戦いの終わり
俺はキレた。
「なんで記憶が戻ってんのに戦い続けてんだよッ! 馬鹿なのか!? 言えや! 記憶戻りましたってよぉ!! そしたらそれで終わりじゃねぇかッ!!」
姉上らが俺に戦意を向けたのは宰相の命令があったからだ。
記憶を消されたこいつらは宰相の持つ命令権に抗えない。だから俺は無理やり記憶をぶち込んだのだ。宰相の手駒に成り下がってしまった状態から解放するために。
がりがりと頭を掻く。
「【刻憶】を自分以外のやつに使うのは初めてだったし、もしかしたら上手くいってねぇだけかと思ったが……普っ通に成功してたんじゃねぇか。おい、元に戻ってんだろ? 返事しろや。おう」
俺が催促したら姉上二人は気まずそうに唾を飲んだ。やがて観念して小さく頷く。
「うん……」
「まぁ……」
「なんっかやけに感情的だから怪しいと思ったぜ……ったく」
自我が芽生えているならば、極度に耐え難いと感じる命令には抗える。いま宰相が現れて姉上らに『勇者ガルドを攻撃しろ』と命令しても姉上らは首を横に振っただろう。
つまり記憶が戻った時点で俺たちが戦う理由は消え失せた。そんなことはこいつらだって理解しているはずだ。
何の躊躇いもなくブッ殺しに来たから記憶が戻っていないと判断したのに、その実態はこれである。
俺はため息を吐いた。ぷらぷらと手を振る。
「やめだやめ。話は後できっちり聞かせてもらうとして……二人とも、ちとこっち来い。しなきゃならんことが――」
話の途中で飛び込んできたのは。
「――嫌だッ!」
並々ならぬ情念を孕んだレイチェルの叫びであった。
「…………はぁ?」
つい間の抜けた声が口から漏れる。
嫌だ。嫌だってなんだよ。今は由来不明の我が儘にかかずらってる暇なんてねぇんだぞ。
戦闘馬鹿の血が騒ぎでもしたのか。にしたって時と場所を選べよ。
呆れの念を押し留めてシンクレアを見遣る。お前からも説得してくれや。そういう意図のアイコンタクトだったのだが……返ってきたのは予想に反して真剣な眼差しだった。
「ガル」
思わず、気圧される。
俺は何か間違ったことを言ってるか?
自問の答えが出る前に姉上は続けた。
「私たちもね? 頑張ったよ。頑張ったの。何でも器用にやっちゃうガルと違って……私たちは戦うことしかできないから。強くなるしか、二人を守る方法がないって……分かってたから」
姉上らは魔物を駆逐する兵器となることを嘱望されて生み出された。持たされた役割はいずれも敵をぶっ殺す為のものだ。回復魔法も、元を正せば前線維持を目的としたものである。
戦い続けること。それが姉上らの存在証明。
「……私もだ。強くなって、強くなって、誰よりも強くなれば……二人が心配する必要がないくらいに強くなればいいんだって、そう思い続けて剣を振ってきたっ!」
そんなのは虚しいだけだろう。そう思った。
――だから僕は二人よりも強くなろうと誓ったんだよ。そして戦う理由をなくしてやろうと決意した。拗れに拗れた姉妹愛だ。
「確かにガルは強いよ。私たちよりも、ずっと。どれだけ頑張ったかも知ってる。お姉ちゃんなんだから」
「でもな、ガル。それは私たちだって同じなんだ。同じつもりだ。それを……見もせずに、やめだなんて言うなよ……」
つまり、こうだ。
俺は姉上らを戦いの運命から解放してやろうと躍起になっていた。しかしそれは姉上らも同じである。
その努力を否定するな。全部見てくれ。続きをやろう。そういうことらしい。
こりゃ驚いたぜ。真面目な顔をして何を言うのかと思えば……要は全力でぶっ殺し合おうっつうお誘いだぜ?
料理が上手に作れたから食ってみてくれと、家族に褒められたくて成果を主張する子どものような無邪気さだ。正気の沙汰じゃねぇ。どうかしてるぜ。
だが。ああ、そうさ。俺らはともに定命なき身よ。その死生観をどうして人の物差しで測れようか。
言葉はとうに聞き飽きた。思いの丈を余さずぶつける手段など……きっとそれくらいしか残されていないのだろう。
「…………わーったよ」
「っ!?」
了承の意を示すと花のような笑顔が返ってくる。難儀なもんだぜ。ぶっ殺し合いに応じたらこれだぜ。ほんと、人の世でやっていけるのかと憂慮の念を抱かずにはいられねぇよ。
だが……否定はできない。
この五年間、俺は姉上らから逃げ続けた。俺が思ってる以上に心労を与えたことだろう。鬱屈した感情が溜まっていてもおかしくない。二人が発散する場を求めるのは当然と言える。
そして何より――本能が疼くもんな?
数分前の俺がそうだった。至高に上り詰め、深淵に至った勇者二人を相手取って弄ぶのは……大変に心地が良かった。らしくないほどにテンションが上がったよ。
満たされるんだ。努力の成果が実を結ぶ瞬間ってのは。それを証明する相手は……同じ時を生き続けた姉弟くらいしかいないからな。
両手を広げる。魔力を漲らせる。俺は言った。
「続きだ。二人がかりで来い! そんで改めて証明してやるよ! お前らは……俺に守られてりゃいいんだよ馬鹿姉がッ!」
勇者は死んでも生き返る。命に銅貨一枚の価値もねぇ。それでも姉弟喧嘩に賭けるチップになるってんなら……それはそれで悪くねぇ。
▷
姉上らは強かった。知っていたことだ。力を全うした二人は生半には倒れず、どれだけ突き放しても直ぐに追い縋ってくる。
不可知の域に達した俺の魔法――【理逸】をシンクレアは破り、そして完璧に模倣してみせた。ふざけやがって。俺が極限の精神状態で生み出した技をあっさり習得してんじゃねぇよ!
「それはこっちのセリフなんだから! ガルだって涼しい顔して私の魔法を真似てっ! ずるい弟っ!」
ただ姉上を制圧するために生み出した魔法――【超剰】をレイチェルは克服し、むしろ利用してみせた。舐めやがって。俺がどれだけ苦心してその技の発想に至ったと思ってやがる!
「私はお前のお姉ちゃんだぞ! 弟のイタズラを笑って流す程度造作もないッ! この生意気な弟めッ!」
罵り合いながら笑い合う。いっそ狂気的な光景だろう。
千年超の猛りをぶつけ合うには中庭なんかでは狭すぎて、自然と俺たちは空を翔けていた。
教会に飾られた勇者降臨の絵画に似て、しかしその実、行われているのは神聖さの欠片もないぶっ殺し合いだ。笑えるぜ。本当に笑えてくる。渡り合えてるぜ。俺は、こんなにも強くなった!
「ガル、見て! 私、こんなこともできるようになったんだから!」
虹色のヴェールに覆われた空に天満星のごとく紫電が散る。数えるのも億劫だ。千は下らない。
模倣、不可能。迎撃、不可能。回避、不可能。
「【不倶混淆!】」
なれば埒外の呪装の力を借りてやり過ごす。
千の星が消え失せた瞬間――孤月の一閃が瞬いた。俺の両脚に真一文字が刻まれる。
「それはもう見たぞ! ガルッ!」
次元を縫って姉上の斬撃が届く。
破られた。絶対の不可侵領域が。いとも簡単に!
つくづく、ふざけやがって! 俺の叡智を力技で踏み越えてくるんじゃねぇ!!
「取った!」
「取られるかよッ!」
【痛覚曇化】。痛苦は障害にならず。
【鎮静】。精神を掌握して。
【触覚透徹】。感覚拡張!
全身の筋を断ち切られても今の俺なら全力疾走可能だぜ! その場しのぎの荒療治、名付けて【偽薬】!
「ふざけるなッ! なんで動ける!? おかしいだろォーっ!」
「それはこっちのセリフだ馬鹿野郎っ! いい加減にくたばれ体力馬鹿がッ!」
遥か下方から宰相の声が聞こえた気がした。もうやめろとかなんとか、そんな事を言っていたような気がする。
それでも俺たちは止まらなかった。何時間続けていたのか分からない。互いに歩いてきた道のりを披露し合い、自分の方が頑張ったんだと主張し合うガキのような時間は永遠のようにも思えて――
――そして知った。どうやら、今の俺たちにも限界というものがあるらしい。
「ハァっ……ハァッ……!」
頭の中が焼き切れそうな感覚を抑え込んで頭上を見遣る。
当たり前のように宙に浮く姉上二人も同様に息を切らしていた。
万を越す魔法と武技の応酬の果て。俺たちの魔力と体力は底が尽きた。尽き果てた。何もかもを出し切った。文字通りの限界である。
……否、正確には残りひとしずく。俗な劇でよく目にする盛り上げどころ。次が互いに最後の一合となるであろう、っていうアレだ。
久しく感じるであろう極限の疲労だというのに姉上二人の目は爛々と輝いている。鏡を見たら、きっと俺もそんな顔をしているのだろう。勝手に吊り上がる口角がそんな事実を確信させた。
「いくらなんでも……しぶと過ぎるだろ……」
「そっちだって、同じでしょ……!」
「弟より先にへばるなど……姉の名折れだ……」
もはや意地だけで意識を保っている。誰にも理解されないだろう。それでも互いに負けたくないのだ。強くありたい。姉弟を守るために。拗れて熟れた千年ものの家族愛だぜ。重すぎんだろ。
「つーかさ……二対一でここまでやったんだから俺の勝ちでよくねぇ……? もう認めろよ……」
「駄目だよ……ガルは、色んなモノとか使ってるし……ズルだから」
「だったら剣だって反則だろぉ!」
「うるさい……お姉ちゃん権限だ!」
「ふざけろクソが……」
霞む視界が、しかしはっきりと二人の動きを捉える。
レイチェルが構えた。得物は無い。俺が回収しちまったからな。
しかしその手には剣が握られていた。暴力的な圧が渦巻き真空の刃を形作る。なんだよそれ。お前もう何でもありじゃねぇか。
シンクレアが構えた。魔法は展開されていない。俺が相手だと千日手だからな。
代わりと言わんばかりに自らの身で紫電を纏う。なにそれ、どうなってんだよ。身体の輪郭が溶けて雷の化身みたいになってんぞ。
化物め。まあ、それは俺もか。俺が懊悩の果てに【全能透徹】やエクスを生み出したように、姉上らもその先に至ったのだろう。
至高を突き抜け、深淵を突き破って。
ならば俺も全霊で受け止めよう。出来の悪い姉上の世話は弟の役目だ。
「来い!」
叫ぶ。
瞬間、心底嬉しそうに破顔した姉上二人が上空から突っ込んできた。
▷
殺し合うことでしか伝わらない家族愛ってなんだよ。
全てが終わり、ふと今の状況を俯瞰してそう思う。
イカれてんぜ。ドン引きだよ。ふざけやがって。クッソ痛ぇぞ馬鹿野郎。
だが、勝ったぞ。
「くそっ……負け、た……」
「もう少し、だったのに……」
俺は強がった。
「バァカ……余裕だっつの……。格付け終了だ。二度と逆らうんじゃねぇぞ……」
城の中庭。散々暴れ回った俺たちのせいでボロボロになった花園の中央で、今にも倒れ込みそうな二人を抱きとめる。
「生意気……私たちの気も、知らないで……」
「そうだぞ……弟は、姉に甘えてればいいんだ……」
「ふざけろ。年を考えろって言ってんだろうが」
朦朧とする意識を意地だけで繋ぎ止める。まだだ。ここで倒れたら全て無駄になる。やらなくてはならないことが残っている。
「おい……二人とも……いつだったかの、約束を果たすぞ……」
僕が全部終わらせる。
これはそのための一歩だ。
姉上二人の頭に手を添えて唱える。【全戒消去】。
「今まで……お疲れさま。………………レイ姉、レア姉」
「…………!」
二人に繋がれた軛を断つ。これでもう姉上らは自由だ。
ふっと力を抜いた姉上らが全体重を預けてくる。支えきる力は残っていない。俺は中庭に倒れ込んだ。間近で二人の寝息を感じながらふと思う。
死にてぇ……死んでリセットしてぇ……死なせてくれ……。
クソほど疲れた。もう指一本動かせん。首を斬る体力も残ってない。身体の節々が痛むし、魔法の使いすぎで頭が割れそうだしで最悪だ。死なせてくれ……。首を、首を斬らなければ……。
「…………終わった、か」
どうにかして死のうとしているとすぐ側から声が響いた。万感の思いが籠もったような声である。
「よう……宰相さんよ。遅かったな……」
「遅いことはないだろう」
「遅ぇよ。さてここで嬉しい知らせだ。もう姉上らに『命令権』は通じねぇぞ。残念だったな、ざまぁみろ」
精一杯の皮肉とともに吐き捨てる。国の、そして宰相の推し進める国策はこれで終わりだ。どうあがいても今までとは異なった舵切りを迫られる。
さぞ悔しさを滲ませた声が返ってくることだろう。
そんな予想に反し、返ってきたのは深く落ち着いた声だった。
「その程度、予測していたさ。勇者ガルド……比類なき執念の申し子。家族を……世界を救うためならば、その程度はしてくるだろうとな」
何故だ。どうして笑っていられる。政策が根底から崩れ去ったんだぞ?
嫌な胸騒ぎがした。抱いた疑問に先回りするがごとく宰相が答える。
「極めた補助魔法による呪装の改変。勇者ガルドよ。壊せるということは、つまり元に戻すこともできるのだろう?」
「……お前、まさか……!」
「今からお主の記憶を消させてもらう」
そうか! そう来たか! 畜生がッ!
「『命令権』が機能しなかろうが……今の記憶が消えた後のお主ならば国を救うべく邁進するだろう。暫くはその技に陰りはあるだろうが……近いうちに必ず全盛を取り戻す。その時が来たら……二人を元に直してもらうさ」
「はっ! 宰相さんよぉ……記憶が消えた後とはいえ、俺がそんな言葉に従うと思ってんのか!?」
「従うさ。お主の根本は、やはり善性だ。国と姉を救うためとあらばそうする。次はそれ以外の情報を与えぬ。もう道は誤らぬ」
かすれた舌打ちが響く。
くそっ! クソがッ! 姉上をブッ壊したらコイツは止まると思ってた! ここまで……ここまで覚悟を決めていたとは思わなかった! こうまで喧嘩を売った俺を再び駒に加えて計画を練り直すなんて思わねぇだろッ!
「……てめぇ……正気かよ……!」
「……お疲れ様と言っていたか。だが……すまぬな。世は勇者なくして成り立たぬのだ。そなたらの安息を踏み躙ってでも、私は国の平穏を選ぶ」
「ざけんな……ッ! 謝罪なんてするくらいなら、いい加減てめぇらでどうにかする方法を模索しやがれ……!」
「……そうだな。ならば謝罪の言葉は取り消そう。……王よ、こちらへお越しください」
身を捩る。だが駄目だ。もう動けない。身体が動かない。伸し掛かっている姉上をどけるだけの力すら残されていない……!
「…………」
「おっさん……!」
宰相に呼ばれた国王のおっさんが歩み出て俺を見下ろした。その手には隷属の杖が握られている。
勇者の記憶を、意思を奪い服従させるための呪装。それは王の血を持つ者の手によってのみ起動する。
「くそっ……プレシア……! 居ないのかッ! 来い……ッ!」
駄目だ。【伝心】すら使えない。頭の中が焼き切れたように痛む。普段は呼吸のごとく御せる魔法すら発動できない……!
「王よ。何卒お願い申し上げます。勇者シンクレア、勇者レイチェル……勇者ガルド。彼らに安息をお与え下さい」
「クソが……!」
意識が落ちかける。限界なんてとっくに越えてるんだ。身体が休息を欲して止まない。微睡みが肉体も精神も蝕んでいく。
「起きろ……おい、寝てんじゃねぇ……!」
姉上二人は俺の気も知らずアホ面を晒して高鼾と来た。お前らが我が儘言ったせいで全てが台無しになりそうなんだぞ! 目を覚ませ馬鹿野郎ッ!
「……王よ。再降臨の儀を」
「…………! くっ、そ……!」
何か手はないのか。何か。何でもいい。何か、誰か――
国王のおっさんが杖を握り直した。言う。
「宰相よ」
諭すような声音で。
「もう、よいのではないか?」
ただ、そう言った。
「…………? 王よ。どう……なされたのですか?」
震えた声音で宰相が尋ねる。対して、国王のおっさんは場にそぐわぬほどに堂々としていた。紡ぐ言葉も淀みない。
「我は今日に至るまで常に宰相の提案を飲んで生きてきた。国事も政も、私生活に至るまで。全て、例外なく」
それは独白だった。
国を回す部品の一つとして生かされ、これからもそうであることだけを望まれるお飾りの王。その生涯の全てだ。
「物心ついた時からそうであったよ。床から出る時間。袖を通す召し物。腹を満たす物、喉を潤す飲料。目を通す書物。鍛錬と稽古の時間と種類。湯浴みの時間。そして床に就く時間」
「……王よ」
「そなたが提示した全てに我は従ってきた。何故か分かるか?」
今まで一度たりともこんなことはなかったのだろう。
王の問い掛けに宰相は答えなかった。ふ、と口角を上げた王が言う。
「『それが真に国の安寧と繁栄のためとなる』。そなたの言葉には一片の嘘偽りもなかった。我はそう信じ、疑念すら抱かなかったが故である」
宰相は大を生かすために小を切り捨てる判断を下した。切り捨てた者の中には……国王も含まれている。国王が意思を持たぬ傀儡となることで勇者は機能し続ける。宰相の非情な国策を、国王はそうと知りつつ受け入れていたのだ。
「そなたの言葉に嘘はなかった。長年を共にした我はそう真に確信しておる。故、国に多大なる貢献をしてきた勇者の記憶も消してきた。それが平穏に繋がるのであれば、と」
王が個人の情で動けば国は傾く。勇者という国策の要を握れるのが唯一人となれば尚更だ。
「しかしな、宰相よ。お主も見たであろう。あれ程までに家族を……そして国を思うが故に育ち、大いに実った者たちの軌跡をこれ以上辱めるのは……一国の王として堪えきれぬよ」
そしていま、国王のおっさんは紛うことなき個人の情で動こうとしていた。
「王よ……王よ! 乱心召されたか!?」
「すまぬなぁ。謝らねばならぬのは他ならぬ我であったよ。そなたには些か背負わせすぎた」
「王よ!」
国王のおっさんが得物を拾った。俺の手から零れ落ちた黒金の剣だ。立ちはだかる艱難辛苦を斬り捨てる英雄の剣。
「共に背負おう。勇者よ。そして宰相……いや、パトリックよ」
おっさんが杖を放り投げた。咄嗟に駆け出した宰相よりも速く剣が振るわれる。
断てぬもの無き英雄の剣。その一閃が――過去の遺物と連綿と続く因習、そして巡る因果の尽くを断ち切った。
隷属の杖が光の粒と化す。
血振りの所作で剣を払った国王が厳かな声で言い放った。
「真に国を憂いておる者が冷視を注がれるなどあってはならぬ。また国に係る重責を極少数の者だけが抱え込むなど道理に悖る。共に悩もう。我も悩む。皆で悩むべきだ。それが我のコストパフォーマンスだ」
清々しい顔で言い切った国王に対し、俺も宰相も言葉を返せなかった。
おっさんがむむと唸って首を捻る。
「む……勇者ガルドよ、コスパとは"そうするべきこと"の意ではなかったのか?」
くくっ……くはははっ!
駄目だ。傑作だ。笑いが止まらねぇ!
「クククッ……あぁ……そう、そうだよおっさん! 何も間違っちゃいねぇ! 全くもってその通りだ! あぁ、やっぱりアンタは最高だよ!!」
「む、そうであるか!」
呵々と笑い合う俺とおっさんの隣で宰相……パトリックが膝を折った。焦点の合わない視線を彷徨わせうわ言を漏らす。
「あ……ああ……あれがなくては勇者が……国防の要が……記憶を消せなければ、彼らは、もう……記憶を、消せない……?」
胡乱な眼差しが宙空で像を結んだ。
「ああ……そうか……私は、もう……」
緊張の糸がぷつりと切れたのか。
常に張り詰めていた顔から皺が消える。それは救いを目の当たりにした敬虔な信徒のように。
「私は、もう、彼らの記憶を消さなくてもいいのか」
城の中庭に俺とおっさんの笑い声がこだまする。
今日。この日。
俺と姉上、国と国王、宰相に貴族、そして全国民を縛り付けていた運命は人の手によって断ち切られた。
時代は変わる。否応なく変わる。必要に迫られて変わり続ける。
今この時が変遷の始まりだ。これより紡がれるのは――神の介在する余地など一片も無い、人の歴史である。




