金に勝る錆鉄の輝き
そういえば、と前置きをしたオリビアに尋ねられた。
勇者ガルドの正体が鉄級のエイトだとバレた件についてはどうするつもりなのかと。
エンデの広場で大勢を巻き込んで行われた茶番騒動は、悪辣な呪装を用いた輩が勇者ガルドの名を騙って暴れたという設定になっている。
他人の能力と姿を手に入れられる呪装の力で俺に化けた偽者は、思い上がってエンデを滅ぼそうとしたが『聖女』によって裁かれた……という筋書きである。
茶番の最中、俺はあえて勇者ガルドが鉄級の冒険者エイトとして活動していたことをバラした。聴衆の怒りを煽る目的もあったしな。
なぜ偽者がそんな裏事情を知っているのかと勘繰るやつがいるかもしれんが、そこはそういう呪装だったんじゃないかという論で押し通すつもりである。確認する方法など残っていないのだからそれで終わりだ。
とにかく、エイトとガルドの関係をバラしたのは意図的だから平気だと伝えておく。オリビアもアーチェもこれといって反応しなかった。
俺が構わないなら別にいいというスタンスなのだろう。それ以上の追及はなかった。
話はそれで終わりである。しかし、やっておかなくてはならないことはまだ残っていた。
俺はアーチェの工房を出てから路地裏を折り返した。再び中央広場に戻り冒険者ギルドへ向かう。
「邪魔するぞ……おう、なんだ? 随分ガラガラじゃねぇか」
ギルドの中はひどく閑散としていた。
併設された酒場にいるのは治安維持担当と思われる数人のみ。酒も飲まずに武具の手入れをしているあたり……非常時に動けるよう配備された人員かもしれんな。
こんな一生に一度あるかどうかのお祭り騒ぎに参加できないとは不憫なやつらだ。
「っ……! これは、勇者ガルド様……!」
「うーす」
そして受付も犠牲者がひとり選出されたらしい。
暫定シスリーが目を見開いて俺を見る。そしてすっと目を細めた。やっぱ目つき悪いのな。他の冒険者の相手をしてる時はもっと普通な気がするんだが……。
「ど、どうかされましたか……? あっ、ルーブスさんにご用でしょうか……?」
「あいつは呼ぶな。絶対にだ。いま顔を合わせたら確実に面倒なことになる。きっとネチネチ責め立ててくるぞ。あいつの愚痴なんぞに付き合うつもりはねぇ」
「は、はぁ……。では、その……どのようなご用件でしょうか」
暫定シスリーがちらと俺の顔を伺いながらおずおずと問う。
その声は若干震えていた。受付においた手をせわしなく動かし、祈りのように指先を絡ませる。荒くれどもを相手に一歩も引かぬ毅然とした態度は見る影もない。
まぁ、こうなることはある程度予想していた。この暫定シスリーは……ひどく怯えているのだろう。まず間違いない。
なんせこいつは素行が良くない鉄級のエイトによく突っかかっていたからな。
顔を見れば遠回しな嫌味を二、三交えるのは当たり前。納品した薬草の粗を徹底的に探し、愛想の欠片もない態度で毒を吐く。鉄級のエイトから疎まれることは覚悟の上でやったことだろう。
そして衝撃の事実が公開されるわけだ。エイトの正体は国が担ぎ上げる勇者ガルドである、と。
まあ怖いだろうな。いびってた相手が勇者様だったんだぜ。そこらの娘なら口から心臓を吐き出してもおかしくない。
もしも王都の民が同じ立場だったら泣き喚きながらひれ伏して許しを乞うだろう。平民にやっても許されることでも、勇者にやったら国が動くなんてのはザラにある。それが立場の違いってやつだ。
まあ安心しろって。ここはエンデだ。
俺はギルドの規則の穴をついて好き放題した。暫定シスリーはそれが気に入らないから規則の範囲で牽制した。それだけだ。勇者ガルドの権威を振りかざしてあげつらうつもりはない。
それにどのみち――冒険者稼業は廃業するしな。
「これを返却しにきた。冒険者登録の抹消手続きを頼む」
俺は鉄級の身分証を取り出した。薄い鉄片を指で滑らせて暫定シスリーの目の前に置く。
「……えっ、登録の抹消……ですか?」
「ああ」
「どっ……どうして……」
「あ? 決まってんだろ。もう冒険者としての仕事なんぞやってられんからだ」
ここから数年は様々な課題に追われながら過ごすことになる。忙殺されるなんて生易しい表現では収まらないだろう。薬草を納品する時間すら惜しんで動かなければならない。
依頼遂行のノルマ未達は目に見えている。罰則なんぞを受けるのも馬鹿馬鹿しい。そうなる前に先に身分証を返しておこうと思い立ったのだ。
「……そう、ですか」
暫定シスリーが目を伏せる。罰せられるわけではないと知って安堵でもしているのだろうか。
「……あの、勇者ガルド様」
「あん?」
「一つだけ、聞いてもよろしいでしょうか」
暫定シスリーがゆっくりと顔を上げて俺を見た。目と目が合う。まるで眩しいものでも見ているかのような眼差しだった。
このタイミングで質問ねぇ。ギルドの意向ではないだろう。となると、こいつ自身が何か聞きたいことがあるってことか。
「まぁ、答えられることなら答えよう」
「はい、では。無礼な物言いをするつもりはないのですが……勇者ガルド様は、どうして身分を偽ってまで冒険者ギルドに登録し、鉄級のままで過ごしておられたのですか……?」
おう。こりゃ皮肉かな? 皮肉だろうなぁ。
『勇者ともあろうお方が正体を偽ってギルドに潜入したあげく、受付の私のことをおちょくって何がしたかったんですか? 楽しかったんですか? おおん?』
そう聞かれた気分だ。いや実にごもっともな疑問である。
思わず軽く吹き出す。
いいだろう。他ならぬ俺の口から紛れもない真実を告げてやる。
「冒険者割引きが利く飯屋を利用するためだ」
「…………えっ」
暫定シスリーが間の抜けた声を出す。俺は続けた。
「何か御大層な理由でもあると思ったか? んなもんねぇよ。メシと酒を安く買うために全力で鉄級になって、強制招集の義務を負う銅級には意地でも上がらなかった。それが理由よ。納得いただけたかな?」
俺はあっけらかんと言い放った。
何だかんだで長い付き合いだった。それでも最後のやり取りになるだろうしな。嫌味皮肉の二言三言は聞き届けてやるよ。
そう思ったのだが……暫定シスリーはふっと息を吹き出すと、堰を切ったように笑い声を上げた。
「ふっ……ふふふっ……ご飯とお酒のためって……っ! ふふっ、あははっ! し、信じられませんよっ! あははははっ!」
「なんだぁ……? おう、そんな面白かったかよ?」
「だって、勇者様がお酒のためって……くふふっ……親戚のおじさんみたいな理由で、冒険者に……んふっ! ふふふふっ……!」
誰がおじさんだ。こちとら肉体の年齢は二十そこそこのつもりだぞこら。実年齢は……知らんが。考えないようにしよう。
目の端に浮かんだ涙を人差し指で拭った暫定シスリーが声を震わせる。
「私は……てっきり偵察か、そうでなければ、この街をひっそり救うためなんじゃないかって、思ってたのに……お酒……ふふっ!」
「笑いすぎだろ。……この街をひっそり救う、ねぇ」
俺は成り行き上この街を救ったことがある。ゆえに暫定シスリーはそんなおめでたい発想に至ったのだろう。
……ちょうどいい。こいつらの認識を訂正しておこう。その功績が誰のものであるのか――はっきりさせておかねばならない。
「おい。シスリー、だったか?」
「っ……! な、名前……覚えてくださってたんですね……」
「そこはいい。聞け。お前らは俺が――勇者ガルドがエンデを救ったと思っているだろうがな……そりゃちげぇぞ。間違った認識だ。俺はこの街を見捨てる気でいた。真にこの街を救ったのは……クロードだ。讃えるんならあいつを讃えてやれ。俺は手を貸しただけに過ぎん」
俺はこいつらの覚悟を尊重する判断を下した。それを覆したのはクロードだ。その功績を掠め取る気はない。
そう主張したところシスリーが首を傾げた。視線を受付台に落とし、考え込むように顎へ手を当てる。
数秒の後、シスリーは勢いよく立ち上がった。気合いでも入れるかのように拳を握り、俺を見て――やはり少し目を細めて言う。
「あの、勇者ガルドさん。少しお時間いただけますか? ……ほんの少しでいいので」
▷
何やら急に発奮したシスリーに先導されてギルドを出る。
冒険者ギルドの真ん前にある広場は依然として沸いており静まる気配がない。ギルドの中より広場のほうが賑わっているのなんて処刑騒動の時くらいだ。
「すごい熱気。お酒の匂いも。……まるで、みんな命を燃やしてるみたい。……どう思います、勇者ガルドさん」
「……別に、どうも。ここじゃ見慣れた光景だろ」
「見慣れた光景……そうかもしれませんね。……あ、ちょうど歌が始まるみたいですよ?」
「あいつは……」
一人の女が野太い声援を浴びながら断頭台に上がった。
生成りのローブに飾り気のない容姿。何処にでもいそうな野暮ったい女だ。目を引くところは何もない。
唯一目を引くのは手に握られたモノだろうか。指で摘んでいる金貨が、降り注ぐ日差しを受けてきらりと輝きを放った。
スピカが両手で金貨を握り込み、そして衆目の前で物怖じせずに歌う。
前にも何度か聞いた歌だ。面と向かって言うのは恥ずかしいから、などという理由で感謝を歌詞に乗せた歌。
素人が考えた詩は表現に奥行きがなく、伴奏もないため誤魔化しも利かない。下手な歌だ。疑いようもなく。その評価は決して覆らない。まるで成長の兆しが見えないあたり本当に才能がないのだろう。
「おー、勇者さんよ! どうだ、この街の歌姫の歌は! 最高だろ!?」
近くにいたおっさんが馴れ馴れしく話し掛けてくる。ひょろい身体だ。冒険者ではないのだろう。だというのにこの物怖じしない態度ときたらどうだ。
俺は言った。
「てんで駄目だな。ガキンチョの鼻唄のがまだ聞けるぞ。本場王都の芸術と比べたら宝石と石ころみてぇなもんだぜ」
「がっはっは! 歯に衣着せねぇなおい! だが勇者さんよ、それがいいんだぜ? うまいばかりが歌じゃねぇ」
「一理は認める」
下手くそな歌だ。これが歌姫などと笑わせる。たとえ百回聞いたとて、一回たりとも心動かされることはないだろうと断言できるぞ。下手の横好きという言葉の手本のような光景だ。
だが……笑うようになった。自然と歌えている。単純にこなれてきただけかもしれんが、そこは成長したと認めていい。
美声で歌う人形のような歌姫よりも、下手くそなりに楽しんで歌う素人を好むやつもいる。エンデのやつらなんかは大半が後者に属する。こんなしょぼい歌を肴にはしゃいでいるのがいい証拠だ。
「……ん?」
歌い終わったスピカがちらとこちらを見た。目が合ったのは一瞬。その一瞬であいつは……何か含むところのありそうな笑みを浮かべた。
「皆さん。実は……今日、私は、新しい歌を披露しようと思います。ずっと前に考えてた歌で……今日、ようやく歌えそうなので」
突然の発表に広場が沸く。景気よく囃し立てる口笛がそこかしこで鳴り、騒ぎたいだけの野郎が獣のような咆哮を上げる。一部黄色い声援も飛ぶあたり女の支持者もいるらしい。
めでたいやつらだ。素人娘の歌一つでここまで盛り上がれるんだからよ。
「わぁ、運がいいですね!」
「そうだな」
適当に返事をして薄い甘さの果実水を口に含む。たとえ聞くに堪えない歌だとしても、まずいツマミよりは幾分かアテになるだろう。
声援が止んだ。静寂が訪れたのを確認したスピカが歌う。
「あの日の魔法は もう切れています 私は変わらず 弱いままです 歌うだけしかできなくて それもやっぱり下手なままです」
変な歌だ。それが第一印象だった。
素人が奇を衒って失敗することはよくある話だが……その歌はどうにも様子が違った。
「なんでも出来るあなたと違って 私はやっぱりダメなままです あの日の夜の強がりを 思い出してはうずくまる あなたがくれた金の光に ふとした時に眩んでしまう」
広場の観客が小さくざわめく。思っていた歌と違ったのだろう。
自虐的な詩。いまいち盛り上がらない調子。何もかもが今日という日に相応しくない。
皆が首を傾げる中、俺だけははっきりと確信していた。
……これは歌じゃない。ただの近況報告だ。
「悔やんでないよと言いたいけれど それだと嘘になってしまうかも だから私はまた強がって こうして歌を歌っています 死んでもいいと言った私を 叱ったあなたに笑われないよう」
なぜだ。なぜだスピカ。お前はどうして――俺がセインだと気付いている。
一介の小娘が、才能に恵まれなかったお前が、どうやって俺の【偽面】を見破った……!
「ふふっ……。 なんでも出来てしまうあなたは それでも自分のことは知らなくて 他人事みたいに思っています 私が知ってるあなたのことを きっとあなたは知らぬまま」
……………………。
「名前を呼ぶ声 見下ろす視線 頭に手を置く時の 優しい手付き その暖かさが分からないほど 恩知らずではないんです」
……………………。
「旅立つあなたに せめて感謝を歌います 救ってくれたあなたに、みんなに 恥じないように生きるため 私はまだまだ笑えそうです みんなのおかげで笑えています ほんの小さな幸せの 終着点はまだ見えなくて 私の下手な歌声は 途切れながらも続くみたいです」
歌が終わった。スピカが長い辞儀をする。
どうやら幸せを表した歌なのだろうと察したやつらが一拍遅れて歓声をあげた。
「なんか……すごく独特な歌でしたね。正直、私はよく分からないですけど……これが芸術、なんですかね?」
「……知らん。……聞くに堪えない歌だ」
「……どうされたんですか? ……すごい顔されてません? ガルドさん?」
「……この果実水、苦いな。腐ってるんじゃないか? それで、少し不愉快になっただけだ」
「えっ!? それは、申し訳ありません! すぐ交換を」
「いい」
俺は果実水を飲み干した。ジョッキを近くのテーブルに置いて立ち去る。
「シスリー、そろそろ時間だ。俺はもう行くぞ。他にも寄るところがあるんでな」
「あっ、待って下さい!」
足早に広場を立ち去ろうとする俺の前にシスリーが躍り出た。両の手のひらを合わせて俺へと差し出す。
手のひらの上には鉄片でできたエイトの身分証が乗っていた。
「……なんだこれは」
「……ガルドさん。見捨てるつもりだったという言葉が本当だったとしても、勇者様はこの街を救ってくださったんです。これは勇者様が守って下さった光景なんです。たとえご自身でどのように思われていたとしても……その事実に変わりはありません」
「…………」
「この証は……エンデの街を、身体を張って守って下さる英雄に与える勲章の意味合いもあるんです。勇者様にとってはガラクタかもしれませんが……それでも、返上なんてせずに持っていて下さいませんか……?」
「ギルドの規定では一ヶ月間依頼を受けなかったら資格なしとみなされるんじゃなかったのか?」
「やむを得ない事情があった場合はその限りではない、と但し書きがあります」
「……数年はギルドに顔を出さないかもしれないんだぞ?」
「数年後には戻ってきてくださるんですね? でしたら私の方で手続きをしておきます」
「おい」
反論しようとしたところ、有無を言わさぬ勢いでシスリーが両手を突き出してきた。
埒が明かないので身分証を受け取る。
エイト。既に捨てた人格の名前が刻まれ、ほんのり錆の浮いた安っぽい鉄片である。
「きったねぇ証だぜ。何処かに置き忘れてきちまいそうだ」
「駄目ですよ。再発行にはお金を取りますから。……それさえあればお酒が安く飲めるんですから、失くさないでくださいね?」
「再発行に金とんのかよ。とことんまでアコギな商売しやがるぜ、ギルドってやつはよぉ」
口に手を添えて笑ったシスリーが、ふと真剣な表情を湛えた。受付に座っている時の、荒くれたちを相手取る時の怜悧な目。
「私は……冒険者の才能がありませんでした。なので、私のこなす役割は受付です。諸々の手続きと……見送りと出迎えが、私のできる全てです。勇者ガルドさん」
シスリーが堂に入った所作で腰を折った。
たっぷり三秒静止して顔を上げる。ほんの少しだけ目を細め、シスリーが言った。
「あなた様のお帰りを――ギルド一同、心よりお待ちしております」




