返す手のひら
色街はスラムの中でも比較的表通りに近い位置にある。
スラムの深層に店を構えたら表の連中が近寄れない。利便性や収益面の諸々を考えた当然の配置といえる。
ここらは形を保った家屋もそれなりに残ってるので都合も良かったのだろう。
より踏み込んだところには闇市がある。真っ当な一般人には一生縁がない裏市場だ。
ここら辺まで来ると肌で感じられるほどに空気が変わる。
一応は歓迎の姿勢を見せる色街のやつらと違い、闇市の連中は酷くあけすけだ。値踏みの視線を隠そうともせず、その眼鏡に適わないやつには口を開くことすらしない。
色街から迷い込んだ者や怖いもの見たさ、面白半分の心理でのこのことやって来た連中はその排他的な空気に圧されてすごすごと踵を返す。
力を持たない一般人が立ち入れるのはここらが限度だ。
そこから先に踏み入ると、スラムの闇はいよいよもって色濃さを増す。
純粋な力による統治が浸透した区域では表の価値観が通じない。飯が喰いたければ相手を殴り倒して奪う。流血沙汰なんぞ日常茶飯事だ。
スラムで生まれ育った者や表に馴染まなかった逸れ者、追われる身の犯罪者なんかが吹き溜まる退廃地区。華の王都にありて、しかし陽に当たることのない陰の地。それがスラムの深層だ。
無法が罷り通る魔窟では大小様々な派閥が形成されている。その中で取り分け強大な派閥を形成し、力による実効支配を敷いている武の頂点が……俺のすぐ目の前で眼光を鋭くしているライザルだ。
「悲しいねぇ……泣かせるじゃねぇか、おい。俺を手痛くフッたと思ったら辺境の余所者連中と遊んでやがるし、あげく優しい俺の忠告を無視して女遊びときた! 妬けちまうじゃねぇかよ……なぁ?」
へらへらとしたゴロツキもかくやの口振りだが、やつの目は一切笑っていない。どうやら俺が誘いを無視したのがいたく気に入らないようだ。
だからって待ち伏せするかね……? 暇なのかよ。いつから待ってたんだコイツ。縄張りに近づかなければ問題ないと思ってたらこれだよ。行動力のある狂人ほど解せないものはねぇ……。
「付き纏われるのは勘弁願いたいものだ」
「おいおい……さんざ力を見せ付けておいてその理屈は通らねぇだろ? アンタから片時でも目を離したら……いつ首を掻っ切られちまうか分かんねぇからな?」
首を……掻っ切る……?
まさか、こいつ……俺の転移現場を……!?
「エンデの冒険者……それも特段の上澄みを、ああまで鮮やかにいなしちまうとはな? 疑ってたわけじゃねぇが……それでも、想定を優に越えてやがった」
ああ……首を掻っ切るってそっちか。『遍在』を人質に取った時の話ね? 確かに首に短剣添えてたわ。そういうことかよ。ったく、ヒヤヒヤさせやがってクソが。
しかし……当然のように目撃されてんのな。しかも相手が冒険者だってことまでバレてやがる。
さすがスラムだ。歩いているだけでケツの毛の本数まで数えられてるなどとはよく言ったもんである。
……対策なしに言葉を交わすのは危険か。ここは新魔法を切るとしよう。【鉄面】。
「覗き見とは感心しないな」
「…………………………………………なんだ、その顔?」
「何がだ?」
「……………………いや、いい」
【鉄面】は動揺を押し殺し、対手の眉を読む力を機能させなくする魔法だ。洞察力に長けたやつを誤魔化すにはうってつけである。
ライザルは暫く俺の顔を睨んでいたが、探れぬと悟ったのかスッと顔をそらした。この程度は朝飯前よ。
しかし状況が好転したわけではない。目の前に迫った狂人の脅威は取り除かれていないのだ。
大規模遠征に伴う金の無心……ライザルの目的はそんなところだろう。冗談じゃねぇ。返ってくる保証のない輩にビタ一文も払えるかっての。
「話は終わりだ。俺はお前と敵対する気はないが……積極的に手を貸そうとも思わん。他を当たるといい」
俺は恒例となりつつある平和主義アピールをしながら身を翻した。スラムの出口へと向かう。
「そういうわけにゃいかねぇな」
とん、と軽い調子で跳んだライザルが行く手を阻むように滑り込んでくる。
普通では有り得ない動きだ。空を飛ぶ呪装……もしくは身体を浮かせる呪装か。外で拾った物か。恐らく、金貨にして百は下らない名品だろう。
「まだ何かあるのか?」
「分かってんだろ? 作戦の成就にゃ、シクス、アンタの協力が要る。替えは利かねぇ。俺はアンタに首を縦に振ってもらうまでシマに帰れねぇのよ」
しらんわ。本人の了承を得ないうちから他人を勝手に作戦に組み込んでんじゃねぇよ。常識ってもんを知らんのか?
その心の内を素直に吐き出せないのがもどかしい。狂人は何が切っ掛けになってつむじを曲げるか分からん。丁重に、かつ断固たる意思で関係を絶たなければならない。
しつこいやつと穏便に縁を切る方法……何かないか。オリビア、どう思う?
(アタシが一番知りてぇよ。今すぐな)
参考にならんか。俺は【伝心】を切った。
対処を決めあぐねているうちにライザルが距離を詰めてきた。
一見すると猛者には見えない。どちらかといえば線は細いほうだ。目付きは鋭さを宿しているが、どうにも陰気な気配が拭えないので迫力に欠ける。
だが侮るわけにはいかない。数々の猛者を捻じ伏せた結果――こいつは武力集団の長の椅子に腰を下ろすこととなったのだから。
「何度でも言うぜ? 俺らの側につけ。互いにとって益のある話じゃねぇか。何をそこまで頑なになってやがる。……プレシアに何か吹き込まれたか?」
「プレシア嬢は関係ないさ。俺は……平和主義なんでね。力を至上とする者とは相容れないのさ。棲み分けは必要だろう?」
「だってんなら……アンタはどうして冒険者なんかと宜しくやってんのかねぇ……?」
おっと……これは痛い切り返しだ。
「なぁ……シクスさんよ。俺ぁ言ったよな? 俺らに楯突くのだけはやめてくれ、ってよ。示しがつかねぇんだ。たとえ相手がアンタでも、あまり舐められると……沽券に関わる」
おいおい論理的じゃねぇな。話が飛躍しすぎだろ。
「俺がいつお前に楯突いたというんだ?」
「ああ? 冒険者なんかを集めてコソコソやってる時点で示威行為としちゃ十二分だろぉ? あんま馬鹿にしてくれんなよ。あいつらが遠路遥々取り返しに来たブツは……俺が持ってるんだからよぉ」
…………?
……………………!?
「ふん……予想通りだ」
「まーアンタ相手に隠し通せるとは思っちゃいなかったがね。アンタは……あいつらと協力して俺からブツを取り戻そうとしてたってわけだ」
「想像に任せる」
「アンタが俺らの側に付かなかったのは癪だが……冒険者連中に恩を売っておきたかったってんなら納得だ。あの街と敵対するのは……俺でも手を焼きそうだしな」
「そういうことだ」
言いながら思う。
どういうことだ……? こいつは一体何を言ってるんだ……?
「その上で、だ。シクス……それにエンデの冒険者四人も。纏めて全員……俺らに力を貸せ」
「…………?」
「協力体制を築こうってわけさ。俺らが奪ったブツも返してやっていい。『例の件』について、知りたいことも知れたしな」
「……なるほどな」
「あの四人なら……まぁ、戦力としちゃ申し分ねぇ。プレシアの護衛なんかよりも余程腕が立ちそうだ。おっと、もちろん大本命はアンタだぜ? シクスさんよぉ」
「……そうか」
大規模遠征の話だよな? それ以外有り得ない。そのはずだ。
しかし……どこか噛み合っていない。そんな気がする。
ライザルは冒険者連中から何かを奪った。それが『例の件』……つまり大規模遠征と関係ある?
『知りたいことは知れた』という一言から……情報媒体と仮定するのが妥当か。
国の外に鉱脈が見つかったので冒険者に護衛依頼を出した……とかか? その情報をすっぱ抜いたライザルが先に一儲けしようとしたが、冒険者連中に追いつかれたので手柄を折半しようとしてる……?
クソッ! ダメだ……全てが憶測の域を出ない! 『例の件』って何なんだよッ! 言葉にしなきゃ伝わらねぇだろッ! 言えよ、もう!
「で……色良い返事は貰えそうかね? シクスさんよ」
「……やつらが首を縦に振るかは分からんな。元より、そのブツは冒険者ギルドの所有物だろう。返すから協力しろなどと持ち掛けても神経を逆撫でするだけだと思うがな」
「おいおい! そこで橋を渡してくれるのがシクスさんだろぉ?」
ふざけろ馬鹿が。これだから狂人は始末に負えねぇ。
ただでさえ俺はやつらから警戒されてるってのに鼠賊紛いの連中と宜しくやろうぜ、なんて説得を持ちかけられるもんかよ。
まだ『盗っ人の正体突き止めたから一緒にいってとっちめようぜ!』と持ちかけるほうがマシだ。ことが終わればあいつら帰るだろうし。
とにかくそんなふざけた提案は飲めん。俺は言った。
「やめておこう。俺に利点がない」
「利点。利点ね」
にやにやと。
嫌らしく、という修飾がしっくりくる笑みを浮かべたライザルが距離を詰めてくる。
こいつ……やる気か? まずいな……なまじ会話が成立していたので、やつが根本のところで頭がおかしいという事実が頭から抜けていた。
口角を吊り上げたライザルがくつくつと喉を鳴らす。
「昨日も言ったじゃねぇの。歓待の用意はできてるんだぜ?」
薄ら笑いを浮かべたライザルは歩みを止めない。
どうする。引くか。それともエクスを――だが、この短時間で連発はさすがに……。
俺の目の前まで来たライザルが、僅かに進路を変え、肩が触れるすれすれの距離を行く。すれ違いざまに一言。
「金貨万枚は下らない例の呪装をくれてやる」
…………なるほど。…………なるほどね?
すまん、プレシア。ちょっとライザルに協力するかも。派閥の諸々は……まぁ、なんとかするから。うん。




