佳い女、健気な子ども、ダメ男
飯処やら宿屋やらは経営者のこだわりが暴走するのか、妙に小洒落た屋号を掲げているのが世の習いである。
『燕の止まり木亭』なんて看板を掲げたあげく、立地やら人員やらのせいで閑古鳥しか止まらなかったこの宿の現状を知ったら創設者はどんな声で鳴くのだろうか。
取り留めもない思考を弄びつつ扉を開く。鍵は空いていた。
どうやら運がいいらしい。最悪、鍵を破って押し入るしかなくなるところだったからな。さすがの俺も善人の家の鍵を破るのは心が痛むのだ。空き巣というのは最も唾棄すべき行為の一つなのである。
「邪魔するぞー」
宿から孤児院へと営業形態を変えるために内装を整えたおかげか、入口から続く廊下は前と違っていくらか華やかに見えた。これなら多少は『帰ってくる場所』としての体裁は成しているだろう。
「はーい! ……あっ……!」
「うーす」
奥の部屋から出てきた女将が俺を見て小さく声を上げた。
驚きに目を瞠ったのは一瞬。すぐに包容力を感じさせる目付きに戻り、そしておっとりとした調子で言う。
「……お帰り、エイトちゃん」
娼館なんぞ利用したことはない。だが……この女将が男連中から人気を集める理由がなんとなく分かった気がする。
「エイトちゃんって。今の俺は一応ガルドなんだがな」
「えー? じゃあガルドちゃん?」
「せめてちゃん付けはやめてくんねぇかな……」
「ふふっ……だめ」
人の懐にするりと入ってくる……というより、いつの間にか懐に抱えられているような感覚。母性とでもいうのか。親を知らん俺には推測しかできないが、大きく的を外してるってことはないだろう。
軽い挨拶を交わしていると、女将が出てきた部屋の中からドタドタと複数の足音が響いた。三人のガキがひょっこりと顔を出す。
ツナ、アンジュ、ミック。いつものガキ三人組だ。
「オッ……ゆ、勇者、さま……」
おいツナてめぇいま俺のことオッサンって言いかけただろ? ふざけやがって。未だに俺をオッサンと呼ぶのはてめぇくらいだぞ。親と違って愛想のねぇガキンチョめ。
その点俺は大人である。余裕の振る舞いで廊下を進む。
「団欒中だったか。邪魔したな。私物を引き払ったらすぐに出る」
鉄級のエイトとして過ごすにあたって購入した私物は全てこの宿に置いてある。いつまでも放置しておくわけにもいかない。俺の私物を孤児のガキの目に付くところに放置するなど愚の骨頂よ。イタズラでもされたら事だ。
「なら私もついていこうかしら」
「いや一人で十分だが?」
「みんな。私はちょっと勇者様と話があるから部屋で待っててね?」
「聞けや」
聞いてくれなかった。
女将は二階にある俺の部屋まで付いてきて、一人勝手に喋り始めた。
「なんか、懐かしいわね。エイトちゃん、露店で見つけた変なものをよく買い込んでたっけ」
「変なモンじゃねぇよ。まあ、確かに買って後悔したもんも少なくねぇけど」
この調理器具セットは失敗だった。やたら種類豊富なくせして用途が限られている道具が多いので、そのほとんどがホコリを被っていたりする。一回も使わなかったものも少なくない。売り手のオヤジの実演が上手いぜ、ありゃ。
「おっ、どこでも屋台セット。こいつは俺のお気に入りだぞ」
丈夫な作りをした異なる大きさの木片を手順通りに組み立てれば即席屋台を作れるセットだ。
組み方を変えて適切な器具をセットすれば飯も作れる。詐欺を働く出店も作れる。すぐに畳んでドロンできるので夜逃げも簡単。エンデに広く流通している実に優れた道具である。
「ふぅん。でも私、エイトちゃんがそれ使ってるところ見たことないけどなぁ」
「すっとぼけるなよ。……女将はもうなんとなく察してるんだろ?」
「……あら、顔にでちゃってた?」
「なんとなくだ。ちょいちょい探りを入れられてたし、こっちも薄々察してたっつの」
俺は女将から見るとふらっといなくなっては高い酒やらつまみやらを食い漁っている野郎に見えるだろう。鉄級冒険者は贅沢できる身分などではない。怪しまれないほうがおかしいって話だ。
「いけないいけない。気をつけなくっちゃ」
「……よく俺を治安維持担当に突き出そうと思わなかったな」
「あら? 知らないの、エイトちゃん」
肌を隠す服装を纏うようになり、それでも妖艶な色香を振りまく女将は悪戯っ子のようにウインクしてみせた。
「男の秘密とか、知られたくない弱い部分とか。そういうのはね、天まで抱えて持っていくの。それが娼婦の矜持よ?」
「…………そうかい」
佳い女ってのは、こういう人のことを言うんだろうな。
「……なぁんて、ほんとはお金払いのいいお得意様がいなくなっちゃうのが嫌だっただけよ」
その後のフォローも含めて。
「それにね……エイトちゃん、あの子たちに生きる力を与えてくれたのは……エイトちゃんなんでしょ?」
その気に応えるつもりのない俺は、悪い男のままでいい。
「はぁ? んなわけねぇだろ。孤児のガキを唆したやつは処刑されたと聞いたぞ」
「……私とティナを引き合わせてくれたのは、ただの偶然?」
「何を言ってるのか分からんね。『聖女』の威光を利用して金を着服した……あー、ニコラスだったか? あいつも首を落とされて死んだろ」
「…………うん、そうだったね。ごめんね、変なこと言って」
女将は短く息を呑んだ。ほんの少し――注意して聞かなければ気付かないほど少しだけ声を震わせて、言う。
「……すごい魔法に掛けられた気分だったの。それこそ、物語に出てくる勇者様しか使えないような、すごい魔法を。その魔法は……いま、解けたみたい」
「はぁ……」
チッ。恨むぞ女将の元旦那よ。こんな女を遺して先に逝くなんて、お前は世紀の大罪人だぜ。
微妙な雰囲気が流れる。気まずい時間だ。
その空気を引き裂いたのはギィと階段が踏み鳴らされる音だった。待てを聞けないガキどもがこっそり聞き耳でも立てに来たんだろう。
「……ふふっ、あの子たちも勇者様と話がしたいみたい。私はお邪魔するわね?」
「おう。……じゃあな。世話になった」
「…………はい」
女将が部屋から出ていく。そして十秒もしないうちにガキ三人がドタドタと部屋に入ってきた。屈み込んで荷物整理をしている俺の肩を掴んだツナが言う。
「オッサン! あんた、俺の母親に変なコトしてねぇだろうな!?」
「開口一番ご挨拶だなてめぇおいクソガキ」
「俺は……あんたが父親になるのは……なんか、あれだぞ……いやぁ……ってなるぞ……」
「よしクソガキ。てめぇは不敬罪で死刑にしてやる。良かったなおい、いつだったかの俺様のギロチンレビューが役に立つ時が来たぞ。感謝しろよ、おう」
クソほど失礼なツナの襟首を引っ剥がして放り投げる。こいつが俺のガキになるだと? バカ言え。こっちから願い下げだっつの。
「……仲いいなぁ。案外お似合いだと思うんだけど」
「黙れアンジュ。……ああ、そういや……アンジュ、すまなかったな」
「……えっ?」
「【洗脳】を使わせただろ。あれはあんまり使い心地のいい魔法じゃねぇ。その後の経過はどうだ? 気分に何か影響は出てないか?」
そう尋ねたところ、アンジュは面食らったような声を出して硬直した。瞬きを繰り返し、見えにくいものを見る老人みたいに目を細めて言う。
「……どうしたんですか? なんか、変に優しくて違和感が……もしかして偽者だったりします……?」
「よしきたこの街の連中にホットなニュースを提供してやろうぜ! おいミック、このクソガキ二人を勇者に対する不敬罪を働いたとして治安維持担当のやつらに引き渡してこい。んで明日の新聞の一面に顔を飾らせてやれ」
「あ、僕確信したよ。この人本物だ」
「チッ……ガキどもが。邪魔すんじゃねぇよ。何しにきた」
そう尋ねると、部屋の隅に転がしたツナが勢いよく飛び起きた。すっと近寄って大きな声を出す。
「そ、そうだ! オッサン、さっきの演説はなんだよ!? 魔物の大群が来るとか、オッサンが世界を救いに行くとか……!」
「なんだもクソもあるか。全部ひっくるめてそのまんまの意味だ。理解できないなら親にでも聞け」
「世界を救うって、オッサンは……何をしにいくんだ?」
「そりゃもちろん魔王をしばき倒しにいくのよ。かっこよくな。今の俺は姉上二人よりつえーんだぜ? チョチョイのチョイで終わらせてくらぁ」
魔王とは世界を裏で支え続けた影の功労者である。そんなことを説いても無駄な混沌を招くだけだ。その事実を知り、理解してやるのは一部の人間だけでいい。
魔王倒す宣言を聞いたツナが視線を床へ落とした。そういやこいつには魔王の正体を告げていたっけか。
「なあ……オッサン。なんか……なんかさ、俺たちにできることってねぇのか? 俺たちは戦うこともできないし、オッサンについて行っても邪魔になるだけだろうけどさ……何かしないと、気がすまねぇんだよ!」
はっ。俺は鼻で笑った。つい最近まで飢えたフリして人にたかろうとしていたガキが一丁前によく言う。
「できることなんてねぇよ。齢十そこらのガキが何を使命感に駆られてやがる。身の程を知れっつの」
「でも!」
「年齢も才能も気合いじゃ覆らねぇんだよ。どうしても不服ならてめぇの母親に言ってこい。どうしてもう五年早く産んでくれなかったんだってよ」
「んなこと、言っても仕方ねぇだろ……」
「分かってるじゃねぇか。仕方ねぇんだよ。世の中にゃどれだけ文句垂れても曲げらんねぇことがある。理解できなくても納得しとけ。今回がそうだったってだけのことよ」
ガキどもは俺の協力のもと新聞社を興して成功を収めた。年端もいかないガキにしちゃ分不相応な成功体験だ。全能感に酔いしれて『自分たちならなんでもできる』などと思い上がってもおかしくない。
だったら俺が……他ならぬ俺がその鼻っ柱を折ってやらねばならない。ガキめ。背負い込むにゃまだ早すぎるんだよ。
「……新聞で、なにかこう、できることはないかな」
絵を描く才を磨くことを決めたミックがぽつりと言う。
もし槍の才能を必死に磨いてりゃ最低限の……本当に最低限の戦力になったかもしれんが、それも所詮はたらればの話である。
「どうしてもってんなら冒険者のアホを鼓舞する記事と、何もかもが終わった後に労いの記事でも書いとけ。それくらいしかできることなんてねぇよ」
「……ですよね」
ミックはそう呟いて項垂れた。
年頃のガキはあれもこれもとねだりたがる。そりゃ贅沢だぜ。何でもかんでもできちまうのは本当に一握りの天才だけだ。自分らの立ち位置がどれだけ恵まれてるかを冷静になって見返してみるといいさ。
その点、アンジュは冷静だ。賢すぎるのも考えものかもな。心の奥にわだかまる弱音を吐き出す相手を見つけるにも苦労しそうだ。
「おう、アンジュ。お前からは何かないのか?」
「え? ふふっ……そうですね、ガルドさんがしばらくいなくなったら、処刑騒動で儲けることもできないなーって悩んでますよ?」
「抜かせ、こまっしゃくれたクソガキが」
「うわひどい! さっきみたいな優しさを分けてくれてもいいのにっ!」
「それはもう売り切れでね。まだのお越しを、ってな」
こちらがアンジュと下らないやり取りをしている間に何らかの結論を下したのだろう。
ツナが分不相応に引き締まった顔で静かに言った。
「……俺さ、書くよ。今はそれしかできないなら、それだけは全力でやる。戦場にだって付いていって……今度こそ、本当のことを書くんだ」
「そうか。ま、ギルドに目を付けられないようそこそこにやるといい」
「僕も……おんなじだ。描いて、伝えるよ。どこの、誰が、どんなことをしてくれたのか。全部」
「おう。せいぜい敵を作らないように頑張れや」
現実を知った上で、なお青臭い理想を掲げるってんならそれもいいだろう。ガキどもの運命を決めるのはガキども自身だ。いちいち口を差し挟むのはもうやめだ。
「ということでガルドさん。世界を救った暁には……私たちの取材に応じてくださいね? 全部、例の漫画に載せる予定なので」
例の漫画。その言葉を聞いてハッとする。
俺はこいつらに言っておかねばならないことがあったじゃないか……!
「……忘れてた! おいミック、お前、あのクソ漫画はいつまで描き続けるつもりだ?」
「クソ漫画って……勇者ゴールドの話ですよね? いつまでって、最後まで描き切るつもり、ですけど」
「最後ってのはいつだ。明日か? 明後日か?」
「いや今アンジュが言ったじゃないですか。世界を救った時の話とか……ガルドさんから聞かせてもらったことは全部描き切るつもりですよ」
全部。全部だと?
ふざけるな。俺は憤った。そんな……そんな盛大な人権凌辱があってたまるかッ!
「ミック。お前さ、もしアレなら、もうあのクソ漫画は描かなくていいぞ? 無理はしなくていい。方針転換は大事だぞ。同じものってのは続くと飽きられる。ずっと同じ飯を食い続けるのは嫌だろ? 同じことだ。アドバイスを贈ろう。老婆心ってやつだよ。他に何か表現したいものがあるだろ? そっちを描こうぜ。な? ん? 正直になれよ。おう」
「なになに怖い怖い老婆心を盾にしながらすんごい詰め寄ってくるよこの人……」
「なんだよオッサン、急にどうした」
「急じゃねぇよ。前々からあんなふざけたクソ漫画は取りやめにするべきだと思ってたんだ。ましてや本にするなんて……あのクソ宰相の思うツボじゃねぇか……ってわけでやめだやめ。分かったな?」
俺の態度に不審なものでも覚えたのか、アンジュが軽く唸って首を傾げた。
「んー……いきなりどうしたんですか? 前に話した時は分け前に納得してたし、あんなに乗り気だったのに」
「そうだぜ。儲かるんだったらいいだろ、オッサン」
「ですよ」
こいつら俺をなんだと思ってるんだ? 金の亡者か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうな……。いくらガキでも失礼の度が過ぎるようなら手を出すぞ。
それに……。俺は笑みを浮かべた。
ガキめ。俺はもうてめぇらが生み出す甘い汁を啜る必要なんてなくなったんだよ……!
「そうそういい忘れてたなクソガキどもよ。今日からは……てめぇらが儲けた金はてめぇらで好きに使え。孤児院につぎ込むも良し。設備や人員の拡充を図るも良し。俺への分け前はもういらん。そのつもりでいけ」
「は!? 分け前が……いらない?」
「ああ。必要なくなったんでな」
そう言い放つとアンジュがこの世に存在しない何かを見るような目を向けてきた。
「え……ほんとどうしちゃったんですか……演説の時の大盤振る舞いといい……報酬の受取拒否といい……やっぱ偽者……あ、もしかしてガルドさんの弟さんだったりします?」
「あんまりふざけてると泣かすぞアンジュ。……いいか? そのまんまの意味だよ。てめぇらからのしょぼい分け前は必要なくなった。なんせ俺にはもう……お前らなんかよりもよっっぽど有能な金づるができたんだからなぁ、これが!」
闇市の商人連中。そしてライザルの配下。
生き馬の目を抜くことに長けたやつらなら、この時代の節目でメキメキと頭角を現し、そして大いに栄えるであろう。
「俺が大金を、この街の連中全員を満足させられるだけの馬鹿げた額を、馬鹿正直に捨てたとでも思ってるのか? 甘いぞ。甘すぎる。俺ぁな、王都の商人どもに恩を売ったのさ。強固な縁を繋いだと言い換えていい。俺が命じれば、やつらは一も二もなく金貨を献上する。大繁盛の化身たる俺に投資するのさ! そういう循環の輪を俺は作った! 作り上げたのさッ!」
俺はピンと人差し指を立てた。
「金貨一万枚? ノンノン」
俺はピンと中指も立てた。
「金貨二万枚? ノォン!!」
俺はピンと薬指を立てた。
「金貨三万枚! ここが俺の見据える到達点だッ!! 街一番の豪商になれるような手練が何十人といて、そいつらが乱世に解き放たれるんだ! 当然、混乱に乗じて馬鹿みたいに稼ぐ! その金を吸い上げるのが俺! そういう寸法よッ!! 馬鹿げてると思うか? くくっ……だがな、やつらは強かだぜ? 次の時代で誰に付いていきゃいいかってのをよぉく分かってる。調教は済ませてあるのさ。数年後、俺ぁ死ぬまでに使い切れないだけの金貨を手にしてるだろうぜえッッ!!」
俺はバッと両手を広げた。そうしてから、手でほうきを作ってシッシと空を掃く。
「それに比べりゃ……新聞社の分け前なんて雀の涙、いやさ虫の涙よ。はした金にもなりゃしない。持ってこられても、むしろ邪魔なわけ。お分かり?」
俺は笑みを浮かべた。勝者のオーラを見せ付けるように。
「そういうことだ。俺にもう分け前はいらん。ま、次世代の覇者たる俺、このガルド様とどうしてもコネを繋ぎたいってんなら受け取ってやるのもやぶさかじゃないぞ?」
あまりの衝撃に言葉も出なかったのか。
ガキども三人は俺の話を聞いて暫く我を忘れたように固まっていた。再起を果たしたのはそれから五秒ほど後のこと。
バッと仲間どうしで顔を見合わせ――ほとんど同時に力なく頷き合い、歩くようなすっとろい遅さで俺の方へと首を巡らせ――そして三人が眉をへにゃりと曲げた。
声を揃えて言う。
「またですか……」




