起死回生の一手
闇市を纏め上げた男シクスと別れた後、四人はそれぞれの部屋へと戻り眠りに就いた――フリをしていた。
解散して早々四人で集まったら怪しまれる。相手の手の内が読めない以上、目立つ行為は控えたほうが賢明だ。
大人しく部屋にこもること約一時間。
わざと規則的な寝息を立てていたミラは、頭の中に響いた声に反応して目を薄らと開けた。
(全員、無事ですか……?)
口頭でのやり取りは論外だ。何処で、誰が、どんな方法で聞き耳を立てているか分からなくなった以上、声を出すのは慎まなければならない。
筆談も厳しい。四人で一つの部屋に集まった時点で警戒される。それに、アウグストとメイは差し障りのない会話を続けながら筆談を交わせるほど器用ではないだろう。
しかしこちらには【伝心】がある。
稀少な魔法だ。【伝心】で交わされたやり取りを無関係の第三者が知る方法は、ミラの知る限りにおいて存在しない。
距離や障害物を無視してやり取りを交わせる魔法。特筆すべき能力である。
魔法の練度が高く、戦場に立つことができ、戦況の見極めができれば、その時点で金級に抜擢されてもおかしくない程に。
メンバーにメイがいたのは僥倖だった。こうして周りに露呈することなく密談を交わせるのは大きな利点となる。
常軌を逸した諜報手段を持つシクスの裏をかけるとしたら、それはこの魔法の存在だ。
(無事です)
(こっちも無事だ)
ミラとノーマンがほとんど同時に意思を飛ばす。
これで反応があったのは三人。残り一人は――返事がない。
(……アウグストさん?)
(……まさか……!?)
反応がない。それ即ち意思を返せない状態ということ。
……殺されたのか。あの戦闘狂が。本気でシクスを殺そうとしたあの男は、もう、既に――
ミラの動揺が意思として放たれる。返事として届いたのは、おずおずとしたメイの意思であった。
(いや、あの、なんか…………寝てるみたいです……)
(…………)
(…………)
(あの、熟睡していて……意思も、届かないみたいで……)
(…………やっぱ大物だよ、あの人は)
(…………チッ)
ミラは思わず舌打ちを漏らした。
直後、『舌打ちも伝わるのか……』という意思が二人から届き、ミラはとても居た堪れなくなった。
そんな内心も伝わっているのだろう。誤魔化しが利かないのはこの魔法の優れた点であり、時に欠点となる。
軽く咳払いして仕切り直したミラは強引に話を推し進めた。
(それで、これからどう動くつもりですか? シクスは人手が必要だと言って私たちを手駒に加えましたが……その詳細は一切明かしていません。どの陣営と事を構えるのかも知れない状況では……動きようがありません)
(そりゃ外部から来た俺らをまだ信用しちゃいねぇってことだろうな。むしろなんの警戒もなしに何もかも共有されたら拍子抜けもいいとこだろ。無能の所業だぜ、そりゃ)
(……まだまだ、表面上は従っておく必要がありそうですね)
今回の任務は失せ物探しだ。
エンデに届けられる予定だったとある『もの』を回収すること。それ以外の事柄は全て些事である。
スラムの勢力図など知ったことではない。目的が達成されれば闇市の纏め役の手足となる理由などなくなる。
現状、事を荒立てずに目的を達成できる確率が最も高いのがシクスへの協力というだけなのだ。
(成り行きをギルドマスターに連絡したら、けして短慮に走るな、生存を第一に考えて動け、と)
(…………耳が痛い話ですね)
先手を打たれた以上、多少強引な手を用いてでも制圧するのが最善だと思っていた。後手に回れば踊らされる。気付かれていないと思っていたら全て筒抜けだったなど、滑稽以外の何物でもない。
故に捕縛を試みた。
情報というのはたちの悪い病巣のように早く、深く根を張る。冒険者が乗り込んできたと知られたら最後、目的の『もの』は手の届かぬ所へ秘匿されるだろう。
判断は間違っていなかった。そう思っている。
問題だったのは、ただただ己が未熟だったことである。
手も足も出ずに捕らわれ、人質にされ仲間の足を引っ張る――この上ない屈辱だ。もしもシクスの目的が『懐柔』ではなく『排除』だった場合、自分のせいで最悪の結果を招いていた。
【伝心】で繋がっていることも忘れ、思わず歯噛みする。
(あの……そういえばミラさん……身体は大丈夫なんですか? あんな一瞬で自由を奪う、呪装? 毒か、それとも魔法か……あんなのを受けて体調に影響はないんですか?)
(もし後遺症があるなら隠すなよ……って、こんなこと言われなくても理解しちゃいると思うが、一応な?)
失態を演じても叱責ではなく身を案じてくれている。ミラにとってはその事実は暖かくもあり、しかしまた歯痒くもあった。今回の任務において最も適性があるのは自分であると自負していただけに。
(これといった後遺症はありません。本当に……不自然なほどに)
(……得体が知れないですね。遅効性の何かがあったりとか、するんじゃないですか?)
(断言はできませんが、恐らく問題ないでしょう。……以前、似た経験をしましたが……あの時と同じような感覚でした)
(……あのレースの時か)
(ええ。あの時は身体が思うように動かなくなりましたが、今回は……身体に一切の力が入らなくなりました。……本質的に同じモノと見ていいかもしれません)
エンデの街でスライレースという娯楽が流行した際、ミラはとある姑息な胴元に逃げられたことがある。
完璧に捕らえたと思った。しかし、胴元の腕を掴んだその瞬間、肉体が己の物ではなくなったかのように錆び付いたのだ。
結果としてミラは胴元を取り逃がした。その胴元は、あろうことか大衆の前で首を斬って死んだので、分の悪い賭けに及んだ動機も目的も分からず仕舞いだった。
なぜあの胴元は自害という凶行に及んだのか。
支払い能力がないのに賭けを開催したのは問題のある行為だ。しかし、その賭けの内容は賭ける側が明らかに有利な条件が設定されていた。誰も配当をアテにしていなかっただろう。ただ盛り上がればそれでいいと思っていたに違いない。
だが、万が一馬鹿げた賭けを本気にする者が現れたら……そちらのほうが問題だ。故にミラは賭けに参加したのである。
スライっぴが何故かレースの途中まで手を抜いていたのは謎だったが、最終的に賭けに勝ったミラは真っ先に胴元へと詰め寄った。
馬鹿な胴元に『あまり下手な商売をやり過ぎるなよ』と釘を刺すために。
果たして、胴元は自害した。
あの程度の軽犯罪でギルドが手酷い仕打ちをすることはない。反省の色なく逃げ出したのは悪質だが、それでも厳重注意と罰金が科される程度だ。命を取るなどあり得ない。
ならば何故。その真相が、今になって輪郭を露わにしてきた。
(スラム発祥の劇物……可能性としては、そんなところでしょうか)
あの胴元はギルドの制裁を恐れたのではない。もっと後ろ暗い組織の秘密を漏らしたことによる報復を恐れたのではないか。
そう考えれば辻褄が合う。
(……シクスは値が張る禁制品を買い漁ってるっつう話だったな。……こりゃ、疑う余地はなさそうか? )
(その毒を使えばアウグストさんも無力化できるから……あんなに余裕だったんですかね?)
(全ては憶測に過ぎませんが、そう考えるのが妥当でしょう。揮発性なのかも、解毒方法も判然としていませんが……呪装や魔法の効果と考えるよりは、説得力があります)
(そりゃ闇市で派手に散財できるわけだわな。金級を無効化する毒なんて末端価格でいくらになるやら)
勢力争いに躍起なスラムでは価値のある非合法品の需要は天井知らずだろう。
上手く卸せば巨万の富を築くことも夢物語ではなくなる。同時に莫大なリスクも背負うことになるだろうが。
(……本当に、協力して大丈夫なんですかね)
(数日のうちに見極めねぇとな。最善なのは……とっとと失せ物を見つけ出してトンズラこくことだが……シクスがどこまで噛んでるか分からない以上、すぐさま奪還ってのは難しいかもな)
(ギルドマスターは……任務の達成が極めて困難と判断した場合は即座に帰還しろと言ってました)
(それでは立つ瀬がないでしょう。……シクスは、私が探ります。次こそ……失態は、晒さない)
(……探るって、どうする気だ?)
(策はあります。これを使えば……あの男の用いる手法も、謎も、全部見透かせるかもしれません)
強い決意を瞳に宿したミラは音一つ立てずに肌掛けを捲った。一挙一動に生じる音を殺しながらベッドを降りる。
寝間着は極力音が出ないものを選んでいた。扉の外に聞き耳を立てている者がいたとしても、ミラの行動を感知できていなかっただろう。
――まぁ、扉の向こう側は全て見えているのですがね。
有用な呪装は刃物に似ている。使い手次第で凶器になれば、人を守るための利器にもなる。
下衆な目的に用いられていた呪装も、使い方一つで状況を打破する神器と化す。
ミラは小さく息を吐き出してから『壁一枚を透かして見ることができる眼鏡』のブリッジを中指で押し上げた。




