追憶:使命
「詰みだな」
仮想生物の大群に埋め尽くされた空を仰いだ局長がぽつりと呟いた。
「魔空穿行輸送車のエネルギー供給源を絶たれたうえに軍部への救援依頼も無視されっぱなし。お偉いさんはとっくに逃げ出したでしょうし……まぁ、詰みっすねぇ」
率直に現状を述べた副局長が肩を竦める。
辺境の地下に建設された研究所の出口に集った面々は、間近に迫った滅びの現実を受け入れ、ただ立ち尽くしていた。
しかし悲哀の情は寸分も滲んでいない。それがとても印象的だった。
「ったく……軍部の無能どもめ。戦後賠償の吊り上げ交渉なんぞをチンタラやってるから敵国の最後っ屁を許すんだよ」
「まさか仮想生物繁殖式の技術をバラ撒くとは思いませんでしたねぇ。もはや盛大な自爆テロっすよ。どうすんすかこれ?」
「さあな。そのうち逃げ場がなくなって滅ぶんじゃねぇ? 或いはどっかの天才様が式の制御法を見つけるかもしれんが……いや、無理だな。無理。俺らでもさっぱりだったんだ。もうお手上げよ」
あくまでも他人事な姿勢なのは、今日、この瞬間、この地で滅びることを受け入れたからなのだろう。
自棄とは違う。言うなれば、それは悟りの境地であった。
「ま、こいつとあの二人がいる国は生き残るだろうがな」
白髪とシミが増え、濃いシワを顔に刻んだ局長が僕の肩に手を置く。
昔に比べ、その手に宿る力は幾分か衰えていた。
「即時再生式、感懐初期化式、そして命令権を付与する呪装は国のやつらに成果として渡してある。それがある限りこいつらは滅びねぇ。争奪戦だな。最後にこいつらを手中に収めた国。それが戦争の勝者だ」
「ははっ。生涯を費やして創り出したのが優勝者に授ける金のトロフィーっすか。いや笑い話っすねぇ。冥土で披露すりゃ地獄の鬼でも笑ってくれるんじゃないっすか?」
「違いねぇ!」
それは面白い冗談だったのだろうか。僕には理解できなかった。
滅びを目の当たりにしてなお彼らは笑っている。開き直りや理性の消失ではない。本当に、ただ純粋に。
「…………」
「あ? どうしたよ」
「いえ。ただ……」
聞くべきか否か。
ほんの少しの逡巡の後、僕は疑問を口にした。
「怖くないのかと。僕たちと違って……局長たちは、死ねばそれまででしょう」
「怖い、か。んなモン、学んでこなかったからなぁ」
がりがりと乱雑に頭を掻いた局長が言う。
「まともな環境で育てられてたんなら泣いて喚いて逃げ出してたのかもしれんが……詰みって答えが出ちまったからな。無駄なことしてどうするよっつー考えが浮かんじまうね」
「局長は高度な教育を受けたように見受けられますが」
「あ? そりゃそのために作り出されたんだからな。俺だけじゃなく、ここにいるやつらは全員な」
「作り出された?」
疑問に答えたのは副局長だった。へらっとした態度を崩さずに言う。
「テストチューブベビー。頭のいいやつの遺伝子を組み合わせれば最強なんじゃないか、なぁんて馬鹿っぽい結論のもと作られたのが僕らってワケ」
「んで言われるわけよ。戦争に勝つための道具を作り出せってな。生まれてこの方、それ以外の生き方をしたことがねぇ。だからまぁ、死んでるんじゃねぇの? 理性だの倫理だのっつうやつが」
「……そうだったんですか」
僕はそれしか口にできなかった。
最近は補助魔法の研究以外していなかったからだろうか。こういう時に必要な言葉が慰めなのか、それとも同情なのか。それを理解していなかった。
「死ぬんだと理解しても『ああとうとうお鉢が回ってきたか』って感覚っすねぇ」
「やったらやり返される。原始の時代から変わらねぇ法則だわな。握ってんのが棍棒か破壊兵器かの違いしかねぇ」
そうか。僕は理解した。
彼らにとってこの光景は……いずれ来るであろうと予想――いや、確信していた未来だったんだ。だから狼狽も落胆もなく、悲哀も憤慨もない。
研究が成功した時のように、目論見通りに事が運んだ時のように……ただ笑っている。
「俺らに関しちゃそんなとこだ。で、お前はどうなんだ? こき使ってる俺らがいなくなって清々するんじゃねぇか?」
問われて考える。
目の前に迫る滅びを見て、僕は――
「特に、何も。強いて言えば、このあと何をすることになるのか気になる、くらいですかね」
姉二人が軍部に引き渡されてから何年も経った。
二人は各地で目覚ましい戦果を上げていると聞く。最近は顔を合わせることもなくなったが、噂から察するにあの力強さにますます磨きをかけているのだろう。僕の補助などいらないほどに。
「あ? なに言ってんだお前」
あっけらかんとした調子で局長が言う。
「家族を守る。その為に魔法を鍛え続けたんじゃねぇのかよ」
「はぁ」
掛けられた言葉の意味を量りかねる。故に口から出てきたのは乾いた生返事だった。
魔法を鍛え続けたのは、ただそう命じられていたからだ。そこにそれ以上の理由なんてない。
あの二人は強い。そしてこれからも強くなる。守る必要なんて、もはやないのだ――
「――なんて思ってるんじゃないだろうな?」
酷く馬鹿にした口調で、局長は僕の内心を看破してみせた。
「……違うんですか」
口から出た声は、自分でも驚く程に低い声だった。
咳払いを混ぜてから局長を見る。局長は天を仰いでいた。目は合わなかった。
「確かにお前の姉は強え。設計者の俺が太鼓判を押してやる。天井知らずだよ。だがな、そりゃ人の欲望にも言えることだぜ?」
天を覆い尽くす影はすぐそこまで迫っていた。
「見ろ。他を思うさま屈従させたいっつう妄執の果てがアレだ。数年前とは強さも量も比べ物にならねぇ。どころか、もっと酷くなるぞ。いずれあの二人でも手に負えなくなる」
「その時は僕が守れ、と?」
「ああ。俺は知らんが、支え合うのが家族なんだろ?」
「……でも。それでも、いずれ僕は必要なくなりますよ。僕は……結局、自分の代わりに、誰かを死地に向かわせることしか出来ない」
数ある補助魔法を研究した。新たな式を作り出すことにも成功した。
そうして分かったのは――補助魔法単体では戦況を覆すことなど適わないという厳然たる事実であった。
英雄ありき。僕はその踏み台だ。計画に廃棄が組み込まれていたのは、つまりそういうことだろう。
「ああ、だったらこういうのはどうっすか?」
最期まで飄々とした調子で副局長が言う。
「守るだの、戦うだのって煩わしいことを考えなくていい世の中にするってのはどうすか? まあ絵空事っすけど……死んでも死なないってんなら、ともすればいつの日か達成できたりするかもっすよ?」
「おお……そりゃ面白ぇ。兵器として作られたやつが後に救世主として崇められてりゃ、手柄を取られた軍部のクソどもも苦虫を噛み潰したような顔をするってもんだ!」
からからと笑った局長が言う。
「被造物は造物主の想定を越えてこそだ。俺ぁそう思うね。なぁ、Type:Guard」
空を埋め尽くす仮想生物が一斉に業火を吐き出した。
炎に飲まれる寸前、局長は嫌味のない笑みを浮かべた。
「お前、世界でも救ってみたらどうだ?」
▷
「戻ったか、ガルド。そのクズが間者だな?」
「はい」
「やめろ! 助けてくれッ! 誤解だッ! 俺は、俺は間者なんかじゃない……! 信じてくれよ、なぁ!?」
喚く男を一瞥した責問吏が嗜虐に満ちた笑みを浮かべた。虫の手足を捥いで遊ぶ子どものように純粋な笑み。それがますます間者を震え上がらせた。
「とのことだが? 間違いはないんだろうな」
「【聴覚透徹】と【六感透徹】を使いました。間違いありません」
「だとよ。残念だったな……こいつにゃ嘘も誤魔化しも効かねぇんだ。くくっ……補助魔法様々だな! 隠れ潜むゴミの摘発と処理においてこいつの右に出るやつぁいねぇよ!」
「ふざけるな! ソレは元々我が国の、グッ……!」
【膂力透徹】。暴れ出そうとした男の初動を制圧して床に転がす。
「ん〜鮮やか。では後の処理も任せたぞ。全て吐かせろ。いつも通りな。手段は問わん」
「はい。分かりました」
「やめろ! やめろォッ!!」
ふと、たまに考えることがある。世界を救うにはどうすればいいか。
姉にも相談したことがある。
僕にも力が欲しい。仮想生物の処理をこなせるくらいの力を。そうすれば世界が救えるかもしれない。
そう言うと、二人は口を揃えて言った。
『ガルドにはガルドにしかできないやり方がある』
だから僕は国家の統一と世界平和を標榜する国の手足となって働いた。主な仕事は内憂の排除だ。身に備わった補助魔法は不穏分子の始末にうってつけで、僕はすぐに責問を生業とする部門で相応の地位を得た。
反逆者を捕らえ、潜入者を捜し出し、国家転覆を企てる者を炙り出し――そして芋づる式に出てくる関係者を処理し続けた。その国は民の一斉蜂起によって割とあっさり滅びた。
▷
あれから何年経っただろうか。
そう思ってハッとする。
……あれとはなんだ? ふとした瞬間に浮かぶ情景が意識の混濁を引き起こす。経験したことのない記憶は、しかし僕が直接経験したことのように実感を伴っている。不気味な感覚だ。
こんな現象が起きるのは、或いは目の前で行われている実験のせいだろうか。
「クソッ! クソッタレが! どうして上手くいかないッ!」
「式は完全に複製しているのに……どうして完成の直前に決まって謎の干渉が入る!?」
「決まってる……意思持つ魔力塊……あれのせいだ。あれが過去に創り出された式の再現を阻んでいる。この反応は、そうとしか思えない!」
揃って呼び出された僕と姉二人は研究室の寝台の上に寝そべっていた。
会話から察するに、僕ら三人と全く同じ存在を生み出そうとしているらしい。式の複製とは、恐らくそういうことだろう。
僕らは人ではない。死んでも蘇るなんておかしいもんな。
「この研究が成らなければ国は持たないぞ! セントクレアとレインシェルの二体で我が国全土を守り切るのは不可能だ!」
「人造人間で人手を賄うのも……限界だぞ。もはや国民の半数以上が紛い物じゃないか……!」
「呪装も作れなくなった……何もかも、あの魔力反応が現れてからだッ! 何なんだあれは!? 魔力の制御を奪われるなど……常軌を逸している!」
「魔力の、王……」
ぼんやりと会話を聞く。複数人の怒号が飛び交う。研究が軌道に乗っていないのは明白だ。どうやら『意思持つ魔力』とやらの存在が邪魔らしい。
聞いたことのない存在だ。魔力が意思を持つとはどういうことなのか。補助魔法を研究している身としては興味を抱かずにはいられない。
だけど、興味よりも先に浮かぶものがある。
「その、魔力の王というのは、平和を脅かしているんですか?」
「あぁ!?」
酷く気が立っているのだろう。研究者の男は恫喝に似た濁声で応じた。
「あぁ、あぁ! その通りさ! アレさえいなければ、お前らを何体も作って! クソみてぇな生物群を皆殺しにできたんだ!」
「魔力の王が消えれば、世界は平和になりますか?」
「平和だぁ? ……あぁ、そうだな。世界の誰もこの国に逆らえねぇ。平和な世の中の誕生だろうよ!」
「なら僕が倒す」
僕は静かに宣言した。そうしなければならないと思ったのだ。
「……ガル?」
「ガル、どうした?」
それまで黙って寝ていたレア姉とレイ姉が上体を起こしてこちらを覗き込む。
不安そうな瞳だ。どれだけ強くなっても、僕にだけはそんな目を向けてくる。それがどうしようもなく暖かくて――それでも、嫌なんだ。
守るとか、戦うとか。そういう煩わしいものから二人を解放するために。
「僕が魔力の王を倒す」
そうしたいと思った。そうするべきだと思った。
ならば僕は躊躇わない。平和の前に立ちふさがる障害は全て排除する。
僕の言葉を聞き呆気に取られた表情をした研究者は、しかしそれも一瞬、眉を寄せて呪文のように独り言を漏らした。
「……そうか、倒す。壊す。抹消する……そういう、手もあるのか。そうだ! 単純なことじゃないか……! こいつらに、この化け物に、それをやらせれば良いんだ! くくっ……くはははっ!」
目を剥いた科学者が歪な哄笑を上げる。
酷い顔だ。素直にそう思った。いくら人の美醜に疎くても理解できた。
思い描く平和とは似ても似つかない存在。そう理解していても、僕はそれに縋るしかなかった。強制された命令には抗えない。勝手は許されない。
逆を言えば。
命令さえ下れば僕はそれに専念できる。国の各地で『安全だ』と洗脳して回る下らない日々から脱却できる。
「創造は出来ずとも……改造ならできる。こいつらの式に組み込め。魔力の王……魔王を殺せ。その殺意を刻み込むんだ! 仮想生物の持つ人体破壊の指向性式を弄って、こいつらにも付与するんだ!」
「り、了解です……!」
複雑な文様が刻まれた杖を向けられる。改造とやらが始まるのだろう。今さらだ。特に思うことはない。
「魔力の王……魔王、か。くくっ……戯けた話だ。ガキをあやす寝物語でもあるまいに。だとすればこいつらは、勇者か何かか? ……ああ、いいかもしれん。口うるさい民衆を黙らせるためのネタにはなるかもな」
こうして僕は新たな使命を帯びた。
人類の生存圏を侵食する魔物、それらを使役する魔族、そして全ての元凶たる魔王を征伐せよ。
ああ、勇者よ。滅びの運命から我らを救い給え。
皆が口を揃えてそう言った。
脆弱なる人の身では抗うこと叶わぬ運命から解放してくれ。魔物に裁きを。世界に平和を。
ならば殺そう。平和の前に立ちはだかる魔王とやらを。姉二人から平穏を奪うこの世界を変えるんだ。それができるのは、僕だけだ。
そうして僕は魔法の研究に血道を上げ続けた。
式を練り、壊し、組み換え、弄り回す。日が昇ってから沈むまで。時間の感覚がなくなるほどに、ただそれだけを繰り返した。
狂気の研究の成果が実を結んだ時、既に世界は国を一つ残すのみとなっていた。




