人の時代
絵画にして額縁にでも収めたらその手の評論家がしたり顔で絶賛しそうな光景だ、などと場違いな感想を抱く。
灰の大地に昏い空、停滞した空気。
平和を絵に描いたようなツベートをひっくり返したみたいな風景だ。そんな地に脈絡なく置かれた生活感満載の家具は不気味さを通り越してある種の神秘性すら感じさせる。
そして、そんな枯れた地の椅子に腰掛ける一人の女。
題するとすれば、やはり『魔王』か。
奇を衒って『女神』なんかにしてみても面白いかもしれない。芸術という分野の前衛を走るならそれくらいの破天荒さがあって然るべきだろう。もちろん、異端の謗りは免れないだろうがね。
「……なに笑ってるの?」
どうやら俺は自分でも知らぬ間に笑みを浮かべていたらしい。
そんな気はなかったんだがね。いよいよという状況に対して勝手に身体が反応したのかもしれん。冒険者連中もとんでもない窮地に陥った時は意に反して笑みを浮かべるらしいしな。そんな感じだろ。
感情を排した――しかしどことなく湿り気を帯びた――視線を受け止め、今度は意識的に笑ってみせる。笑い方を教えるように。
「別に、なんでもねぇよ」
「そう」
淡々としていて抑揚のない返答を聞き流して歩く。渇ききった砂を踏みしめ、椅子を引き、魔王と向かい合わせに座る。情緒を悟らせない表情を湛えた魔王と目が合った。
さて、何から話そうか。
最近そんなことばかり考えている気がする。そして行き着く結論はいつも同じだ。思い付いたことから適当に話せばいい。
「馬鹿姉二人とひっさびさに喧嘩してきたわ。お互いに本気でな。しかも二対一でだぜ? ま、勝ったけどよ」
「うん」
「あいつらも大概頭おかしいからなぁ……本気でぶっ殺し合わなきゃ思いが伝わらないってどうなんだよ。おかしくねぇ? 欠陥にしちゃ致命的だろ。文字通りな。人はもっと理知的であるべきだと俺ぁ思うね」
「そうだね」
「本当に手が焼けるやつらだぜ。何もかも思い出させた後にやることが健気な弟いじめなんだから手に負えねぇよ。……だが、軛は壊してやった。全ての戒めから解き放たれたあいつらはもう自由だ。国に使われる道具じゃなくなったってわけよ」
下された命令に服従する機能は俺が壊した。
記憶の抹消を担う呪装はおっさんが壊した。
あの二人を縛るものはもはや存在しない。
相変わらず救援要請は頭に響くようになっているが……それを聞いて従うも無視するも二人の自由だ。まぁ、あのお人好しどもが見捨てるという選択肢を取るとは思えないが……それはいい。いずれ救援要請すら機能しなくなる。その時を待てばいいだけのこと。
「つまり、俺も姉上らも……じきに勇者なんつう奴隷じみた仕事とはおさらばってわけよ。いや長かったぜほんと。これで退職祝いがでないってのは不満だがな」
乱雑に足を組み、椅子の背もたれに片腕を乗せる。絢爛豪華な召し物に皺が寄るが関係ない。咎めるやつなんて誰もいないしな。
「さて、勇者という政策がじきに機能しなくなると知った国はもちろん大慌てだ。今頃は宰相主導のもと貴族連中が必死に頭を悩ませてるだろうよ。派手にブッ壊した王城の修繕作業もあるしな。……まあ、あれは姉上がちょいと魔法を使えばすぐに直せるだろうが」
その後、王都がどうなったのかは知らない。知ろうとも思わん。
降臨の儀が正常に執り行われなかった、なんて知れ渡ったらきっと驚天動地の大騒ぎになっているだろう。
それを解決すんのも国に従事するやつらの仕事だ。救援要請が飛んできてないってことは致命的な騒ぎには至ってないだろ。
故に無視する。口を挟む気はない。
「国策の二大柱である勇者は戒めから解き放たれた。分かるか? それじゃあ残りはどうなるんだって話よ」
勇者という正義を活かすためには絶対的な悪が不可欠だった。そのために利用されたのが魔物であり、ひいてはこの世の悲劇の元凶としてでっち上げられた存在……『魔王』である。
勇者と魔王は表裏一体だ。光と影に似ている。どちらかが欠けたらもう片方も成り立たない。
つまりはそういうことだ。
「次はお前の番だ。約束を果たしに来たぞ。救われる準備はできてるか? 魔王様よ」
テーブルの向かい側でお行儀よく座っていた魔王が身を震わせ、作り物のようだった無表情に亀裂を走らせた。
▷
「『私』は――」
しばらく口を引き結んでいた魔王が、ともすれば消え入りそうな細い声を出す。
「このままでいいと、思ってるの」
それは俺の手を払い除ける意思の表明に見えた。
「『私』は……『私』が何もかも悪いっていう人たちの言葉を……否定できないから」
「ほう? そりゃ初耳だ。自虐趣味にでも目覚めたか?」
この世全ての不都合は全て魔王のせいである、なんてのは昔の連中が窮余の一策として打ち出した不満反らしの戯言だ。好き勝手やって妥当に滅んだ連中の尻拭いなんて誰もやりたがらなかったから、不平不満を吐き捨てるための存在をでっち上げる必要があった。
それに白羽の矢を立てられたのが魔王である。要は被害者なのだ。だのにこいつは何を言い出すのか。
目を眇めて対面を見る。魔王は俺の視線から逃れるように両の目を閉じた。
「前にも言ったでしょ。『私』は……魔力そのものなの」
「ああ」
「……人の争いが、ここまで酷くなったのは……魔力のせい。呪装も、魔法もなければ……人はここまで争い合うことはなかった。魔物が生まれることも……」
これは異なことを言う。
そう思ったが口には出さない。鼻で笑い飛ばすのは全てを聞き終えた後でいい。俺は適当に相槌を打って続きを促した。
「魔力があったから……『私』がいたから、世界はこんなに歪んじゃったの。だから、私は疎まれても仕方ないと、思ってる。……魔物を生み出す魔王として世界を脅かす悪でいい」
初めて知ったぜ。いや聞いてみなきゃ分からんこともあるもんだ。
まさか……魔王がここまで底抜けのアホだとはな。姉上ら以上だぜ、こりゃ。
「そして、世界には悪に立ち向かう勇者がいる。人の希望を担う、正義の勇者が。……それで人が幸せに生きていけるなら、それでいいと思った」
「俺ぁ幸せじゃなかったけどな」
喉からせり上がってきた言葉をせき止めるのがいよいよ馬鹿らしくなり、舌の上に乗っていたそれを吐き捨てる。
驚いたように目を開いた魔王だったが、すぐに取り繕って目を細めた。
「……だから私はガルドに魔法を掛けた。人として、好きなように生きてって」
「おう。ま、それも失敗して今に至るわけだがな」
俺の物言いが気に入らなかったのだろう。魔王がほんの少し眉を寄せた。ぼそぼそとした言葉を漏らしていた口も僅かに尖っている。
それでいい。今日はとことんまで吐き出してもらうつもりだからな。遠慮なんてさせねぇぞ。
「……それは、ガルドがあっさりと魔法を破るから……」
「俺が悪いと? おいおいひでぇな。なにもかも私が悪いですぅ、みたいなこと言っておきながら俺には責任をなすりつけるのか?」
言えばますます作り物の顔が崩れる。
むっと小さく頬を膨らせた魔王が吐き出す言葉の調子を上げた。
「私は、念入りにやったはずなの。ガルドが……また、背負い込まないように。なのに、よく分からないやり方で……元に戻ってるのはガルドのほう」
そして魔王が俺にじとりとした視線を寄越す。
甘えているのだろうか。それとも信頼か。
対等に言葉を交わせるやつがいない魔王にとって、俺は一体どういう存在に映っているのか。人が勇者に向けるような……希望、なのかね。
であるならば、応えてやろう。
俺は懐から普通の短剣を取り出した。
「その通り。よく分かってるじゃねぇか。勝手にやってるのは俺の方だぜ。誰が悪いのか、なんてハッキリしてることにうじうじ悩みやがって」
短剣を手のひらで回して逆手に握る。左手は軽く開いてテーブルの上へ。一呼吸して覚悟は完了。
怪訝な表情の魔王をちらと一瞥してから、俺は俺の左手に向けて短剣を振り下ろした。
鈍く光る刃が肉を貫く。簡素な木製のテーブルに赤黒い血が飛散した。
数瞬の後、熱に似た痛みが全身を貫く。突き動かされたように叫ぶ。
「ぐっ!? いッッ……てえええぇぇェェ!! ああ゛ッ……くそが……っ!」
「なっ……馬鹿っ! なにしてるのっ!?」
頭蓋の内側を束ねた針で乱雑に突き刺されるかのようだ。
たまらず短剣を放り投げ、血の滴る左手を押さえ付ける。その度にずきずきとした熱が駆け巡った。
ふざけやがって。クソほど痛ぇじゃねぇか。脂汗が止まらねぇ。
「馬鹿! もうっ!」
椅子を蹴って立ち上がった魔王が両手で俺の左手を包んだ。
淡い光が迸る。そして一秒の間すら置かずに俺の左手は完治した。血が熱を持って体内を駆け巡ったかのような痛みも嘘のように消え去る。
あっという間に元通りだ。疑う余地がないほどに健康そのものの俺である。いやはや、本当に大したもんだ。さすがは魔王、姉上よりも治療が早い。
「おぉ、やるねぇ。まるで時を戻したみてぇだ」
「……なにしてるの。こんな、急に……馬鹿なことして」
「痛っ!」
魔王が俺の奇行を咎めるように左手の甲をつねる。寄越す視線にはますますいっそうの情が見え隠れしていた。
怒り、焦り、呆れ。そしてそれらに蓋をして覆い隠そうとする、拙い演技。
それらを受け止め、俺はへらっと笑った。肩を竦める。
「おいおい何を怒ってんだ? 悪いのは俺に傷を付けたあの短剣だろ? 責めるんならアレを責めろよ」
俺は灰の砂の上に転がっている短剣を指差した。
魔王は理解不能と言いたげに眉を寄せた。
「……何を言ってるの?」
「あ? そりゃこっちのセリフだっつの。どっかのアホがウジウジしながら『自分のせいで争いが生まれた』なんてクソくだらねぇ戯言を吐いてるから分からせてやったんだろうが」
自分のせい? 馬鹿が。二度と口走るんじゃねぇ。
「昔の頭イカれた連中のせいに決まってんだろ。使われたやつが悪いなんて理屈が罷り通るかっての。勝手に滅んだ連中の責任まで背負い込んで、何がしてぇんだお前は。馬鹿じゃねぇの?」
言い放つと、魔王が大きく目を見開いた。黒の瞳に映り込んだ俺の顔と目が合う。酷く呆れた表情だ。さもありなん。
「物の使い方も分からねぇ連中がやらかしたってだけの話だろ。責められるべきはそいつらだ。お前じゃねぇ」
「でも……止めようとすれば、止められたはずだから……こうなる前に『私』が魔力を制御してれば」
「あぁもうめんどくせぇな! 拗らせすぎだろ! 姉上らといい、お前といいよぉ!」
いよいよもって面倒だ。『ガルド』もそうだったから言えた義理じゃないかもしれんが……知らんね。俺は俺を棚上げした。ガリガリと頭を掻き、ダンとテーブルに右手を叩きつけて言う。
「ならお前は受け取るべき感謝は受け取ってるのかよ?」
「え……?」
「え、じゃねぇよ。そうだろ? 魔力のせいでどうたらって言うんならよぉ、魔力を利用してる連中からは貰うもん貰うべきだろ」
責任だけ負わされて、あるべき見返りは得られない? そんなふざけた話があるか。
この世の基本はギブアンドテイクだぜ。与えるだけ与えて負債だけ背負うなんて丸損じゃねぇか。そんなの道理じゃねぇよなぁ。
「お前の理屈で言えば、人がのうのうと過ごしてられるのは何もかもお前のおかげなんだぜ? だったらお前は勇者と同等に……いや、それ以上に崇められて然るべきだろ。ちっとくらい胸張ったらどうなんだ?」
虚を衝かれたのか、軽く口を開けて固まる魔王に畳み掛ける。
「ああ、礼がまだだったな? 魔法で怪我を治してくださってありがとうございます、魔王様。ははーっ」
俺は頭を下げた。テーブルに額を擦り付けて大袈裟に言う。隣から軽く鼻を啜る音が聞こえた。
「…………ばか」
左手を包んでいた熱が離れていった。
砂を踏み締める音が響く。魔王は俺に背を向けて遠景を眺めていた。
椅子から立ち上がり隣に立つ。
「なあ、腹減らねぇ? 飯でも食おうぜ」
魔王は逃げるように背を向けた。ぽつりと呟く。
「……いらない」
「あ? おいおいそりゃねぇよ。せっかく極上の肉と酒を用意してきたってのによぉ。いらねぇなら俺が一人で食っちまうぞ?」
「……後で食べる」
「よし」
言質は取った。これで準備が無駄にならずにすむ。
めでたい日には飲むんだ。俺が人として生きて学んだ最も有益な真理である。それを魔王にも教えてやらにゃならん。今日は一人酒の気分じゃないんだ。たとえ嫌でも付き合ってもらうさ。
空を見上げる。
雲がないにもかかわらず薄暗い空は紛れもない破綻の象徴だ。俺が生み出した魔法の副作用により壊れてしまった世界の一部。
終末の光景を眺めながら言う。
「なあ。お前さ、どうしてエクスの研究を助けてくれたんだ?」
「…………気付いてたの?」
「なんとなくな。……あんな普通じゃない魔法をあっさり作れたのはおかしいと思ったんだ」
こと戦いに特化した姉上らを超えるためには尋常ならざる魔法を構築する必要があった。昔の天才連中が成し得なかった偉業を俺一人で成さなければならなかったのだ。途方もない時間がかかることは想像に難くない。
だがエクスは完成した。年代を重ねはしたが、それでも順調過ぎると思えるほどにあっさりと。俺の熱意が実を結んだのだと思い上がることもできたが……第三者の介入があったと考えるほうが自然だった。魔力そのものだという魔王ならそんな芸当も可能なんだろう。
「ふとした瞬間に、こう……手を引かれるような感覚があったんだよな。そこはこうすればいい、ってよ。暗い部屋で何日も一人で唸ってたら……不意に正解が降りてくるんだ。天啓とか閃きとかってやつかと思ってたけどよ……あれは、お前だったんだな」
「…………」
「どうして手伝ってくれたんだ?」
魔王は言った。もっと早く止められた、と。
……ある日を境に呪装の作製は不可能になった。魔王が止めていたのだろう。理由は……魔力の循環を妨げるから、だろうか。
呪装は魔力に色をつけるようなものだ。色がついた魔力は他に転用できない。呪装を作り続けたら普遍的に使える魔力が足りなくなる。そう考えれば辻褄が合う。
魔王は手遅れになる前に魔力を制御していたのだ。
しかしその一方で魔力そのものを破綻させるエクスの開発に手を貸している。この空を見ていたら、ふと理由が気になったのだ。
「ま、答えたくないならいいけどよ」
無理に聞き出すつもりはないので付け加える。
五秒ほどの沈黙が流れたので別の話でもしようかと考えたところで魔王が口を開いた。
「ずっと、見てきたから」
相変わらず背を向けたまま呟く。
「救いたい。助けたい。守りたいって……あんなに純粋で、一途な願いを……『私』に託してくれた。……だから、応えたかった」
「……ずっと見てくれてたっつうわけね」
「すごく……輝いて見えた。だから、力を貸したかった。それで……」
「それで?」
「……なんでもない」
それで、その思いを少しでもいいから『私』にも向けてほしかった。
そんな言葉が続くんじゃないかと思ったのは俺の都合の良い妄想かね?
まあいい。魔王が飲み込んだ言葉がどんなものだったとしても――俺のやることは変わらないのだから。
俺は言った。
「さっきも言ったな。俺は今日、約束を果たしに来た」
僅かに震えた背中に告げる。
「今の俺は……空約束を許さない主義でね。逃げ出した馬鹿に代わって遂行してやろうってわけだ」
立ちはだかる全ての課題に答えを出してきた。残すはただ一人の同意を得ることのみ。
「もう一度言おう。救われる準備はできてるか? 魔王様よ」
世界を救うことが勇者に課せられた使命なら、なかなかどうしてちょうどいい。他の誰にも譲れない俺だけの使命を……気兼ねなく遂行させてもらう。勇者特権だ。世界の運命は俺が貰い受ける。
「『私』は……」
魔王が肩を震わせた。親指を握り込み、痛苦に耐えるような声を絞り出す。
「怖い、よ……怖いの……今の安定した世界が変わって……また人が争うようになったら……嫌だ……。ずっと見てきたから……悲しいことも……苦しいことも……辛いことも……!」
魔王は歴史を見届け続けたのだろう。気の遠くなるような時間の中で、一人、孤独に。
それがどれほどの重圧を有しているのか……推し量る術はない。俺には姉上らがいたからな。
「みんなが『私』を使って……争い合うの……あんなの……もう、耐えられないよ……ガルドに、会っちゃったんだもん……」
意思持つ魔力。魔王。
残酷なのは、それが善に寄っていたことか。御伽話に語られるような悪党だったらいくらか楽だったものを。本当に……惨いボタンの掛け違いである。
そして俺はそんな魔王に希望を見せてしまった。
受け入れた死を覆し、救ってやると宣言し、あげく逃げ出して泣かせる始末よ。
丁重に閉じ込めてきたであろう感情の封を剥がしたのは間違いなく俺である。まあ……後悔はしていないがね。
「だから……『私』は……」
「あー、ちょっといいか? なんつーかな……言わせてもらいたいんだが」
まだうじうじと悲観に浸り始めたので俺はすかさず口を挟んだ。丸まった背中に言い放つ。
「お前さぁ、神にでもなったつもりか? 長生きしすぎて傲慢になったんじゃねぇの? ちと頭冷やせよ」
優しい言葉で慰めてもらうことでも望んでいたのか。
俺の言葉を聞いた魔王はそこでようやく振り返った。漆黒の髪と瞳が内心を反映したかのように揺れる。魔物を前にした生娘の如き掠れ声が響いた。
「……え? ガル、ド……?」
俺はボリボリと頭を掻いた。神経を逆撫でする声を意識して作る。
「だってよぉー、よくよく聞いたら、つまりこういうことだろ? 私を悲しませないために人間さんたちは安全が保障されたカゴの中で生きて下さい。それ以外の生き方は認めません……ってな具合じゃねぇか。いやいや、そりゃあ傲慢だろ。まさしく魔王の所業だぜ!」
ここ最近ですっかり板についてしまった露悪的な悪役仕草を披露する。
言葉の節々で不快を煽る抑揚をつけ、所作はいちいち鼻につくよう大袈裟に。呆れたと示すように両腕を緩く広げ、肩を竦めながら首を緩く左右に振る。
腹立つだろう。存分に腹を立てろよ。取り繕うことなんてやめちまえ。
「『私』はっ!」
魔王が金切り声をあげた。
世界が割れる。巡る魔力の操作を魔王が放棄した瞬間、世界は途端に絶望の歪みを覗かせる。これが昔の連中が好き勝手やらかした後のツケだ。こんなの、一人で背負えるもんじゃねぇだろ。
全力で魔力の流れを整える。
う、おッ……きっついな、こりゃ……山を持ち上げているような気分だ……! 手が……両手の感覚がおかしくなる……! 筋肉を使ってるわけでもないのに勝手に震えてくるぞ……くそが!
魔王がハッとした顔をする。そして覗かせた怒りを引っ込めるべく深い呼吸を繰り返す。
魔王は感情を持つことを許されていない。感情を乱せば世界が荒れる。だったら今日は関係ねえ。終末予告は各所に提出済みなんでね……!
俺は両手をポケットに突っ込んで平静を取り繕った。口の端を吊り上げて言う。
「私は? なんだよ。続きがあるなら言ってみろ。否定しなけりゃてめぇは人の運命を牛耳る傲慢な神気取りってことだぜ、おい!」
人形へと戻りかけた顔に再びの生気が宿る。臆病なガキが、それでも譲れぬ一念を表に出すために作った拙い怒り顔。
人に寄り添い、そして意思を獲得したのなら、人のようにわがままに、みっともなく発散してみせろ。俺が全部受け止めてやる。お前が俺にそうしたように。
「ガルドは、何も分かってない……! 『私』のせいで人が傷付くのは嫌だっていうのは……そんなにおかしいことなのっ!?」
「自分が傷付かないために人を縛り付けてるだけじゃねぇのか?」
「そんなこと思ってないっ!」
知ってるよ。お前がどんな思いで世界を繋ぎ止めて来たのかなんて。
お前がいなけりゃとっくに人も世界も滅んでるんだ。世に言う女神がいるとしたら、そりゃこいつだろうよ。
肯定してやりたい気持ちを押し殺して煽る。いま必要なのは傷の舐め合いじゃねぇ。変わる覚悟だ。
「だが人の運命を縛り付けてるんだ。傲慢なことには変わりねぇだろ?」
「それは……ッ!」
卑怯な言い方だろう。自覚している。
魔力ってのは人の世に根を下ろしすぎたんだ。多大な影響力を有しているからどうあがいても人を縛る。俺は反論できない事実を酷く嫌らしい言い方で突き付けたのだ。
世界の歪みが重さを増す。
勢い任せに口を開いた魔王が二の句を継げずに押し黙る。のしかかる諦念に屈するように頭を垂れ、ゆっくりと口を閉じ……言い訳みたいに呟いた。
「じゃあ……どうすれば、よかったの……」
その言葉が聞きたかった。
鼻で笑う。魔王よ、俺は人として生きたぞ。そして学んだ。人ってのは、一人じゃ生きられねぇのさ。
「んなもん、決まってんだろ」
嗤う。さながら、市井で催される勇者活劇に登場する憎まれ役――魔王のように。
「全部まわりのやつにぶん投げるのさ。要は丸投げよ。すっきりするぞ〜。まさに肩の荷が下りるってやつだ」
俺はいくらかシンプルな答えをお出ししたつもりなのだが、魔王にとっては随分と難解な式であったらしい。
弾かれたような勢いで顔を上げた魔王が眉間に深い皺を作った。女としてはだいぶアウト寄りな顔である。
言葉の意味を咀嚼しているのか、魔王が短い間隔で瞬きを繰り返す。それでも上手く飲み込めなかったらしい。焦点の定まらない目を向け、虫の鳴くような声を出す。
「なに、を……なんて……?」
ならば何度でも言おう。これが俺の見出した最低最悪、そして最高の処世術よ。
「丸投げだって。あとはお前らでやれっつって全部ぶん投げるんだよ。然るべきやつらにな。簡単なことだろ?」
「簡単って……! そんなの、どうやって……」
「この世から魔力を消す」
「…………!」
「お前ならできるだろ? こう……一つ残らず空の彼方にでも飛ばせばいいんじゃね? そうすりゃ魔物も呪装も生まれなくなる。んで、あとはご自由にどうぞって寸法よ。簡単な話だろ?」
人の手に余るなら、人の手の届くところになければいい。赤ん坊の誤飲防止のため床に小物を置かないなんてのは常識だ。程度の差はあれ、つまりはそういうことである。
「簡単な、話って……」
理解を超えた話をぶち込まれると面白い反応をするのは人も魔王も同じらしい。
片手で頭を押さえた魔王がふらつく。咄嗟に右足を出して体勢を整えて深呼吸。二秒ほど目を瞑り、そしてようやく落ち着いたのか、つまらない無表情に戻ってしまった。
「……馬鹿げてる。そんなことをしたら……"人"は消えてなくなる。それだけじゃない。ガルドも、私も……シンクレアとレイチェルだって」
「おうおう、ナメられたもんだぜ。ンなこと五年前に散々っぱら話し合ったじゃねぇか。俺が何の対策を講じてねぇマヌケだとでも思ってんのか?」
「…………っ!?」
「腹を割った話し合いがそれなりに実を結んでね。見つけたぞ。人を生かす方法を。クローンっつってな? 俺の魔法と併せりゃ、魔力に依存しない身体を人に与えてやれる。もちろん俺たちもな。死んだら光の粒になる怪しい身体とは晴れてオサラバだぜ!」
死んだら女神様の元へ還る?
馬鹿らしい。死ねば生きた証が残るもんだろ。その後は荼毘に付すなり土に埋めるなりするんだ。そうして決別を終える。それが人の、あるべき一生よ。
「……でも……だとしても……魔力がなくなったら、生きていけない人もいる、はず……。そうしたら……また人同士の争いが、起きるよ……」
「だからナメんなって。それも対策済みだ」
今日、この日のためにあちこちを駆けずり回ったんだ。解決の目処は立っている。
「エルフ連中が後生大事に抱えてた昔の連中の使ってた技術を拝借する。全く同じものができあがるとは言わねぇが……著しい生活水準の低下は起きない見込みだ。あいつらすげぇぞ? まさに好奇心の化け物だ。あと数年もすりゃ各地の街で魔力や魔石に依らない生活基盤を確立させるだろうよ」
そしてその技術は人が受け継ぐ。職にあぶれるやつは出るだろうからな。学のないやつには力仕事でもさせておけばいい。
もちろん完璧にとはいかないが、破綻しない程度には回るさ。サボってるやつは頭を引っ叩けばいい。そういう時代になる。
「っ……でも! そんなに何もかも上手くいくわけない! 見てきたの……見てきたんだから……魔物がいなくなったら……人は、人と争うの……」
「冒険者ギルドっつう組織がある。頭の悪いゴロツキ崩ればっかりの連中だが……優秀な頭さえ確保すりゃ自警団として機能するだろう。王都スラムの連中も巻き込んで組織を拡大させる。国の衛兵と併せて治安維持に駆り出しゃ大事になる前にある程度鎮圧できる見込みだ」
王都スラムの連中は革命を為した後に各地へ散り、勇者に頼らずとも自活できる環境を整える予定だったと豪語していた。ならば死ぬ気で働いてもらおう。やりたいやつに丸投げってのはこういうことさ。
当然ながら清く正しい運営が行われるとは思っていない。慈善事業ではないのだ。人員を回すのに金が要るとなれば集金構造の確立は必須で、そうなれば相応の癒着や腐敗は生まれるだろう。
だがそれを解決するのも人の役目だ。一から十まで解決に尽力するつもりなんてない。それじゃ何も変わらないからな。国と組織の長に胃を痛めてもらうとするさ。
「…………」
「おっ、反論はもう終わりか?」
「……ガルドは」
「おう」
「本当に、約束を、守ってくれるの……?」
「……おう。もう逃げるつもりはねぇぞ。少し前に言ったろ? 俺は既に快適な余生を視野に入れてるんでね」
震え混じりの声に、俺は余裕の態度で応じた。いっそう乱れる魔力を必死こいて御しながら、内なる苦労をおくびにも出さず不敵な笑みを浮かべる。
「人として生きろってお前に言われてからよぉ、俺は――そりゃあもう好き放題やったぜ? まずは姉上らに仕事を丸投げして贅沢三昧よ。王都の闇市の連中をカモってボロ儲けしてよぉ、そんで飲んだ酒は格別な味がしたね」
一手仕損じれば身ぐるみを剥がされかねない魔境でしてやった時の快感と言えばもうね。筆舌に尽くしがたいものがあるんだ、これが。命と金を天秤に乗せて行うギャンブルみたいなもんだぜ。最高の酒のアテじゃないか。
「まあ、王都でそんな生活してりゃ姉上らに邪魔されるわけよ。そこで隠れ蓑にしたのがエンデの街だ。あそこはいいぞ。なんたって姉上が来ねぇからな。のびのびと過ごすにゃもってこいだ」
雑多で猥雑。来るもの拒まずのごった煮みたいな街は、その煩さに反して意外なほどに居心地が良かった。
王都には劣るものの商売が盛んで、なにより飯が美味いのがいい。もちろんハズレも数多く存在するが、それすら当たりを見つけるための踏み台みたいなもんよ。玉石混交の中から光り輝く玉を見つけた時こそ感動も一入ってね。
「冒険者になりゃ割り引きが利くっつーから早速足を運んでよー。あぁ、そういやこの話は前にもしたっけか? ま、いいか。また一から聞いてけよ」
本当にいろいろやったなぁ。
アホな連中の財布をスッた回数は両の手じゃ数え切れんね。ギルドの規約を破るすんでのところまで粘ってたら口うるさい受付嬢と口論になったりな。んでそんなことを繰り返してたら大事に発展してギルドマスターから呼び出しよ。あれにゃまいったね。
ところがそんなことで挫ける俺じゃない。柔軟な発想に咄嗟の機転、そして手練手管を活かして街全体を巻き込んで荒稼ぎよ! いやぁ、あれは……本当に、楽しかった。ああ……そうだな、楽しかったよ。
「でも処刑されてたよね」
ばっかお前。お前な、ありゃ言わばハンデみたいなもんよ。人がどれほど俺に追い縋れるか試したっつーかね。勇者の課す試練、的な? まあ人にしてはやるじゃねぇかっつーね。そんなところだ。負け惜しみじゃねぇよ。だから忘れろ。いいな? よし。
その他にも……色々やったなぁ。俺だってたまにゃいいことしてんだぜ? 孤児のガキに食い扶持を与えてやったりな。あとは孤児院設立なんかに一役買ったりしてよ。ま、後者はただの成り行きだがね。『聖女』のやつに付き合ってやっただけだ。
「『聖女』?」
ああ、エンデにいる腹黒女だな。頭が切れるがポンコツでな。クソみたいな恋愛相談に付き合わされてうんざりしたこともあるぞ。存在そのものが詐欺みてぇな女だ。そいつに協力して一儲けしつつ人助けまでこなしてやったってわけよ。まあ……最終的に首落とされたんだけどな。
『また』って言うのやめろ。それ地味に腹立つやつだから。事実でも言っていいことと悪いことがあるんだよ。理解しろ。理解したな? よし。
まぁ、そんなこんなでやりたい放題やったわけよ。人として生きろって言われたからな。存分に楽しんだぜ。
普通の人はそこまで無茶しない? 知るかよ。当時の俺にとっちゃ人ってのぁそういうふうに映ってたんだからよ。金と飯の話ばっかりで自堕落三昧。それが俺にとっての……人だったんだ。だから俺はそう生きるべく持てる力と知恵の全てを行使した。それだけのことよ。
「ふふっ……最低なこと言ってる」
「おう。今となってはそれなりに自覚はあるぞ。その分いくらかマシだろ」
あの時の俺は……能天気な顔して飲んだくれてるやつらが酷く羨ましかったんだ。
背負うモンがなくて、どこまでも無責任で、下卑た会話で下品な笑い声を上げる下衆なやつら。紛うことなき吹き溜まりのクズだ。
そいつらと似たような生活をしてみて思ったよ。ああ、悪くねえなって。
「人なんて救う価値があるのか、なんて口走ったことあったよな」
「……うん」
「今ならはっきり言えるね。救ってやってもいい。……あいつらは美味い飯と美味い酒を作る。それだけで十分だ」
天まで届く祈りの念も、地を揺るがすほどの賞賛の声も、腹が膨れないんじゃ等しく無価値だ。モノを寄越せ。それだけでいい。なんて謙虚な勇者様なんだろうな?
「ひどい傲慢。『私』にあんなこと言ったくせに」
「だから言ったろ? 全部丸投げすりゃいいって。それが今の俺だ。クズと呼ばれても笑ってみせるさ」
肩を竦め、おどけて笑う。
魔王は泣き笑いみたいな下手くそな笑みを返した。
「ずっと、悩んでたの」
「何を」
「ずっと、ずっと先のこと。……人も、ガルドたちもいなくなったら……その時『私』はどうなるんだろうって」
途方もない話だ。
しかし、それは魔王にとっていずれ訪れる現実だったのだろう。
もとより安定とは程遠い世界だったのだ。とびきり危険な呪装が頭のおかしいやつに渡った時点で国は傾く。暗君が王の座に就けば終わりだ。宰相が乱心しても同様である。俺たちが限界を迎えた時もまた。
「考えるのは……怖かった。怖かったよ……。魔物しかいない世界なんて、考えたくもなかった。でも解決策なんてなくて……ずっと目を背けてた」
「俺も頼りにならなかったしなぁ」
「ほんとうに。……『私』を終わらせてくれなかったくせに、自分だけ一人で楽になろうとして」
「悪かったって」
「……でも、戻ってきてくれた。……それで、何を言い出すかと思ったら……全部丸投げすればいいって……馬鹿だよ……信じられないくらい、馬鹿。……悩んでたのが、馬鹿らしくなるよ……」
魔力の乱れが強まる。俺の力ではじきに制御できなくなるだろう。
空に向けていた視線を隣へ移す。熱と潤みを帯びた視線が俺を射抜いた。
これが諸悪の根源だと? 笑わせる。何が魔王だ。
「……名前を付けてやる」
「え……?」
「魔王、なんてふざけた呼び名でどうするよ。どこぞの馬鹿が付けた蔑称なんて捨てちまえ。これから俺と一緒に人の世で生きるんだぞ? だってのにそれじゃあ駄目だろ」
「……待って、ガルド……ッ!」
ビシリ、と、世界が罅割れる音がした。
魔力の乱れが加速する。もはや俺が御せる域にない。全天に奔る無数の亀裂は世界の終わりを想起させるに十分な光景だった。
ふむ、もう一押し必要か。俺は言った。
「どんな名前がいいよ? 希望はあるか? つってもどんな名前にするべきかねぇ……知り合いと被るのは避けたいよな」
「だめ……! 待って、それ以上は……!」
左の胸を両手で押さえた魔王が息絶え絶えの様子で後ずさる。全力疾走したあとの人間よろしく熱の篭った呼気を吐き出し、潤んだ瞳で俺を見上げる。懇願するような声で言う。
「お願い、待って……! 抑えきれなく、なるから……!」
魔力を循環させる作業というのは想像を絶する集中を要するのだろう。ほんの少し心を乱すだけで綻びを生むほどに。
つまり少しは効いてくれたってわけだ。ならば後は決壊させるだけよ。抑えきれなくなる? 上等だ。
「言ってるだろ。対策済みだってよぉ」
「…………っ!」
「姉上らは既に配置に付いてるぜ。どれだけ魔物が押し寄せようが……各地を飛び回って対処してくれるさ」
全力の俺をあそこまで追い詰めた二人だ。心配する理由が欠片も見当たらない。
詩劇に謳われる完全無欠の勇者は――ひどく都合のいいことに二人も実在するんだぜ。
「姉上らだけじゃ手が回らないところには……力強い馬鹿どもに任せてある。イカれエルフもいるぞ。それに……頼もしい相棒がいるからな。あの勇者がいりゃ、魔物が束になったって敵わねぇよ」
世界を守る者が勇者なら、クロードだって紛れもない勇者だ。……いや、勇者たちか。云千人も該当者がいるじゃねぇか。全く、安くて薄っぺらな称号だぜ、勇者なんてよぉ。
「ガルド……」
「さて、そういうわけで最終確認だ。後々になってやっぱ嫌だなんて言われたら堪らねぇからな。今日は……そのために来たんだ」
魔王が後ずさった分だけ距離を詰める。大股で二歩も詰め寄れば目の前に折れてしまいそうなか弱さの身体があった。互いの熱が伝わる距離だ。聞こえなかったなんて言わせねぇぞ。
「長い間、お疲れ様だったな。つーことで、全部丸投げしようぜ? もう頑張っただろ、俺ら」
「ぅ……ぁ……」
お疲れ様、か。
俺はこいつに何度も言われた言葉なんだけどな。俺から言ってやったのは……初めてだ。面と向かって言うのは小っ恥ずかしいな、こりゃ。
「これからは自堕落に生きようぜ。大丈夫だ、金が入るアテはあるんだぜ? 遊んで暮らせるさ。その通りの意味でな。クソほど働かされた分、飽きるほど怠惰に過ごしてやろうぜ」
「が……るどぉ……!」
縋るような声が耳を打つ。しゃくりあげるように肩と胸を震わせて、しかし涙は流れていない。
それじゃあ駄目だな。俺はクソほどみっともない姿を晒したんだ。だったら、何もかもを吐き出させて、それでようやく対等だ。
「……一回しか言わない。よく聞け」
すんと鼻を鳴らして俺を見上げる魔王へ言う。
「お前を自由にできるのは、世界で俺だけだ」
傲慢も突き詰めれば勇気になるだろ。大言壮語を吐けよ。俺は世界を救う勇者だぜ。
「お前の運命を、俺に預けろ」
俺は両手を広げた。ただ一人分の居場所を作る。
「俺と一緒に……人として生きよう」
世界の壊れる音がした。
それは少女がみっともなく泣き喚く声に似ていた。
「う……うわああああああああああぁぁぁっっ!!」
顔をくしゃくしゃにした魔王が俺にしがみついた。
泣いて、泣いて、泣いて――すべてを吐き出してから、また吸って、顔を胸に擦り付けて、泣き続ける。
「ああああああああああぁぁぁぁぁっ! うわあああああああああああああああん!」
崩壊した世界で彼女が泣く。
俺はただ、震える身体を抱きしめ続けた。




