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episode10【Black out】

 時は、4日目を迎えた。

 3人の、医師含む使用人を立て続けに亡くしたことにより、館内は一層重苦しい空気に包まれてしまっていた。

 外出も禁止されているのだ。慣れているアネリはともかく、慣れない使用人達にとっては軟禁状態。それほどストレスも溜まっていた。

 そんな中、さほどストレスを感じていない使用人が館内にふたりだけいる。

 ひとりは当然のようにパーシバル。そしてもうひとりは、


「紅茶とお菓子をどうぞ、アネリお嬢様」

「………ありがとバネッサ」


 今までずっとこっそり警察に協力し、監視室に長居していたバネッサだ。

 もちろんアネリはそれを知らない。バネッサが頑なに秘密を貫き通すからだ。

 朝昼晩のアネリの食事を運ぶのは食事係であるクレメンス(以前はドリー)の仕事だが、それ以外のおやつや軽食は他のメイドが運んでくることが多い。

 だからこの日、思い出したようにかいがいしく世話をしだしたバネッサの姿を、アネリが不審がらないわけがなかった。

 今までどこにいたのかを訊ねても、「用事があった」などや「ちょっと…」などと言葉を濁すばかり。


「持ち場を離れてまで世話してくれるのはありがたいけど、あたしの近くにいたらあなたが先に殺されちゃうかもよ? あたしより警察の人の世話でもしてたら?」


 信用できないあまり、アネリはまた彼女に悪態をつく。

 …が、バネッサは無表情を貫いている。


「わたくしの役目は、お嬢様のお世話をすることですわ」


 ――それが余計信用できないんだけど。


 アネリはそう思ったが、口には出さなかった。ちょっとした進歩だ。

 朝からアネリに付きっきりで世話をするバネッサに苛立つのは、何もアネリだけではない。


「……………」


 せっかくアネリの後ろに控えているのに何もさせてもらえないパーシバルは、かなりフラストレーションを溜めていた。ピリピリとしたオーラを体から発し、鋭い視線はバネッサを射殺さんばかりだ。

 前方にはバネッサ。後方には殺気立つパーシバル。

 その間に挟まれたアネリが一番ストレスを感じていた。


 ――どっちか早く引き下がってくれないかしら…。


 いつになく憂鬱な気分だ。それは使用人ふたりの板挟みになっていることの他にも理由はある。

 アネリは後ろの窓に目を向ける。


「ひどい天気ね」


 外は豪雨だった。横殴りの雨が窓を叩き、ばちばちと音を立てている。景色が見えないほどの雨と、真っ黒な厚い雲。

 どの道外出は禁じられているのだが、こう天気が悪いと何もしなくても気分が下がってしまう。

 アネリは溜め息混じりに自分の三つ編みの束を撫でる。髪が湿気を帯びたせいで纏まらなくなってきたのだ。

 それに気付いたパーシバルは、すかさず提案する。


「お嬢様、よろしければお結い直ししましょうか」

「んー。そうね、お願い」


 アネリの許可を得たパーシバルは端から見ても嬉しそうに目を細め、失礼します、と髪のリボンを解いた。

 三つ編みが解かれ、アネリの綺麗な赤毛が背中にフワッと広がる。微かなシャンプーの香りに目眩を覚えながらも、パーシバルは少し離れた場所にあるブラシを取りに行こうとして、


「ブラシならこちらにありますわ。わたくしもお手伝いしましょう」


 バネッサのほうが若干速く、エプロンのポケットから真っ赤なブラシを取り出して見せた。

 そして、ギョッと目を見張るパーシバルの目の前で、


「失礼いたします」


 バネッサはアネリの髪を、ブラシで梳かし始めた。


「…っ!!!」


 自分だけの特権を奪われたことに驚愕するパーシバルと、


「……………」


 急展開についていけず、されるがままのアネリ。

 バネッサは慣れた手つきでアネリの髪を梳かし終え、さらに2つの束にする。そして何を思ったのか、パーシバルの手からリボンを掬い取り、すぐにアネリの髪を縛ってしまった。

 手の込んだ三つ編みではなく、簡単な2つ結びだ。


「あれ、編まないの?」


 アネリも違和感に気付き、すぐ自分の髪に触れてみた。

 いつも三つ編みが多かったぶん、他の髪型にしたことはなかった。なんだか妙な感覚だが、嫌な感じはしない。


「お嬢様の許可もなく無礼なことをしないでください、バネッサ。お嬢様は三つ編みです。三つ編みが一番お似合いなのです」


 額に青筋を浮かべながら力説するのは自由だが、内容に迫力がない。

 バネッサは結い直そうとはしなかった。


「編んでも湿気ですぐに解かなくてはならなくなりますわ。それならばいっそ編まないのがよろしいかと」

「その身勝手さが無礼だと言っているのです。分かりませんか。お嬢様がどれだけ嫌がって………」


 そう言いながら視線をバネッサからアネリに向けた途端、パーシバルは言葉を失った。

 振り返った2つ結びのアネリは、いつもの清楚風な雰囲気から一変し、年頃の元気な可愛らしさを放っていたのだ。


「あたし別にこのままでもいいわよ」


 本人もまんざらではないらしい。

 ちょっと嬉しそうに微笑む彼女の様子を黙って見つめて、パーシバルはつぶやく。


「…あぁ、やっぱりお嬢様はどんなお姿でもお可愛らしい…」


 ピリピリしていた空気は、とろける笑顔によってどこかに吹き飛んでしまった。



 ***



「つまりバネッサもパーシバルと一緒にあたしの護衛につく…ってことでいいのね?」

「左様ですわ、お嬢様」


 可愛らしい髪型にしてもらって、気持ちがほだされたのだろうか。アネリは、バネッサがここに居たいのなら別に居させても構わないと考えていた。

 と言ってもメイドの彼女には、パーシバルどころか普通のボディーガード程度の力もないだろうが。


「気持ちはまぁ嬉しいけど、パーシバルは一度に何人も護れないわよ?」


 念のため釘を刺しておく。引き返すなら今だと。

 だがバネッサは相変わらずの無表情で、


「いざとなったらわたくしのことはお見捨てになってくださいませ。パーシバルはどうぞお嬢様の警護のみにご専念なさいまし」

「ご安心なさい。元より貴女を護るつもりはありません」


 パーシバルは間髪入れずに言い返した。


「…はあ。マドック刑事がいなくなったと思ったら次はバネッサ。パーシバル、あたし達は本当に退屈知らずね」


 アネリお得意の皮肉が飛ぶ。だがいつもの皮肉に比べたらずっと軽い。鬱陶しいことこの上なくても、彼らは自分を護ろうとしてくれてるのだから。今更警護がひとり増えたからと言って…。


生憎(あいにく)ですがアネリさん。私も再び警護の任に就くことになりました」

「帰れ。犬め」


 コンマ2秒で暴言を吐いたパーシバルを、アネリは「まあまあ」と宥めた。

 いつの間にかドアの反対側の窓の隅に、マドック刑事が控えていたのだ。顔色は少し悪いが、身なりはきちんと整えている。いつでも「集中!警戒!」と言い出せる格好だ。


「………」


 アネリは頭を抱えたかった。抱えるのを通り越して、いっそヘッドバンギングでもして暴れ回りたかった。


 ――いや…、いくらなんでもそれは大袈裟ね。


 心労の原因が何も使用人の死だけでないことをアネリが自覚してきた頃、マドック刑事が代表して今後の動向を説明し始めた。


「この無差別な予告殺人も残すところ、今日を含めあと2日となりました。……失礼な言い方ですが、そろそろアネリさんが狙われても不思議はありません。なので身辺警護を固め、どこへ行くにも何をするにも、我々3人と行動を共にしてください」

「早い話がみんな纏まって生活しなきゃいけないのね。カルガモのヒナみたいに」


 警護はアネリに付いていくのだから、この場合のヒナは彼ら3人だ。

 自分よりずっと背も高く大人な3人がヒナだと想像すると、沈みそうな気持ちも少しは持ち直せた。


「お嬢様、お気に障ることがございましたらすぐ私におっしゃってくださいね。何とか混乱に乗じてふたりを始末致しますので……」

「パーシバル、それ警護が手薄になるって分かって言ってる?」


 邪魔者が増えたせいで暴走気味になっているパーシバルを注意した直後だ。


 カッ!


 窓の外が一瞬だけ真っ白に染まった。

 何事かと振り返るアネリ。少し遅れて、


 ゴロゴロゴロ…ッ!!


 雨雲が地響きのような唸りを上げた。雷だ。


「……雨足は強くなる一方。おまけに稲妻の兆しまで。これがミステリーか推理小説なら絶好の舞台ですね」


 マドック刑事が冗談を言うのは珍しいことだった。


「しゃれてるわね。だけどこういう状況で言わないでほしかったわ。しゃれにならないから」

「…あ、これはすみません、不謹慎でしたね…」


 さっきの雷の音が合図だったかのように、雷の光と音はさらに激しさを増していった。雨もより強くなっていく。会話の声が聞き取りにくいほどだ。


「恐いわね。雷が落ちないといいけど…」


 ぽつりとつぶやいたアネリ。


「ご安心くださいませお嬢様。もし雷が落ちたとしても、私がすぐに耳を塞いで差し上げますからね」


 こっそりと耳打ちしてきたのはパーシバルだ。どれだけ雑音が多くてもアネリのこととなると彼は地獄耳になるらしい。

 アネリは少しだけほっとして、


「うん」


 椅子に座ったまま、パーシバルにぎゅうっとしがみついた。

 こういうところは子どもらしい。やっぱり彼女も年相応らしく、雷が嫌いなのだ。


「あぁ…お嬢様…っ!」


 と思えば、パーシバルは不気味ともいえる悩ましげな声を出した。自分から抱き着いてきたアネリが可愛くて仕方ないようだ。

 急に抱き合ったふたりを見て、


「パーシバル、ふざけていないで奇襲にお備えなさいまし」

「そうですアネリさん。いつでも警戒を忘れてはいけません」


 バネッサとマドック刑事は全然違う意味でふたりに注意と応援を投げかけた。

 天気はさらにひどくなってきたようだ。窓の外をじっと見つめながら、アネリは今度は皆に聞こえる声量で言う。


「この風雨と雷の中、相当の腕前でもないと外からの狙撃は難しいわよね」


 オドワイヤーが殺害された時の天気は曇り。銃に陽光が反射するようなこともなく、風も少なかった。だから今日の天気は相性が悪い。

 そうでなくても犯人が同じ殺害方法をとるとは考えにくいか。


「ボウガンによる射殺に感電死に狙撃…。リトル・レッド社に恨みを抱く者が社の製品を使用しての復讐かと思われましたが、どうも一貫性が感じられません。心肺蘇生装置はリトル・レッド社の製品ではありませんし、そもそも社は電力機器を扱っていませんので」


 興奮を何とか抑えながらパーシバルがそう断言する。

 リトル・レッド社についてなら彼のほうが詳しいため、アネリもバネッサも否定しなかった。


「ってことは、南米のテロ事件の線も薄くなるかしら?」

「…はい、お嬢様。代表的な事件ですが、ボウガンが用いられた小さな事件は他にもたくさんありますので…」

「そう…。うん、そうよね」


 せっかく手掛かりになったと思ったのに。そう少しだけ気落ちしてしまったアネリを、パーシバルが血相を変えて慰め始めた。ご立派です、ご聡明です、と大袈裟な誉め言葉が飛び交う。

 南米テロ事件。その言葉に、警察であるマドック刑事が反応した。


「アネリさん、それは何の話ですか?」


 アネリはそちらに目を向ける。

 15年以上も前に他国で起こった事件だ。マドック刑事といえど恐らくは知らないだろう。実際自分達もネットを漁って初めて知ったことだ。

 アネリに代わってパーシバルの口から事件の概要が説明された。アネリはその補足を引き受ける。


「もし犯人がテロの被害者なら絞り込みができると思ったの。別荘内にいる使用人達の経歴を」


 電話なりでお屋敷の本邸に取り次げば、今までウォーロック家に仕えた使用人すべての経歴や情報を知ることができる。その中にテロ事件に関わった者がいれば…


「もし使用人の中に該当者がいれば、あらゆる手を尽くして犯人か否かを確かめるだけでございます」


 結論を言うのを躊躇ったアネリに代わり、パーシバルがひどく冷酷に言葉にした。

 マドック刑事はしばらく黙り込み、


「なるほど。しかし、使用人全員の経歴をすべて確認するだなんて時間が掛かりすぎるのでは…?」


 時計に目を向けながら、そう指摘した。時間は昼を過ぎ、間もなく夕方へ変わろうとしている。そうなれば夜もすぐにやって来るだろう。それまでに該当者を見つけ、さらに尋問するだなんて。

 だがそれに関しては、


「大丈夫よ。本邸で留守番してる使用人は優秀だから。10分もあれば該当者を見つけられる。その後は………」

「私が吐かせましょう。該当者が何人であろうと一度にお相手致します。……ご安心ください。10分もかかりませんよ」


 パーシバルは妖しく目を光らせた。


「…………」


 彼の目を見た時、マドック刑事は背筋に嫌な気を感じた。


「さて、そうと決まれば本邸に電話ね。マドック刑事、1階に下りてもいい?」

「え? この部屋に備え付けの電話がありますが?」


 そう言いながら、部屋の隅に置かれているレトロなデザインの電話機を指差す。

 だがアネリは首を振って、


「ここから本邸へ電話をかけるには、基本的に1階の直通電話機を使うの。盗聴の心配がある一般端末機に、なるべく本邸の電話番号を残さないためにね」


 年不相応な小難しい言葉をつらつらと並べ立てた。だから1階へ行くしかないわけか。

 しかし許可を待たないうちに扉のほうへ歩き出したアネリとパーシバル。さらにバネッサ。


「あっ…、ち、ちょっと!」


 マドック刑事は慌てて3人を追いかけようとした。


 そう。追いかけようとした。


 カッ!


 ちょうどその時、また窓の外が一瞬だけ強く光り、室内は昼のような明るさに包まれた。

 その直後だ。


 ッッ!!!


 言葉にできないほどの大きな、何かを叩き割るような音が辺りに響き渡った。


「ひゃっ!」


 とっさに目を瞑るアネリと、


「っ!」


 アネリの耳を塞ぐパーシバル。

 音の正体は、今まで遭遇したことがないくらい凄まじい落雷だったのだ。マドック刑事も思わず身構えるほど。バネッサは、なぜか天井に目を向けている。


「雷が落ちたようですわ」

「…そ、それは分かっていますよ、バネッサさん…」

「いいえ。“別荘(ここ)”に落ちたのです」


 バネッサがそう言い直した直後。さっきまで正常に機能していた部屋の照明が、蝋燭を吹き消すように、呆気なく消灯してしまった。


「!!」


 アネリが声を上げるより早く暗闇に支配される室内。

 信じがたいことに、別荘はなんと今週中二度目の停電を迎えたのだった。

 暗闇という異常事態に陥っても、流石は警護というべきか。



「失礼いたします、お嬢様。決して私から離れないでくださいませ」


 最も近い場所にいたパーシバルが、一番先にアネリの肩を抱きしめ安全を確保。それに続いて、


「アネリお嬢様、その場を動かないでくださいましね」

「…アネリさん! 注意して下さいっ!」


 バネッサとマドック刑事も、よく通る声で注意を促す。

 アネリは返事をする代わりに、パーシバルの腕の中で強く頷いた。

 ここまでは警護の3人誰もが予想していた展開。が、問題はこの先にあった。


「妙です。電力が復旧いたしませんわ」


 以前の停電の時はすぐに予備電源が作動したのに、今回はどれだけ待っても電気が復旧しなかった。


「どういうことかしら……」

「恐らく先日の停電の時からずっと予備電源のほうが動いていたのでございましょう。落雷のせいで発電機器に異常が起こり、最後の砦も崩されてしまったようです」


 発電機は繊細だと聞いた。いくらなんでも繊細すぎないか、とも思いながら、アネリは暗闇の微かな恐怖が去るのを祈ってじっと待つ。


「…………」


 その時だ。

 アネリは脳の奥に電流が走るのを感じた。もちろん比喩だが、その電流の感覚は“ひらめき”と呼ぶほうが正しかった。


「ねえパーシバル。一昨日ドリーが浴場で殺された時を思い出して、ひとつ思ったことがあるんだけど」

「はい、お嬢様」


 あの時バスタブに投げ込まれたのは強い電流を発する装置だ。おまけに水中に薬品が含まれていたなら、電流の威力はさらに増すはず。

 アネリはパーシバルにぎゅっと抱き着き、言った。


「1日目の停電、あれは犯人が発電機のスイッチを切ったんじゃなくて、……館内で激しい電流が発したから、安全のために自動的に電力が落ちたんじゃないかしら。ブレーカーが落ちるみたいに」


 ざわり、と、微かに空気が変わった。


「……はい。はい、その通りでございます、お嬢様。確かに漏電火災などの危険を減らすために、発電機はそういった自動停止の機能を備えているはずです」


 パーシバルは瞳をぐらぐらとさせながら、アネリの言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。

 気付けなかったことに不甲斐なさを感じているのではなく、アネリがそれに気付いたことが、彼にとっては狂おしいほどに嬉しかった。


「……とすると、停電は犯人の想定外の出来事だったと?」


 マドック刑事だ。アネリは答える。


「ええ、多分。それにもしあの時停電が起こらなかったら、きっと殺人の順序も逆になってたと思うわ」

「…え?」


 どういうことなのか。

 暗闇でもマドック刑事がただならない表情をしていることが分かる。


「これはまだ憶測だから言いたくないわ。でももし憶測通りなら、そろそろ……」


 アネリが核心を話そうとした時だ。


「……んぐっ!!」


 言葉を紡ごうとしていたその小さな口が、突然誰かに塞がれた。

 それは誰か。考えなくても分かる。


「……お嬢様、それ以上の開口はお控えいただけますか?」


 一番近くにいたのだから。

 つねに、アネリのもっとも近くに控えていたのだから。

 大きな手でアネリの鼻と口を覆い隠し、呼吸する余地さえ与えない。

 …その手の主は、パーシバルだった。


「……んッ、ふ、…っ…!!」


 呼吸を阻止されたアネリは当然、苦しげにもがく。

 が、パーシバルはその手を離そうとはしなかった。

 暗闇でも確かに伝わってくる異常事態。


「…パーシバルさん…? 何があったんですか。アネリさんの声が……」


 マドック刑事の問いにも、


「パーシバル。お嬢様を……」


 バネッサの呼び掛けにも、パーシバルはすぐに答えない。


「…………………」


 アネリの口を塞いだまま、彼は暗闇の中で唸るような声を上げながら、


「はい。お嬢様の呼吸を封じています」


 なんとも素直に、だがとても冷徹に答えた…。


「な、なんのつもりですかっ!?」


 冗談だと思いたい。だが状況が状況であり、パーシバルがふざけるわけもない。

 マドック刑事の叫びも、アネリの呼吸を取り戻すには至らなかった。

 パーシバルは少しも力を弱めることなく、暗闇に浮かび上がるふたりの姿を目に映して、


「………っ!」


 バンッ!


 アネリを抱え、突然ドアに強く体当たりした。かけておいた鍵を開ける手間を省いたのだ。


「…待て…ッ!」


 誰の目から見ても、その荒っぽい行動は逃亡のためと思われた。


 ……だが、


「………ぷはっ!!!」


 室外に出るとすぐさま、パーシバルはぴったり塞いでいた手を離した。

 鼻と口から、肺いっぱいに空気を吸い込むアネリ。だが息苦しさが勝って、呼吸はまだ楽にはできない。

 そんな彼女を優しく支えて、パーシバルは言った。


「お嬢様、なるべく呼吸をお控えながらお聞きください。先ほどは説明を省いて申し訳ございませんでした…。室内に“無臭の有毒ガス”が充満しつつありました。そのため一刻も早くお嬢様を避難させなければと、手段を選んでいられなかったのです」


 有毒ガスと聞き、マドック刑事も慌ててバネッサの手を引いて扉の外へ避難する。もちろん廊下に出たらすぐ、扉をしっかりと閉じた。

 無臭のはずなのになぜ分かったのか。分かっていてなぜパーシバルは呼吸を止めなかったのか。問い質したいことはたくさんあった。しかしまず言いたいのは、


「…けほっ、…そう、だったのね。ありがとう、パーシバル」


 危険から救ってくれた彼に、心からお礼を述べた。

 だがマドック刑事はどこか不服そうだ。


「…まったく、今後はああいう紛らわしい真似はよしてください。あ、危うく発砲するところでしたよ……」


 無理もない。なぜならさっきの状態のパーシバルはまるで“アネリの命を狙う”犯人のようだったのだから。

 だが対するパーシバルは平然と言う。


「……これは心外ですね。私はお嬢様を裏切るくらいならば、喜んで自分の頭を銃で撃ち抜きます」


 改めて主従の絆を見せつけられたところで、まずはこの停電を何とかしなければ。

 しかし発電装置を直そうにも、自分達は整備士でも電器メーカーでもない。どうしたものか。


「お嬢様、わたくしにお任せくださいまし」


 そこで名乗りを上げたのは、なんと戦力外と思われていたバネッサだった。


「お屋敷の装置と似た型であれば問題なく直せますわ。どうぞわたくしをご信用ください」

「でも暗くて危ないわよ…?」


 アネリは至極もっともな意見をする。

 停電のせいで別荘内は真っ暗闇。時折光る雷が唯一の明かり。そんな中を地下室まで下りるだなんて危険だ。

 が、バネッサは引き下がらない。


「もう目が慣れてまいりましたわ。故障の具合にもよりますので、修理は長くても今日一晩かかると思われます。その間は決してパーシバルから離れないでくださいましね」


 そう告げるとバネッサはくるりと体の向きを変え、真っ暗な廊下を歩き始めた。こつん、こつんと上品な靴音が響く。

 しかしアネリはまだどこか迷いを抱えていて、


「…何もできずに、のこのこ戻って来ないでよね……」


 でも口から出てくるのは素直とは程遠い悪態。

 それに呼応するようにバネッサも、


「ご安心なさいませ。非力なお嬢様には無い知識を、わたくしが持っている。結果は火を見るよりも明らかですわ」


 皮肉をお返ししてきた。

 暗闇の中でそれを聞いたアネリは、


「……………」


 声もなく、微笑む。


「…じ、女性をひとりで行かせるわけにはいきません! バネッサさん、私も行きます!」


 マドック刑事のシルエットが立ち上がった。そして遥か前を歩くバネッサのシルエットを追って、アネリ達の傍を離れていく。

 ひとりよりふたりのほうが安全だ。警護が手薄になってしまったのは予想外だったが。

 アネリは抱き着いていた腕を解き、ぼんやり浮かび上がるパーシバルの目を見つめる。


「有毒ガスって本当に?」


 パーシバルは小さな体の代わりに彼女の手を握り、自分は常にここにいることを知らしめる。


「はい。室内の通風孔から徐々に部屋へ流れ始めていました。遅効性のようですので、少量吸い込んだだけならば効果はすぐには現れません。そもそもお嬢様はガスをまったく吸い込んでいらっしゃらないはずですよ。」


 そうか、あの時。荒っぽくアネリの呼吸を封じたあの時、パーシバルは誰よりも早くガスに気付いていたのだ。自分が吸い込んだことで、その微かな違和感を敏感に察知して。

 となると、彼は無事で済むはずがない。


「…パーシバルは? 大丈夫なの?」


 不安げなアネリの声。

 パーシバルは彼女の不安を取り除くため、手を強く握る。


「はい。ご心配には及びませんよ、お嬢様。私はこの程度のことでは死にません」


 力強い声色。虚勢を張っているわけでも、心配させまいと嘘をついているわけでもない。パーシバルは真実を言っていた。私は死なないのだ、と。


 信じられるだろうか。“それ”は館内の人間すべてを驚かせた。

 休暇5日目。つまり殺人予告の4日目。

 …この日だけは、館内で“ひとりも死者が出なかった”のだ。

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