陰の地に光満ちる日
バレちまったモンは仕方ない。ここから白を切るのは不可能だ。俺はそう割り切って強引に話を推し進めた。
冒険者連中とスラムのトップ二人を引き連れてライザル邸へ直行。
おら! なんで姉上らとバチバチにやり合ってやがった! 全部吐けオラッ!
そう圧をかけることで事のあらましが――そして『例の件』の真相が顕わになった。
ライザル派閥による勇者抹消計画。
それが直近でスラムを騒がせていた件らしい。誰だよ大規模遠征とか言ったやつは。的外れもいいとこじゃねぇか。
しかし、なるほど腑に落ちる点がある。
スラムの連中が馬鹿の一つ覚えみたいに『例の件』としか口にしなかったのは、ほんの少しでも情報が漏れたら国と勇者がすっ飛んでくるからだ。そりゃ全力で言葉を濁すわな。
「……俺を、消さない……のか?」
「そのつもりはない」
ライザル派閥の計画を知った姉上らは大変お冠だったらしい。
まあ……間接的な殺害予告だからな。『一族郎党まとめて楽にしてやるぜ!』なんて面と向かって言われたらそりゃ怒髪が天を衝いてもおかしくない。
だがなぁ……相手はあの姉上らだからなぁ……。
いや殺せるわけないだろって。何を思ってライザルは姉上らに勝てると思ったんだ? 馬鹿でもなけりゃ彼我の差なんて一目瞭然だろうに。
消滅の針を活用しようにも、あの姉上二人が隙を晒すとは思えん。あいつらは頭はアレだが無能ではない。そうやすやすと後れをとることは有り得ない。
仮に勇者に効く呪装を持っていたとしても同じだ。
不意打ち、騙し討ち、綿密に練った計画的犯行。
その程度で取れる命なら俺らはとっくに姿を消している。
非現実的過ぎて怒りも沸かん。アリに宣戦布告されて本気になれるか、と言われても首を傾げる。
ライザル派閥がどれほど力を蓄えたとて、あの二人にとっちゃ脅威にもならない。喧嘩を売ってもぷちっと潰されて終わりだ。プレシアの自殺行為という表現は実に言い得て妙なモンである。
「俺は……アンタの、家族を……殺そうと、してたんだぞ……?」
「責め苦でも欲しいのか? ならば勝手に自分を戒めていろ。俺はお前を裁くつもりはない。あの姉上らは殺して死ぬようなタマじゃねぇ。それだけだ」
「…………」
「それに、お前が為そうとしていた理想は俺の最終目標と合致するんでね」
「…………!」
勇者という兵器を消す。
国の腐敗を切除する。
人が人として生きていく世界を作る。
大いに結構じゃねぇの。俺はむしろ感心したね。ここまで気骨のあるやつが、まさか勇者のお膝元である王都に潜んでいたとはな。灯台下暗しってのはまさにこのことだ。
姉上らを害そうとしたって事実も……まぁ、全肯定するわけじゃないが、コイツの生い立ちからすりゃそれが正解だと思ってもおかしくない。
ただ、それは俺の役目だったっつう話だ。
「【追憶】使いに対する扱いについては国に釘を刺しておく。此度の騒動も表沙汰になることはない」
「…………」
「気概は買う。だがやり方が拙かったな。その後の筋書きも粗が目立つ。首尾よく計画が為ったと仮定してもお前のやり方だとすぐに破綻する。魔物という存在を甘く見過ぎだな」
姉上らは常日頃からあちこちへ飛び回って魔物を駆逐している。それでも絶滅しないのが魔物という存在だ。
国が勇者に頼り切りになるのは、そうしなければあっという間に国が滅ぶからに他ならない。過去の遺物の清算を為すこと適わず、故に因習の打破も適わなかった。
だったら俺がどうにかするまでよ。
「諸々の課題をクリアするための方策は練っている途中だ。遅々とした歩みだが、確実に進んではいる。ライザル、お前には俺の計画に協力してもらう」
「……そのために、俺の命を救ったのか?」
「そういうことだ」
俺は至極当然のような顔をして肯った。
……あと数秒到着が遅れてたら終わりだったがね。
魔王が咄嗟に空間を繋げてくれたので間一髪で間に合った。首切り転移はすこぶる便利なのだが、再生成の式が刻まれた女神像のある場所にしか飛べないという欠点がある。いやはや、魔王様々だよほんと。
……慌てて転移したせいでシクスの顔のまま勇者ガルドとして振る舞うというポカをやらかしたが、それはもういい。忘れよう。過ぎたことだ。……クソがっ!
「そうか……だから、か。アンタは……最初から全部知っていて……それで、冒険者連中とも真っ先に接触しておいた、のか……」
「そういうことだ」
ここ数日、俺がシクスとして行った全てがうまい具合に転がって利を齎している。冒険者連中が俺の下に付いたことは、図らずもライザルの命を繋ぐことになった。
「お前らも姉上らを相手によく時間を稼いだな。礼を言っておこう」
「……死ぬかと思いましたよ。本当に。あれなら……一人で竜に挑むほうが幾らかマシだ」
「同意、ですね」
「さすがの俺様も……腕を斬り飛ばされるのァ……守備範囲外だ」
「はは……」
ノーマンの恨み節、ミラの視線、アウグストの戯言、黒ローブの愛想笑いをまとめて受け流す。悪いが苦情は受け付けていないんでね。
……魔王が王都で戦闘の気配を感じ取り、俺が駆け付けるまで死人が一人も出なかったのは間違いなくこいつらの手柄だ。
こいつらの奮闘があったことで姉上らはその手を汚すことなく済んだ。俺としては、正直ライザルが助かったことよりもこちらの方が大きい。
国賊の『救済』ね。物は言いようだな、ほんと。つくづく下らん役目を背負わされてやがる。
「時に……勇者ガルドよ……!」
感傷に浸りかけていたらアウグストがずいと歩み出てきた。ソファに腰掛けている俺の前で膝をつき、恭しく頭を垂れ、真に迫った声色を出す。
「俺様はァ……介錯のための一刀ではあったが……勇者レイチェルの一撃を弾いた」
マジかよ。俺は素直に驚嘆した。
やっぱバケモンだなこいつ。果たして、同じことをできるやつがこの国に何人いるか……いや、こいつくらいじゃね? 多分。
「ミラは……真っ先に矢面に立ち、勇者二人の説得を試みた」
「……足止めにもなりませんでしたが」
説得か。そりゃ……難儀しただろうな。
あの二人はどちらも口が達者じゃない。上の姉は感情が勝るタイプで、下はそもそも脳筋だ。どっちも言い負かそうとすると切れるタイプだぜ。馬鹿な姉を持つと苦労するよ、全く。
「ノーマンは……勇者シンクレアの風の刃から……ライザルを守った」
「……呪装の力ありきですけどね。生身じゃ無理っすよ」
謙遜したノーマンが立て掛けてある斧槍に視線を送った。
へぇ、ありゃ呪装か。銀級の上澄みともなればそんくらい用意していてもおかしくねぇ。姉上の魔法を受け流すってんならよほどの業物だろう。
「そしてメイは……身命を賭して……勇者レイチェルに膝を付かせた」
!? !!? 【鎮静】……!
あ、あの姉上に膝を付かせた……? く、黒ローブさん……? アンタ一体なにしたんスか……。
あの脳筋は嵐鬼くらいなら指一本で事足りるほどのバケモンだぞ……? 竜に引っ叩かれても膝を屈することはないだろうに……。
「成果にはァ……報酬を。勇者ガルドよ……貴殿の言う成果に足る武勇は発揮したと、そう思うのだが……いかがだろうか」
なるほど。なるほどね。何を言い出すのかと思ったら……そういうことか。
ああ、そうだな。約束は果たすさ。今の俺は借りを作らない男。こんな報酬でよければ……くれてやるさ。
俺は【隔離庫】から便箋を取り出した。上品な封蝋が施されたそれを『遍在』へと投げ渡す。
「これは……?」
「娼婦ウェンディの情報だ。エンデに戻ってから開けろ。それまではお前が持っておけ」
「……承知しました」
「おお……おォッッ!! 感謝するぞッ! 勇者ガルド!」
くっくっ。そうかい。その感謝がいつまで持つか見物だな。
満足げな顔で元のソファに戻ったアウグストがクソでかい貧乏ゆすりの音を出しているのを無視して視線を戻す。
神妙な顔で何かしらを考え込むライザル。そして、場所を移して以来頑なに黙り込み、青い顔をして震えているプレシアが目に留まる。
責任でも感じてるのかね。聞くと、勇者二人を呼んだのはプレシアなのだとか。騒動の発端はライザルだが、事態を急転させたのは間違いなくプレシアだ。
事のいきさつもライザルの口から聞いた。
どうやらライザルとプレシアは割と懇ろな仲であるらしい。いや知らんよね。スラムでは常識だったのだろうか。
シクスとして動いていた俺は、スラムの実力者である二人のことを嗅ぎ回ることなく無関心を貫いてきた。余計なトラブルに見舞われないための処世術である。よもやそれが裏目に出るとは思わなかった。
そんな懇ろなお二人さんは、保守か改革かという方向性の違いで対立。互いに派閥を形成して睨みを利かせていた。
生きようと思えば生きられる。そのための環境は自分が用意するとプレシア。
それじゃお前が報われない。国ごとひっくり返して平等な体制を整えるとライザル。
詩劇かな? 吟遊詩人に金を握らせたら喜んで題材にしそうな展開である。
一歩抜きん出たライザル派閥はシクスの協力を得て計画を実行に移そうと決意。
そうはさせじとプレシア派閥。ライザルが犬死にするのを見過ごせなかったプレシアは高名な勇者二人を招聘した。
そしてライザル派閥が所有する呪装の全回収を目論むも、勇者抹消の計画を知った姉上怒髪天。あわや国賊大虐殺という流れだそうだ。
拗れたなオイ。どっからどう紐解いてやりゃいいのか分からんね。つーか俺関係なくね……? もう和解して二人でいちゃついてろよ。そこまで世話見切れねぇわ。
そんな内情を吐露するわけにはいかない。今の俺は勇者ガルドなのだ。つまらん威光に翳りが差せばいざという時に支障を来たす。
俺はできるだけ威厳を保って言った。
「プレシア」
「っ……! ひ……ぃ!」
俺が声を掛けた途端、プレシアは蚊の鳴くような声を出して身を縮こめた。
歯の根が合っていない。窄まった瞳孔が落ち着きなく震え、皺が寄るのも厭わずにドレスのスカートを強く握りしめている。
あわや大惨事の引き金を引くところだった。そんな罪の意識が尾を引いているのかもしれない。
チッ……面倒くせぇ。カウンセリングは俺の仕事じゃねぇぞ。ライザル、いつまでも考え込んでないでお前がどうにかしろや。
「ごめん、なさい……!」
声を掛けあぐねていると、プレシアがかたかたと震えながら嗚咽混じりの声を絞り出した。
「わっ……わた、しはっ! 貴方を……こ、殺そうと、してしまった……!」
…………?
あー……そりゃ、いつの話だ……?
「それだけじゃ、ない……! く、薬を盛って……貴方を、意のままに……操ろう、とっ……! ごめんなさい……ごめん、なさい……! 浅ましいことは、重々承知です……不敬を、お許しください……勇者ガルド様……っ!」
…………なるほど? なるほどね?
俺はそれっぽい表情を整えてから腕と足を組んだ。ゆっくりと目を瞑る。
まずいな。まるで身に覚えがねぇ……。
俺は【六感透徹】でプレシアの敵意を感じたことがない。嘘を吐かれたことも然りである。
飯に毒でも盛られていたのか……? だが……今の俺はすこぶる好調だ。どこにも異変は見当たらない。
そんな平身低頭で許しを乞われても……俺は身に覚えもないことで怒りを抱けるほど器用じゃないんだがな。
俺の沈黙に不穏を感じたのか、神妙な顔をしたライザルが割って入ってきた。
「勇者ガルド……さん。アンタの怒りは……尤もだ」
怒ってねぇよ。
「許されねぇことだってのは……分かる。どうしても腹に据えかねるってんなら……俺の首で手打ちにしてもらえねぇか」
お前の首なんていらんわ!
「そんな……ッ! ライザルッ!」
「止めんなよ。……救われた命の、使い所だ」
「でも……!」
んだよこの茶番は。三流芝居にもなってねぇ。なんで俺がいちゃつくダシに使われてやがる。ここで俺がお前を殺したら何のために【全能消去】を使ったんだって話になるだろ! 馬鹿かッ!
虫酸が走る。冗談じゃねぇ。俺はこれ見よがしに舌打ちした。
「知らん」
「……え?」
「殺そうとした? 薬を盛った? 知らんな。身に覚えがねぇ」
ぽかんとしたアホ面を晒す馬鹿二人に向けて言い放つ。
「知らねぇもんは裁きようがねぇ。この話はそれで終わりだ。文句があるならてめぇで勝手に首でも搔き切れ。俺は知らん」
「くくッ……勇者ガルドォ……見ない振りとはなァ……随分と粋じゃねェか!」
「黙れ。お前は死ね」
「……やっぱり俺様への当たり強くねェ……?」
「勇者、ガルド様……」
アウグストの馬鹿をあしらっていると、幾らか持ち直した様子のプレシアが芯の入った声を出した。
「私は、貴方が……余計な騒動を起こすつもりなのだと、そう思っていました」
…………?
「国に混乱を齎す元凶なのだと……勘違いしていました。貴方は……何か考えがお有りなのですね……?」
どうしよう。まーたプレシアの悪癖が出てやがるよ。
言葉を濁すな。はっきりと言え。一人で分かった気になってんじゃねぇ!
この流れではどういうことだと問い質すこともできない。俺は鷹揚に頷いて見せた。
「そういうことだ」
「でしたら」
先程まで嗚咽を漏らしていたとは思えないほど毅然とした態度でプレシアが立ち上がった。流麗な所作で辞儀をする。
「私は――私の仲間は、貴方に恭順を誓います。……私は、あの時、貴方の語った目的が……円満に達せられた世界で、生きて行きたい」
「俺もだ」
つられて立ち上がったライザルが両手を膝に添えて立礼した。
「闇市を纏め上げたアンタの手際は、ずっと見てきた。俺にはねぇ求心力を、アンタは持ってる。そのアンタが……勇者様が、俺と同じ理想を抱いてるってンなら心強いことこの上ねぇ」
言うや、ライザルはさらに深く腰を折った。
最敬礼。恭順の意を示すものとしては最上と評していい。
「無論、慈悲を施されるだけで済ます気はねぇ。この件で受けた恩は相応の働きで返す。俺らは……アンタの手足となることを誓う。俺の部下は頭は悪いが腕は立つ。アンタにとっては雑兵かもしれねぇが……少しは役立つはずだ」
静かに、しかし力強く気炎を吐いたライザルがくっと顔を上げた。眦を決して言う。
「俺らにできることなら――何でもやる。シクス、いや……勇者ガルドさんよ。なんなりと命じてくれ! 俺らは……何をすればいい?」
こうして俺はよく分からないうちに王都スラムの武力の頂点と権力の頂点を配下へ加えることとなった。
目下の不安としては、俺が何もかも適当に返事していただけという事実が明るみに出て一斉離反か謀反でも起こされることだが……今後の全てをミスなく処断していけばいいだけなので考えないこととする。
早い話が思考放棄だ。今さらどうすることもできねえっつの。
シクスの正体はじきにスラム中へと広まるだろう。今後の去就を決する必要にも迫られる。新たな人格を作らなければスラムに出入りもできん。面倒なことになった。
面倒といえば冒険者ギルドだ。
シクスが勇者ガルドだったということは確実に報告されるだろう。
箝口令を敷いたところで無駄だ。冒険者連中が口を噤んだら、ルーブスの野郎はその事実自体を手掛かりとして俺の正体に勘付くに決まっている。なんせ俺は直近でやつらに箝口令を敷いたばっかりだからな……。
下手に隠して邪推されるよりは全てを報告させた方がいい。そのへんの諸々でやつが処理を誤ることはないだろう。多分。
……エイトは、どうすっかなぁ。
シクスの手先ならまだ誤魔化しが利いた。利いたが……勇者ガルドの駒となったら……面倒が勝る、はずだ。この辺はオリビアを巻き込んで解決案を探るか……。
諸々の構想を頭の中で処理してから目を開く。
やる気に満ちたライザルと、口を引き結んだプレシアが俺の言葉を待っていた。
何をすればいい。何を、ね。
俺は言った。
「とりあえず禁制品を集めてくれ。いつも通りな。後は……金の工面を宜しく頼んだ」
「…………えっ?」