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追憶:希望

 城の中庭。

 すてんと尻餅をついたレイ姉が凶暴な犬のように唸り声を上げた。


 怨めしそうな上目遣いだ。訓練で負かすとこれだから困る。

 いつも勝負するぞと言い寄ってくるのは自分なのに負けると途端に機嫌が悪くなるんだ。かと言って、僕が手加減して負けようとすると烈火の如く怒りだすから始末に負えない。


 僕はレイ姉に掛けた補助を解いた。手を差し伸べて助け起こす。


「そんな野良犬みたいな声出すんじゃないよ。ほら、早く立って。給仕の人に見られたら恥ずかしいよ」


 世間では至高天坐の勇者と称され持て囃されているのに、こんな尻に土をつけてへたり込んでいる姿なんて見られたら……文字通り評判に泥が付きかねない。


 ずん、ずんと、土を(にじ)って立ち上がったレイ姉がぴんと指を立てた。


「もう一回! もう一回やるぞ、ガル!」


「駄目だよ。さっきもそう言ってごねたから三本先取にしたんじゃないか」


「ぬう〜……くそっ!」


「くそとか言わない」


 奔放な姉を持つと苦労する。宥めすかすのにも一苦労だ。教会の神父さんや信徒の人たちには見せられないよ、こんな姿は。


 城に仕える人たちはもう慣れてしまったのかなにも言ってこない。宰相が事あるごとに小言を漏らすくらいだ。なので僕が無作法を窘めるしかない。


 少し前まではこんなに血気盛んじゃなかったんだけどなぁ。急にどうしたんだか。

 軽く過去を想起していると威勢のいい声が割り込んできた。


「はい! はい! じゃあ次は私の番ね! 行くよガル! 構えてっ!」


 風魔法でふわりと中庭に降り立ったレア姉は、宣戦布告をするや両の手を開いて空に翳した。完全に臨戦態勢だよ。僕はため息を吐いた。


「駄目だよレア姉。この前やりすぎて庭木を焦がしたのをもう忘れたの?」


「うっ……じゃあ、火は使わないから……」


「風も草木が散るから駄目。雷も給仕の人がびっくりするし、水だってそこら辺が泥だらけになるんだから……」


「なら荒野に行こう! そこなら遠慮なく訓練できるから……!」


「行かないよ……。地形をぼこぼこ変えるアレは訓練とかじゃないからね? もう天変地異だから。巻き込まれる身にもなってほしいよ」


 そう言うとレア姉は頬を膨らせて黙り込んだ。見るからに不服と言いたげな様子に首を傾げる。本当に、二人ともどうしてこんなに感情的になるんだろうか。


 ……聞いてもはぐらかされるんだよなぁ。言いたくないの一点張りで追及を躱されるものだから困りものだ。強く聞き出すこともしたくないし。


 ……でも、今日は理由をはっきりさせておこう。僕たちは明日から――暫く顔を合わせることも減るだろうし。


「王都を発つ前に聞いておきたいんだけどさ……何で二人ともそんなに好戦的になったの? 少し前はそんなんじゃなかったでしょ」


 深淵よりも深い叡智を持つ姉は、その聡明さから淵源踏破の名で呼ばれるようになった。

 誰よりも高みを目指し己を練磨する姉は、孤高の有り様から至高天坐の名で呼ばれるようになった。


 その二人が……今やこんな具合である。さすがにこれはどうなのかと首を捻るよ。ただの戦闘狂じゃないか。


「それは……」


「だって……」


 聞いても返ってくるのは煮え切らない反応だ。拗ねる子どものように口を尖らせた二人が顔を逸らす。目だけでちらりとこちらを窺って、目が合うとまた逸らす。


「言いたくないならいいけどさ……ずっとそんなだとモヤモヤするよ。明日が旅立ちの日だっていうのに……スッキリしないなぁ」


「……それだよ」


 レア姉が憮然とした表情で呟く。


「魔王征伐は……私が行くべきだったのに。姉である私が……。私が守るんだって、そう思ってたのに」


 レイ姉も続く。


「弟より弱い姉なんて……情けないだろう。不格好の極みだ。不甲斐なさに腹を切りたくなる……」


 僕は今日何度目かになるため息を吐き出した。どんな深い事情があるのかと思ったら……。


「なんだ、そんなことだったんだ」


「そんなことって……!」


「私たちは真剣に!」


「そんなことだよ」


 言い放って黙らせる。

 全く、そんなこと……僕だって同じだ。ずっと考えてきた。姉さん二人から戦う理由を無くす方法を。ずっとだ。


 僕のことを守り続けると決めた姉さん二人の意思を――その必要すら無くすために全てを賭し続けた僕が上回った。それだけだ。


「向き不向きの問題だよ。姉さんたちは戦う力に恵まれた。僕は――終わらせる力に恵まれた。それだけさ」


「ガル……」


「……私たちですら、お前の足手まといになるのか」


「だから、そういうのも終わりなんだって!」


 精一杯の笑みを浮かべる。少しでも安心感を与えるように。二人から受けた庇護の全てに報いるために。


「戦いなんて、二人には似合わないよ。僕が全部終わらせてくる。そうしたら、強い弱いなんて下らないことで負い目を感じることも……なくなるよ!」


 僕は力を手に入れた。研究の成就は確かな成果をもたらしてくれた。

 補助魔法……その神髄は現象への干渉と再構築だ。その気付きが僕を強くした。あらゆる既存の式を弄り回し効果を飛躍的に高める術も手に入れた。

 魔力を自在に操れる自由さと拡張性。これさえあれば、魔物を統べる元凶たる魔王ですら……葬れる。


「だから、二人はその時を待ってて」


 言うと、不服そうに口を曲げていた姉さん二人が破顔した。


「……うん、分かった。待ってる」


「無理だったら言え! お姉ちゃんが変わってやるからな!」


「はいはい」


 城の中庭、その片隅で笑い合う。そうしていると尚更決意が湧いてくる。


 魔王を殺す。平和のために。姉さんたちのために。世界くらい、救ってみせるさ。


「ここにいたか。勇者たちよ」


 深く沈着した、しかし威厳を感じさせる声が耳朶(じだ)を打つ。

 振り返り、膝を付く。頭を垂れる。姉さん二人も同じように応じた。


「勇者ガルド、此処に」


「勇者シンクレア、此処に」


「勇者レイチェル、此処に」


「うむ、楽にしてよいぞ」


 許可が下りたので顔を上げると、理知的な瞳がこちらを見下ろしていた。

 国王。宰相も控えている。恐らく、明日の旅立ちの話をしに来たのだろう。


「親睦を深めているところに水を差したな」


「そのようなことは。して、どのようなご用命でしょうか」


「うむ。明日の出立の件だが……勇者ガルドよ、その意思に変わりはないか?」


 単刀直入な物言いだ。やはり国は僕の決断に反対なのだろう。動きを見せない魔王など放っておけばいいというのが国の方針だ。僕はそれに真っ向から逆らっている。

 その自覚はあれど、覚悟を違えるつもりは一切ない。


「はい。勇者ガルド、明日より魔王征伐の任を完遂すべく王都を出立致します」


「その意思に翳りはなし、か」


「はい」


 厳然たる態度で応じる。覚悟の程を示すには真摯であることが最も効果的だ。そう学んだ。ならばただ遂行するのみ。


「うむ、そうか」


 国王は短く返した。素っ気ない一言は、しかし包み込むような温かい響きを孕んでいた。

 その真反対の印象を抱かせる怜悧な声が響く。


「勇者ガルドよ。考えを改めよ。貴殿は魔王征伐に赴く必要はない」


 宰相の低声。僕はこの声が嫌いだ。この声で命令されるたび、チリチリと脳を犯すような感覚が走る。それが嫌で、思わず逆らう意思を放棄してしまいたくなる。


 ……だが、駄目だ。これは僕の意思なのだ。けして()げるわけにはいかない。この一本芯だけは折らない。これが折れたら、僕は死ぬ。


「私の身を案じての忠言、まこと痛み入ります。ですが……私の考えは変わりません。私は、明日、王都を発ちます。この国に全き平和をもたらすために」


「……………………そうか」


 長い沈黙の後、宰相は短く答えた。喉の奥から絞り出したような声だったことが強く印象に残った。


「……では、勇者ガルドよ。魔王征伐に際して貴殿に授与する品について――」


 国王が再び話を戻した瞬間、頭の中に切羽詰まった女性の声が響いた。救援要請だ。声から察するに……状況は良くない。


『勇者様! 街の近郊に魔物が現れました……! なんてこと……! 見張りの人が体調を崩してる時に、こんな……! 報告が遅れて、近くの森に子どもが出掛けててッ! 助けて下さい! 勇者様!』


 僕たちは一斉に立ち上がった。事情を察したであろう国王が一つ頷いて呟く。


「要請だな?」


「はい」


「では、頼む」


「はい」


 今回の件はあまり猶予がなさそうだ。急ぐ必要がある。普段は二人に任せているけど……今日は僕が行こう。


「レイ姉。剣を借りるよ」


「えっ、あっ!?」


隔離庫(インベントリ)】。すれ違いざまにレイ姉の愛剣『天壌軌一(てんじょうきいつ)』を借り受ける。

敏捷透徹(アジルクリア)三折(エクス)】。身体能力を極限まで底上げして王都を駆ける。


 十秒で王都第一教会に到着した僕は【隠匿(インビジブル)】を使用して騒ぎを起こすことなく件の街へと転移した。


 ▷


 僕を出迎えてくれた修道服の女性から仔細を聞き出す。

 しかし彼女はひどい恐慌状態に陥っており吐き出す言葉が散り散りだった。欲しい情報が引き出せそうにない。


 あまり使いたくないけど、やむなし。

伝心(ホットライン)】発動。知りたいことを速やかに読み取る。


「ここから南西、子どもの数は四人、魔物の数は……不明。分かったよ、ありがとう」


「えっ? えっ……?」


 女性に【鎮静(レスト)】を掛けてから教会を後にする。


敏捷透徹(アジルクリア)三折(エクス)】。三歩で街の外壁を飛び越す。

聴覚透徹(ヒアクリア)三折(エクス)】。虫の鳴き声すら聞き逃さない。

触覚透徹(プレスクリア)三折(エクス)】。人の発する熱を余さず拾う。


 見つけた。走っている。逃げている。

 入り組んだ森を走る熱が……四つ。すぐ近くに魔物もいる。数も多い。嗜虐に満ちた醜い声が合唱を響かせる様は醜悪の一言に尽きる。


 成人にも満たない子どもの脚力と体力など高が知れている。あと数秒もすれば四人はその爪牙の餌食となるだろう。


 たった数秒。それだけあれば、不足ない。


 一歩。肉体を雷と化せ。風よりも、音よりも、稲光よりも早く、速く、疾く。至るは勇者が下す裁きの雷の領域。


 二歩。剣の柄に手を掛ける。同時に補助を切り替える。思い描くは理の極地。頂より振るわれる至高の閃き。


 三歩。あっ、でも……このままだと子どもには刺激が強いかな?


 駆け抜け一閃。翻って二閃。

 迫る魔物の群れを揃って上下左右に分かち、止めの横一閃で吹き飛ばす。

 子どもに血肉が飛び散る様を見せるのは忍びないからね。下手をしたらトラウマだ。それはよろしくない。これで少しは粋な計らいになっただろうか。


「はぁっ……! はぁッ……ぇ?」


「ぅ……あッ……? た、助かった、の?」


 全ての魔物が光の粒と化したことを確認してから剣を鞘に納め、ゆっくりと背後を振り返る。

 男の子と女の子が二人ずつ。相当怖かったのだろう。息も絶え絶えで顔は蒼白、滝のように流れた汗に濡れた髪が額に張り付いていた。

 緊張の糸が切れたのか、四人が揃ってへたり込む。未だに現実を受け入れられないのか、それとも目に入った汗がそうさせるのか、しきりに瞬きを繰り返す四人に向けて、僕は安心させるべく微笑みかけた。


「よく頑張ったね。もう大丈夫。魔物なら僕がやっつけたから!」


 ▷


 レイ姉も、レア姉も、王都を歩けば周りから熱烈な歓声を浴びていた。

 それだけ姉さん二人の功績が素晴らしいのだろう。各地で猛威を振るう魔物から民を守り抜く救世主。命の恩人とも呼ぶべき二人に対し、敬虔な信徒たちは惜しみない賛辞と感謝を述べる。


 その様を傍から見ている分には誇らしいと思っていた。

 しかしいざ当事者になってみると……姉さん二人が『むず痒い』なんて感想を漏らす理由がよく分かった。


「凄いです、勇者様……! 僕、本当に、凄いなって……! 今日のこと、絶対に忘れない!」


「いやぁ……はは。ほんと、そんな褒められることじゃないって。当然のことをしただけだからさ」


「剣を振ったら、魔物がぶわーって! 本当に凄かった! 僕、今日のこと絶対に忘れないッ!」


「うん、君は元気だね。さっきからそればっかりだ」


 救援要請に応えるのは姉さんたちの役割だった。昔は僕が行くよりも姉さんたちが向かう方が早かったから。それだけの理由である。


 そして今日、実際に要請に応えてみて分かった。これは本当にむず痒い。


「もう本当に息が辛くって、死んじゃうかと思ったけど、勇者様がこう、ぶわーって!」


「そうだね。ぶわーってね」


 森から街へと向かう帰路。死の恐怖に飲まれた子どもたちは暫く塞ぎ込んでしまうかと思ったが、実にたくましいことにむしろその逆で、解放感からか興奮状態にあるようだった。


 一人の少年が僕の周りを忙しなく動き回る。

 拙い身振り手振りはさっきの僕の剣の振りを再現しているらしかった。これが思った以上に面映ゆい。


「ほら、ルーク……勇者様が困ってるから」


「ああいや、困ってないよ。ははは……」


 困ってはいない。ただ……こういう時にどう接すればいいのかは未だに理解できていないんだ。宰相から最低限の教育は施されたけど、過剰に褒めそやされた時の適切な対処法なんて習わなかったからなぁ。


 子ども四人に翻弄されつつ帰路につく。一人では数秒の距離も複数人では小一時間かかる。その事実が少しもどかしく、それでいて新鮮な心地だった。


「勇者様、聞いてもいい?」


「ん? 構わないよ」


 ひときわ元気な少年が打って変わって神妙な面持ちを浮かべた。口を真一文字に引き結び、ぐっと拳を握る。


「僕も……勇者様みたいに強くなれるでしょうか?」


「僕みたいに?」


「はい!」


「それは……」


 才能次第だ。それが現実である。

鎮静(レスト)】。僕は努めて平然と嘘をついた。


「なれるさ」


「本当に……!?」


「ああ。自分の信念さえ貫き通せば――どこまでだって強くなれるさ。僕は……そうして強くなったんだ。これは、本当だよ」


「信念を……!」


 目を輝かせた少年が眩しいくらいの笑顔を浮かべた。友人の目も気にせず高らかな声で宣言する。


「勇者様! 僕も強くなります! 勇者様みたいに、誰かをかっこよく守れるように……!」


「……そうか。うん、頑張ってね」


「はいっ!」


 屈託のないその笑みを見て僕は少しばかり罪悪感を覚えた。

 どれだけ努力しても、土を舐めても、血と汗を流しても……結実しないことはある。その事実をはぐらかしたのは、もしかしたら残酷なことなのかもしれない。


 強くなる。守る。その覚悟が実を結ぶまでに……どれ程の時間が必要なのか。僕はどれ程の時間を費やしたのか。自分ですら記憶にない。


 だというのに、僕は軽々しく少年の言葉を肯定した。嘘をついた。もしもあの少年に才能がなかったら……僕の言葉は彼の足を引き摺る枷となるだろう。消えぬ妄執に囚われて無謀な行動に出るかもしれない。そうなれば僕の責任だ。



「だったら……その必要がない世界にするだけさ」


 僕は空を仰いだ。

 天気は良好。風は追い風。絶好の旅立ち日和だ。


 向かうは果ての地。為すは救世。魔物を統べる魔王の征伐。

 積年の悲願を果たすため――僕は一歩を踏み出した。

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― 新着の感想 ―
この感じだと、3人ともほとんど記憶を失ってない気がするけど…実際には何度も記憶抹消されてるかな? それでも消えないほど自我が定着したのが、今代のガルドなんですかね。 まあ何度記憶を消されても、おそら…
ガル君…
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