栄えある今へ捧ぐ聖戦
ぼんやりと昔のことを思い出す。
模擬戦とは名ばかりのシャレにならないぶっ殺し合いは何度もしたことがあるが……姉上二人を同時に相手取ったことはなかったな、と。
「おッ……らぁ!」
「…………!」
猛獣の如き俊敏さで距離を詰めてくるレイチェルの進路を剣で薙ぐ。かち合えば上半身と下半身が泣き別れするであろう一撃。
これをレイチェルは急停止でやり過ごす。猛烈な前進の勢いが嘘のようにぴたりと止まり、剣先はあえなく空を切るにとどまった。
ふざけた歩法だ。これ全部力技なんだぜ? 肉体にかかる負荷を度外視した近接戦闘術は剣の弧が描く死線をいとも容易く踏み越えてくる。
だがそれはこちらとて同じこと。
隙ありと見て懐に飛び込んでくるレイチェルを返す刀で迎え撃つ。
投げた玉が壁で跳ね返るような出鱈目な挙動を、こちらもただの力技だけで再現する。近接戦闘の理とは力を学ぶに非ず、ただ力を従えることと見つけたり。
「らぁッ!」
「……シッ!」
強引な斬り返しを屈んで避けたレイチェルに膝蹴りを見舞い――しかし馬鹿げた脚力で飛び退かれる。大道芸で披露したら客が沸きそうな無茶苦茶っぷりだな!
だが追撃が入る。見据えるは三手先。
刺突を差し込む。
蹴りで防がれる。
その後は無防備だ。そこでもう一発食らわせる。
【刻憶】発動準備を整え――破棄、【淵源踏破】ァ!
展開された式を模倣し世界へ刻む。迫る岩塊を全く同じ魔法で相殺する。岩塊の陰に隠れていた雷槍を躱して残心。追撃は……なし。
「ふぅ……さっきよりは大分マシだが……」
レイチェルの動きはキレが増した。剣を捨てた徒手空拳は荒々しさの中にも凝縮された理が存在し、その爪を着実に命へと突き付けてくる。
シンクレアの魔法は精度が増した。式の生成速度は先程までとは比べ物にならず、異なる魔法を織り交ぜた連撃でこちらの択を潰してくる。
だがしかし。
「お前ら、絶望的に相性悪いんだな? 互いに長所を潰し合っててよぉ、連携もへったくれもねぇじゃねぇか」
「…………」
縦横無尽に動き回るレイチェルが邪魔でシンクレアは大規模な魔法を使えない。
シンクレアから撃ち込まれる魔法を気にしてレイチェルは最適な位置取りを探り損ねている。
魔物の大群相手にスタンドプレーをし続けた弊害かね。個を制圧するために協力するっていう経験がなかったもんだから何もかもが即興かつ杜撰だ。
場当たり的な対処で取れるほど勇者の首は安くない。んなもん自分が一番知ってんだろ?
「馬鹿みてぇに強いってのも考えもんだな。柔軟性に欠けちまう。連携だけで言うなら、エンデの冒険者連中のほうがよっぽどマシだぜ?」
挑発し、肩を竦める。明らかな隙を晒しても二人は攻撃を仕掛けてこなかった。ふむ、誘いとしては拙かったかね。
ならこちらから仕掛けるまで。食らって学べ姉上らよ。勇者の庇護を不要と断じた者たちの生きる術を。
「…………!」
ゆらり、と。緩やかな出足は風に舞う花弁の如し。幽かな足取りが次手の輪郭を朧に隠す。
俺の動きを見たレイチェルが拳を構えた。呼吸を止めている。極限の集中状態で一撃必殺のカウンターを狙っているのだろう。
それは悪手だぜ? 見ればこそ見失う。これは持たざる者が身に着けた欺きの歩法だ。力技で最高速に至る勇者とは真逆の理。人を相手取るために生み出された人の業だ。
静から微細動、微動へと変じ、動をすっ飛ばして最高速!
「…………っ!」
視線を振り切る斜めへの沈み込み。今さら目で追っても既に手遅れよ。気付けば背後を取られてる。死神の如き体捌きの模倣、名付けて【遍在】。
「首落とされないだけ有り難いと思えや! 【刻憶】ッ!」
後頭部を掴んで魔法発動! 追加のクスリだ有り難く受け取れッ! お代はいらねぇぞッ!
「っとぉ!」
飛んできた左の裏拳を掴んでいなし、余勢を借りてぶん投げる。
「オラァッ! ボケた頭が治るまで繰り返すぞ! この程度でぶっ壊れねぇことは知ってんだよッ!」
謁見の間はもうボロボロだ。
豪快に壁をぶち抜いたレイチェルが瓦礫の向こう側へと消える。石壁の冷たさでちっとは頭を冷やすといい。
ひと息つく――暇すらない。
視界の端に紅蓮が走る。姉上の魔法だ。広範を灰燼に帰す炎の魔法『緋々回帰』。
形振り構わなくなったか、おい! 城を蒸し釜にでもする気かってのッ!
「誰だよこの馬鹿を博愛の使徒だなんて評したやつはよぉ!」
爆炎の壁が押し寄せる。緋色に揺らめく炎の舌に舐め取られたら最後、骨の髄まで灰にされることだろう。人に向けて撃つ魔法じゃねぇぞ。馬鹿姉め。
同じ魔法をぶつけ合わせての相殺は適わない。むしろ火勢を増すだけだろう。それを視野に入れてこの魔法を選んだってんなら厭らしいぜ。ちっとは頭のキレも戻ったか。
【全能消去】を使うか。……いや、あれも使わないに越したことはない。あれもエクスほどではないにしろ魔力を破綻させる。しからば残るは力技よ。
「チッ……思いついたものの使いたくねェ……けど、そうも言ってらんねぇか!」
剣を鞘に納め、小指から順に握り込み拳を作る。どっしりと腰を落とし、全身の筋を限界まで締めて圧を練る。
それは愚直に撚り上げられた馬鹿の一念だ。同じ力技でも姉上の研ぎ澄まされたそれとは違う、粗削りでしかない単純暴力。
だが、強い。数多の魔物を屠り、一つの街を守り抜いた実績がある。人の身における最高到達点。鬼神の如き体捌きの模倣。【柱石】!
「ぬぅんッ!」
限界まで発達した筋肉は魔法にも引けを取らない。
突き出した正拳から放たれた暴力の圧が紅蓮の波を吹き散らした。なんなんだこの技は……。ちょっと便利なのが腹立つぞ、クソが。
轟きを従えて拳圧が抜けていく。割れた熱波の向こうで姉上と宰相、そして国王のおっさんが驚愕の表情を浮かべていた。そりゃビビるよな。うん。
「それじゃあもう一発ゥ!」
「くっ……あッ!」
突き出した拳が風を生む。豪速の衝撃波が姉上を謁見の間から城の外へと吹き飛ばした。
いちいち式を練らなきゃならん姉上の魔法よりこっちのほうがよっぽど早ぇ。なんなんだこの技は! 使い勝手が良すぎるッ!
「死ね! アウグストッ!」
苛立ちを発散させて駆ける。否、跳ぶ。運動効率の一切を無視した筋肉一辺倒の跳躍は初速だけならレイチェルの歩法よりも早ぇ!
壁穴から外へ飛び出す。吹き飛ぶシンクレアに狙いを定める。【刻憶】発動! 頭に手を伸ばし――
「……くっ!」
「チッ! 逃げんなてめぇ!」
【透翼】。見えぬ翼が空を泳ぐ権能を人に与える。淵源踏破の勇者の神秘性を裏付ける、シンプルかつ強力な魔法。姉上は室内より外のがよっぽど強ぇ。
ふわりと空を舞う姉上に頭上を取られる。中距離。謁見の間を背にしたシンクレアに対し、空に投げ出された俺。
謁見の間に空いた壁穴から宰相が姿を見せた。叫ぶ。
「やれッ!」
命令に応じてシンクレアが魔法を展開した。先程使ったそれとは範囲も熱量も比べ物にならない最上級の火魔法【千年焔】。間違っても人に向けるもんじゃねぇ。殺意の程が伺えるね。
宰相も必死だ。俺を殺せば姉上の力でエンデを質にできる。そうしなければ俺は止まらない。国は傾く。言っちまえば、これは俺と姉上ではなく俺と国との戦いだ。
ならお前も土俵に下りてこいよ。高みの見物なんて許さねぇぞ。
俺は笑みを浮かべた。同様に叫ぶ。
「ホントにいいのか宰相さんよォ! これなぁーんだ!?」
俺は懐からペンダントを取り出した。高々と掲げて見せつける。
国防級呪装『光天幕』の制御核。ちょいと魔力を流せば鬱陶しい防護壁は消えてなくなるっつー寸法よ!
七色の幕が露と消える。ヴェールが消えた先にあるのは勇者降臨に沸き立つ王都の街並みだ。
謁見の間は城の最上階にある。その位置から落ちる俺を焼き払ったら……延長線上にある街も大炎上だぜ! 俺が手を下すまでもなく大混乱の到来よ!
「ッ!? 止めろぉぉォッ!!」
齢を重ねた男が出したとは思えぬほどの大音声が蒼穹に響く。
ビクリと反応したシンクレアが両手を振るって魔法を霧散させた。灼熱の業火が消え失せる。意趣返し成功ゥー!
「どぉよ宰相! 街を人質にされる不愉快さが分かったか!? 人にやられて嫌なことはしちゃいけませんってなァ! 国是によくよく刻んどけバカ野郎がッ!」
『光天幕』再展開! 【淵源踏破】発動! 空を泳ぐ式を模倣して一直線に翔ける!
「あッ!」
「弟様を火葬しようとするたぁどういう了見だ!? やられたらやり返すは姉弟喧嘩の礼儀作法! そんならこっちは土葬で行くぞオラァ!」
【刻憶】発動! 姉上の頭を鷲掴みにして記憶を流し込み、眼下に広がる中庭へとぶん投げる。
「オラッ! 死んだら派手に国葬開いてやんよぉ! 手向けの花が色とりどりだ! 悼む相手が勇者なら、喪に服する時間は一秒だって要らねぇなァ!!」
中庭の生け垣へ豪快に突っ込んだ姉上から視線を切る。壁穴の前に立つ宰相、そして国王のおっさんはなにやら呆然とした顔を晒していた。俺は肩を竦めた。
「おいおい、笑えよ。勇者ジョークだぜ?」
「…………とても、笑えん」
「そうかい」
宰相は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。いいね。著名な画家に肖像画を描かせてやりたい顔だ。廊下に飾っておいたらさぞや人の目を引くことだろう。
慣れていないからか、【透翼】を使い続けるのは中々に疲れる。式の模倣は持続性に難ありだ。そもそもが借り物の力なので練度が足りていない。要改良、か。
魔法を操作して謁見の間へ乗り込――首筋に痺れが走る――翔び退く!
鼻先を濃密な剣圧が通り過ぎていった。遥か彼方を泳ぐ竜ですら両断する神域の一振り。
焼け焦げた謁見の間、その奥からレイチェルが姿を現した。手に在るは至高天坐の勇者が振るう愛剣。いよいよ、本気か。
「今のはちと肝が冷えたぜ……。よう、いやに遅ぇと思ったらソレを取りに行ってたってわけか?」
地平の剣『天壌軌一』。射程範囲は、目測し得る全て。
近接戦闘しか能のない馬鹿姉を勇者たらしめる規格外の呪装だ。まさしく鬼に金棒。あればっかりはさすがに模倣できねぇな……。
「…………」
姉上が無言で剣を構える。俺は舌打ちした。
「大事な大事な愛剣のことは思い出したってぇのに……俺のことは頭にねぇってのぁどういうことだ? 腹立たせてくれるぜ、おい。ことと次第によっちゃその剣叩き割って涙目にしてやっからな」
五感五体を研ぎ澄ませる。アレを手にした姉上を相手に余裕をかませるなんて思っちゃいない。油断でもしようもんなら気付かぬうちに真っ二つだ。集中は切らさない。その意に反して身体がよろめく。
「な!? チッ……あいつかッ!!」
展開した【透翼】の制御が乱される。生成した式への干渉、制圧……シンクレアのお家芸だ。
「くっ……そがァ!」
魔法の再展開が間に合わない。違う、展開したと同時に妨害されているのだ。これが模倣式の限界か……。
俺は翼をもがれた鳥のように空から落ちた。
下を見る。中庭にある花園の中央、冷めた視線と両手をこちらに向ける姉上と目が合った。おいおい、随分とご立腹じゃねぇの!
「そうこなくっちゃ張り合いがねぇよなぁ!」
老いることなく、死することなく。故にただの喧嘩も人のそれとは一線を画すものとなる。互いの腹ん中を寸分残らずぶち撒けるには、死力を尽くしてぶっ殺し合うくらいじゃねぇと伝わらねぇ!!
「俺だってなぁ、こんくらいやれるようになったぞ!」
【風殺】最大出力! 地へと引かれる力、すなわち重力を任意の方向へと捻じ曲げ迫る魔法を回避する。
姉上が踵で地を叩いた。隆起した大地の槍を墜ちながら躱し、足場にして跳び肉薄。
「はぁっ!」
姉上が両手を振るった。雷槍、炎壁、氷霧、風刃、全天周に展開された飽和攻撃! 本気じゃねぇかッ!
「だが、全部知ってんだよッ!」
深淵の底に辿り着いた? だからどうした。そこで足を止めたやつが俺に勝てるかよ! 深淵だろうと足蹴にしてる土を掘り返しゃまだ先があんだろうがッ!
【不倶混淆】発動! 魔法の弾幕を縫って前へ、前へ、前へ!
「どこ見てる! 俺はここだぜぇ!」
「……っ!」
魔法の嵐で自分の視界を封じるなど愚策極まれり。魔法ぶっ放したら消えてくれる魔物なんぞと同列にしてくれるなよ。このしぶとさこそが勇者の故だろうが!
背後を取って魔法発動。【刻憶】。手を伸ばし――
「シッ!」
「チッ……邪魔すんじゃねぇ!」
高天より剣が降る。魔法を破棄。【至高天坐】発動!
黒金の剣を抜き放つ。抜剣の勢いで飛ぶ斬撃を迎え撃ち――押さ、れる……!
「重てぇ、なぁッ!」
真正面からの迎撃を諦め、体を躱して衝撃を逃す。地面に悍ましい深さの断裂が刻まれ、噴水のように土砂が舞う。
二人揃ってふざけやがって。どう見ても本気じゃねぇか。人に向ける攻撃じゃねぇだろっての。
「ふぅー……どうやら、まだまだぶっ叩き足りねぇようだな?」
いつでも魔法を放てるよう構えるシンクレアの隣へ、音一つ立てずにレイチェルが降り立つ。
数分前と同じ並びで、しかし放たれる威圧感はまるで別物だ。戦いの記憶が戻っているのだろう。染み付いた経験も同様に。
俺は息を吐き出した。首を鳴らす。
「どうやら、猿真似が通じるのもここまでみたいだな」
模倣と言っても所詮は偽物。弱体化した姉上らを圧倒する程度なら訳ないが、事ここに至っては姑息な一手にしかなり得ない。
「なら……ここからは、俺も本気でいくぞ」
風が吹き、花が散った。
城の中庭で向き合うと思い出す。魔王征伐の旅に出る前の日のことを。守ると誓い、戦いの日々から解放すると約束した日のことを。
お前らには戦いは似合わねぇんだよ。だから、俺が……戦う理由をなくしてやる。これはその為に鍛え上げた力だ。その身で食らって思い知れ。
世界を救う力ってのは、破壊と癒やしを司る魔法でも、窮極まで鍛え上げた武の結晶でもない。
「行くぞ姉上。補助魔法の神髄、とくと見よ……ってな」




