最も恐ろしい獣
エンデの街は一瞬にして狂騒のるつぼと化した。
何かの切っ掛けさえあれば忽ち燃え上がるのがエンデの特徴だ。住民全員に馳走を振る舞うなんて言った日にゃこうなるのは目に見えてたが、いざその光景を目の当たりにすると熱量に圧倒される。
これは燃え上がるなんて生易しいもんじゃねぇな。もはや爆発だよ。いやはや、タダ飯タダ酒が秘める威力ってのを改めて思い知らされるね。
「飲み比べやんぞオメェらぁ! 参加者集合ゥ〜!」
「フゥーっ!!」
「あたしも混ぜなァ!」
「その酒が! 他人の金で飲めるならッ! すなわち水も同然よッッ!」
街のあちこちでタガの外れた連中が馬鹿騒ぎに興じている。
闇市の商人が大量に持ってきた酒を樽ごとかっぱらい、人を集めて催すのはぶっ倒れるまで続ける飲み比べだ。
ルールは単純明快。ただひたすらに酒を胃袋に流し込み、先に限界を迎えた方の負けである。
原始的すぎるだろ。下品極まるぜ。俺が言えたことじゃないかもしれんが……酒はもっと味わって飲めよ。それは頭をパァにするための道具じゃねぇんだぞ?
ともあれ盛り上がってるなら水を差すこともあるまい。酒の良し悪しを峻別する舌を持たんやつにとってはこれが至上の楽しみ方なのだろう。やれやれだ。
「オッ? おい勇者ガルドさんよぉ! お前も混ざってけ、おらっ!」
「うるせぇ馬鹿。せっかく奢ってやった酒をてめぇの汚ぇ吐瀉物なんぞに変えやがったらぶっ飛ばすぞ!」
「ぶわっはっはっは! 言われてやんの!」
「てめぇにも言ってんだよ!」
絡んできた馬鹿をあしらい適当にぶらつく。
目抜き通りの一角では結構な規模の人だかりができていた。集った野次馬がヒュウと口笛を吹いて場を盛り上げている。
「っしゃあやんぞオラァ! どっからでも掛かってこいやァ!」
「ヨソモンがでけぇ顔してんじゃねぇぞ! 負けて吠え面かく準備はできてんだろうな? えぇっ!?」
どうやらライザルの部下とエンデの冒険者が喧嘩をおっ始めたらしい。
なんというか……予定調和だな。だろうな、という感想しか出てこない。酒精よりも早く理性を揮発させる連中はほんの少しの摩擦ですぐ殴り合いに発展する。それはエンデも王都スラムも変わらないらしい。
「むんッ!」
スラム出身の男が服を破いて上半身を晒した。なぜ脱ぐ……。いや武器は隠し持ってないってアピールなんだろうが……。
「せいッ!」
そして触発された冒険者も服を破り捨てた。脱ぐな。着てろ。なんで力を誇示したがるやつらは事あるごとに脱ぎたがるんだ。理解に苦しむ。
「さぁさぁどっちが勝っても恨みっこなしだ! ルールは殺すな、奪うな! 呪装は使うなよ! さぁお客人らはどっちに賭ける!? 張った張った!」
そしてしたたかなやつは喧嘩を取り仕切って賭けの胴元の座に滑り込んでいる。機を見るに敏ってやつだねぇ。この事態に飲まれず金稼ぎに走るあたり本物だぜ。
「おっ……? 勇者のあんちゃんじゃねぇか! ちとこっちこい! おめぇも混ざれよ!」
「勇者さまぁ〜。あたしに賭けの参加費おごってぇ〜」
「不敬罪で首刎ねるぞボケ。賭けくらい自腹切れ。んで負けちまえ」
「ひっどぉ〜い!」
賭けに参加したい気持ちをこらえて歩く。
ギルドの前の広場は即席の歓談会場になっていた。人見知りとは程遠いエンデの住民たちは突然の来訪者相手にも臆することなく話し掛けている。
「はぁー。王都っつっても案外シケてんだなぁ」
「ああ。俺たちゃ国のおこぼれに与れねぇ立場だったからなぁ。ま、それも勇者様のおかげでじきにひっくり返るんだがな」
「ほぉん。そりゃあいいことじゃねぇか!」
よくねぇよ。適当ふかしやがって。
俺はあくまで切っ掛けを作っただけだ。どうひっくり返して着地点を定めるのかは宰相やプレシア、ほか貴族や王都に住んでる連中自身の問題だぞ。俺は政治なんぞに干渉せず悠々自適な生活を送るんだからよ。
「ねーねー! そのお酒っておいしいの?」
「んぁ? おう、エルフの坊主か。なんだ、酒に興味あるのかぁ? ガキンチョにしては見込みありだぜ。ヘヘッ……いいぜ、飲めよ。どうせ俺の酒じゃねぇしな。十五は越えてんだろ?」
好奇心旺盛なエルフの男が二人の間に割って入った。男二人は嫌な顔一つせずエルフを受け入れる。
伝説の種族などと持ち上げたところで、相手は言葉が通じる上に外見も人と変わらない。となると接する態度も変える必要性を感じていないのだろう。
歳を問われたエルフは間延びした声を上げて宙を見上げた。それは遠い過去を思い起こすかのように。
両手の指を何度か曲げ、そしてまばゆいほどの笑顔を浮かべて言う。
「えぇっとね…………六十から先は数えてない!!」
「ぶっ! んあっ……そう……でした、か?」
「なっはっは! 冗談がウメェな坊主ぅ! ……いや冗談だよな?」
冗談ではないだろう。
ここにいるエルフは人の基準に当てはめるとオッサンオバサンどころかジジイババアである。百歳超えも普通にいるぞ。中には二十、三十の若造もいるかもしれんが、ほとんどは大が付くほどの先輩なのだ。とてもそうは思えないんだけどな。
ともあれ馴染んでいるようで何よりだ。ざっと見回ったが目立ついざこざは発生していない。そこらで喧嘩が発生しているのは日常茶飯事なので勘案しないものとする。
これなら警戒の必要もないか。
そう思って広場を通り過ぎようとしたところで声を掛けられた。
「失礼。お時間宜しいですかな、勇者ガルド殿」
「ルーブスか。どうした」
酒を飲んでいないのか、それとも飲んだ上で酔ってすらいないのか。
冒険者ギルドの頭であるルーブスがしっかりとした足取りでこちらに向かってきた。軽く目礼などしてから口を開く。
「どうした、と問われましても返答に窮しますな。ようやくひと息つけると胸を撫で下ろしたところにこの騒ぎですよ。一からの説明を願いたい心地ですな」
「説明したろ? 魔物が溢れるから倒しとけ。助っ人は呼んだ。報酬としてメシと酒を用意した。それだけだ」
「手厳しい。勇者殿は世界はお救いになられるというのに、この老体の胃を労る気はないと見える」
「俺は医者じゃないんでね。問診なら『聖女』に頼めよ」
「対症療法ではなく根本原因の話をしたかったのですがね。……まあ、今さらのことと諦めましょう」
いつも通りの勿体つけた前置きを終えたルーブスが表情を引き締めた。低い声で言う。
「例の騒動以上の脅威が来るという話。あれは確かなのですかな?」
「十中八九な。ほぼ間違いない。どれくらいになるかは断定できんね」
「なるほど」
俺の言葉に嘘はないと判断したのか、ルーブスが重いため息を吐き出す。
衆目がある中で繕うことをしないこの態度だ。よほど胃に負担が来ていると見える。
「死を覚悟したことは両の指では数え切れませんが……胃の痛みで死を覚悟するのは此度が初めてですな」
ルーブスが弱音を吐いた瞬間、わざと神経を逆撫でするような下卑た笑い声が後方から響いた。
「くっはっは! おいおいあの人狼様が胃の心配かよ! いくらルーブスさんとはいえ寄る年波は斬り殺せなかったのかねぇ? それとも俺らが助っ人じゃ不足だとでも言いてぇのかぁ?」
「……ライザルか」
王都のスラム出身同士ということで浅からぬ因縁があるのだろう。
会話に割り込んできたライザルはにやにやとした笑みを浮かべ――しかし油断なき立ち居振る舞いでルーブスの前へ躍り出た。鯉口を切り合うように視線の火花を散らし、そして両者ふっと破顔する。
「夢見がちの青二才が、随分とそれらしい顔をするようになったじゃないか」
「そっちこそ相変わらずおっかねぇ顔すんなぁ。首筋を食い千切られるんじゃないかとヒヤヒヤさせられるぜ」
スラムでもエンデでも舐められたやつから食い物にされる。根本のところで共通認識を同じくしているから、久方ぶりの再会であろうとも所作の端々で挨拶を済ませられるのだろう。
メンチ切り合って久闊を叙するとは物騒極まれり。だがそのくらいの気骨が人の世には必要なのかもしれんね。
「先の演説時の態度……随分と勇者ガルド殿と懇ろじゃないか。唯我独尊のフリはもうやめたのか?」
「俺だって身の程は弁えてるんでね。この方には勝てねぇってのを……まざまざと分からされちまったのよ。それによぉ、そりゃルーブスさんにも言えることだろ?」
「ふん」
…………ん? なんだこの流れは。なぜ二人してこちらを見る。いや俺にどういう反応を期待してるんだよ。俺がどっちをより信頼してるかとか、そういうこと?
チッ……分からん。分からんのですっとぼける。腕を組んで目を瞑る。適当に流せばそれなりに上手くいくというのは俺がここ最近でスラムで学んだ処世術だ。
「そういうことだ」
「くくっ……相変わらず勝てねぇなぁ、シクスの頃からずっと、今に至るまで」
上手く誤魔化せたぞ。やったね。いつかしっぺ返しが来そうで恐ろしいが……その頃にはこいつらとは縁を切っているだろうし問題ないだろ。多分。
「ときに勇者ガルド殿。彼らはどうやってこの地へ来たのですかな? ライザルの部下や大規模な商隊が付近の街の検問を通ったという連絡は届いておりません。……もし法に抵触するような呪装を用いたというのであれば、街の治安のために相応の対処を練らねばならないのですが」
おいおい驚いたぜ。こんな時にそんなとこまで頭を回してるのかよ。筋金入りの統治者だなこいつ。
感心やら呆れやらで返答が遅れる。代わりにライザルが割って入った。
「おいおい耄碌したかルーブスさんよ。エルフが披露したアレをもう忘れたのか?」
「……なるほど、転移か」
「御名答! ガルドさんの友人であるエルフの族長に力を借りてね。こっちに着いたのはついさっきってわけよ」
「そうか。……ならば安心だ」
ルーブスが獣のように牙を剥いた。
「馬鹿どもがこの街に面倒事を持ち込んでいたらどうしてやろうかと頭を悩ませていたのでね。勇者ガルド殿の指示による転移ならば納得だ。用が終わったら即座に帰ってくれるだろうことも含めて胃痛の種が消えてくれたよ」
鏡が光を反射するように、今度はライザルが凶相を浮かべた。
「おいおい厄介者扱いとはひでぇなルーブスさんよ。これから肩を並べてことを成そうって相手にそりゃねぇぜ? それに……諸々が終わった後も俺らはしばらくここに残るぜ。折角だしな。部下の慰労も兼ねた観光くらいは許してくれよ」
「……余計な騒ぎは起こすなよ」
「ええ、もちろん言って聞かせますとも。ただ……吹っ掛けられた場合はこちらも黙ってないってことくらいは理解してくれますよねぇ?」
こいつら仲いいのか悪いのか分かんねぇな。
しばらくの牽制合戦の後、ルーブスがこれみよがしにため息を吐いた。
「全く……本当にギルドマスターという身分は退屈とは縁遠いな。胃痛が治まる気がせんよ」
それはいつもの癖だったのだろう。特に深い意味はないはずだ。事あるごとに胃が痛い、労れとのたまうのは一種の決まり文句のようなものである。それほど付き合いが長くない俺でも察せられる事実だ。
そうしていつも通りルーブスが愚痴を垂れた、その瞬間。
「あのぉ、少しよろしいですか? 先ほどから胃が痛いとおっしゃっているのを耳にしていたのですが」
おっと族長。なにやらうずうずと内なる野生を疼かせた様子を見せるエルフの族長のエントリーだ。
ルーブスが外向きの顔を作って応じる。
「おや、これは……エルフの族長様ではありませんか。ご挨拶が遅れました。私は冒険者ギルドのギルドマスターを務めているルーブスと申します」
「あっ、はい、よろしくお願いします! それで、胃が痛いという話は本当なのですか? どのように痛むのですか?」
おっと……。俺は背を震わせて戦慄した。
あの族長の目。あれはやばい。やばいときの目だ。解剖所に縛り付けた獲物を見る時の目である。
「ははは、これはお恥ずかしい。最近年のせいか、はたまた雑務に追われているせいか胃がしくしくと痛みを訴えておりまして。初対面の方にする話ではないと」
「でしたらっ!」
ルーブスの話を遮った族長が目を輝かせて言う。
「腹部の切開治療法の確立にご協力願えませんかっ! 大丈夫ですよ! 医療行為なのでっ! ほら、これ見て下さい。この本。この理論によるとですね、回復魔法を使用しなくても腹部を開いて臓器に適切な処置を施せば身体に悪影響を及ぼす諸症状を治療ないし軽減できることが提唱されているんですよ。画期的ですよね。でも実例がないんです。あっでも安心して下さい! 私、結構お腹を開くのは慣れてますしどこを切ったらいけないのかって知識は完璧に仕入れてますのでヘマはしませんよ! その経験が告げているんですけどこの理論は現時点でもほぼほぼ立証可能なんですよ。もちろん胃に対して施すべき処置も書いてあります。なので他に必要なのは被験者の同意なんですよね。勇者様が絶対に同意だけは取れと仰っているので、そこは無視できないんです。絶対に良くなるから心配なんていらないのに……。ということでルーブスさま、こちらの理論の立証に一役買っていただけませんでしょうか? 同意していただければ今すぐにでも手術を行えますよ! もう胃痛に悩まされることもなくなります! 私が保証しますので! 同意を! さあ!」
ルーブスがバッと首をこちらに巡らせた。俺はガッと視線をそらした。ついでに言っておかなければならないことを思い出したのでルーブスへ告げる。
「あー、ルーブスどのよ。今回協力してもらうエルフたちなんだが……人の文化に触れるために暫くはエンデで過ごしてもらうんで、そこんとこよろしく頼むわ」
「……嘘だろう? し、死んでしまうぞ……」
「死にませんって! 死なせません! だから同意を! 大丈夫ですよ医療行為なのでっ!」
「……ガルドさんよ。あんた、割と情け容赦ないんだな。ルーブスさんがあんなに参ってるのぁ初めて見たぜ……」
激動の余波は様々なところで波紋を呼ぶ。波紋同士がぶつかりあってできた波はうねりとなって、やがて渦となり、そしてそれを吸い上げる統治者の内臓に穴を空けることとなるのだろう。
やっぱ人の上になんて立つもんじゃねぇわ。俺は改めてそう思った。




