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episode3【Love letters】

 休暇2日目。

 また浴槽に毒が仕込まれるる危険を考慮し、念のためこの日の朝の入浴は控えることにした。

 起床したアネリはテキパキと身なりを整える。今日の服はストライプの洒落たワンピースで、髪型はやはり三つ編み。

 しかし、アネリが自分で編むと予想以上に雑になってしまう。


「パ」


 諦めてパーシバルを呼ぼうと口を開きかけるが、


「……あ、そっか。手当てしてるんだったわ」


 怪我の治療のため彼は、別荘内に備え付けてある医務室にいる。

 救急車で搬送され入院しても何らおかしくない傷なのに、彼にとっては小さな擦り傷と同じ扱いらしい。たった一晩医務室にこもるだけで回復してしまうのだ。

 特にする用事もないので、アネリは髪を下ろしたまま医務室へ向かうことにした。

 毎日の三つ編みで癖がついたウェーブが、彼女の小さな歩幅に合わせてゆらゆら揺れる。丈の長いワンピースもよく似合っており、その姿は仮に一国のお姫様と言われてもまったく違和感がない。

 途中、すれ違った数人の使用人は、いつもと雰囲気の違うアネリを珍しそうに見つめた。お節介な使用人のひとりが「お結いしましょうか?」と訊ねるが、アネリはツンと鼻先を使用人とは反対のほうに向けてしまう。

 いくら見てくれが可憐になっても中身は相変わらずだ……と使用人は呆れるのだが、もちろんそれを口にする勇気はない。


 こん、こん、こん


 他の部屋より質素なドアの前で、軽いノックを3回。するとすぐに中から「どうぞ」と許しが出た。


「おはよう。パーシバル治った?」


 ひょっこり顔を出したアネリの先には、


「お嬢様! 申し訳ございません、お支度のお世話に向かえず……。ああでも、髪を下ろされたお嬢様も可憐でございます……!」


 昨日と比べて随分と顔色の良いパーシバルが、丸椅子に姿勢良く腰掛けていた。


「やれやれ。治療は済んだが、あまり無理してはいかんよ。こうしょっちゅう手術続きではわしの身ももたん」


 パーシバルの前に座る、白衣姿に白髪頭の老年医者は、オドワイヤー医師。ウォーロック家専属のドクターだ。


「お疲れ様、オドワイヤー。心配いらないわよ。しばらくは別荘の中だけで過ごすつもりだから」


 医務室の戸棚にずらりと並べられた薬品を見回していた目を、老年医師のほうに向けるアネリ。

 彼はあまり代わり映えしないが、髪の生え際が最近さらに後退してきたようだ。医者として腕も良く、長年ウォーロック家に仕え厚い信頼もあるオドワイヤー。他の使用人達より信頼はしているが、アネリはあまりオドワイヤーが好きではなかった。ハッキリと言ってしまえば、苦手な部類だ。


「だとよろしいんですがねぇ。勇敢だが人として未熟なお嬢様はいつまた問題を引き起こすやら。じゃじゃ馬の一言じゃ片付けられん。旦那様も手を焼くわけだ。ハッハ……」


 どこか小馬鹿にしたように笑いながら髭を撫でる。屋敷内最高齢である彼は、アネリに対する手厳しさも最上位なのだ。

 もちろんそんな軽口を聞いて、パーシバルが黙っているわけもない。


 バンッ!


 治療が済んだばかりの腕を荒々しく机に叩きつけ、唸るようにオドワイヤーを脅す。


「問題を起こすのはお嬢様ではなく、復讐に目を眩ませぞろぞろとやって来る馬鹿な蟻どもです。これ以上ふざけた主観でお嬢様を(おとし)めないでいただきたい。オドワイヤー先生」


 今にも飛び掛かりそうな剣幕だ。


「…………」


 そんなパーシバルに少しも狼狽えることなく、オドワイヤーは手元のカルテに目を落とし、書き物を始めてしまった。


「落ち着いて。オドワイヤーがふざけてて減らず口なのはいつものことよ」


 見かねて口を挟んだアネリに対して、


「ハッハ、お嬢様はわしをよく分かっておられる」


 オドワイヤーは顔を綻ばせながらまた減らず口をたたくのだった。


「パーシバル、怪我はどう?」

「はいお嬢様。お優しいお心遣いに感謝いたします……」


 パーシバルの恭しい前置きもいつものことだ。


「治療のおかげでもう問題ございません。本日からまたお嬢様の護衛(ガード)としてのお役目を務めさせていただきます」


 そう答えるパーシバルの顔は、なんだかいつも以上に明るく見える。本当に一晩で全快したらしい。

 アネリとしては、不本意だがこういった場面ではオドワイヤーの手腕を称賛するべきだろう。相変わらずのツンとした顔のまま、


「オドワイヤー、ありがとう」


 アネリは心から素直にお礼を告げた。


「では先生、私は戻ります。お手間を取らせて申し訳ありません。お世話になりました」


 至極丁寧な口調だが、顔からは「二度と来るか、耄碌(もうろく)ジジイ」といいたげな雰囲気が滲み出ている。

 それに気づいたのは顔を向けられていたオドワイヤーだけだが、彼もパーシバルに慣れきった人間のひとりだということを忘れてはいけない。


「お嬢様、次そいつが傷ひとつでも作ったら直ぐさま診せにくるよう命じてくださいよ」


「っ!!!」

「ええ、分かったわ」


 オドワイヤーの余計な一言のせいで新しい傷を作らないよう細心の注意を払わざるを得なくなってしまった。パーシバルにとってはいい迷惑であろう。

 だがアネリにしてみれば、図らずもトレイシー警部の希望通りに、パーシバルが無茶な怪我をしないようになって好都合でもある。

 そんな調子で今日1日が何事もなく終わってくれればいいのだが。


「お嬢様、髪をお結いしましょう」


 ふたりきりで廊下を歩いている時、パーシバルが笑顔でそう言った。

 お節介な使用人に同じことを言われた時は冷たく拒否したアネリだが、


「うん、お願いね」


 パーシバルに対しては、子どもらしく素直にお願いするのだった。



 ***



 平和な休暇を乱すのは、何も悪漢ばかりではない。それをアネリは痛感することになる。

 発端は朝一番の訪問者の存在だった。


《アネリお嬢様、トレイシー警部と部下の方がお見えですわ》


 各部屋に備え付けられた室内無線から、淡々としたバネッサの声が聞こえてきた。

 アネリはオドワイヤーへの「別荘の中だけで過ごす」の言葉通り、大人しく室内で勉強でもして暇を潰している最中だ。

 しかし予想外のお客様の訪問を聞かされては招き入れないわけにはいかない。


「お通しして。今下りるから」


 そう答えるアネリの顔は、新しいおもちゃを見つけたように生き生きとしていたが。


 パーシバルを連れ玄関に向かうと、そこにはトレイシー警部とマドック刑事の姿があった。

 マドック刑事は凛と立って待っているが、トレイシー警部はどこか落ち着きなく屋敷内を見回している。ここは別荘とはいえ豪邸だ。出入りする機会の少ない彼にとっては珍しいのだろう。

 そして見回していた視界の端にアネリの姿を捉えると、


「あぁお嬢さん、悪いね朝から」


 すぐによそ見をやめ、いつもの調子で話し掛けてきた。


「いいえ、ようこそ。今日は何か?」

「いや実は……少し込み入った事情なんだ。どこかで静かに話せないもんかね?」


 トレイシー警部は渋い顔をしている。

 その表情から察するに、できるならアネリには知らせたくない事情のようだ。

 危険性を孕む話。そう察したからこそ、


「じゃあ応接間へどうぞ。パーシバルも一緒でいいのよね?」


 アネリは目だけでパーシバルに細心の注意を払うよう命じた。


「私はお嬢様の傍を離れるわけにはまいりませんので、同席をお許しくださいませ」


 また無数の傷を作るかもしれないが、パーシバルにとっては本望だった。



 ***



 応接間にて皆で紅茶を楽しむ……などという状況にはなりそうもなかった。トレイシー警部がいつになく緊張な面持ちを見せたためだ。


「お嬢様、お砂糖とミルクはお入れになりますか?」


 しかしそれに構わず、パーシバルだけはかいがいしくアネリの世話をする。

 可愛らしい薔薇のティーカップはアネリ用。それに注がれる紅茶もアネリお気に入りの葉だ。


「ううん、あたしはいらない」


 しかし今の状況的にアネリは自重することを選んだ。

 本当は砂糖もミルクもたっぷり入れたいが、真面目な話の手前、自分だけ楽しむわけにもいかないと考えたのだ。

 アネリの予想通り、トレイシー警部は唇を開き、重い口調で語り始めた。


「実は早朝、警察本部のほうに予告状と見られる手紙とメッセージテープが送られてきたんだ。手紙の内容はこう。“ウォーロック家に関わる罪深い人間達に粛正(しゅくせい)という手段を講じる。期間は5日間。1日1名、館内で死者が出るだろう。これこそが粛正なり。なお、ウォーロック家に仕える者は館から1歩も出てはならない。もし忠告を破り、逃げ出す者が現れた時、私はその者を粛正の対象から外さねばならなくなる。それでは哀れなひと、良い夢を”……」


 そしてテープには、異国の言語でメッセージが吹き込まれていたという。

 意味は……“おやすみなさい、最愛のひと”。

 テーブルの上に手紙のコピーと、ダビングしたテープが置かれる。


「妙だろ、お嬢さん」

「……………」


 これまで一度も、殺害予告が()されたことはなかった。

 手紙の内容を見る限りではこれまでと同じ復讐目的だ。恨みがあるなら最も効率的な方法は、暗殺もしくは奇襲。わざわざ予告を出すなんて考えにくいことだった。

 おまけに、“粛正”とは…?

 そしてさらに奇妙なのが、テープに吹き込まれたメッセージ。

 “おやすみなさい、最愛のひと”。


 ーーこれは誰に向けたメッセージなのかしら……。


「犯人は犯行開始の日付を記していません。従って、犯人の示す“5日間”が過ぎるまでの間、ウォーロック氏の別荘に警察の厳重警備を付けさせていただきます」


 話の主要を告げたのはマドック刑事だった。今日もきちんと身なりを整えているのが好印象だ。

 それにトレイシー警部が申し訳なさそうに補足する。


「それだけじゃなく、“もし忠告を破り、逃げ出す者が現れたら、私はその者を粛正の対象から外さねばならなくなる”の部分だが、犯人が対象から外した人間に何をするかなんて見当もつかない。念のため、使用人達は誰も館から出さないほうがいいと思うんだ。いいな? お嬢さん」

「そうね……。手紙には“ウォーロック家に関わる人間”ってあるから、狙われるのはあたしだけじゃないみたいだし。うん、お願いするわ。使用人達を護ってあげて」


 上っ面の忠誠心だけで信用ならない使用人達だが、彼らはウォーロック家になくてはならない存在だ。

 今回ばかりはアネリは拒否せず、むしろ快く受け入れた。

 ただし、


「でも、あたしに警備はいらないわ。パーシバルがいれば充分だから」


「はあ!?」

「!?」


 トレイシー警部とマドック刑事がまったく同じタイミングと同じ表情で驚いた。

 当然だ。狙われる可能性が一番高いのはアネリなのに、当人の警備が手薄になるなんて本末転倒。

 しかしアネリも、そしてパーシバルも本当にそれで充分という顔をしている。


「私のお役目の多くはお嬢様への奇襲を防ぐこと。予告されているならむしろ好都合です。たった5日間、一睡もせずにいればいいのですから」


 彼らの感覚は規格外もいいところだ。


「一睡も……って、大袈裟な奴だなあんたは。……まぁいい。お嬢さん達がいくら要らんと言っても、オレ達も仕事を疎かにはできないんでな。せめて部屋の外だけでも警備を付けさせてもらうぜ」

「け、警部! 要人の警護を手薄にするなど! もし何か問題があったら……」


 マドック刑事が焦るのも無理はない。

 しかしトレイシー警部は「何も言うな」といいたげに手を翳し、


「お前はここに配属されてからまだ日も浅い。この人達にはこの人達なりのやり方があるんだよ」


 半ば諦めたようにそう補足した。


「じゃあこれから人員を増やすから、お嬢さんは悪いが部屋で待機しててくれ。おいマドック、電話」

「……はい警部」


 まだ釈然としないマドック刑事に指示を出すと、彼は渋々ながら部屋の外へ。

 バタン、とドアが閉められたのを確認すると、


「んー良い匂いだな。あ、オレは角砂糖を3個入れてくれや」


 トレイシー警部は急に嬉しそうに紅茶を楽しみ始めた。

 あんなに張り詰めていた緊張感が一瞬で消え去り、アネリは思わずガクリと椅子から落ちそうになる。が、すかさず支えてくれたパーシバルによってなんとかずり落ちるのは回避できた。

 パーシバルの手によって、とぽん、とぽんと角砂糖がティーカップに落とされる。トレイシー警部は見た目によらず甘党のようだ。


「…………ぷはぁ」


 甘い紅茶を一口飲み、幸せそうな溜め息を漏らすトレイシー警部。そんな様子を、アネリが不思議そうに眺めていると、警部は視線に気付きニッと笑った。


「妙な空気にしちまって悪かったな。マドックのためなんだ」


 マドック刑事は未だ外で通話中。いつものボリュームの声で話しても、彼に聞こえはしないだろう。


「あいつは犯罪を何より憎む。いつも真摯に冷静に対処し、どんな凄惨な現場にも向き合ってる。刑事の鏡だ。だからオレみたいに現場でおちゃらけてる奴を許せない。今回はあいつにとっちゃ初の要人警護であり、重大事件。お嬢さん達にとっちゃ犯人なんざ取るに足らないことだろうとは思うが、あいつは自分の命を懸けてあんたらを護りたいと思ってんだ。……だから、まぁ……」


 そこまで聞けば、言いたいことはおのずと分かる。アネリは少し口元を緩めて言った。


「自分の身を大事にしろって言いたいのね。マドック刑事のためにも」

「ああ。使用人達は警察が全力で護る。もちろん、お嬢さん達もな」


 トレイシー警部の頼もしい笑顔が、アネリの心に深く刻み込まれる。


「そこまで言われたら、お言葉に甘えないわけにはいかないわね。ねっ、パーシバル」

「お嬢様への危険が減ることが最善でございます」

「そうか。助かるぜ、ありがとうな」

「護ってくれる側がお礼なんて変なの」


 アネリ達の交渉が済んだところで、ちょうど電話を終えたマドック刑事が戻ってきた。顔はまだ少し不服そうだ。


「おい、マドック。やっぱ、お嬢さんの警護を堅めることになった。お前も加わって、お嬢さんを護ってやれ」

「え!?」


 マドック刑事の顔が驚き一色に変わる。すぐにアネリと目を合わせ、事の状況を飲み込むと、


「はっ! お任せください!」


 刑事の鏡と呼ぶに相応しい、美しい敬礼を見せてくれた。



 ***



「犯人は期間を5日間と宣言したけど、あたしは、今日1日は何も行動は起こさないと思う。少なくとも日中は」

「なぜそう思われるのです、お嬢様?」


 パーシバルが訊ねながら、チェスの駒をひとつ進める。


「テープのメッセージにあったじゃない? “おやすみなさい、最愛のひと”。……あれって、これから自分が殺す人に対しての追悼じゃないかしら? もう永久に目を覚まさないわけだから“おやすみなさい”」


 アネリが白駒を進める。戦況は今のところアネリが優勢だ。


「犯人は手紙の最後に“それでは哀れなひと、良い夢を”って書いてた。どっちも夜を連想させるわ。……時間を指定しなかったのは、ここでさりげなく夜を示していたから。暗殺を始めるならあたし達が寝静まる頃だと思う」


 パーシバルを見上げると、彼は顎に指を添えて長考していた。

 部屋で待機するよう指示されたために、アネリとパーシバルは四六時中共同で過ごさなくてはならなくなった。扉のすぐ外には数名の警護。トイレと入浴以外では部屋を出てはいけないため、ふたりは暇つぶしにチェスに興じている。


「…………」


 さっきまでサクサクと駒を進めていたパーシバルらしくない。どうやらこの長考はチェスではなく、アネリの発言に対してのようだ。


「確かにそう受け取ることもできます。……ですが相手は正体不明の復讐鬼。いたずらに言葉を並べ立てただけかもしれません」


 パーシバルが駒を進める。だが言葉のおまけのような一手だ。


「犯人の言葉を鵜呑みにするわけじゃないけど、相手は奇襲をかけたりしないできちんと手紙まで送ってきたのよ。時間を守るくらいの礼儀は心得てるんじゃない?」


 それにすぐアネリが返す。ことん、と軽やかに盤が鳴った。


「素人のあたし達がいくら考えても無駄だとは分かってるけどね」

「とんでもない。お嬢様なりに犯人像を推理なさる心意気。素晴らしいことでございます」

「ありがと、報われるわ」

「あぁ、お嬢様………っ」


 いつの間にか意味深な空間を作り始めた2人。もはやチェスを続ける気なんて無くなっていた。

 パーシバルは、アネリの屈託のない瞳をしっかり見つめて心に誓う。


 ――ご安心くださいませ、お嬢様…。


 ――信頼を寄せてくださる貴女様のために、期待以上の働きをしてみせましょう……。


「何をいつまでも考え込んでいるんですか。こんなの、次はC-3で決まりでしょうが」


 突然ふたりの間に手が伸び、パーシバルの駒を勝手にC-3へ進めた。

 アネリも、そしてパーシバルもギョッとして手の主の顔を見る。


「……チェスお得意なのね、マドック刑事」


 アネリが何とか搾り出した言葉に、マドック刑事はすかさず敬礼で返した。


「いついかなる時でも集中と鍛練を怠らない。それが警官のあるべき姿です。おふたりも、命を狙われているということをお忘れなきよう。それにはチェスひとつであろうと集中を切らしてはいけません」


 正義のスーパーヒーローでもあるまいし。

 そう思ったが口には出さず、アネリは余計な考えを振り払うために駒の動きを少し変わった手に切り替える。

 勝負の横槍を入れられたせいでパーシバルは小さな苛立ちを感じた。


「ご忠告感謝いたします。ですがそう気を張られなくとも、お嬢様は私が責任をもって護りますので。どうぞお気を楽に……」


 早い話が“黙って見てろ”。

 しかしマドック刑事はよほど正義感の強い人間らしい。


「アネリさんの推測も一理あります。

犯人が行動を起こすとしたら夜。ですがそれは裏返せば、今は襲撃のための準備をしているということ。準備を要するということは、狙撃などの簡単に済む殺害方法ではなく、もっと手の込んだ……」


 ひとりで推理を始めたマドック刑事。

 集中するのは大事だが、事が起こる前からそう神経を擦り減らすのは正しいこととは言えない。

 何よりアネリとパーシバルは、このワーカホリック気味な刑事にまだ馴染めていないため、それが小さなストレスを生んでいた。


「ねえマドック刑事、トレイシー警部はどこ?」


 部下を警護に付けたまま姿を眩ませたトレイシー警部。その行方がずっと気になっていたのはアネリだけでなくパーシバルも同じこと。


「……全く。早くこの素人を連れ帰っていただきたいものです」

「パーシバル、聞こえるわよ」


 マドック刑事は携帯電話の着信を確認しながら答える。


「警部は別室で監視中です。別荘中に監視カメラを設置したので」

「カメラって、この部屋にも?」

「ええ、3台ほど」


 当然のことのように答えられた。

 一言くらい前もって知らせてほしかった……という不満もあるが、警察の強行手段は今に始まったことではないため、深く考えないようにする。


「でもまあ、これが後々役に立つかもしれないものね。……んしょっと」


 アネリはチェスを一時中断し、席を立った。それに従ってパーシバルも立ち上がる。


「おふたりとも、どちらへ?」


 驚くマドックに向かって、命の危機にさらされているはずのふたりは平然と言う。


「襲撃は夜。なら早めに寝る支度をしなきゃ。シャワー浴びてくるわ」

「お嬢様のご希望です。退室を許可してくださいますね」


 そして答えを聞くより先に、出入り口のドアを目指して歩き始めた。

 当然マドック刑事がやすやすと退室を許すはずもない。


「ちょっと……待ってください!」


 すかさずアネリの肩を掴み、部屋に留めようとした。

 が、掴んだと思った手には感触が伝わってこなかった。


「!?」


 アネリの肩に触れる寸前、マドックの腕は別の人間の手によって取り押さえられていた。空を掴むマドックの手。それを掴むのは、


「失礼ですが、予告状の犯人が判明するまでの間、お嬢様に触れさせるわけには参りません。私には、あなた方警察を心から信用する気はありませんので」


 さっきよりも一層冷たい眼差しでマドックを見下ろす、パーシバルだった。


「パーシバル、失礼よ。ほら行きましょう」


 アネリが呆れたようにパーシバルの空いているほうの手を握ると、彼のあんなに張り詰めていた緊張がパッと緩む。

 いや、緩むどころか、どこか恥ずかしそうに下を向いて、


「あぁお嬢様……お小さい頃はよくこうして手をお繋ぎしましたね……! おや、あの頃より少々力が強くなられましたね」


 久々に手を握ってもらえたことが嬉しすぎたのか、そんな余計な思い出話を喋り始めた。

 アネリにしてみれば、いちいちそんなこと……と呆れ返るばかりだ。


「マドック刑事、心配ならバスルームの入り口まで警護してくださる? もっともその先はパーシバルしか入れないんだけど」


 無邪気な笑顔の中にハッキリとした拒絶の壁を作る。

 これにはマドック刑事も、大人しく引き下がるしかなかった。


「……充分、気を付けてくださいね」



 ***



 アネリの部屋から浴室まで、最短距離ではなくあちこち迂回しながら別荘中の様子を見回ったところ、本当に全ての部屋の前に警官が配備されていた。

 承知したこととは言え、ここまで堅固だとむしろ息が詰まってしまいそうだ。


「お嬢様、顔色が優れませんね……」

「こんながんじがらめの生活が5日間も続くと考えたら気分が上がるわけないわ。もしかしたら犯人はストレスで弱らせるのが目的なのかも。……はぁ」


 重い溜め息を吐くアネリ。パーシバルはなんとか彼女のストレスを取り除きたいと考えるのだが、彼はカウンセラーでもなければ魔法使いでもない。


「……………」


 主人の気疲れひとつ癒せないなんて……と、嫌でも自分を責めてしまう。

 護衛の名目で、アネリと浴室の中まで入ることを許されているのは、メイドとパーシバルだけだった。

 ただしそれも浴室内で何か緊急事態が起きた時に限る。つまり入浴中のアネリは実質無防備。もし浴室内でまた命を狙われたら……。


「お嬢様、少々お待ちいただけますか?」


 脱衣所に入ったところで、パーシバルに留められた。


「どうしたの?」

「安全確認です」


 そう告げるとパーシバルは浴場に入り、広々とした空間にぽつんと置かれた猫足バスタブに歩み寄る。

 溺死未遂に使われたバスタブは既に撤去済みのため、今ここにあるのは真っさらな新品だ。

 バスタブの内壁を手の平で何度か撫で、そして既に張られている湯に、自分の右腕を浸けた。


「…………」


 ドアの陰から様子を伺うアネリ。

 パーシバルはしばらくじっとしていたが、やがて静かに腕を抜き取った。


「ご安心くださいませ。バスタブに毒は塗られていないようです」


 前回の毒で学習したらしい。パーシバルはその後も浴場内をぐるりと見回し、怪しげなものも監視カメラも無いことを確認すると、アネリの元へ戻って来た。


「危険物はありません。どうぞごゆっくり入浴なさってくださいませ」


 パーシバルが言うのだから本当に問題はないのだろう。だがアネリはまだ少し不安げに彼を見上げている。アネリの不安を察したパーシバルは、


「私はここにおりますからね」


 優しく囁いた。そうすると、不思議とアネリは安心感で満たされるのだった。



 ***



「警部、予告状のこと、本当に使用人達に知らせなくてよろしいんですか?」


 マドック刑事が訊ねた時、トレイシー警部は部屋中に置かれた監視モニターの群れを食い入るように見つめていた。

 もちろん他の警官も10人以上で並行でモニターチェックをしているのだが、そこに警官隊のブレインとも呼べるトレイシー警部が加わっているのは、なんだかおかしな光景だった。


「ああ。言い方は悪いが、使用人達は命を狙われ慣れていないからな。別荘内で一体何人が働いてると思う? 仮に予告状のことを知らせてみろ。全員が保身に走ってパニックになるぞ。そいつだけは避けたい……。お前も口を滑らせねぇよう気を付けろよ」


 混乱を避けるため。そう主張するトレイシー警部。

 だが、何も知らない使用人がもし殺害されたら……? そう考えると不憫でならない。


「……ですが、せめて数人には知らせておきませんか? いざという時、館内の間取りなどを熟知している者がいたほうが」

「……………」


 そして口をつぐむふたり。

 そんな停滞状態がしばらく続いた頃だった。


 こん、こん、こん………


「?」


 監視室の扉を控えめに叩く者がいた。


「……………」


 入って来ない。入室の許可を待っているということは、警官ではないのだろうか。

 アネリか?とトレイシー警部は考え、


「ああ、どうしたお嬢さん。何か心配事か?」


 真っ直ぐ扉へ向かうと、そのノックの主を室内に招き入れようとした。


「っ?」


 思わず目を疑う。

 来客はアネリでもパーシバルでもなかった。

 スカート丈が長いメイド服を着て、髪をシニヨンに纏めた、無表情の若い女性だ。


「お初にお目にかかります。私はウォーロック家に仕えております、使用人のバネッサと申します」


 使用人のひとりであるバネッサが、いつもの淡々とした口調で自己紹介をしながら、そこに凛と立っていた。

 トレイシー警部もマドック刑事も彼女との面識はなく、当然わざわざ出向いて挨拶するような間柄であるはずもない。なぜ彼女がこの部屋へ来たのか。


「……何かご用かな? えーと、ミス・バネッサ?」

「バネッサ、で結構ですわ。そちらはトレイシー様にマドック様。いつもアネリお嬢様がお世話になっております」

「あ、ああ……」


 どうも調子が狂う。まさかいつもお嬢様の面倒を見てくれる警察に改めてお礼を? そのためだけに?

 参ったな、とでも言うように頭を掻き、上手い追い返し方を考えていたトレイシー警部に、


「トレイシー様」


 バネッサは自ら本題を語り始めた。


「私でよろしければ警察の皆様に協力いたしますわ。別荘の内部に詳しい者が傍にいたほうが都合が良いでしょう」

「なんだって?」


 まさに、渡りに船。マドック刑事は警察内でも優秀な部類だ。そんな彼と同じ発想ができるということは、彼女もなかなかに頭の切れる人物に思える。

 信用して良さそうだ。それがトレイシー警部の判断だった。


「よしきた。じゃあバネッサ、協力してくれ」

「はい、喜んで」


 だが喜びを口にする時も、バネッサは表情を全く崩さなかった。

 ここまで感情を隠せるものなのかと疑問に思うが、信用すると決めたのだ。トレイシー警部は手を差し出し、バネッサと堅い握手を交わした。

 そうと決まれば作業は早いほうがいい。トレイシー警部は部下達に、この広い別荘の見取り図をすべて集めさせ、バネッサとともにそれを囲んだ。まずは犯人が身を潜められそうな場所、罠を仕掛けそうな位置などの目星を付けようと考えたのだ。

 見取り図を目で追いながら、トレイシー警部はふと思う。


「バネッサ、警察(オレたち)に協力すること、お嬢さんに命じられたのか?」


 しかしバネッサは首を静かに横に振る。


「いいえ。お嬢様はご存知ありません。このことは、お嬢様には伏せておいてくださいましね」


 そして再び図に目を落とした。

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