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追憶:空約束

 魔王。その正体は意思を持つ魔力そのものであった。


 宰相の言葉も、世に溢れる勇者の歴史も、魔王が悲劇の元凶だという話も……何もかもがでたらめの妄言でしかなかった。


 魔王は意図的に作られた外患。

 魔族は敵国の俗称。

 魔物はそれらの手先。


 国が流布し、教会が説く世界の沿革は――国によって都合の良いように改竄され、もはや正史の原型など残っていない、世論誘導のための政策でしかなかったのだ。


 勇者なんてのは後付けの設定でしかない。国の政策を補強するための煌びやかなメッキ。侵略兵器の実態を覆い隠すために作られた見栄えのいい看板だ。


 そうして世界は偽りの歴史に塗り潰された。人々は平和という名のまやかしの中で生き続けている。

 戦禍が生み落とした『人』は本物の『人間』を生かすために、何も知らされず、ただ労働力としての生を全うするのみ。


 なんだそれは。釈然としないものが胸に蟠る。反吐が出そうだ。


 何よりも許し難いのは――その事実を今の今まで忘れ去っていた自分自身だ。


「それは、仕方ないこと」


 抑揚に欠けた口調で魔王が言う。


「ガルドは……あなたたちは、何度も意思と記憶を消されてるから」


「……その方が国にとって都合がいいからか」


「そう。ガルドたちが自我を持つことを……そしてその力が魔物以外に向けられることを恐れている」


「……そうだよな。国にとって僕たちは所詮兵器……間違いが起きないように調整するのは当然か」


 仮に姉さんたちがその力を国へと向けたら――多分、国は為す術なく滅びるしかないだろう。


 国は極めて危険な効能を有する呪装を回収して保管している。平穏を脅かすと認識された呪装の数は百か、それとも千か。


 その全てを用いたとしても……あの二人が負けるとは思えない。それくらい強くなった。なりすぎた。


 よく切れるナイフは慎重に扱わなければならない。そういうことなのだろう。

 理屈は分かる。分かるよ。でも……納得なんてできるわけない。


「大体、分かったよ」


 言葉に出して頭の中を整理する。


「魔王と魔物は一切関係ないってこと。全ての歴史は国が……今よりも、もっと昔の国が作った流言だってこと。そうする以外に、もはや生き残る道がなかったってこと。魔王を倒しても……平和になんてならないってこと」


「…………」


「だったら、なんで……お前はあの時なんの抵抗もしなかったんだ? 受け入れるだなんて言って……そうしたら世界が滅びるって知ってたのに、どうして拒まなかった! せめて弁明してくれたら僕だってあんなことはしなかった!」


 話しているとまた理由のない殺意が湧き上がってくる。


 魔王を殺せ。

 それが使命だ。

 そうすれば平和になる。


 脳の奥が疼く。鬱陶しい感覚だ。僕の意思をこんなもので縛るなよ。


「……受け入れたのは」


 片手で顔を抑えながら魔王を見る。指の間から覗いた顔は、心なしか憂いを帯びているように見えた。


「……それが一番、平和だと思ったから」


「…………は?」


 いつまでも消えることなく脳裏にへばりつく殺意を、それでも忘れる程に頭が真っ白になる。

『平和』という言葉も国によって意味が挿げ替えられていて、実は違う意味があるんじゃないか。そう思わずにいられない。そうでないと、噛み合わないどころの話じゃない。


 二の句が継げない僕の顔を一瞥した魔王がほんの少し顔を伏せて言う。言葉の端々に挟まる間が躊躇いの念を思わせた。


「……魔物を消すのは不可能なの。あの式は……もう世界の一部と化してる。どうやっても……停止も消去もできなかった。制御して魔物の生成量と速度を抑えるだけで……精一杯」


 魔物は消せない。それは僕たちの……姉さんたちの戦いが終りを迎えることは決してないという事実を意味していた。


 どれだけ倒しても湧き出てくる魔物……旧世代の遺物。それは風のように世界を巡り、雨のように降り注ぎ、樹木のように芽を出し、火のように人の生存圏を追い詰める。

 終わらない。終わりなどない。そう悟る。世界から人が消えたとしても……僕たちに安寧の日々など訪れないのだと。


「……うそ、だろ?」


「……だからあの時、全部終わりにしようと思った。世界を救うあなたの意思で、たとえ世界が終わることになっても……誰もあなたを責めることなんてできない」


 違う。僕はそんなことを望んでなんていない。


「あなたがこれまでに抱いた意思も、覚悟も……全部知ってる。あなたたちの意思と記憶は……消されてるんじゃない。再び結びつかないように形を変えられているだけ。だから……読み取れるの。苦悩も、思いも、全部」


 だから、あなたを知っていた。昔からずっと。

 魔王はそう言った。


「知ってても、できることなんて、何もなかった。この場所で魔力を浄化して……あとは、浄化できないほどに破綻してしまった魔力の影響を抑え込むことくらいしか」


 魔王はただひたすら『滅び』の侵食を食い止めていた。

 気の遠くなるような時間の中を、たった一人で。

 諸悪の源なんて濡れ衣を着せられても沈黙を貫き、愚直なまでに世界に献身し続けた。


 僕と姉さんのように支え合う者すらおらず。

 意思も記憶も消してもらえず。


「それが世界の運命なら……運命があなたたちに苦役を強いるなら……全部終わるのが平等だと、そう思ったの。それが平和だと思った。だからあなたに……ガルドに殺されることを受け入れた」


「……ふざけるな」


 全てを聞いて抱いた僕の意思がそれだった。


「ふざけるなよ。それが運命? そんなの認めるか。認められるわけないだろッ! 僕は……そんなことのために命を費やしてきたわけじゃない!」


 記憶が疼く。

 姉さん二人が仮想生物群に突貫を繰り返し、傷付き、倒れ、蘇り、そしてまた群れの中へと消えていく。

 辛いと言っていた。嫌だと言っていた。苦しいと、戦いなんてしたくないのだと。

 守ると決めたんだ。争いとは無縁で、誰も傷付かない世界にすると決めたんだ。


「終わりにするなんて認めない。僕は姉さんたちと約束したんだ……それを違えるなんて……そんなクズに成り下がってたまるかッ!」


 灰の大地を躙って立ち上がる。

 茫洋とした――感情を封じ込めた魔王の瞳を見据えて宣言する。


「約束だ。姉さんも、世界も……お前だって救ってやる。僕は……世界を救うんだ。皆が幸せに笑っていられる世界を作る。そのために生きてきたんだ」


「……ガルド」


「持ってる全ての知識を寄越してもらう。見聞きしてきた全部だ。滅びの運命なんて覆す。協力してもらうぞ」


 そうして旅は終わりを迎えた。

 新たに始まったのは研究の日々だ。世界救済の手段を講じるため……そして僕の本懐を遂げるため――滅びの地で、魔王と二人きりの生活が始まった。


 ▷


「侵略的仮想外来生物群繁殖環境敷設式……要するに魔力溜まりは世界の一部になってるっていう話だったな」


「うん」


「それが停止できないなら、いっそ壊すっていうのはどうなんだ? 僕の魔法ならその式だけを狙って消すこともできるんじゃないか?」


 話し合いの焦点になるのはやはり仮想生物……魔物の存在だった。


 他国侵略のためだけに作られた生物兵器。人を襲う思考と、その目的を果たす肉体のみを与えられた無尽蔵の悪意。

 極論、魔物さえいなくなればいいのだ。僕が魔王を殺そうとしたのも、つまるところ脅威の排除が目的だった。


 相変わらず起伏に乏しい調子で魔王が言う。


「……できるとは、思う」


「本当に!?」


「でも……現実的じゃない」


「……と言うと?」


「世界に食い込んでる魔力溜まりにあの消滅の魔法を使ったら……それ以外の魔力も吸い取って無に還すことになる。魔力溜まりだけを狙って打ち消すのは……至難の業、というか、多分……無理」


 魔王に掛けた【全能消去(オールクリア)】を消すために消滅式同士をぶつけ合わせたあの時のことを思い出す。

 とんでもない苦行だった。一つでも加減を間違えれば世界はあっさり滅んでいたのだという実感がある。あの極限まで神経を磨り減らす作業を何日もぶっ通しでやれたのは奇跡としか言いようがない。


 いま同じことをやれと言われたら……僕は首を縦に振れないだろう。簡単な魔法くらいなら問題なく消せるが……世界まで食い込むほどの式となるとそうはいかない。


「それに……魔力溜まりはおびただしいほど存在してる。百や二百じゃない。首尾よくそれを全部消せたとしても……どんな影響があるか分からない」


「……例えば?」


「魔力溜まりをすべて消す前に……世界の魔力が尽きるかも」


「……却下だな。魔物の前に人が滅ぶ」


 灰の大地に直接座り込み、地をコツコツと指で叩く。解決案を捻り出せ。頭を回せ。


「……考え方を変える。魔物を無害化できないか? 生まれないようにするのは諦めて……せめて人を襲わないようにすればなんとかなると思うんだ」


 旅の間に普通の動物も見てきた。魔物や凶暴化した生物ではなく、ただそこで生きている動物たち。彼らは生命を脅かされれば人を襲うだろうが、少なくともそれを生存理由に据えているわけではない。


 先天的に埋め込まれた悪意こそが魔物を人類の天敵たらしめているのだ。


「魔力溜まりに刻まれてる式に改造を施して……生まれる魔物から敵意を取り除くんだ。人を憎むことをやめた魔物は隣人たりうるんじゃないかな」


 消すのが無理なら性質を変えればいい。

 その提案に対し、魔王は力なく首を振った。


「どこをどうすれば可能なのか……まるで分からない。糸口が見えないの。下手にいじれば悪化しかねない。多分……消すのよりももっと難しい」


 これだと思った妙案はすげなく否定された。思わず憎まれ口がまろび出る。


「……魔王なのに魔力由来の技術を解析できないのか? それくらいできても良さそうだけどな」


 その時、対面に座っている魔王がほんの少し頬を膨らせた……ような気がした。


「あれは……意識の芽生えよりもずっと昔からあったものだから。仕組みも詳細も、知らない。知ってる人の記憶もない」


「……そう、か。その、ごめん」


「……いい」


 これにて議論は振り出しだ。もとより目に見えるほどの進展すらないのだが。

 再び考える。魔物の脅威から無縁でいられる方法……。


「……新天地を探すのはどうだろう?」


 灰の大地を手で弄びながら言う。


 旅をして分かった。この世界は、僕が想像しているよりも数段広い。

 国を出てから一直線にここまで来たのにかなりの時間を要した。ならばあえてその逆、未開の地を探索してみたら――魔物の脅威に晒されていない土地があるかもしれない。


「地形とか気候とか……あとは魔力溜まりが近くにないとかでさ、安全な地帯ができあがってる場所があるんじゃないかな? 周りが山に囲まれてたり、もしくは島になってたり」


「……うん。そういうところもあると思う」


「だったら!」


「でもね」


 出足を挫くように魔王が言葉を被せる。


「そういうところは……もともと人が住めなかったところなの。気候とか、土地柄とか、植生とか。主な理由は……食料の調達の難しさ」


「食料……」


「そう。魔力溜まりがない地域は……偶然できあがったんじゃなくて、魔物に襲わせる必要がなかったの。人が住むには適してなくて、元々人がいなかったから」


「……なるほどね。それじゃ、人も家畜も生きられないか」


 一進一退。いや……進んですらいない。ただの足踏みだ。僕は魔王が既に通った道を丁寧になぞっている。魔王が諦念を抱き、僕に殺されるを良しとするに至った軌跡。


 だが同じ轍など踏みはしない。新たな道を拓いてみせる。世界の果てに待つのが滅びの運命なら……僕が無理矢理にでも舵を切る。


 船頭が多ければ船が山に登るというが、舵を切る判断すらできずに沈むよりはよっぽどマシだ。


 変えてみせる。絶対に。約束は果たすさ。


 心機一転。決意新たに話し合う。案を出し続ける。

 とにかく言葉を交わした。魔法の改良に付き合ってもらった。寝食を共にした。


 そうしているうちに二年が過ぎた。

 結局、何も進展することなく策は尽き果てた。

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― 新着の感想 ―
ああ、ここで2年過ぎてるんですね。 前に洗脳されて3年くらいとあった気がしたのに、裏の仕事をしてたのが5年前みたいな記述が最近あったので不思議だったんですが…2年もがんばったのか…。 そしてガルドも…
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