そういうことだッ!
【敏捷透徹】の力を帯びたアウグストの瞬間的な速度はミラの最速を凌駕する。故にミラは自身ではなくアウグストに魔法を掛けた。
寸刻遅れて駆け付けたミラはライザルの装備が全損していることを確認し継戦不可能と断定。腕を掴み、後方へ放り投げて戦線を離脱させた。
その後、メイを担いだノーマンが合流してライザルを背後へ庇う。
王都、スラム。衆人が失せた四ツ辻通りで勇者二人とエンデの精鋭四人が対峙した。
「ん……見覚えがあるぞ、お前たち」
口火を切ったのは勇者レイチェルであった。
「見所のあるやつは記憶に残る。そこの三人、前にエンデにいたな。……そこの女は知らんが」
一人顔を覚えられていなかったメイが射竦められて肩を震わせる。
「一応、私もいました……」
「そうか」
強者以外に興味はない、と言いたげにあしらった勇者レイチェルは視線をアウグスト――自身の斬撃を弾いた男へと移した。
「それで、何か用向きか? 賊を庇い立てするなら同類と見做すが」
声色は冷たく、重罪人に最期の言葉を問う処刑人の色を帯びている。視線は空を穿つかのように鋭く、口元には一切の綻びがない。
――まずいな。勝てねェ。
肉体から発される圧の質が違う。
彼我の力量差を尽く感じ取ったアウグストは、それでも白旗を上げることなく構えを取り続けた。獣の威嚇に似た低声で返す。
「庇い立てする気は……ねェ。ただ……そいつにァまだ聞かなきゃならねェことが残ってる。勝手に消されちゃァ……困るな」
「ふむ」
勇者レイチェルが顎を撫でて考え込む仕草を見せた。
理性的な話が可能であると確認したミラが一歩前に出て膝をつき、恭しく頭を垂れて弁明する。
「勇者様方。私どもは先んじて今回の件を調査しておりました。本件は未だ解明できていない点も多く、予断を許さない状況です。僭越を承知で申し上げますが……この男の処遇を一時保留としていただけませんでしょうか」
勇者殺害の計画は大罪だ。
しかし、ライザルが語った国の暗い側面は見過ごせるものではない。国がエンデに『ふざけた要求』をしているという話の真相も謎のままだ。
「本件の仔細は……偽りなきを追って沙汰することを誓います。……どうか、ご寛恕いただけますと幸いです」
全てが詳らかになるまで軽々な判断を下せない。斥候としての矜持を以てミラは勇者二人に一時の猶予を乞うた。
ミラの誤算はただ一つ。
「んー、つまり。つまり、だ」
勇者レイチェルがミラの言い回しを半分も理解できていなかったことである。
「賊の助命を乞うお前たちも……賊の仲間ということでいいんだな?」
「っ!? ち、違います……!」
全霊の説得が微塵も伝わっていない。
焦燥に駆られて上ずった声を出したミラのことを勇者レイチェルが意に介すことはなかった。
「違うならどけ。邪魔立てするなら命の保証はしかねる」
冷徹に言い放った勇者レイチェルは、手に持つ剣をぶっきらぼうな仕種で――或いは究極の自然体で、下から上に振るった。
地が割れる。
アウグストとミラの間を奔った斬撃が石畳を両断して大地を抉った。数瞬の後、飛沫を上げる噴水のように土砂が舞う。
底の見えぬ断裂が刻まれる。それは言葉よりも雄弁な警告であった。
――こうなりたくなければ失せろ。
竜すら両断してみせる絶技を人の身で受け止めるのは不可能だ。今の勇者レイチェルの往く道を阻む者は例外なくその身を二つに分かたれることになる。上質な白パンを指で引き千切るよりも、なお容易く。
空気が瞬時に凍てつく。その場の誰もが息を飲む中、ひどく場違いな声が響いた。
「もぉー! レイ、無駄に地面とか壊さないでっていつも言ってるでしょ! 危ないんだから!」
勇者シンクレアが地に亀裂を刻んだ勇者レイチェルを窘める。同時、軽い調子で踵を地に打ち付けた。
舞い散った土砂がひとりでに流動し、深く刻まれた亀裂を埋めていく。五秒もすれば、砕けた石畳ごと地面が元通りになっていた。
「別にいいだろう。あまり固いことを言うな。こうやってレアが直してくれるじゃないか」
「そういう問題じゃない!」
「分かった。分かったから今は小言はよせ」
「もう……」
勇者シンクレアが眉を寄せて叱りつけると、勇者レイチェルは渋々といった顔で剣を鞘へ納めた。直後、むせ返るほどに満ちていた圧が消散する。
勇者シンクレア――博愛の使徒と呼ばれ、かつて仲間を救ってくれた彼女ならばこちらの事情を斟酌してくれるのではないか。
そう直感したメイが叫んだ。
「あ、あのっ! 勇者シンクレア様! 以前はルーク君を……仲間を救っていただいて、その……ありがとうございました!」
唐突に感謝を表明された勇者シンクレアは目を二、三瞬かせた。んー、と間の抜けた声を出しながら視線を右上へと向け、数秒後、ああと得心の声を漏らす。
「ルーク君って、あの子ね? ガルと……弟と一緒に助けた、あの活発そうな!」
「は、はいっ! ルーク君は、あの時シンクレア様に助けていただいたおかげで……今も元気にしています。本当に、感謝してもしきれないくらいで……!」
「そう、良かった……! あの魔法の影響ですごくグッタリしてたから……大丈夫かなって思ってたけど、うん! それなら本当に良かった!」
快報を耳にした勇者シンクレアが目尻を下げて笑う。見る者の心まで浄化しそうな笑みは、勇者を称える麗句が上辺だけのものではないことをメイに確信させた。
話せば分かってくれるはずだ。今は猶予を貰わなければ。
無論、ライザルが語る勇者殺害に加担するつもりはない。いま必要なのは話し合いと身の振り方を選ぶ時間である。
そう結論付けたメイが切々と訴えた。
「それで、という訳ではないんですけど……シンクレア様、あのライザルという男を見過ごす……じゃなくて、ええと……慈悲を与える、ことはできないでしょうか。私たちもその男とは話し合う必要があって……」
しどろもどろの弁明を聞いた勇者シンクレアが再度その碧眼を瞬かせた。
宝石に喩えられる瞳に無機質な光を宿し、ほんの僅かに首を傾げる。
「その話は、いま、関係あるの?」
「っ……!」
熱のない声が届くと同時、総毛立つ程の圧がメイを襲った。
勇者レイチェルの刺すような圧とは違う。身一つで寒風吹き荒ぶ雪原に放り出されたのかと錯誤するほどの重圧。
メイの身体が熱を求めて震えを発した。その様を見た勇者シンクレアは、メイを顧みることなく一方的に告げる。
「呪装はね、本当に危険なの。私たちでも怖くなる物だって……少なくない。そんな物を集めて、国に弓を引こうとしている人を……ガルとレイが必死に作ってる平和を壊そうとしている人を、どうして、許さなくちゃ……ならないの?」
どこまでも純粋な疑問が静かに響く。問い掛けに答えられる者は一人としていなかった。
「警告もした。それでも聞き入れてくれなかったの。もしも今、その男と仲間を見逃して……幸せに暮らしている誰かが傷付けられでもしたら、私たちはその人に顔向けできない。知った以上は、見過ごせないの」
零度の瞳がライザルを捉える。
擦り剥いた箇所を押さえて立ち上がるライザルへ、勇者シンクレアが人差し指を向けた。
風が渦を巻く。空間が揺らいで見えるほどに濃密な魔力を纏った刃が形成され、そして僅かの躊躇もなく放たれた。
首を落とすギロチンもかくやの風刃は――
「ッ! お、らァッ!!」
ノーマンの得物である斧槍によって堰き止められた。
呪装『集魔転刃』。
槍の穂先で魔法を吸収し、斧の刃から自在に放出する斧槍。魔法使いを相手取るにあたり、絶大な効力を発揮する呪装であった。
ノーマンが斧槍を空へと振るう。吸収された風の刃は豪風を伴って空へと舞い上がり、遥か彼方に浮かぶ雲を吹き散らしてから消失した。
ノーマンの両手が震える。魔法を吸収して打ち返しただけとは思えないほどの重みが身体の芯を貫いた。
次は止められないかもしれない。
腕の痺れを誤魔化すために斧槍を強く握り直したノーマンは、内心をおくびにも出さず笑みを浮かべた。
「おいおい、勇者様よ……ちったあ話を聞いてくれてもいいじゃねぇか。そんな無慈悲な振る舞いされちまうと……あんたらを囲ってる国ってモンが恐ろしく見えちまうぜ?」
勇者二人はノーマンの軽口を気に留めることはなかった。勇者レイチェルが剣の柄に手を掛ける。
「あの武器、呪装だな。斬るか?」
「ううん。あれくらいなら平気」
「そうか。なら任せた。おい、お前たち」
勇者レイチェルが四人へ向けて高らかに布告する。
「国賊を庇ったお前らは……全員"一回"だ。殺しはしないが、これ以上邪魔立てするならば……制圧する」
そして冒険者四人と勇者二人の戦いが――否、蹂躙劇が幕を開けた。
ゆっくりと歩みを進める勇者レイチェルの行く手を阻むため躍り出たアウグストは――
「警告はした」
勇者レイチェルの手刀で右腕を斬り飛ばされた。
「ぐ……ぅ、ウオオオアアアァァッッ!!」
「アウグスト!?」
「介錯の一刀を弾いたのは見事。だが、それだけだ」
エンデの誇る最高戦力を一瞬で斬り捨てた勇者レイチェルを見て、ミラは思考を全力の逃走へと切り替えた。
敏捷性を高める補助を己に掛け、ライザルを連れて逃げようとしたところ――
「大人しくしててね?」
「な、あッ!」
勇者シンクレアが地をコツンと爪先で叩く。
瞬間、ミラが踏みしめた大地が水のように沈み込んだ。つんのめって転んだ先の地面が軟化し、隆起して四肢を包みこんだ後、砕くこと適わぬ固さへと硬化する。ミラが大地の檻に囚われるまでは数秒も要さなかった。
「チッ……! 待ってろ、いま助け……!」
救出に駆け出そうとしたノーマンの右半身が凍り付く。
「その武器はちょーっと厄介かもだけど、こうすれば問題はないからね」
一切の予兆なく行使された魔法がノーマンの身体を蝕む。『集魔転刃』を持つ手ごと半身を凍らされたノーマンは、左足でバランスを保とうと数歩たたらを踏んだ後、しかしどうにもならず倒れ伏した。
「……ぐっ! なんつう、ふざけた魔法だッ……!」
「ノーマンさんっ……!」
一人残ったメイが喉を引き攣らせる。思わず駆け寄ろうとして、背に庇うライザルの存在を思い出し足を止めた。前を見遣れば、以前見た時とは比べ物にならないほどに冷徹な瞳を湛えた二人がそこにいる。
勇者二人は、まるで雑草を刈るかのような気軽さで三人を無力化した。当然、本気など出していないに決まっている。
自分では逆立ちしても敵う相手ではない。百回やったら百回負けるし、自分が百人いても絶対に勝てない。そういう相手だということをメイは改めて実感した。
――だけど……足止めなら、できる。私にしかやれない方法で……!
(アウグストさん、聞こえますか?)
猶予はない。メイは返事を待たずに意思を飛ばした。
(私があの二人の動きを止めます。その間に、三人を連れて逃げてください。地面の枷も、氷も、アウグストさんなら砕けるはず……お願いします!)
悲壮の覚悟を決めたメイが懐から短剣を取り出す。
それはギルドが所有している呪装のうちの一つであった。此度の任を帯びたメイが、足手纏いにならぬようにと嘆願してルーブスから借り受けた呪いの品。
拷問用の短剣。効果は痛覚耐性の低下。
その短剣が齎した痛みは――常人を発狂に至らしめる。
「はあっ……はあッ……!」
二呼吸。それが、メイが覚悟を決めるのに要した時間であった。
短剣を鞘から抜いたメイは刃を己の脇腹へと突き立てた。
「ぐ、ぃ……あああああああぁぁぁぁぁッッッ!!!」
脳天に杭を打ち込まれ、溶けた鉄を飲み込んだかのような痛酷が全身を蝕む。
喉が灼け、涙が溢れる。辛い、苦しい、痛い。死んでしまう。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
ぐつぐつと煮詰めた負の意思を抱えたメイが魔法を発動した。
【伝心】。またの名を遠隔共鳴式。
「!? ぅ、あああああぁぁぁぁッ!!」
「ぐ!? ぎ……ッ! かふッ……!」
勇者シンクレアが頭を抱えて悲鳴を上げ、勇者レイチェルが腹部を押さえて膝を折る。
自身を犠牲にして対象に幻痛を植え付ける捨て身の特攻。それがメイの考案した策である。
「ぃ……いま、ならッ! はや、く……皆を連れてッ! 逃げてッ!!」
朦朧とする意識を必死に繋ぎ止めながらメイが叫び、そしてより深く短剣を突き刺した。いや増す痛みに歯を食いしばりながら意思の力で勇者二人を縛り付ける。
生まれた隙を逃さずアウグストが駆けた。
同時、勇者レイチェルが叫ぶ。
「あいつ……ガルのような、戦い方をする……ッ! レア!」
「うぅ……ッ! だい、じょうぶ……捉え、たっ!」
勇者シンクレアが片手を握り込む。瞬間、中空を紫電が走り、メイと勇者二人の間に繋がれた式を断ち切った。
幻痛から解放された勇者シンクレアが魔法を発動する。
大地に降りた霜が体積を増し、アウグストの下半身を包み込み氷漬けにした。メイが決死の覚悟で開いた活路はものの数秒で閉ざされることとなった。
「う、そ……っ。こんな……ッ!」
「はァー……! くくっ、いや天晴だ! 私に膝をつかせたのはッ! ガルと、レアと、魔王を除いたら……お前が初めてだッ! その覚悟と功績に免じて今の無礼は不問としよう! 侮った非礼を詫びる。意地の悪い弟とやり合ったことがなければ……そして、幾度となく腹を切った経験がなかったら……或いは、負けていたかもしれんな……!」
「いったかったぁ……。もう! 本当に呪装ってのは厄介なんだか、らッ!」
勇者シンクレアが片手を突き出す。発動した風の刃がメイの持つ短剣の柄を両断した。
致命的な損傷を負った短剣が光の粒となって消えていく。秘策を破られたメイに残された手はない。
「…………う、ぅ……」
痛みと出血により足元が覚束なくなったメイがゆっくりと崩れ落ちる。
エンデの誇る精鋭は――勇者二人を前に全滅した。
「さて」
冒険者四人が倒れ伏し、四ツ辻通りに立っている者は四人となった。
二人の勇者。立ち尽くし戦慄くプレシア。呪装を失い無力と化したライザル。
先程まで戦意を滾らせていた勇者レイチェルがすぅと表情を消し、塵芥を見るような目をライザルへ向けた。
「幾らか平静を取り戻したか? 国賊は斬ることに変わりはないが……勇を示したそこの四人に免じて末期の言葉を遺すくらいは許してやろう」
ミラに放り投げられたライザルは全身に擦り傷と打撲を負っていた。たった一つの魔法の才しか有さない男は状況を打開する術を持ち合わせていない。
ライザルは打ち付けた左肘を押さえたまま冒険者四人を見回し、苦い表情を浮かべて呟いた。
「……強えな、勇者さんよ。有り得ねぇほどに。アンタらは……そこまで至るのにどれだけ掛かったんだ?」
「…………?」
「戦争に駆り出されて……魔物退治に駆り出されて……情緒を帯び過ぎたら、記憶を消されて……! 国のクソどもに何度も何度も何度もッ! 裏切られて、使い潰されてッ! お前らも……被害者じゃねぇか……!」
ライザルの言葉を聞いた勇者レイチェルと勇者シンクレアは互いに顔を見合わせた。そして理解できぬと言わんばかりに首を傾げる。
「お前は何を言っている?」
「全部、忘れてるだけなんだよ……! この国は、アンタらのことを救わねぇ……! アンタらを呪いから解放するつもりも、魔物どもを自力でどうにかするつもりもッ! この国の連中は、何もかもを放棄した愚図の集まりだッ! だから俺は用意したんだッ! 勇者に頼らなくて済む環境を! アンタらが……終われる時を!」
「もう一度聞くぞ。お前は何を言っている?」
「国がアンタらを救わねぇから! 俺がアンタらを救うっつッてんだよ!」
ライザルが【追憶】で覗き見た『勇者』の歴史は釁りの路を歩み続ける地獄であった。
戦うために生み出され、幾度死してもその運命から解放されることがない人型呪装。人格を蹂躙し続ける悪魔的な暴力装置。そんなものがこの世にあって良いはずがない。
そう、ライザルは信じていた。
「その救いっていうのはさ、誰があなたに頼んだの?」
勇者本人から否定されるその時まで。
「…………は?」
「記憶を消されてる。うん、多分、そうなんだろうね。時々、経験したことないはずのこととか、知らない人の顔とかが頭に浮かぶの。でも」
勇者シンクレアが眦を決した。
「それを辛いと思ったことなんて無い。私にはレイと、ガルがいつも側にいたから。あなたはね……私たちから、最後の支えを……奪おうとしたの。絶対に、許せない」
「…………!」
ライザルは絶句した。
凄絶な過去を歩んできた勇者は『救い』を求めているはずだと信じて疑っていなかったのだ。
「お前がどれほど立派な大志を抱いているのかなど……まるで興味がない。ただ、そのダシに私たちを使うなよ。不愉快だ」
静かに怒気を発した勇者レイチェルが眉根を寄せて吐き捨てる。
「殺すことが救いだと? 馬鹿か貴様は。貴様は……家族を殺すと宣言されて喜べるのか……? 感謝でもするのかッ!? 私の……私たちの終わりは、私の弟が約束してくれたッ! 独り善がりの貴様に押し付けられるものでは、断じてないッ! 思い上がるなッ!!」
剣幕に圧されたライザルが膝を折る。ぶれた焦点が像を結んだ時、目に飛び込んできたのは――二人の人の顔であった。
「あぁ……」
ライザルは【追憶】を使いすぎた。呪装に触れすぎた。故に見えていなかった。気付くことができなかった。
自分が誰よりも勇者を呪装としてしか見ていないことに。
「見誤った……。これじゃ国の連中を、笑えねぇ」
――ともに生きる勇者を家族と呼ぶなら……確たる意思を持って生きているなら……それは、もう――
「人間じゃねぇか……俺らと……何一つ……変わらねぇ……」
「ライザルッ!!」
プレシアの悲鳴につられて顔を上げたライザルが見たものは裁きの極光だった。
勇者シンクレアの手のひらに紫電が集う。
小球状のそれは秒を経るごとに肥大化し、五秒もすれば大の大人ひとりを包み込めるほどに達した。
最上級雷魔法【女神の怒り】。勇者シンクレアの物語には必ずと言っていいほどに登場する――悪を殲滅する魔法である。
「報い、か……」
「ライザル!? ライザルッ!!」
迸る紫電がプレシアの叫びを掻き消す。
冒険者四人は立ち上がることができずにいた。
死期を悟ったライザルが懺悔のように独り言ちる。
「……すまなかった」
霹靂が轟く。直後、網膜を灼く極光が解き放たれた。
視界を埋め尽くす白、白、白。それがライザルの見た最期の光景だった。
国家転覆を企てた悪の首魁、ライザル。
その身体と魂が女神の怒りによって『救済』される寸前――
「【全能消去】」
光が消えた。音が消えた。震えが消えた。
世界に空いた無の中心に、一人の男が立っていた。
黒を基調とした外套。気品を引き立てる臙脂の差し色。天よりの権威を知らしめる金の装身具。そして――漆黒の髪と、世界を敵に回すが如き凶相。
「シク、ス……?」
ライザルの掠れ声は中空へ消えて男に届かなかった。
忽然と現れた男――シクスは振り返ることなく歩を進めた。驚愕に目を見開き、呆然と口を開けた二人の勇者の下へ。
「今の、魔法って……!」
「まさか……戻ったのかッ!」
「シンクレア。レイチェル」
救国の英雄たる勇者を呼び捨てにしたシクスが一方的に告げる。不敬極まる不遜な態度で一言。
「退け」
「…………!」
たった一言。傲慢な命令口調で放たれた一言を受けた勇者二人は――至極あっけなく戦意を手放した。
「それでいい。……シンクレア、レイチェル。この件は今、俺が預かっている。手出し無用だ。分かったな?」
「そうだったんだ。なら……大丈夫、だね」
「ああ。……お前らは手を汚すな。こういうことは俺に任せておけ。魔物を駆逐することだけ考えていろ」
「……うん。分かった」
シクスの言葉を聞いた勇者シンクレアが若干の憂いを帯びた笑みを覗かせる。潤みを帯びた瞳には親愛の情が隠しきれない程に滲み出ていた。
「なあ! なあッ! さっきの魔法を使えたってことは……もう、身体は戻ったのか!?」
鬼気を霧散させた勇者レイチェルがシクスの服を掴んで揺らす。その様は先程まで怒気を発していた者と同一人物とは思えないほどに無邪気なものであった。
「揺らすな。やめろ。……俺ならもう……大丈夫だ」
「そうか! そうかッ!!」
喜色満面の笑みを浮かべた勇者レイチェルがシクスの肩を叩く。
シクスはじゃれつく勇者レイチェルに対して僅かに口元を綻ばせ――それも一瞬、相貌を引き締めて指揮を執った。
「シンクレア。全員治せ」
「分かった」
二つ返事で応えた勇者シンクレアが指を鳴らすと緑の燐光が全員を包んだ。
アウグストの右手が再生し、メイの裂傷が塞がる。大地の枷と氷の鎧も弾けて消えた。
「後は二人で王城へ報告を頼む」
「なんて言えばいい!?」
「万事問題なし」
「分かった! 行くぞ、レア!」
「うん」
シクスの言葉を聞いた勇者二人は身を翻して王城へと向かった。勇者レイチェルは廃屋の屋根を跳び回り、勇者シンクレアは風を纏って空をゆく。
そして、静寂だけが残った。目まぐるしく動く事態に誰もが言葉を発せずにいた。
「……さてと」
シクスが沈黙を破り鷹揚に振り返る。地に伏したまま目をひん剥く冒険者四人に目配せし、膝を付いたまま微動だにしないライザルを一瞥し――
「あ……ぅ、ぁ…………!」
喉を震わせて腰砕けになっているプレシアへと視線を向けた。
「…………? どうした。何をそんなに震えている」
「ゆ……勇者二人に……命令、できて……それに、その服も……!」
「…………?」
シクスがゆっくりと首を傾げる。
「まさ、か……アンタは……そう、だったのか……! そういうことだったのか……っ! シクス、さん……アンタは……!」
ライザルが『シクス』と口にした瞬間、首を傾げていたシクスは頬をひくりと痙攣させた。
「おいおいおい……そういうことかよ……! 道理で勝ち目がねぇわけだ……!」
ノーマンの引き笑いを聞いたシクスは視線を彷徨わせた後、ゆっくりと自分の顔に手を這わせた。
「まさか……」
「まさか……!」
「まさか……ッ!」
右手で顔を覆ったシクスが震えながら俯く。
「勇者ガルド……!」
魔法を解いたシクスの髪が金色に染まる。
勇者ガルドが右手を払い、鋭い碧眼を光らせて高らかに宣言した。
「そういうことだッ!」
▷
顔戻すの忘れてたああああああああああああァァァッ!!
あああああああああああああぁぁぁぁァァァァァッッ!!