在るべき未来の奪還戦
誰だよこいつらの相性が悪いって言ったやつは。
俺だよバカ野郎。全然そんなことねぇじゃねぇか!
「ふっ……!」
「うおッ……!」
意表をついたレイチェルの踏み込み、からの横薙ぎを後方へ跳躍して躱す。
『天壌軌一』を握った姉上の剣閃はそれ一つ一つが刃を直接伸ばしてくるようなものだ。最小限の回避をしているのに、それでも一挙一動が膨れ上がって主導権を取られ続ける。
【全能透徹・三折】で強化した身体能力に物を言わせて避け続ける。強化した感覚は剣閃の始点と終点を見逃さない。また、こちらの動きに合わせて剣の軌道を変えることまで予測済みだ。躱すこと自体は難儀しない。
もっとも、それは第三者による妨害がなければの話であるが。
「また、かッ!」
避けた地点、踏ん張りを利かせるための地面が氷に覆われる。シンクレアの魔法だ。
これのせいでさっきからつるつるつるつる鬱陶しい! ご丁寧に水が滴っていて滑りやすくされてるのがまた癪に障る……!
「淵源踏破の勇者様ともあろう方が、随分とッ! 陰湿だなぁ、オイ!」
自らの個性を考えなしに発揮して互いに邪魔し合っていたさっきとは違う。攻め一辺倒のレイチェル、そして裏方に徹するシンクレアの魔法が絶妙に噛み合ってやがる。
姉を信じて自由に振る舞う妹。奔放な妹に歩調を合わせる姉。なんとも麗しい姉妹愛だな。その思い遣りをちっとは俺にも寄越せやボケがッ!
力任せに震脚。銀盤を踏み砕き、続く剣閃を回避、回避、回避! 避けた先の地面から岩壁がせり出してくる。邪魔くせぇなぁ!
「【透翼】!」
空中浮遊の式を模倣。姉上の魔法により隆起した岩壁を飛び越えるも……式が乱されて地へと堕ちる。体勢を整えた直後に唐竹割りが飛んできて……クソがッ! 息をつく暇もねぇ!
「何が、孤高の勇者だぁ!? 二対一でっ、か弱い弟を虐めるたぁ、随分と見上げた根性じゃねぇか!」
唐竹割り。剣身を叩いて逸らす。
横一文字。屈んで躱す。
袈裟斬り。黒金の剣をかち合わせる。
馬鹿力が……! エクスを掛けてなお、押し切れない……!
競り合う刃同士がぎちぎちと悲鳴を上げる。散った火花に目を細め、刀身越しにレイチェルと目が合う。
…………ん? こいつ……口角が、上がってないか?
「……っ!」
強化した耳が炸裂音を拾う。雷の魔法。背後から来る。
競り合いの隙をついた横槍とは、いよいよ手段を選ばなくなってきたな。正々堂々をかなぐり捨てた不正不公の所業。敬虔な信徒に見せたら憤死は必至の光景だぜ。
だが読み筋だ。むしろこの時を待っていた。
あの姉上が妨害に徹し続けられるわけがない。焦れて魔法をぶっ放すのは目に見えていた。防戦に徹していたのはこのためよ!
一瞬の時を、さらに百で分割したような感覚の中で機を計る。雷の槍が俺を穿つまでの刹那を掌握しろ。
五。まだ早い。もっと引き付けなければ避けられる。
四。まだだ。限界の先へ踏み込まなければ悟られる。
三。起死回生の一発勝負だ。外せば次は警戒される。
二。魔法発動。【痛覚透徹】。剣身を通して送る置き土産だぜ。
一。さらば姉上よ。力だけが戦いにおける術じゃねぇ!
ゼロの寸前、【不倶混淆】発動! 世界からずれる。厭世の妄執の前には剣も魔法も意味を為さねぇ!
ずれた次元の中でレイチェルが息を呑んだのを察する。競り合い中の俺が消え、眼前に迫るは姉上謹製裁きの雷。食らって痺れろ本場のショック療法!
「ぎ、ぃああああああっっ!!」
「なっ!?」
「はっはァ〜! 生兵法は大怪我のもとってねぇ!」
剣を杖にして膝を震わせるレイチェルを無視してシンクレアに突貫する。まずは鬱陶しい茶々を入れる方を黙らせる。味方に魔法をぶち込んだ姉上は『やっちゃった』と言いたげな素っ頓狂な面を晒していた。
…………。こいつら、まさか。
いや、今はいい。考えるな。なんにせよ、ひたすら記憶をぶち込んでやればいいだけの話だ。雑念混じりで勝てるほど姉上らの本気は甘くない。戦闘に没入しろ。
【至高天坐】。理という名の力技を突き詰めた体捌きで最短最速を走る。
咄嗟の迎撃に放たれた風の刃を抜剣と切り返しの袈裟斬りで吹き散らす。芸が無いぜ姉上。余裕がなくなると使い慣れた魔法に逃げるのは悪い癖だ。
「くッ!」
「何もかも思い出すまで続けるぞ! リビル……ッ!?」
首筋に熱が走る。凶兆だ。六感が悪手を告げている。
俺は姉上の頭へ向けて伸ばした手を引っ込めた。後方へ跳躍。【隔離庫】から取り出した短剣を投げつける。
ギィン、と硬質な悲鳴を上げた短剣が、台風に巻き上げられたようにすっ飛んでいった。
風刃の鎧。シンクレアの纏う物騒な衣だ。不可視の烈風……近接戦闘時の脆さを克服するために編み出した防衛魔法。あのまま手を伸ばしていたら……右手の指が飛ばされていたかもしれん。
「っぶねぇ……隙晒したのは罠かよ。狡っ辛い真似しやがる」
すっと顔を引き締めたシンクレアが片手を突き出す。展開された雷の槍の数は優に百を超える。中庭の上空を埋め尽くすそれらの穂先が俺を捉えた。
しかし。俺は口の端を吊り上げた。
「使う魔法が最近のものになってんな。戻ってきてるな? つまりそれぁ思い出してるっつーことだろ?」
答えず、シンクレアは片手を振り下ろした。轟きを引き連れて雷の雨が降る。馬鹿の一つ覚えだ!
「【淵源踏破】ァ!」
式を模倣し、世界へ写す。魔導の深奥なんぞを解さずとも、完全な解答を転写しちまえば非の打ち所が無ぇ満点だ!
落雷を昇雷で迎え撃つ。地には花、空には火花。城下の宴に劣らないお祭り騒ぎじゃねぇか!
「どうした!? それで終わり……っ!」
馬鹿の一つ覚え。そう思った。
なぜ通じないと知った雷の槍を放ったのか。なぜ複数種類の魔法で同時に攻めてこなかったのか。
答えは音と振動、そして焦げつく臭いで相方の気配を悟らせないためだ。
直感し、横へ跳ぶ。残像を食い破るように鋒が伸びてきた。
冷たく硬質な剣先が、意思をもつ生物のように撓る。首をもたげた蛇が毒液を滴らせるように――鈍い煌めきが俺を執拗に追い回す。
「くっ……そがァ!」
避け、避け、避け――しかし追い込まれ、剣を横に構えて唐竹割りを食い止める。ずしりと足腰に衝撃が抜けていく。
「もう、動けるのかよ、体力馬鹿がッ……! あと一時間ほど寝てやがれ……!」
不意をつかれたのが痛い。理想の体捌きを模倣したとて、力量が互角なら初動を制したほうが有利なのは自明の理。このままでは押し切られる。
否。否だ。どうやら置き土産が効いているらしい。
「くくっ……完全回復ってわけにゃいかなかったみたいだな?」
「…………チッ!」
下半身を躍動させる。生じた力の流れを余す所なく伝達させ、腰へ、背へ、肩へ、腕へ、末端へ。
ぐぐぐ、と、鼻先まで迫った剣を押し返す。レイチェルの顔が歪んだ。【痛覚透徹】に加えて姉上の雷を食らったんだ。そりゃ万全ってわけにゃいかんよなぁ?
力押しなら俺に分がある。このまま競り勝つ。
しかし、おっとシンクレア。先程の同士討ちを警戒したのか、魔法馬鹿の姉上が力馬鹿の姉上の背後へと降り立つ。そしてサッと片手を突き出した。
淡い緑の燐光が迸る。回復魔法……やりやがったッ!
「はあッ!」
「ぐおォッ……!」
あっさりと復調したレイチェルが力任せに剣を押し込んでくる。振り下ろしの姉上に対し、見上げるように受け止める俺。どちらに利があるかなど一目瞭然。押し切られる……!
「きったねぇ……! 俺にも回復寄越せやァ!」
「…………フッ」
形勢逆転を悟ってか、レイチェルが頬と口角を上げて嗜虐を滲ませた。
……そうかい。てめぇら揃いも揃って健気な弟に対して力を行使しやがって……。それなら俺にも考えがあるぞ!
「家庭内暴力反対ィ!!」
【伝心】。剣身を通して強力なパスを繋ぐ。
【寸遡】。思考に空白を叩きつけて。
【魅了】。波紋を生んで。
【酩酊】。泡を立てたら。
【心煩】。掻き乱すッ!
併せて五つ。練り上げる。
明鏡止水の境地だぁ? 知るか! 頭ン中に手ぇ突っ込んで掻き回されりゃ寛容な聖職者だって顔真っ赤にしてブチ切れんだろ!
食らえ精神攻撃五点盛り。俺は救援要請で不快な歌をぶち込まれた時の恨みを忘れてねぇぞッ!
「【白夢】!」
「ぅ……あ……ッ!」
瞳がぶれる。呼気が乱れる。押さえ付ける剣の圧が緩む。
「隙ありィ!」
強引に抉じ開けた意識の穴は窮状打破の突破口。刀身同士の競り合いから鍔迫り合いへ持ち込み、姿勢を立て直した余勢で弾き飛ばす。これでイーブン!
「っ、はあッ!」
そして、さすがは姉上。渾身の魔法で奪えた時間は一秒あったかどうかといった程度だ。直ぐに隙消しの一閃を見舞ってくる。
このままではイーブンでしかない。そして相手は二人。天秤はややもすれば姉上らに傾く。
だからこそ、この隙を逃しはしない。戦況を支配するのは強大な個じゃねぇ。いざ対峙するって前に布石をばら撒いてたやつだぜ。勝者ってのは元より決まってんのさ。戦いなんてのはどれだけ入念に事前準備をしたかの答え合わせに過ぎねぇ!
馬鹿げた力を制圧するにはどうすりゃいいか。ずっと考えてた。仮想敵を姉に据え、考えて、考えて、考え抜いた。
これがその答えだ。力の天秤を無理やり傾けちまえば理なんぞ簡単に破綻させられる!
隙消しの横薙ぎを跳躍で躱す。姉上が笑った。取ったと思ったのだろう。俺も笑った。次手は無ぇ!
必殺の意思を乗せて大上段に構える姉上へ手をかざす。唱える。
「【膂力透徹・超剰】!」
それは在るべき均衡点を備えていない。身体を保護する抑止力が働かない。
優れた補助魔法は身体能力の変化に意識が馴染むよう調整されている。俺はそれをあえてブッ壊した。安全性度外視の欠陥魔法。力で対抗できないなら、そもそも相手に振るわせなけりゃいい。
馬鹿げた力に更なる力を掛け合わせる。ただし手綱は断ち切っておく。
荷馬車を引く暴れ馬から熟練の御者を取っ払うようなもんだ。走り出したら馬車がぶっ壊れるまで止まらねぇぞ!!
「ぐ…………う…………!」
「くくッ……さすがに心中を選ぶほど馬鹿じゃなかったか?」
果たして、レイチェルは大上段の剣を振り下ろせなかった。
本能で理解したのだろう。いま力に任せた振り下ろしを敢行すれば――過剰に生み出された爆発力が自らの肉体すらも四散させかねないことを。
これが俺の生み出した答えだ。そもそもの理を根底から破綻させる。至高天坐封じの最適解よ。
「レイっ!」
後ろに控えたシンクレアが硬直するレイチェルに手を伸ばした。色とりどりの燐光が舞う。
裂傷修復。撲傷治癒。体内解毒。精神療養。
甘いな姉上。それは回復魔法じゃ癒せねぇよ!
「無駄無駄無駄ァ! そいつは怪我なんてしてねぇんだからよ! 与えたのは健気な弟からの純然たる補助魔法だぜ!」
力馬鹿の無力化完了。あとはねちねちと嫌がらせしてくる魔法馬鹿を分からせるだけだ。
【隔離庫】発動。商人から購入した屠龍酒を取り出す。
瓶を見た瞬間に姉上がキッと眦を決した。後退しつつ両手を突き出して俺の出方を窺っている。
姉上らは酒を飲まねぇからな。中身が毒かなんかだと思ってるんだろう。ま、あながち間違いじゃねぇ。飲めば酔っ払う時点で酒精も一種の毒みてぇなもんだ。
しかし一方で酒は百薬の長とも言われる。
知ってるか姉上よ。毒に対して高い耐性を有していようが、酒のもたらす快楽はそれを貫く。人を模してるからかもな。極上の娯楽を味わえるようにっつう、設計者の粋な計らいかもしれねぇな!
「清貧に安んずる姉上よ。今から酒の味を教えてやっから覚悟しろ!」
「っ……!」
姉上が突き出した両手に魔力を集わせる。俺の初動を何としてでも潰すつもりだろう。あらゆる魔法を阻害する姉上の業は時間稼ぎにもってこいだ。レイチェルの復調を待つのは賢い判断と言える。
「だが甘ぇ!」
早撃ち勝負に自信ありか? なら俺は舞台から降りる。
なぜわざわざ相手の得意分野で競ってやる必要があるのか。卑怯卑劣は戦場の礼儀だ。勝てば官軍、負ければ賊軍! 受けてくたばれ不可避の不意打ち。これが鉄火場で磨いた俺の業よ!
【隔離庫・理逸】。
出足を悟らせぬ達人の初撃が如く、その魔法はあらゆる知覚を掻い潜る。淵源踏破の勇者様であろうとも、この魔法の起こりは悟れない。
俺は酒瓶の中身だけをシンクレアの足元へぶち撒けた。
「なっ!」
「風の鎧は空気を取り込むように出来てるんだろ? じゃねぇと息が出来ねぇからなぁ!」
体表を覆うように循環する風の膜が破壊的な酒精を送り届ける。どうよ美味いか? 金貨十枚の大盤振る舞いだぜ!
よろめく姉上に一足で詰め寄る。目を見開いた姉上が反撃に転じようとするも全てが遅い。千鳥足だぜ。俺はもう魔法の発動を終えている。
【嗅覚透徹・超剰】
【味覚透徹・超剰】
「ッッ! ああぁぁっっ!!」
「はっハァー! 品行方正な勇者様も酒の魅力にゃ勝てねェよ!」
熱のこもった息を吐き出した姉上が大きく仰け反り身体を震わせた。風の鎧が霧散する。ここだな。
船を漕ぐようにカクンとこうべを垂れたシンクレアの側頭を左手で掴む。
そして未だに硬直しているレイチェルの側頭を右手で掴む。
目も、酔いも、二人で仲良く覚ましやがれッ!
俺は二人の額をかち合わせた。【刻憶】発動!
「ぐ、あああぁぁッッ!!」
「おっ、とォ!?」
魔法を発動した直後、裂帛と共に神速の薙ぎが振るわれる。
疾い。これまでよりも、ずっと。至高天座の勇者、その全盛に迫る――いや、全盛そのもの――!
「チッ!」
受けは無理筋、避けあるのみ!
身体を捻り跳躍。即座に足を引き抜き地と並行になる。剣身と飛翔する斬撃のすれすれを飛び越すように回避して――
「っぶねぇ!」
着地点から生えてきた土槍を【風殺】で躱す。
六感が反応しなかった。目視でしか察知できなかった。明らかに魔法式の生成が速く、そして巧くなっている。模倣では敵わぬ淵源踏破の領域。酔いが冷めてる……とっくに解毒済みってか。
「ようやく、目ぇ覚めたみたいだな……!」
成長し続ける者。勇者。なればその全盛は生きる限り更新され続ける。
「…………」
「…………」
記憶に刻み込まれた技の全てを取り戻した姉上らは静かに構えた。
剣を鞘に納めたレイチェルが極端な前傾姿勢で柄に触れる。必中必殺の構え。抜く手を見せぬ早業は対手に斬られた実感すら与えない。
シンクレアはだらりと両腕を垂らした。自然と一体と化し、淵源に沈んだ勇者は呼吸同然に魔法を行使する。構えぬ自然体こそやつの本気に他ならない。
間違いなく全盛だ。それはつまり国に記憶を消される直前と同等ということになる。
いやおかしいだろ。なぁ、おい。
俺はやんわりと片手を突き出した。まぁ待てとジェスチャーをする。
「お前らは全盛まで戻った。それはいい。それが俺の狙いだからな。【刻憶】ってのはそういう魔法だ」
エンデでクソのような茶番をした時、俺は俺の手で――より正確に言うならば俺とクロードの手で――俺自身を再生成した。散った記憶を強引に結びつけ、形とすることで俺は蘇ったのだ。
俺はそれと同じ事をした。故に姉上らは全盛に戻った。そう考えれば説明はつく。
「いや、だったらおかしいだろ。つーか……さっきから疑問だったんだが……なんでお前らは俺に攻撃してるんだ?」
かつての経験が肉体に宿ったことで全盛に戻った。ならばどうして記憶が戻っていないのか。そう思っていたが……いま確信したよ。俺は低い声を作って言った。
「おいお前ら。正直に答えろ。二人とも……さてはとっくに記憶が戻ってるな?」
俺の問いを受け、努めて無表情を作っていたと思われる二人は、目だけを動かして互いに見つめ合い……そして気まずそうに視線をそらした。ざけんなこのボケどもがッ!!




