお休みくださいませ」
「うん。おやすみ、パーシバル」
パーシバルに促され、大人しくベッドの中へ。ちなみに身につけているのは控えめにフリルがあしらわれた、真っ白なネグリジェだ。
部屋に部外者がいるにも関わらず、寝る時も彼女は無防備らしい。それほど傍らの護衛を信用しているのだろう。
パーシバルは思わず、ネグリジェ姿のお嬢様をうっとりと見つめた。毎晩着ているはずなのに、彼にしてみれば何度見てもまったく見飽きないらしい。
彼が他の使用人達よりはずっとアネリを大切に思っていることは一目瞭然。これまでの接し方を見ても間違いはない。そしてアネリも、それを喜んで受け入れている。他の使用人すべてを敵に回すほど。
だから、警察の中にはこう疑う者が多いのだ。今回の事件がもし予告通りに実行されるとするなら、この館内で最もアネリに近い人物は………
その時だった。
ブツンッ
室内にいた3人は、何かが切れる音を聞き取る。
そして、それとほぼ同時に、
「!?」
照明が消えた。
天井から吊された小さなシャンデリアも、卓上ライトも、さらには停電時用の緊急灯も。
相手の顔がまったく見えない暗闇。それは、誰も予期しなかった停電だった。
異常事態の中、反射的に動いたのはパーシバルだ。
「お嬢様、失礼いたします」
アネリの上に覆いかぶさり、外部からの攻撃に備える。暗闇で様子が伺えないが、体の大きなパーシバルによって、小さなアネリは完全に隠されることに。
その直後に、
「パーシバルさん! アネリさんの身を護ってください!」
一拍遅れて状況を飲み込んだマドック刑事が叫んだ。パーシバルは冷静に答える。
「こちらは問題ありません。マドック刑事もご自身の安全を……」
言いかけた台詞を、また別の音が遮ることになる。
ガシャーンッ
「っ、何の音?」
ここではない別の部屋から聞こえたのは、陶器が割れるような音。
小さく驚きの声を上げたアネリを、パーシバルが優しく抱きしめる。“怖がらないで”。そう言うように。
何かが割れる音以外は不気味なくらいに、しんと静まり返る館内。その間、当然皆は不安感に包まれていたが、
「あ……」
やがて予備電源に切り替わったためにぽつりぽつりと点く灯りによって、徐々に不安も引いていく。
と言っても、奇妙な音の蟠りはまだ心に残ったままだが。
パーシバルの肩越しに、アネリは部屋の照明が復旧していく様子を見た。明かりによって照らされた室内も見回してはみるものの、さっきまでの緊迫感が嘘のように、部屋はまったく変化がない。妙な物音がしなかったため、ここで何も起こっていないことは分かっていたが。
「ふう………」
無意識に安堵の溜め息をもらすアネリ。
「な、なんだ今のは。ただの停電か……?」
椅子から扉の前へ移動していたマドック刑事がつぶやく。その手にはしっかりと拳銃が握られている。不審者対策のためだ。
パーシバルも照明を見上げて、危険は無いと判断。速やかにアネリの上から退き、非礼を詫びる意味で彼女に深々と頭を下げる。
「変ね。停電なんて有り得ないはずよ。ここはすべての電力を自家発電で補ってるもの。停電が起こるとすれば発電装置を誰かが止めるしかないと思うけど……」
マドック刑事のつぶやきに対しては、ベッドから起き上がりながらアネリ自らが答えた。少し乱れたネグリジェをパーシバルが率先して直している。
「……なるほど。誰かが故意に止めた可能性があるわけですね」
マドック刑事は拳銃を懐にしまい、状況確認のためにほんの少し扉を開けた。廊下に異常は見られない。ほっ、とひとまずの安堵。
「しかし緊急用発電がこれほど早く作動するとは犯人も思わなかったでしょうね。大丈夫です。あの短時間ですから、犠牲者も恐らくは出ていま………」
「きゃああああぁぁぁッ!!!」
「ッ!?」
別の部屋から、突然女の悲鳴が聞こえてきたのだ。
まさか、と息を飲むマドック刑事。そしてその直後、彼のすぐ脇を人がふたりほど素早く駆け抜けた。
「ちょっと!!」
それが誰かなんて姿を見なくても分かる。
「場所は恐らく一階の厨房でございます」
「ええ、急いでパーシバル」
ネグリジェ姿のままのアネリと、彼女を腕に抱きかかえるパーシバルだ。
命を狙われる可能性のあるふたりが同時に出てどうする。マドック刑事は引き留めようとしたが、
「くっ………私から離れないでくださいね!!」
まずは現状把握だ。マドック刑事もふたりに続き、悲鳴が聞こえた厨房へ急いだ。
それに同調するように、廊下の柱時計はちょうど零時の鐘を不気味に響かせるのだった。