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追憶:過ち

 勇者は死んでも蘇る。

 たとえ苦難の果てに力尽きようとも、天に御座す女神様の加護により死ぬ直前の姿で復活を果たす。


 けして潰えぬ希望の象徴。それが勇者なのだと宰相は僕たちに語った。


 レア姉は分かる。病める者に癒やしを与える博愛の使徒。民に、そして国に安寧をもたらすその姿はまさに希望そのものだ。

 レイ姉も分かる。迫る悪意の(ことごと)くを無に還す救世主。大樹の如く聳え立ち民のよすがとなるその様は紛うことなき希望そのものだ。


 なら僕は?

 その問いに答えを出すのが旅の本懐だった。


 ▷


 まずはフィアフルという街に飛んだ。

 海に面した辺境の街……というより小規模な村は海産物の交易で成り立っている。体力を使う仕事が多いからか、道をゆく人々の声は王都の人々にも負けない活気に満ちていた。このあたりは魔物に襲われることが滅多にないのも要因の一つだろう。いいことだ。


 心を落ち着かせる潮騒を聞き流しながら街を出る。

 他の街へと続く道は馬車での行き来に不便しない程度には舗装されているが、僕が往くのは文字通りの道なき道だ。


 地質の関係なのか、背の高い樹木が生えていない荒野をひたすら歩く。

 魔法を使えば大幅に時間を短縮できるけど、その分だけ疲労が溜まるし負担もかかる。どこが終点なのか分からない以上、体力を温存しておくのは当然だ。軽い補助を発動しておけば歩き通しでも全く問題ない。


 そういえば……人は殺風景な場所を歩いていると自然と円を描くように歩いてしまうと聞いたことがあるな。


 そんなことをぼんやりと考えながら真っ直ぐに進む。方向は問題ない。そのはずだ。感覚がそう告げている。僕はそれに従えばいい。


 薄っすらと感じる魔力の流れのようなものは、常にある一点を中心に巡っている。風に吹かれた枯れ葉がくるくると踊るように。その流れの中心に魔王はいる。そこを目指す。


 日の浮き沈みを何度見送っただろうか。

 片手間に魔物を葬り、凶暴化した生物をいなし、時たま野生の動物と戯れ。


 歩く。歩く。ただひたすら。

 荒野を抜け、魔力溜まりによって生態系が破綻した地を往く。熱の余波が肌を焼く溶岩地帯を抜け、足が沈み込む砂漠地帯を抜け、岩塊が空を舞う豪風地帯を抜け、遠雷が鳴り続ける暗雲の地帯を抜け。


 僕は何度も死んだ。それでも歩き続ける。死は足を止める理由にはならない。


 背嚢には国から与えられた女神像を収納してある。死から立ち直るのには五秒も要らない。むしろ死ねばそれまでの疲労が解消されるので効率がいいくらいだ。


 人の身では叶わぬ強行軍を勇者としての業が可能とする。故に僕らは救世の使命を帯びているんだろう。


 雲一つない夜の空。見上ればそこにある天満星。

 この世界はこんなにも綺麗なのに――いま、他の何処かでは、悪意の権化たる魔物が空を覆い尽くしているのだろう。そういう光景を常に見てきた……気がする。


 ――――お前、世界でも救ってみたらどうだ?


「……行こう。終わらせるために」


敏捷透徹(アジルクリア)三折(エクス)】。死んで疲労が解消されるならば、もはや躊躇う必要なんてない。


 砂の海を駆ける。吹きさらす砂塵が鬱陶しい。跳躍して砂嵐を抜ける。直後、地面が爆ぜて巨体の異形が姿を現した。


「星喰い、か」


 大口を開けた化け物が直下から迫る。

 砂色の表皮。竜をゆうに越す巨躯。砂を呑み進行する災害。その星を喰うが如き生態から付けられた名が星喰いである。


 そんな仰々しいものじゃない。こいつはただの大ミミズだ。


耐久透徹(バイタルクリア)三折(エクス)】。いかなる巨躯であろうともこの身は砕けない。


 大口が僕を捕らえた。吸い込まれるように体内へ。凄まじい勢いで撹拌されるも僕は無傷だ。


触覚透徹(プレスクリア)三折(エクス)】。反響する振動、音の通り、肉の詰まり方から魔石の位置を特定する。


膂力透徹(パワークリア)三折(エクス)】。五指を広げて刺し、穿ち、引き裂き、捻る。

 魔石……組成と命令の式が刻まれたそれを肉体から引き剥がせば魔物は塵へと還る。魔物の処理なんて簡単なことだ。死ぬまで壊せばいい。


 露出した魔石に拳を叩き込む。魔石が砕けると同時、星喰いは大きくのたうち……そして活動を停止させた。並外れた巨体が空へと溶けていく。


「うぇ……服が破れちゃったよ。替えを用意しといて良かったぁ」


 どれほど続くか分からなかった旅だ。替えの衣服は用意している。

 だけどそれも無限じゃない。全く、本当に魔物ってのははた迷惑な存在だよ。


 おぞましい外見の化け物を睨む。着替え終わる頃にはその巨体の大半は光の粒と化していた。


「……死ぬ時は、綺麗なんだけどな」


 淡い燐光が渦を巻いて空へと溶けていく様子は、まるで彼方へ浮かぶ星の海へと帰っていくかのようだ。僕はそんなことを思った。


 ▷


 だいぶ目的地へと近付いてきた。そういう実感が湧いてきた頃に予期せぬ出会いがあった。


 途方もない広さの大森林を横断していた時のこと。唐突に不自然な感覚が身体に渦を巻く。意思と肉体が離れ離れになったかのように『特定の方向へ向かうこと』をしないのだ。


 何かに干渉されている? 何だこれは。どうなっているんだ。

 補助魔法に精通している僕だから気付けた。【洗脳(リライト)】に近い感覚。無意識下へと訴えかける何かがこの奥にある。


鎮静(レスト)】発動。不自然な違和感を中和して進む。

 そうして辿り着いたのはおとぎ話で語られるエルフたちの集落だった。


「おぉ……本当に、いるのか。全くの作り話じゃなかったんだなぁ」


 感動に浸る僕を出迎えたのは弓矢と手槍の雨だった。


 いやいや……僕は呆気にとられた。さすがにひどいよね。こんなのまるで蛮族じゃないか。


 有無を言わさず襲ってきた彼らを無効化して説得する。天真爛漫……と言うにはいささか野性味が勝る種族であったが、必死に説得することで打ち解けることに成功した。

 どうやら僕のことを狩りの対象ではないと理解してくれたらしい。中々に骨が折れたね。姉二人の説得よりも難儀するとは思いもしなかったよ。


 経緯はともあれ、僕とエルフは友誼を結んだ。

 とてつもない才能をその身に宿していながらどこまでも純粋な彼らと言葉を交わす。そういえば誰かと会話するのも久々だったなぁ。歓待を受けつつ感慨に浸る。


 旅に出てから国には戻っていない。決意が鈍りそうだったし、次に帰る時は吉報を届けるのだと心に決めていたから。


 話をすることで分かったのだが、どうやら彼らはずっとこの森で過ごしているらしい。それは……とても退屈していることだろう。今度なにか楽しませる余興でも披露してあげよう。


 そう。今度だ。

 僕はここに女神像を置いていくことを決めた。いつでも戻ってこれるように。

 ……旅の目的地まではそう遠くない。感覚で分かる。気を張っていればもう死ぬこともないだろう。


 集落の皆に相談したら小さい女神像にぴったりの祠を作ってくれた。

 祠というよりはちょっと大きな犬小屋だけど……それでも十分嬉しかった。元気を貰える。こういうのは、気持ちだしね。


 束の間の休息。英気を養うにはちょうどいい時間だった。これでまた頑張れる。それは予想外の出会いで、そして思わぬ収穫だった。


 またね、と見送られながら森を出る。

 魔法発動。心身を躍動させて、一路目的地へ。


 そこに着いたのはそれから三日後のことであった。


 ▷


 そこはあらゆる全てが破綻していた。


 灰の大地。枯れた空気。昏い空。

 それは『滅び』という概念に姿を与えたらこうなるという見本のようだった。


 穢れた魔手が世界そのものを侵食している。美しい全てを塗り潰すように。無垢な白に汚泥を垂らしたような……野火に焼かれて生まれた灰だけがそこに在るような……。


 虚無。冒涜。不毛。無意味。


 考え得る全ての言葉が、その光景を喩えるに不足している。

 どこまでも、果てしなく、生命を否定するその有り様に……ただただ圧倒された。


 あらゆる思いが一巡する。その後に出てきた率直な答えは、やはり初めに抱いた『滅び』であった。


 壊れた世界の中心。

 そこに一つの影が立っていた。


 その黒い髪と瞳は魔力を凝縮したかのよう。

 擦り切れた白の(うすぎぬ)を纏う姿は孤児を思わせる。

 身体は人に似ている。否、人そのものだ。儚く無力な少女の姿を象った――しかし本能が告げる。あれは本質ではない。あれは、もっと、悍ましいものだ。


 魔王。

 理解した瞬間、頭の奥で熱が生まれた。指向性を帯びた、堪えきれぬ衝動。生きる理由。僕そのものが持つ使命。


 僕はあれを殺す。その為にいるのだ。


「魔王」


 そう言って通じるかは不明だった。だが、ソレは確かにこちらを向いた。


 感情を映さない茫洋とした瞳。寝起き眼を彷彿とさせる半開きの目。何を見ているのか判然としない虚ろな視線。

 確信する。あれが人であるものか。


「僕は君を殺す」


 沸々と湧き上がる殺意を叩きつけ――そしてふと思う。僕はどうして魔王のことをこんなにも憎んでいるのか。


 平和を脅かしているから。当然だ。

 魔物を使役しているから。それもある。


 だけど、芯がなかった。空虚な感情だった。

 僕が魔王に対してこんなにも殺意を抱く理由は。これは……本当に僕の感情なのか?


 分からない。僕は考えるのをやめた。自問の必要などない。魔王の消滅が世界を救うことになる。ならば遂行するだけだ。僕の全てはこの日のためにあったのだから。


 歴史に終止符を打つ。


「魔王。レア姉とレイ姉が苦しんでるんだ。恨みは無いけど、死んでもらうよ」


 僕の言葉を聞いた魔王が反応を示した。身体ごと向き直って僕を見る。


 魔王にも呼吸が必要なのか。

 それとも、それは人を模したが故の借り物の所作なのか。


 鼻で息を吸い、ほんの小さく口を開けて息を吐き出した魔王が――薄く、薄く笑った。


「うん、分かった」


 虚を衝かれる。肯定されるとは思っていなかった。

 困惑する。魔王の口から出た言葉に……少なくない情が籠もっていたように聞こえたのも拍車をかけた。


「それがガルドの答えなら……受け入れる。誰もあなたを責めない。責める権利なんて、ない」


 ガルド。そう言ったのか? こいつはどうして僕の名前を。権利とはなんだ。なぜ僕が責められる?

 ……考えるな。戯言だ。世界を脅かす存在の言葉に意味なんてあるわけない。


 そうだ。

 勇者である僕が、こんなにも目の前の存在を拒んでいる。理由なんてそれで十分だろう。滾る殺意が目の前の存在を悪だと断じている。殺せ。完膚なきまでに。


 片手を翳す。魔法を発動する。


 それは終わりの見えない研究の果てに編み出した狂気の外法。


 その式は完結しない。完成しない。完了しない。

 魔力を吸い尽くすだけ吸い尽くし、何も為さずに徒花の如く散る永劫不完成式。

 枯らし壊して生み落とすは無。魔力持つ現象(モノ)に対する窮極のカウンター。絶対無為の消滅式。唱える。



「【全能消去(オールクリア)】」



 世界に穴が空いた。そう感じた。


「う……ぅ……あぁッ……!!」


 魔王が胸を抑えて蹲る。漏れ出た声は悲痛なもので、魔王はそれを必死に押し殺している……ように見えた。その様を見ていると肌が粟立つ感覚に襲われる。


「何だ……? 何が起きてる!?」


 胸騒ぎがする。酷く嫌な感覚だ。

 知識ではない。本能が警鐘を鳴らす。確かな実感があった。

 このまま魔王が死ねば、僕は……それどころか、世界が……終わりを迎えるのだと。


 僕は、何を殺そうとした? 何に対して【全能消去(オールクリア)】を使った? 魔王とは……魔物を統べるだけの存在では、ない?


 ――意思持つ魔力塊

 ――魔力の王


 脳裏を掠めた記憶。

 僕はそんなことを聞かされた覚えなんてないのに、何故か確実な重みを伴った実感として腑に落ちる。


 どうして! どうしてなんだ! どうして今さらこんな記憶がッ!


「クソッ!! 僕は、一体何をしたッ!!」


『滅び』の世界が歩みを進める。灰の大地が這うようにして侵食を開始する。空気は淀みを増していき、空は色を喪っていく。


 そうか。今になって僕は理解した。


 魔王は……この世界の『滅び』を食い止めていたんだ。僕は、いま、その制御を……破壊した。


「なんでだよ! なんで逆らわなかったッ!? 受け入れるってなんだよッ! なんでお前は死のうとしてるッ!」


 分からない。何もかも分からなかった。だから確かめなければならなかった。このまま世界が滅びるなんて……そんなことは、絶対に許さない。


 蹲る魔王に駆け寄って抱え起こす。その重みは紛うことなき人そのものだった。

 魔法を発動する。魔王の中身を探る。


「…………ッ!」


 止め処無い勢いで魔王が……()()が崩れ去っていくのを感じる。全てが徒花と化していく。立ち昇る光の粒は生命の残滓のようだった。

 理解する。このままでは、世界が滅ぶ。


「ふざけるな……。認めないぞ! こんな結果のために僕は生きてきたんじゃ、ない……! こんなことのために力を身に付けたわけじゃないぞ! 死なせない……絶対に……!」


 状況を打破する方法は一つしかない。【全能消去(オールクリア)】の強制遮断。それだけだ。

 できるのか? やるしかない。自問の時間すら命取りになりかねない。


「ぐ……うぅ……ッ!」


「耐えろよ! 耐えろッ! このまま死ぬなんて……そんなふざけた真似は絶対に認めない!」


「ガ……ル…………ぉ」


「知ってたんだろ!? こうなることを! 何が受け入れるだ。僕が受け入れられるかッ! 全部、全部説明してもらうぞッ! 死ぬんじゃない! 生きろッ!」


「…………っ!」


 その時、魔王がかすかに頷いたのを確認した。

 なんなんだこいつは。何を考えている。意思持つ魔力……お前は、一体なんなんだ。世界を脅かす存在なんかじゃ、なかったんじゃないか……!


 救う。救ってみせる。そして、何もかもをその口から説明してもらう。

 そして僕は……この許されざる過ちの清算をしなければならない。でなければ、みんなに合わせる顔がない。


「【全能消去(オールクリア)】……!」


 消滅式の再発動。対象は数分前に発動した【全能消去(オールクリア)】そのものだ。


 消滅式同士の衝突。咄嗟に浮かんだ手立てはそれしかなかった。

 初めての試みになる。正解かどうかなんて分からない。さっきから分からないことだらけだ。こんなに長く生を重ねてなお無知な我が身が憎い。それでもやるしかない。


「……ッ! 【全能消去(オールクリア)】……!」


 魔王を食い尽くすために発動した消滅式の勢いが衰える。これだ。この方法しかない。全く同じ効果を持った消滅式同士を絡み合わせ、もろとも消滅へと導く。


「【全能消去(オールクリア)】」


 魔力そのものを侵食する式を削ぎ、壊し、互いに食い合わせる。

 蠱毒。そんな言葉が浮かんだ。しかしその果てに残るのは無だ。より強い毒などではない。これはそういう式だ。


「【全能消去(オールクリア)】……!」


 引き剥がす。


「【全能消去(オールクリア)】……っ!」


 選り分ける。


「【全能消去(オールクリア)】……ッ!」


 取り除く。


 ▷


 そうして魔法を発動し続けて何日経っただろうか。


「ん……ぅ……」


「起きたか」


 消滅は止まった。無理やり止めた。もう二度とやりたくない。それが率直な感想だった。


 乱雑な口調になったのは神経が磨り減っていたからなのかもしれない。もしくは未だに脳裏に燻る理由なき殺意のせいか。


「ガル……ド……」


「そうだ。そういえば……名前を知ってる理由もだな」


「えっ……?」


「答えろ、魔王」


 滅びかけた世界の中心で僕は問い掛けた。


「世界を救うには、どうすればいい?」


 僕の膝の上に頭を乗せた魔王が眠そうな目を何度か瞬かせた。

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― 新着の感想 ―
全能消去が思ったよりエグい…。 魔力的ブラックホールを生み出す魔法なのか。 魔王ちゃんを破壊した時点で止まるのか、そのまま世界中の魔力を吸い尽くすのかによって凶悪度が変わるけど…。 でもレア姉の魔法…
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