背にのしかかるは軽挙妄動のツケ
「あんな頭のおかしい連中に負けてられっかッ! お前ら! 今日も気張って魔物をブチ殺しに行くぞーっ!」
『おおぉぉォォッッ!!』
至高天坐の勇者様が竜をバッサリ一刀両断した翌日。あまりの力量差を目の当たりにして折れちまったやつがいるんじゃないかと様子を見に来たのだが、そこにあったのは野蛮な雄叫びを上げて勇を鼓す荒くれどもの姿であった。
各々の武器を高らかに掲げ、昂ぶりを示すように地団駄を踏む姿からは怯懦の念を感じられない。どうやらギルドは上手くことを処理できたようだ。いらん心配させやがって。
この街の連中は馬鹿だが、それでも矜持は持っている。自分らがこの街を守っているという強い自負。姉上の登場によってそれが揺らいじまう可能性もあったが……むしろ対抗意識を燃やしてくれるあたり流石である。それでこそ俺の財布だ。
まぁ正直姉上は頭おかしいからな。市井に出回っている情報は国にとって都合の良いように美化されたものでしかない。笑顔を浮かべながら竜をボコボコにする異常さを見て憧れろっつーほうが難しいよな。頭おかしいし。
「エイトさん、見ました? 勇者さまの最後。公衆の面前でいきなり首を掻き斬ったんですよ? 頭おかしくないですか? ねぇ」
ルークがなんか頭おかしいこと言ってる。チビめ。勇者じゃないお前には分からないだろうがな、斬るなら首よ。喉じゃなくて頚動脈な。これは譲れねぇ。
俺の持論を小一時間ほど力説してやりたいところだが、あいにく今の俺は冒険者エイト。そして俺の正体を知らないルークの相方のニュイもいる。ここはすっとぼけるしか択がない。議論はまた今度だ。
「勇者なんて興味ねぇなぁ。今回の騒動も宿で酒飲みながら寝てたらいつの間にか終わってたし」
「胆力だけは勇者級ですよね、エイトさん」
「やかましいぞニュイ。んなどうでもいいことはほっといてなんか食おうぜ。串焼きでも奢れよ」
「えっ……嫌です」
は? 俺は耳を疑った。
嫌。嫌って言ったのかコイツ。おいおい、そりゃどういう料簡だ? 俺が貸し付けた恩を踏み倒そうってのか?
それは許さん。お前らにはそれを教えてねぇ。お前らチビ二人は俺に返しきれないほどの恩義を抱えてるだろうが。俺は命の恩人だぞ? だってのに奢るのを断るなんてよぉ、そりゃお前らの命は串焼き以下ってことか? あ?
「えぇ……凄い剣幕で迫ってくる……ギルドの酒場で断れって言ってたのエイトさんなのに……」
「馬っ鹿だなお前。あれは周りに冒険者連中が居たからだっての。察しろよ。俺はな、ニュイ。お前らぺーぺーが周囲にナメられないようにっていう立ち回りの話をしたんだよ。老婆心ってやつな。その言葉を額面通りに受け取って恩を踏み倒そうなんて、お前それは人としてやっちゃいけないことだろ。違うか? えぇ、おい。俺はなぁ、お前らを助けるために身を張って魔物に立ち向かったんだぞ。文字通り命懸けだ。わりと重めの怪我まで負った。あれは痛かったぜ? 俺はお前らのために身を磨り減らしたってのに、お前らは身銭を切ることを良しとしねぇってのか? 痛む良心はないのかね」
「奢ります! 奢りますってば!」
「良し」
俺はニュイの甘ったれた考えの矯正に成功した。ったく、気の利かねぇチビはこれだから困るね。
授業料も込みでお高い串焼きを奢らせる。五本と酒のセットで銀貨一枚という強気の値段設定ながらも繁盛している人気店だ。
石級が手を出すには躊躇われる価格だが、恩を盾に迫ればチビ二人は財布の紐を緩めざるを得ない。やっぱ恩ってのは貸し付け得な優良債権だぜ。くくっ。
「あっ、これ美味っ!」
「少し前に噂になってたから気になってたんですよねー」
「だろ? ま、俺は噂になる前から目を付けてたがな」
「厄介常連みたいなこと言いますねー」
「るせぇ」
もっちゃもっちゃと肉を食いながら駄弁る。喧騒の激しい通りを抜け、混雑が落ち着く裏通りを歩く。向かっている先は街の出口だ。
「エイトさんはどうせ暇ですよね? これから僕らと魔物でも狩りに行きませんか?」
「は? 嫌だが」
「またギルドのノルマをギリギリまで引き伸ばすんですか……? この前メイさんが怒ってましたよ。エイトの馬鹿はどこ行ったー! って」
あー……そういやスピカとのゴタゴタがあった時に黒ローブとの約束をすっぽかしたんだっけか。討伐ノルマ、ね。あんなの俺からすれば金であっさり解決できる無駄な制度でしかない。王都で適当な雑魚の魔石を買い取れば秒だからな。本気で取り組む必要もなかろうて。
……いや、待て。ソロで片付け続けたらまたぞろ厄介な臨時パーティーを組まされるかもしれないな。
この前の模擬戦騒動で俺への嫌疑は払拭された、などと考えるのは浅はかだ。むしろ警戒が解けたと油断させてボロを出させる腹積もりという線もある。
ギルドの調査力を舐めていると手痛いしっぺ返しを貰うかもしれん。まかり間違って正体に勘付かれたらこの街に居られなくなる。
この街で俺の正体を知っているのは隣を歩いているルークと、あとは知性の低い犬畜生のみ。つまるところ一人である。
たった一人にしか知られていない。俺はそんな楽観視をしない。口封じは済ませてあるが、二度は無い。尻尾を掴ませるわけにはいかない。となるとやることは一つ。
「討伐ノルマかー。そうだな、そろそろ片付けておくか。んじゃ同行するわ。あ、魔物は全部お前らが倒せよ?」
「えー? それ不正じゃ……」
「俺は斥候だって言ってんだろ。直接戦闘は柄じゃねーの。おら、行くぞ。森でいいな? 善は急げだ。早く食って出発すんぞ」
「急にグイグイ来るよこの人……」
「それほんとどういう現象なんですか?」
チビ二人の小言を無視して進む。俺は繋いだ縁を最大限まで利用する男。こいつらには俺の手駒になってもらうとしよう。
黒ローブはいいや。うるせぇし。俺は黒ローブを使えるやつリストから削除した。手足にするならやっぱり従順なやつに限るね。
「……ん?」
街の出口へと向かっていたところ、俺たち三人の行く手を遮るように一人のガキが立ち塞がった。無造作に伸びたくすんだ茶髪。可愛げの欠片もない吊り目。こいつは……。
「よぉ、おっさん。串焼きくれよ」
ツナ。俺は咄嗟に記憶の糸を手繰った。
フォルティとしてガキどもと接した時の記憶。それを全て一時的に切り捨てる。そして冒険者エイトの持つ記憶で上書きした。
想像する。それが【偽面】を使う上で欠かしてはならない鉄則。
俺はこいつらにハメられて断頭台に掛けられたことなんてない。フォルティは既に死んだ。経験の一部を切り離す。そうして『冒険者エイト』を浮き彫りにした時、俺が取るであろう行動は――
「あ? 誰だよガキ。食いモンが欲しいなら金を寄越せ」
こうだ。
エイトとツナは数時間程度の付き合いでしかない。そしてエイトは一人の孤児のことをわざわざ覚えてるような人間じゃない。必然、こうなる。間違ってないはずだ。
「あっ、この子って……」
「極悪人に脅されて良いように使われてたっていう……」
誰が極悪人だ。
チッ……切り離せ。俺は冒険者エイト。孤児なんかに絆されねぇ。馬鹿にしたようにへらっと笑ってみせると、ツナがすっと目を細めて俺を睨んだ。
……何だその反応は。……そもそもコイツ、何しに来やがった?
「お腹が空いてるの? 串焼きいる?」
ニュイが手に持っている串焼きをツナに差し出した。
いいぞ。そのまま食いもんを受け取ったらさっさと立ち去れ。お前らとはもう関わり合いになる気はねぇんだよ。
差し出された串焼きをチラと見たツナは、しかしまるで興味なさそうに視線を外した。手のひらを見せて言う。
「……いや、俺はそこのおっさんから串焼きを貰うんで。そういう約束をしてるんで」
「え?」
なんだってんだ? コイツ、何を言ってやがる?
俺もチビ二人も状況を飲み込めていない。ただ一人、ツナだけが余裕の表情を浮かべて俺の眼前に立った。俺の顔を見上げて言う。
「なぁ、約束だろ。串焼きくれよ。――――。」
「――――!!」
コイツ……マジか。
【鎮静】。クリアになった頭で思考を巡らせる。まずは……人払いだ。
「あぁ……約束、約束ね。はいはい思い出したわ。あー、ルーク、ニュイ。悪いな、先約がいたんだ。今日はお前ら二人で行って来い」
「え? でもさっき」
「いいから行け」
ほんの少し威圧を込めてチビ二人を追い払う。多少強引だが、仕方あるまい。違和感を持たれたとしても構わん。……片付けなければならない最優先課題が眼の前にある。
「……ニュイ、行こう」
「えっ……でも」
「いいから」
ニュイの手を引いて裏通りから出ていくルーク。いいぞ。察しのいいやつは嫌いじゃない。
後に残ったのはツナと、俺と、ポツポツといる通行人だけ。どう手を打つべきか。思考していると、ツナが立てた親指をクイッと路地裏に向けた。……付いて来いってか。いいだろう。少し……手荒な真似をしなければならない可能性がある。衆目は無い方がいい。
陽の当たらないジメッとした路地裏を行く。入り組んだ路地を曲がったところにもう一人の人影があった。白髪紅眼の女。アンジュ。
まずい! 俺は咄嗟に振り返った。背を見せて言う。
「……で、何の用だお前ら。こんなところにガキ二人を連れ込んだと思われたら俺の評判に響く。手短に話してもらえると有り難いんだが」
ツナはさっき確かに言った。俺の顔を見て、なんの迷いもなく、『フォルティさん』と。
どういうことだ。なぜバレた。その理由を突き止めなくてはならないと、そう思って誘導に乗ったのだが……そうか、アンジュが居たか。
【六感透徹】と【感応】、そして……【読心】というとびきり厄介な能力を持つガキ。
街中でたまたま思考を読まれたか? いや……それにしてはおかしい。フォルティは死んだ。その強い認識があれば、たまたま似たような思考をしている人間を見かけたところで俺とフォルティを結び付けられるはずがない。
自身が培ってきた常識から外れるような事態には【六感透徹】も反応しにくい。勘の向上は豊富な下地があってこそ光る能力。こんなあっさりと見破られるはずがない。
だったら何故。堂々巡りだ。しかし、この件にアンジュという鬼札が一枚噛んでいるということは分かる。これ以上の情報は落とせない。俺は……こいつと目を合わせてはならない。
「初めまして……って言ったほうがいいですかね。冒険者エイトさん。……どうして背を向けているんですか?」
「……さっきも言ったろ。変な疑いをかけられないために外を警戒してるんだよ。いいからそのまま話せ」
俺の苦し紛れの言い訳を聞いたアンジュは静かに笑った。
……バレている。元々詰んでいたんだ。アンジュと正面切って向かい合えば思考を読まれる。だからといって不自然に目を逸らしたら俺がフォルティであると自白するようなもんだ。アンジュが【読心】の能力を持っているという事実を知っている大人はフォルティしか居ないのだから。
いつからだ。いつから気付いていた。少なくとも、直前直後の記憶を消して間に合う段階にはないだろう。
だとしたらこいつらは……どこまで勘付いている。事と次第によっては……俺はこいつらを……。
「そんなに警戒しないで下さい。わたしたちはただ……少し話がしたいんです。互いにとって益のある話を」
バケモノ。こいつ、俺を脅そうとしてやがるのか。ガキの発想じゃない。
他人の思考を読み続けて潰れかかっていたトラウマを克服した結果、その女はガキに似つかわしくない老獪な精神性を獲得していた。
その才能を開花させてしまったのは他でもない俺である。莫大なツケが背に重くのしかかって来やがった。
「……何が言いたい」
何を言っても姑息な手にしかならないと直感した。故に向こう主導で話を進める。吐かせなければならない。どうやって俺の正体に辿り着いたのか。どこまで俺の内側を垣間見たのか。
「さっきも言いましたけど……そんなに警戒しないでくださいよ。一時とはいえ協力し合った仲じゃないですか」
笑うように、歌うように、不吉な調子でアンジュは言う。
「鉄級冒険者エイトさん……いえ」
「勇者ガルドさん」