遠き過去への追悼戦
五年以上前。
俺は姉上らと模擬戦をして――そして無傷で勝利したことがある。
しかしそれは三折ありきの結果であった。
自身には幾重にも強化を施し、そして模擬戦開始と同時に相手に弱体の補助を複数掛ける。単純な力押しが機能する状況を整えれば、あとは拙い身のこなしで逃げ回る姉上らを地面に転がすだけだ。
おおよそ真っ当な勝負とはいえない。しかし、歴戦の勇者を赤子扱いできるほどにエクスが優れていたのだ。その魔法は血の滲むような努力の賜物であり、すなわち俺の力そのものである。単純な勝ち負けだけで判断するならば、あの時点で俺は姉上らを追い越していた。
ところが、俺の生み出したエクスは絶大な効力と引き換えに魔力を穢すという欠陥を備えている。それを知ってしまったからには連続使用などできるはずもなし。
魔王はあと五十回も使えば世界に影響を及ぼすと言っていた。その忠告を受けてから何度使用したっけか。十は越えていない……と、思う。まだ辛うじて余裕はある。それでも使わないに越したことはない。
余裕を演出する笑みを浮かべ、剣を腰だめに構える。理外の絶技を振るう勇者レイチェルと、全くの対称。
「弱体は無しだ。ハンデってやつだよ。好きに仕掛けてこい。二対一でもいいんだぞ?」
仕掛けてくるとしたらまずは下の姉だ。
いつも見てきた。間近で見てきた。こうして二人揃った時の初動など手に取るように予測できる。
理外の絶技なんてのは未知がもたらすまやかしだ。
見上げる先が高すぎて、雲の上まで突き抜けてるから全容を掴めない。だから人は思考を放棄してそれを理の外にあると評した。評するしかなかった。
俺には分かる。その剣技は世で達人と呼ばれる者の技を極限まで速く、鋭く、重くしただけに過ぎない。人には寿命があるから登りきれない山を強引に登頂したという、ただそれだけのこと。
ならば他ならぬ俺もその横に立てる。まあ、多少のズルはさせてもらうがね?
既に肉体と感覚は限界まで補強してある。両者ともに同じ高みまで登りつめちまえば、そこで行われるのは仲睦まじいチャンバラごっこよ!
「…………っ!」
強化した目が前兆を捉えた。耳が姉上の呼気を拾い、舌下に痺れが走る。
常人には踏み込めぬ刹那の領域。沈み込む腰が、張り詰める軸足が、鞘を撫でる指先が、死線を定める眼光が――奔る剣閃の始点と終点を浮かび上がらせた。
来る。迸る剣気に呼応して魔法を発動する。
【寸遡】。意識はそのままに、俺自身の身に刻まれた拙い経験を排除する。明鏡止水、無我の境地へ沈み込む。
【追憶】。思い起こすは至高の剣技。立ちはだかるものを分け隔てなく断つ神業。かつて憧れた勇姿。
【写実】。染み付いた記憶を肉体に降ろす。動作一つ一つに込められた理の尽くを模倣する。今の俺なら千年超の研鑽にだって堪えられる。
併せて三つ。練り上げる。
其は天に至りし英雄の御業。魔を祓う安寧の象徴。高く、高く、高く――――
唱える。【至高天坐】。
俺は剣を抜き放った。
「遅ぇッ!」
初動を譲り、しかし競り勝つ。すなわち後の先。
抜剣後の勢いが乗る寸前、黒金の剣を差し込み剣閃を断つ。神速の抜刀がかち合い、爆散した衝撃が謁見の間を好き勝手に吹き抜けた。
カーペットが千切れ飛び。
シャンデリアが揺れ墜ち。
幾本の列柱に亀裂が走り。
白亜の壁に大穴が空いた。
破壊の嵐の中でも身体の流れは止めない。すぐさま剣先を絡め取り、全身を連動させて剣をカチ上げる。
「鈍臭ぇ!」
粘度の高い泥のように流れる時の中で、姉上が呆けた顔で目を見開いた。その様に、酷く苛立つ。
剣を跳ね上げられた姉上が動いた。遅すぎる。俺は既に予見と制圧の支度を終えているぞ。
右の踏み込みと唐竹割りが来る。
先んじて距離を詰め間合いを潰し、中途半端な体勢で振り下ろされた刀身を右の手刀で払う。
狙いを外されて身体を泳がせた姉上が、その勢いすら利用して反撃に転じる。身を引き、回ってから放つ水平斬り。
拙すぎる。
上段に構え――ひと振りで叩き落とす。
姉上の剣が地面を叩く。引っ張られる勢いを殺せず無様によろめく姉上を見て――俺は吠えた。
「薄っぺらだなぁ、オイ! 吹けば飛ぶような軽さじゃねェか! 記憶と一緒に剣の振り方も忘れたか!? あぁ!?」
国の連中は勇者の記憶を消すことをギリギリまで引き伸ばす。頻繁に記憶を消すのは政治的に都合が悪いってのもあるが……最たる理由がこの弱体化だ。
感懐初期化式。抱いた全てをまっさらに消したら、後に残るのは身体を上手く動かせるだけの超人だ。その技の冴えは勇者と称されるには粗末に過ぎる。
「てめぇの腕はこんなもんじゃねぇだろうが! 寝ボケてんのか!? こんな体たらくでッ! 勇者レイチェルを名乗るんじゃねぇッ!」
袈裟斬り。遅い。逆袈裟で弾く。
突き。鈍い。剣先をかち合わせて押し込む。
回り込み。甘い。剣先は常に対手を捉えて逃がさない。
攻めあぐねてか、姉上の動きが止まる。
俺はため息を吐いた。極限まで予備動作を省略した刺突を放つ。
「ぐ……ッ!」
紙一重。服一枚。
新調した服の切れ端が舞う。あとほんの数瞬避けるのが遅れていたら……姉上は俺の剣に貫かれていただろう。その事実がますます俺の神経を逆撫でる。
「呆けてんじゃねぇ!」
振るわれた反撃の剣は幼子が虫を払うように稚拙なものだった。
理の全てを総動員して弾き飛ばす。まさしく赤子の手を捻るに等しい行為だ。
「無様を晒すな! 顔を歪めるな! こんな偽物の剣にッ! 遅れを取ってるんじゃねぇよッ!」
競り合いにもならない。
苦し紛れに振るわれた剣の全てを、暴力的な理詰めで制圧していく。速く、重く、正確に。窮極まで効率を追い求めた剣筋。
どうすれば勝てるのか。どうすれば斬れるのか。どうすれば、守れるのか。
勇者レイチェルの剣技は、その全てを突き詰めた結晶なのだ。
「剣を振るう理由まで忘れたのかよ! ええ!?」
遅い。遅い。遅すぎる。一合交わす間に百回殺せるぞ、クソがッ!
逃げ腰で振るわれた剣を――もういい――逆袈裟で断ち切る。
半ばから断たれた剣身がくるくると宙を舞った。呆然の顔を晒す姉上に対して、俺は――
「頭ぁボケてんなら、思い出させてやるよ! 老々介護ってかぁ!? 姉思いの弟に感謝しやがれッ!」
魔王は言った。記憶は消されているのではない。再び結びつかないようにされているだけなのだと。
ならば話は早い。全部元通りにして、今度は忘れられないよう魂に刻んでやるだけよ!
【隔離庫】! 世に満ちる魔力は全て俺の掌の上だ!
【追憶】、続けて【共鏡】! あなたの落とした記憶はこれですか、ってなぁ!
「喜べ姉上! 世にも珍しい馬鹿につける薬だぜぇ!」
踏み込みと同時、呆けたレイチェルの頭を鷲掴みにする。これが俺の教育哲学だ。叩いて治ればすなわちショック療法よ!
「【刻憶】ォ!」
「っぐ、ああッ……!」
人形の如きレイチェルに『勇者レイチェル』を刻み付ける。
おっとしかし良薬口に苦し。暴れ出した姉上の拳が飛んできたので俺は姉上をぶん投げた。怪力馬鹿の模倣による投擲は凄まじいパワーを生む。弩弓の如くすっ飛んだ姉上は列柱をブチ壊して瓦礫に埋もれた。ま、あれくらいじゃ死にゃしねぇだろ。
「シンクレアッ! やれッ!」
宰相の怒号が飛ぶ。直後――強化した肌が空気の流れを捉えた。鼻腔が焦げつき脳内を覚醒に導く。研ぎ澄まされた六感が思考よりも早く行動を促した。
【耐冷】最大出力……!
「……ふぅ。おいおい、不意打ちとはらしくねぇな、姉上よ」
「…………」
宰相と国王を庇うように立つシンクレアがこちらに手を向けていた。
放たれた魔法は『凍て棺』。対象を氷塊で封じる厄介な魔法だ。俺が姉上から逃げようとした時、何度あれに全身を凍らされて引きずり回されたことか。数えるのも億劫だ。
だが……今の俺には効かねぇな。身体を撫でる氷獄の風は初夏に吹く涼風の如し。むしろ心地よさが勝るってもんよ。
「次女がボケてりゃ長女もか? 弟よりもオッサンの言うことを聞くなんてひでぇじゃねぇの。俺ももう結構な歳なんだぜ? 年寄りに冷水どころか氷はダメだろ。心臓発作起こしたらどう責任取ってくれんのよ」
軽口に応えることなく姉上が両手をかざした。
六感が警鐘を鳴らす。式が展開される。
いつも見てきた。間近で見てきた。こうして相対した時に打つ初めの一手など手に取るように予測できる。
魔導の深奥に触れたなんてのは無知な輩の与太話だ。
覗き込む淵が暗すぎて、遥か底まで続いていると思い込む。だから人は思考を放棄してそれを深淵の業であると評した。評するしかなかった。
俺には分かる。その魔法は昔の人間が生み出した式を学び尽くしただけに過ぎない。人には寿命があるから潜り切れない底の底へ強引に辿り着いたという、ただそれだけのこと。
つまり他ならぬ俺もその横に立てる。先と同じく、ちょいとしたズルはさせてもらうがな。
同じ深淵に立つ者同士なら、そこで行われるのは仲睦まじいお勉強会よ!
「…………っは!」
常人には踏み込めぬ無想の領域。指揮棒のように振るわれた姉上の腕に世界が応じ、意思の全てを反映する。敵手を討つ一念は槍の形をしていた。空を裂いて出でたそれは、神の怒りの顕現たる雷。宙に浮く槍衾は優に百を超えていた。
来る。迫る裁きに呼応して魔法を発動する。
【孜々赫々】。才能の精査。肉体に宿る機能の適性を暴く残酷な魔法。そのさらに深奥を暴け。『勇者』の構造そのものを理解しろ。
【追憶】。思い起こすは見果てぬ叡智。世に蔓延る悪意を根絶やしにする神の法。かつて羨んだ麗姿。
【転写】。魔法は式だ。魔力を練り上げ、法則に落とし込み、現象を起こす――人の生み出した業。細大漏らさず吸い上げ、世界に刻め。
併せて三つ。練り上げる。
其は深淵へ至りし麗傑の御業。昏き世を照らす聖なる光。深く、深く、深く――――
唱える。【淵源踏破】。
俺は式を世界に刻んだ。
「足りてねェぞ!」
迫る雷の槍衾を、全く同じ雷の槍で相殺する。消したそばから新たに放たれる槍を、こちらも同じだけ生み出して打ち消し合う。
百を越す光の衝突が雷轟と稲妻を散らした。耳を劈く雷鳴が城を揺るがし、鞭のように撓る残光を引いた雷が謁見の間に黒い線を刻んでいく。
燃える。焦げる。断ち切れる。正しく天より降る裁きの雷鎚よ。
だが、神の杖たる勇者が振るうそれにしては――
「足りねェな! 数も、強さも、速さも、何もかも!」
こんなぬるい裁きがあってたまるか。神の怒り? 馬鹿馬鹿しい。もっと苛烈であれよ。こんなの舌打ちにも満たねぇぞ!
天網恢恢疎にして漏らさず。それがどうだ。俺一人にすら届かねぇ!
「てめぇも寝てんのか!? 淵源踏破の名が泣いてるぞ! くだらねぇ! 全くもってくだらねぇッ! こんなのただの浅瀬遊びじゃねぇかッ!!」
式を刻む速度を上げる。
俺と姉上のちょうど間にあった衝突点が徐々に姉上の方へ寄る。押し勝っているのだ。俺が。姉上に。攻性魔法生成の腕で。そんなわけあるか。
「馬鹿の一つ覚えかぁ!? もっと頭を使えってんだよッ! 何の為に魔法を極めた! 何がしたくて魔法を究めたッ! その体たらくで、よくも俺らを守るだなんて息巻いてくれたなぁ!? ええ、オイ!!」
槍の生成数を増やす。万雷を束ねて打ち出した雷が宙に浮く全ての槍を掻き消した。
シンクレアが呆然として隙を晒す。苛立ちが止まらない。
「万策を捻り出せや!」
「……ッ!」
俺が剣を構えて駆け出すと、ようやく我を取り戻した姉上が靴のかかとで床を蹴った。
地の魔法。分解と再構築。焦げついた床が鋭利な槍と化して足元から胴体めがけて伸びてくる。だが、やはり遅い。
「出足を悟らせるな!」
迫る黒槍を踏み付けにする。【淵源踏破】発動。式を寸分違わず模倣し、そっくりそのまま相手へと返す。
「ぐっ……!」
風魔法を炸裂させて飛び退いた姉上が手を振るう。接近する俺を暴風の壁が阻んだ。
手ぬるい。式を刻む。逆回転する暴風をぶつけ合わせて壁を消滅させる。
爆ぜる奔流を強化した肉体に任せて突き破った俺は再度魔法を発動した。
「てめぇもてめぇでボケちまったってんなら、弟印の処方箋をくれてやるよォ! 吹き飛ぶショックで思い出せッ! 【刻憶】ォ!」
右手でシンクレアの頭を鷲掴みにし、散った記憶を流し込む。呻く姉上の反撃が来る前に身体を捻ってぶん投げる。ふゥー! 壁に空いた穴から城外までひとっ飛びだぜぇー!
ぱっぱと手を払う。さてと、とあえて口に出し宰相と国王のおっさんに向き直る。
「邪魔者はいなくなったな。さぁて、そんじゃ腹を割った話し合いといこうかね?」
「……勇者、ガルド……そなたは……どこまで……」
声を震わせて一歩後ずさる宰相に向かって俺は一歩踏み出し――後方へ跳躍――俺がいた場所を豪速で岩塊が通り抜けていった。
「っぶねぇな……よぉ、お目覚めかい?」
「…………」
柱の瓦礫に埋もれていたレイチェルが、自分の周りの瓦礫を爆散させて姿を現した。額から一筋の血を流しているものの、その他に目立つ外傷はない。
さすがに頑丈だ。今まで寝てたのは記憶の混濁のせいだろう。
レイチェルが徒手の構えを取る。いいね。さっきよりはマシなツラだ。
「少しは目ェ覚めたかよ? んじゃあ続きを――っとぉ!?」
踏み出す先に紫電が走る。咄嗟に剣を振り払う。ジンと痺れる感覚を無視して雷が飛んできた方角を見遣れば、宙に浮いてこちらに掌を向けたシンクレアと目が合った。壁に空いた穴の外からの狙撃……随分といやらしい真似をしてくれるねえ。
短く呼気を吐き出し意識を切り替える。
……今の一撃は、疾かった。気を抜いていたら直撃は免れなかっただろう。
つまり、効いてるってことだよな? ならば続けよう。健気で献身的な弟様のことを思い出すまで、な。
俺は左手を伸ばした。掌を上に向け、クイクイと指を曲げる。
「こいよ本物ども。第二ラウンドだ」




