世界の修羅場の裏表
ぼうと光る蒼を己の腕へと押し当てる。
じりじりとした感触が肌の表皮を撫ぜていく。
なるほど、これが魔力の消滅か。こりゃ確かにやばいな。もしも躊躇うことなく一息に針をぶっ刺していたら……俺は本当に死んでいたかもしれない。
ライザル……お前、本当に俺の命の恩人だったのか……?
恩は踏み倒すもの。だがしかし、さすがに命の恩を踏み倒すのは……うーむ……しゃあねぇ、今度串焼きでも奢ってやるか。俺は命の恩に報いる男なのである。
そろそろ話は纏まっただろうか。冒険者連中なら『例の件』とやらにも落とし所を見つけている頃だろう。後できっちりと聞き出さねぇとな。
方針を練りながら消滅の針の光をチョイチョイと押し当てていると、針を摘んでいる右手をグイと掴まれた。むすっとした顔が目の前に迫る。
「また馬鹿なことしてる」
「馬鹿とはなんだ。研究と言え。対策は講じておかにゃならんだろ」
「自傷癖でもあるの?」
「待て。寛容な俺でもさすがにその評価は受け入れられんぞ。研究だっつってんだろ? 自害するのに使った短剣が消滅を促す呪装かもしれない。そん時の対策な? かもしれない研究ってやつだよ」
「自傷癖じゃん」
「ちげーよ。つかそういう言葉使うな」
俺の言葉に魔王が軽く唸る。
軽く頬を膨らませ、じとりとした視線を向けてくる魔王を睨み返す。俺も本気なのだ。伊達や酔狂で実験しているわけではない。
だが魔王も納得いかない様子だ。俺の腕を掴む手の力は一切緩まない。
まるで空間に直接固定されているかのようだ。馬鹿力とかいう次元じゃねぇ。アウグストや脳筋な姉上でもここまでの芸当は不可能だ。純粋な力による技ってわけではないのかもしれん。
このままでは埒が明かない。俺はできるだけ柔らかい声音を作って言った。
「大丈夫だって。俺を信じろ」
「むー」
「それに……万が一やらかしても、目の前にお前がいるんだから大丈夫だろ?」
「……相変わらず、言っても聞かないんだから」
そらそうよ。言われて頷くようないい子ちゃんじゃあ前の俺の二の舞だからな。同じ轍は踏まねぇよ。
黒の瞳と睨み合う。
根比べに負けたのは魔王だった。観念したようにゆっくりと瞼を閉じ、膨らせていた頬から小さく呼気を吐き出した。
「危なかったら、すぐ止めるから」
「おう、頼むな」
「もう……」
不承不承である。そう示すように呆れ混じりの細声を漏らした魔王が俺の腕を解放した。対面ではなく、すぐ隣の岩場に腰掛け、足をぷらぷらさせながら俺の実験を眺めている。
「…………」
「…………」
補助魔法は魔力の根源に働きかける魔法だ。
俺には魔力を現象へと昇華し攻撃へ転用することも、修復や再生に転用することも適わない。そういう役割を持たされていない。
肉体強度もそれなりの域を出ない。跳躍で馬鹿みたいな高度へ到達することも、素手で竜を撃墜することも適わない。
だが、補助魔法は最も自由な力だ。何よりも拡張性に富む。
遥か昔の連中は研究に血道を上げて呪装を創り出した。その過程は補助魔法と源流を同じくしているんじゃないか? 俺はそう思っている。
五感強化や肉体強化の補助は、言わば改造だ。外付けの才能付与。無限の成長性。
だから、それを恐れた昔のやつらは補助を三つまでしか併用できないよう調整を施した。そう考えるのがしっくりくる。
枷があるなら、外せるはずだ。俺ならできる。
魔力の働き――刻まれた式の全てを掌握しろ。支配下に置け。寸分すら違わぬ抽出と補完が可能になった時、人は仮初の肉体から解放される。
そのためには研究が必要だ。魔力消滅の過程を検分する。この身体の、何処を壊せば、どの機能に変化が生じるのか。
自前の魔法ではとても行えない研究だ。消滅の針ほど適した呪装じゃなければ着手不可能だったと断言できる。数奇な偶然だ。
使いたくない言葉だが……これこそが運命の出会いってやつなのかもしれん。
何にせよ、この好機を逃す手はあるまい。
暴き立てろ。魔力の全てを――
「だめ」
グイ、と再び右手が掴まれる。
針の先端に灯る蒼の光が離れ、ジリジリと身体を蝕んでいた感触が消え失せた。
……少しばかり熱が入りすぎたらしい。集中し過ぎは良くねぇな。寝食よりも研究を上に置いて人知れず死ぬ阿呆な輩と同じ末路を辿るところだった。
「……これ、没収していい?」
「まぁ待て。早まるな。わーった、ちと休憩するから睨むなって」
再び湿り気を帯びた半目を向けられたので研究を中断する。針をケースにしまえばひと安心だ。【隔離庫】へと放り込めば没収される心配もなし。
「……あと五秒止めるのが遅かったら危なかった」
「落ち着けって。お前が止めてくれるって信じてたんだよ! 命綱ってやつね」
「……なら、いいけど」
言っても詮無しと悟ったのだろう。魔王はついと視線を逸らした。岩肌が広がる荒涼の大地を見つめて黙り込む。
飯は買ってない。急いで来たからな。口を湿らせるモンがないってのはちと淋しいもんだ。
乾いた風が吹き抜けていく。
ちょっとした傷ができた左腕を撫でながら問う。
「エクスはあと何回使える」
「程度による。百は無理。五十も使えば、色々と影響が出るかも」
「そうかい」
ならまあ……大丈夫だろ。それまでには、どうとでもしてみせる。
イカれエルフどもの研究は順調だ。イカれ錬金術師のアーチェも毒さえ与えればせっせと働く。オリビアの協力もあった。成果は着実に積み上がっている。
あとは金だな。金。先立つ物ってのはよく言ったもんだ。あらゆる物事の前提に必ずと言っていいほど絡んでくる。
人間ってのぁカネカネうるせぇなぁと思っていたが、今となっちゃさもありなんってなもんよ。通貨ってシステムを考えたやつぁ天才か悪魔のどっちかだね。間違いねぇ。
「【洗脳】は諦めた。多分、もう無駄だから」
「よくお分かりで」
「エクスも……ガルドなら、きっと止むに止まれぬ事情があって使ったんだろうし」
「……………………当然だろ?」
隣に座った魔王がくるりとこちらを向く。俺は虚空を眺めた。流れる雲に思いを馳せる。
「……何に使ったの?」
「この前すげー美味ぇワイン飲んでさ。今度それ持ってくるわ」
「何に使ったの?」
「食った飯も美味くてさー。生の魚だぜ? 中々食えねぇよ。舌で押したら解れるんだ、これが。普通に食ったら腹下すらしいぜ?」
「…………」
「肉も美味かったなァー! 若干レアなのがいいんだよなぁ! 通のセレクトってやつよ!」
追及の視線が剥がれないので俺は食レポによる一点突破を試みた。
俺の涙ぐましい努力が功を奏す。魔王はゆっくりと正面に向き直った。
やれやれ……シクス人格の虚飾を保つために使ったと知られたらどんな視線を向けられるか分からん。恨むぞ『遍在』。
……そういや、この前もスライレースとかいうクソ娯楽の時にミラさんに使ったんだよな。その前はアウグストのクソに使ったし……。
チッ。金級はいつも俺の邪魔をする……よく言って聞かせておけよ、オリビア。
(知らんわ)
俺は【伝心】を切った。
同時、軽く息を吐いた魔王が言う。
「ガルドが楽しそうなら、いい」
「そうかい」
こいつは最後にゃそれだ。まぁ、人間に生まれたかったなんてベソかいた俺が悪ぃんだろうが……。
最も楽しまなくちゃならんのは誰なんだか。俺は言った。
「今度は生の魚でも持ってくるかね」
「ん」
「あとはワインもだな。ありゃ多分相当な上物だろうな。銘柄聞くの失念してたぜ……。後でプレシアに教えてもらうか」
瞬間、魔王がくるりとこちらを向いた。こてりと首を傾ける。
「……プレシア?」
「ん? ああ。つい最近知り合ってね」
「……女?」
「おう」
プレシアといえば……ライザル派閥に手を貸しちまった言い訳を考えておかなくちゃならんな。
いや、そもそも俺はまだライザルの目的を何も聞いてないし、セーフか……?
だが前報酬の呪装は既に受け取っちまった。返せと言われても返す気はない。これはもう俺のものだ。そこは曲がらない。
とするとライザル派閥に協力しなきゃならんわけで……めんどくせぇ。冒険者連中がどうにか話を収めててくんねぇかな。
「…………ふーん。その人、悪い人じゃないよね」
「あん? いいやつだぞ。ベッドも貸してくれたしな」
ビシィッと。
大木を根元から圧し折ったかのような破砕音が響く。直後、目の前の空間に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。あっぶねぇ!
「おい! おいッ! 制御! 制御くっそ乱れてるから! おま、何してんの!?」
「…………」
俺が必死に世界を巡る魔力の制御を促すと、ゆっくり正面に向き直った魔王が空間の罅割れに手をかざした。
砕ける寸前のグラスのようだった空間が修復されていく。放射状に広がった亀裂が外側から消えてゆき、元の光景へと塗り潰されていく。やがて複雑な亀裂が幾本も走っていた中央部が修復された。な、なんとか事なきを得たな……。
「冷や冷やさせんなよ……死ぬかと思ったわ……」
「なにか気が紛れる話して」
「唐突だなおい」
「早く」
えらく強引に話を逸らされたが、またぞろ空間に亀裂を入れられても困る。俺は適当な話題を探した。これだな。これしかない。
「最近新しい魔法を開発したんだが……これが中々に傑作でね。見るか?」
「見る」
見るとのことだ。
魔王がご所望なので気合を入れて発動する。【鉄面】。
「どうよ。一見すると効果が分からねぇだろ? この魔法はな、ふぇいふらいふほ……」
俺が栄えある新魔法の解説をしていたら、何を思ったのか、魔王が俺の頬を指で摘んだ。そして強制的に魔法が解除される。なんだよ。
「その魔法、二度と使わないで?」
「は? ……なんで?」
「いいから」
いいから? おいおい、そんな曖昧な答えじゃ納得できんね。あまり俺を舐めるなよ。【鉄面】発動。
「この魔法はな、【偽面】と【触覚曇化】とれふほほ……ほひ」
またしても【鉄面】が解除される。
なんなんよ。人の解説を邪魔すんじゃねぇ。せっかく俺がご要望通り気が紛れる話をしてるっつうのによぉ。
「やめてね」
「なんでだよ。理由を言え、理由を」
「え……気持ち悪いから」
「…………は?」
気持ち悪い? 気持ち悪いだと? なんだ、そのふざけた理由は……。
「なんか……ぬぺっとしてる。顔が一切動かないのに、口だけはぬるぬる動いてて……気持ち悪い」
「…………」
「二度とその顔で使わないでね」
「…………」
俺は魔王に背を向けた。手鏡を取り出してから【鉄面】を発動する。
「…………なるほど。なるほどね」
なんかこう、ぬぺっとしてるな。無表情とは違う、薄皮を伸ばして貼り付けた顔というか……。
表情筋が変なのか……? 【触覚曇化】が悪さをしている……?
これで喋ると、確かに……きも……うーん……下手な人相書きが口だけ動いているような違和感が……。ま、まずいな……俺はこの顔でルーブスと会ったのか……?
そういえばライザルの反応も芳しくなかった。あれはてっきり俺の威圧的な態度に怯んだのかと思っていたが……そういう、ことか?
俺はシクスへと顔を変化させた。おお……こりゃひでぇ。
見縊られ、下に見られることのない凶相を意識して作り上げた顔はまるで面影を残していなかった。
これは……無表情ではない。無だ。力を抜けと言われて、全身の力を抜いてどしゃりと崩れ落ちたような……うーむ……これは……。
ライザル……お前、これを相手にして普通に会話してたのか。常識人かよ。いや、一周回って狂人か。
「これは……大幅に改良しねぇとな……」
「二度と使わないほうがいい」
「馬鹿言え。こんな中途半端な魔法を放置しておけるかよ。俺のプライドが許さねぇ」
「……そう。まぁ、ガルドの顔じゃないなら別にいい」
許しが出たのでシクスの顔をぐりぐりと弄り回す。うーん……しっくりこねぇな。まぁいい。じっくり改良していくさ。
「それにしても姉上らは遅えな。『大至急』って言われてたんだが」
「そういえば一緒じゃないんだね」
「ああ。ちと入れ違いになってね。巡り合わせってやつよ。ま、そのうち来るとは思うんだがな……【伝心】を使ってもいいんだが、今は余計な情報を与えちまいそうで」
「ガルド」
俺の言葉を遮った魔王がくるりとこちらを向いた。ぱちぱちと瞬きして言う。
「なんか……二人とも、王都で戦ってるみたい、だよ?」
「……………………はぁっ!?」




