続きから
「最上級の肉を包んでくれ。二人分な」
「ん」
「あ、脂身があんまり多くないところで頼むな。でも赤身ばっかりってのは駄目だぞ。バランスは大事だからな? 焼いたら自然と脂が浮き出て、それでいてしつこくない旨味と柔らかさが味わえるところをくれ」
「ったく……久々に来たと思ったらうるさい注文を付けおって。ギルドに突き出すぞクソガキが」
「相変わらず口悪ぃな……ライファ爺さんよぉ」
俺がそう言うとライファ爺さんは心底不快げに鼻を鳴らした。ここまで露骨に『早く帰れ』と言外に示されると傷付いちまうぜ。
まぁ、普通に営業妨害だしな。業者へ卸される前に肉をせしめるのは違法でもある。いい顔をしないのは当然だ。
それでもいつも通り便宜を図ってくれるあたり、やはり利に聡い人物との縁とは繋いでおくべきだと実感するね。
吹き抜けた一陣の風に思わず目を細める。
エンデからほど近いツベートの街は今日も平和そのものだ。広大な緑が広がる農牧地では流れる時間が緩慢で、目が回るようなエンデと比べると何もかもが物足りない。ほんに退屈な街である。
「ほれ。さっさと受け取れクソガキ」
「おう、悪いね」
「ふん……」
エイト人格は捨てた。捨てたが……それは今後二度と使用しないというわけではない。
今の俺はうだつの上がらない冒険者エイト。そうでなくてはライファ爺さんに話が通らないからな。使えるものは使うのが俺の流儀である。
しかし……。俺は思わず笑みを零した。
輝かしき勇者の威光に、錆に塗れた鉄屑の光が勝るんだから世の中ってのは分からんものだ。この爺さんにガルドの顔で現れて『俺は勇者だ。肉を寄越せ』なんて言ったところで帰れと一喝されるだけだろう。冒険者上がりの気骨は伊達ではない。
「……で、最近のゴロツキ稼業はどうなんじゃ? いい加減、嫌になって牧童になる決心でも固める頃合いじゃないんかの?」
ライファ爺さんは事あるごとに後継者の座を俺に押し付けようとしてくる。【伝心】を使った家畜どものお悩み相談で相当な貢献をしているからだろう。
ライファ爺さんからすりゃ、俺はちょっとした時間で頭の痛い問題を解決していく凄腕の医者みたいなもんだ。家畜の世話が俺の天職だと思い込むのも無理からぬこと。実のところは何もかも魔法のお陰なのだが、それは爺さんの知らぬ秘密である。そして後を継ぐ気も更々ない。
「まだ言ってんのかよ爺さん。俺ぁこんなつまんねぇ街なんかに腰を落ち着ける気はねえっての」
勧誘を突っぱねるも頑固な爺さんは引かない。嗄れた――しかし年齢を感じさせない深い声で言う。
「鉄錆が何をナマ言うとるんじゃ。つまらないだと? ふん……魔物なんぞをブッ殺すよりもよほどやり甲斐に満ちておるわ」
「そう言われてもなぁ。俺、家畜のフンの臭いとか苦手なんだわ」
「ブサイクな嫁と同じじゃ。三日で慣れる」
「こんだけ田舎だと近所付き合いとかも面倒そうだし」
「否定はせん。よそ者はろくな知識も持たずに舐め腐った仕事をしたあげく害獣の繁殖を助けたり、土地を荒らすだけ荒らして逃げ帰ったりするからのう。良い印象は持たれぬよ。だがその辺はワシがきっちり仕込んでやる」
「なんか今日はやたら熱心だな……もうお迎えが近いのか?」
「バカクソが。あと二十年は死んでやらんわ。死神なんぞ来ようもんならブン殴ってその鎌で収穫を手伝うよう怒鳴り散らしてやるわい」
この寄る年波を感じさせない切れた返しときたらどうだ。これでこそ元冒険者である。
騏驎も老いぬれば駑馬に劣るなんていうが、俺から言わせりゃこの爺さんはまだまだ一線級だぜ。
「その調子ならまだ後継者探しは続けられそうだな。ま、頑張れや」
「これだけ言うてもまだ分からんのか。……魔物を狩る者は確かに必要じゃろう。じゃがな……そんなもんは才気に溢れたモンに任せておけ。鉄錆風情が無理をしたところで……何も遺らんぞ」
妙に含蓄のある言葉だ。きっとそういうやつを何人も見送ってきたんだろう。この爺さんからすりゃ俺は死にたがりのアホにでも見えてるのかね。
「お気遣いどうも。だが心配は無用だぜ、爺さん。俺はもう冒険者を辞めるんでね」
「何だと?」
「ちょいと野暮用でね。なんて言えばいいか……家の事情? 的な? 暫くはここにもエンデにも顔を出せねぇだろうよ」
なんせ国中を回らにゃならんからな。わりと大掛かりな仕事になる。クローンや薬の生成なんかも考慮すると……パッとやってハイ終了とはいかんだろう。
「暫くとは、どの程度じゃ?」
「さぁなぁ。三年か、五年か、もっとかかるか……」
「…………」
俺の言葉を聞いた爺さんが押し黙る。その沈黙で何を差し引きしているのかは、敢えて聞かなかった。
「…………クソガキ、ちと付いてこい」
「あん? 何処へ?」
「いいからこい」
「おいおい……ったく強引だな」
爺さんは俺の返事も待たずに歩き出した。無視してもいいのだが……肉を譲ってもらった恩もあるので付いていく。ギブアンドテイクというやつだ。
長閑な景色をぼんやりと見つめながら踏み慣らされた農道を歩く。そうして辿り着いたのは爺さんが所有している厩舎であった。
こちらを微塵も気に掛けることなく爺さんは進む。そして二匹の馬の前で足を止めた。顎で馬を示して言う。
「見ぃ」
「ん……? ああ、こいつは」
見覚えのある馬だった。
立派な体躯に整った毛並み、そして程よく張りつめた四脚は己が類稀なる駿馬であると主張しているかのようだ。
嵐鬼騒動の後、療養の名目でツベートに来た際に面倒を見てやった雄馬だ。隣にいるのはその時に見つけた番だろう。
「立派に孕ませよった。じきに優秀な若駒が産まれるだろうよ」
「ほぉん」
身重になった牝馬を見る。当然と言えば当然なのだが、どれだけ馬面を眺めてもその内心を察することはできなかった。
ボケっとした俺の注意を引くかのようにブルルっと雄馬が嘶く。中々に我が強い雄馬と目が合う。己の仕事を果たした雄馬の顔は――ただの気のせいかもしれないが、どこか自慢げに見えた。
「……端から見りゃ、家畜や作物の世話なんぞ泥臭くてつまらんかもしれんがの……魔物とはいえ、命を摘むことを生業にするよりは余程マシじゃ」
その手を血に染めることを誉れとする冒険者稼業に、爺さんは長い半生を費やした。濃密な時だったことは想像に難くない。そのうえで導き出した結論がこれである。
重いな。色々と。或いは俺の言葉なんかよりも。
「命を繋ぐ仕事なんじゃ。そう言い換えれば、ちっとは格好もつくじゃろう」
「命を、繋ぐ」
勇者の命は途切れることがない。どれだけ死んでも意識が連続している。破綻した命だ。命というよりは――もはや現象に近いんだろう。
だからだろうか。その言葉は、俺の中で妙に響いて……言い表せない余韻をもたらした。
立ち尽くす俺にライファ爺さんが言った。
「気が向いたら……戻って来い」
▷
エンデの街全域が火に包まれたかのようなお祭り騒ぎから一日が経過した。
再びの二日酔いをポーションで無理やり治した俺は諸々の準備のためにツベートへ来たのだが、そこに広がっていたのは何とも拍子抜けする光景であった。
風に揺れる作物。
草を食む家畜。
他愛ない話で盛り上がるじいさんばあさん。
柔らかな日差しに川のせせらぎ。
絵に描いたような平和そのものである。ライファ爺さんもそうだったが……街一つ離れりゃこんなもんよな。エンデの連中は既に勝利を確信していて早馬での連絡も放棄したらしいし。豪胆なやつらよ。
まぁ、俺も負けるなんて微塵も思っちゃいないがね。
川べりの土手に尻を落ち着ける。何となしに空を見上げて俺は言った。
「お前は昨日なにしてたんだ?」
俺と同じように空を眺めているクロードが答える。
「『石級のクロード』として接してた人たちに挨拶をしてました。……一応、正体を偽って接してたことになるので」
「ああ、そうか……お前、冒険者として活動してたんだったな。そりゃ知り合いの一人や二人はいるか」
「ええ、まあ」
「なんか言われたか?」
「お前だったのか! ……と。驚かれはしましたが、それだけですね。しばらくしたら皆いつも通りに接してくれました。……少し茶化されたりしましたけどね。兄に比べてなよなよし過ぎだって」
「違いねぇ」
自然と息が漏れる。隣からも自嘲するような――あるいは安堵するような――息遣いが聞こえた。
これから世界を救おうってやつ二人に対してどこまでも無礼なやつらだぜ。銅貨一枚分の媚びすら売らねぇとは恐れ入る。世に幅を利かせてる救世の勇者であろうとも、エンデの街じゃ飯の食い上げだぜ。
「前に言ったろ。そんな言葉遣いと態度じゃ舐められるってよ」
「あはは……まあ、舐められないために無理して突っ張るのも僕らしくないかなと」
僕らしくない。……僕らしくないときたか。
そうか。そうだよな。お前はもう……俺とは別の道を歩いているんだよな。
記憶も力も同等で、しかし経験が異なればそれはもう別の人物だ。そう理解した気になっていたが……ふとした瞬間にはっとさせられる。クロードの運命は、クロードのものなのだと。
「なあ」
「はい」
「お前、俺のこと恨んでたりする?」
「恨む、ですか?」
「なんつーか……生まれた時点で重荷を背負わされてる状態っつーの? 記憶を持ったままイチから人生を始めるってのは……もしかしたら最悪なことなんじゃないのかと思ってさぁ」
自由な意思がないと聞いたから俺はクロードを使役しようとした。人の代替物として。
しかしながらその過程で俺はクロードに記憶と意思を与えてしまった。言い繕うことのできない不手際である。
そうして生まれたのは――人に余る勇者の力と勇者ガルドの記憶を持つただの"人"だ。
正直、恨まれても文句言えないんじゃないかと思ってる。根が悪人なら『この力で好き放題させてもらうぜ! ありがとよォ!』なんて言い出しそうなのだが、あいにくとクロードは――ガルドは逆の性格である。一人で気を揉んだあげく、行き場のない鬱憤を俺に向けてもおかしくない。
だがクロードは俺の言葉を聞いて笑った。
「そんなの、最初からだったじゃないですか。今更でしょう」
「最初から……。そうか……確かに、そうだったな」
Type:Guardという型番が与えられた時からそうだった。言われて納得、俺も最初からそうだったのである。
「だから……僕にとってクロードは、イチからじゃなくて、続きからみたいなものなんですよ」
「なるほど。それは分からんな」
「でしょうね」
少し前は互いの全てを理解していたのに、月日が経てばこの通りだ。
男子、三日会わざれば刮目して見よ。見遣ればますます見違える。もはや俺にあらず……ってか。
「なぁ、諸々が片付いたら姉上らに会いに行こうぜ」
「……なんて言って顔を合わせればいいんですかね?」
「弟でーす、とでも言えばいいんじゃねぇの? あいつらアホだから納得するだろ」
「いやさすがに……いやでも、うーん……納得しそう」
「だろ?」
「あはは……じゃあ、それでいきます」
クロードが困惑を滲ませた笑みを浮かべた。
姉上らの素っ頓狂な発言を聞いた時の俺に似ていた。
「あとは……魔王のやつにもな」
「…………ええ」
長い沈黙の後、クロードが呟く。
「さっきの問の答えですが……恨みは、ありません。それでも……心残りはあります。……彼女から逃げたこと。約束を果たせなかったこと」
クロードは俺の記憶を持っている。ありもしない罪悪感の十字架に縛られているのだろう。
「多分、僕では彼女を救えないでしょう。……そんな勇気もありませんしね。本当に相応しいのは誰なのか……他ならぬ僕ならよく知ってます」
果ての見えぬ彼方を見つめていたクロードが立ち上がり、そして俺を見た。
「彼女を……世界を、任せました。……ガルドさん」
「ったく……クソ重いモン背負わされちまったぜ」
地に手を付いて立ち上がる。手のひらとケツに付いた土と草を振り払う。
クロードの視線を受け止め、俺は笑った。
「ま、俺の快適な余生のためだ。世界くらい、序でに救ってやるさ」
「頼みます」
「ああ。……そっちも頼んだぞ。クロード」
「任されました」
はっきりとした声だった。満ちた自信を知らしめるかのような、まさしく勇ましき者の呼応。それを聞いてなお心配を寄せるほど……俺も過保護じゃない。
俺たちは――まるで双子のように同時に――身を翻した。
振り返る必要はない。背を預けるに足る存在であることを理解しているから。
そうして俺たちは、異なる道を歩き始めた。