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誤算生む面の皮

 心臓が止まるかと思った。それがルーブスの偽らざる本心であった。


 ▷


 そろそろ就寝するかと思い始めた頃、室内に三回の叩音が響いたのでルーブスは静かに顔を上げた。刃の切っ先もかくやの鋭い目が音の発信源である扉に向けられる。


 夜半過ぎに案内役を伴わずにギルドマスター室を訪れ、名乗りも上げずに符牒を無視したノックを行うのは何処の誰であるのか。


 決められたノックの作法を知らない時点で部外者であることは確実だ。

 喫緊の事態を告げに来た下っ端職員の可能性もあるが、案内役を伴っていないのはおかしい。名乗りもなく、さして焦っている様子もないのでその線は消える。


 ――賊か、はたまた間諜か。


 ルーブスは音もなく立ち上がると壁に掛けてある呪装『空縫い』を手に取った。感触を確かめるように強く握り込む。


『空縫い』盗難騒動を重く見たルーブスはギルド内の警備をより厳重なものへと強化していた。並大抵の者では建物の内部に足を踏み入れることすら叶わない。


 その警備を突破してきた者ともなれば――手を抜くことは命に直結するだろう。


 現役時代にそうしていたように、あらゆる最悪の可能性を頭の中で展開する。

 既にギルド全体が制圧されているとしたら、相手は何を用いた?

 未知の呪装。凶悪無比な毒物。内通者の手引きもあるかもしれない。

 ギルドの主力が王都へ遠征に出ていることを知った何処ぞの間者が行動を起こしたのか。盗難事件は陽動で、手薄になった瞬間を待っていた者が計画を遂行したのか。


 あらゆる最悪を煮詰めた結果、ルーブスは全力の行使を採択した。

 不注意な職員や作法知らずの冒険者が尋ねてきたという可能性は眼中に置かない。迷いや躊躇が容易く人の命を摘んでいくことをルーブスは死地での経験から学んでいた。


 殺しはしない。口を割らせる必要がある。たとえ表沙汰にできない手法を用いてでも。


 扉が開いた。瞬間、呪装の力を解放する。

 命の灯火を掻き消すが如き暴風が指向性を帯びて吹き荒れる。揮発性の毒を警戒する故に打った一手。


 吹雪に乗じて肉薄する。相手が猛者ならば咄嗟に退くか防ぐかしているだろう。腕か脚を斬り落とせば天秤は傾く。傷口を凍結させれば即死はしない。


 暴風に晒された侵入者は、ただただ立ち尽くしていた。まるで奇襲に反応できていないかのように。


 ――呪装頼りの凡愚か?


 頭を過る慢心を即座に封じ込め、殺意を一点に研ぎ澄ませた剣の切っ先を対手の喉元へと突きつけ――はためく衣服に見覚えがあることに気付いて動きを止めた。


 黒を基調とした外套。気品を引き立てる臙脂の差し色。天よりの権威を知らしめる金の装身具。


 勇者ガルド。国を象徴する救世主の末裔の一人。

 無礼を働けば首を落とされても文句を言えない絶対の存在。


 そんな勇者ガルドは、ルーブスが叩きつけた呪装の脅威を意にも介さず直立不動を貫いていた。その瞳に快不快を示す色はなく、ただルーブスを睨めつけていた。

 数秒後、勇者ガルドが無言のまま霜の降りた衣服を手で払う。


 ――想定した最悪の、更に上があるとは思わなんだ。


 もし剣を止めるのが遅れ、切っ先がその肌に届いていたらギルドは――エンデの街はどうなっていたか知れたものではない。


 冷気が吹き抜け、随分と涼しくなった室内で、しかしルーブスは背中にじんわりと――あまりかきたくない類の――汗をかいていた。


 ▷


「随分と微に入り細を穿つ警戒態勢じゃないか」


 対面の椅子に腰掛けた男の言葉は、はたして皮肉か賞賛か。


 剣を突き付けられたことへの批難……ではないだろう。

 勇者ガルドはこちらの奇襲に対し一切の動揺を見せなかった。喉元に迫る剣を見ても眉一つ動かしていない。まるで全てを予見していたかのように。


 答えに窮したルーブスは、ひとまず勇者を害しかけた件に対する謝罪と弁明を口にした。


「まずは、小心が逸り無礼を働いてしまったこと、深くお詫び致します。ギルドではノックに符牒を設けることで部外者か否かを判別しているのです。この部屋には……コレがありますので」


 そう言ってルーブスは縞黒檀の机に視線を落とし、国防に用いられる戦略級の呪装『空縫い』を示した。

 無表情でそれを一瞥したガルドが冷淡な調子で言う。


「詫びはいらない。押し掛けたのはこちらだからな。咎める気はない」


「寛大なご配慮、痛み入ります。入口の者に一報いただければ案内役を用意したのですが……。廊下には巡回の者もいたでしょう。彼らは、なんと?」


 どうやって警戒網を突破してきたのか。暗にそう尋ねると、勇者ガルドはさも当然のように言い放った。


「この程度は物の数に入らん。安心しろ。誰にも感付かれていないし、手にも掛けてない」


「…………そう、ですか。はは……これは参りました。天網恢恢疎にして漏らさず……全く、悪事は働けませんな」


 考えうる限りの最善を尽くした警戒網を一蹴され、荒肝を(ひし)がれた思いのルーブスはただ苦笑いを浮かべた。


 これが――勇者か。

 共闘の折、勇者ガルドは冒険者たちに補助魔法をかけたものの自ら戦闘を行うことはなかった。故に底が知れぬままだったが、いよいよ疑う余地がなくなってきたかもしれない。


 かつて聞いた風の噂が現実味を帯びてくる。


 現在の勇者三人の中で最も秀でているのは勇者ガルドである。故に魔王征伐の任を帯びたのだ――


 戦々恐々の思いを悟られまいと冗句を飛ばす。しかし勇者ガルドは金縛りにでもあったかのように仏頂面を崩さなかった。

 怒りで表情が固まっているわけではない。反応が薄すぎるのだ。勇者ガルドの顔は、人間味をごっそりと削ぎ落とした後の抜け殻のような虚無をたたえている。


 ――おかしい。以前とは……まるで別人じゃないか


 ルーブスは勇者ガルドと三度顔を合わせている。救国の英雄たる存在と言葉を交わして分かったのは、彼らもまた情緒を帯びているということだった。


 あからさまな嘘をついて話をはぐらかそうとするシンクレアに憂いを見せ。

 じゃじゃ馬のように奔放なレイチェルに怒りと呆れを見せ。

 こちらを揶揄(からか)う際には喜悦のような仕草すら見せ。


 神聖視されているその存在は、自分たちとそこまで変わらない存在なのではないか。

 抱いていた考えが、しかしここへ来て揺らぐ。それほどまでに、今の勇者ガルドには心の代謝を感じられなかった。



『勇者は国防を担う呪装だ。アレは国の命令には逆らえない。何度でも使い回しの利く便利な道具っつーことさ。俺らも……似たようなモンだがな』



 かつて同じ派閥に属していた男の言葉が脳裏を過る。

 馬鹿げた戯言と切り捨てた言葉が現実味を帯びて目の前に顕現したかのようだった。


「来訪を悟らせなかったのは内密な話があるからだ」


 いっそわざとらしいほどに平坦な声で勇者ガルドは続けた。


「その方がお前にとっても好都合だろう」


「……と、言われますと?」


「白を切るな。お前がこそこそと掌中の駒を動かしていることは既に把握している」


 ルーブスは努めて自然な呼吸を心掛けた。考え込む素振りを見せて時間を稼ぎ、喉が震えないよう気を整える。


「ええ、確かに今はエンデの主力を他へと割いております。それがどうかなさいましたか?」


 否定は立場を悪くするだけだろう。故に認めた上で白を切る。

 勇者ガルドが此度の件をどこまで把握しているのか分からない以上、迂闊な発言は慎まなければならなかった。


『この件に勇者を関わらせるわけにはいかない』


 王命に添えられた一言がルーブスの首を締め上げる。

 包み隠さず話せば王命不履行と国家転覆の嫌疑が掛けられ、白を切り通せばエンデを救った勇者ガルドへの義理が立たなくなる。どちらへ転んでも最悪の二択であった。


 勇者ガルドが普段通りの――かつて見せた情緒を帯びていれば話は簡単だった。全てを包み隠さず話した上で助力を乞うただろう。


 しかし、今の勇者ガルドはあまりに無機的だ。あるべき機微を感じ取ることができない。


 責問を生業とする者は良心の呵責に耐えかねて自ら心を壊すという。悲鳴にも、涙ながらの懇願にも乱されぬように。

 そういう者たちは、きっと目の前の男のような顔をしていることだろう。


「言うべきことはそれだけじゃないはずだ」


「っ…………」


 重罪人への尋問もかくやの重い空気が室内を満たす。

 勇者ガルドはここへ来た目的を自ら話すつもりは無いようだった。彼が此度の件をどこまで把握しているのかを探る暇も与えてくれない。


「そう仰られましても……現時点で勇者ガルド殿の耳に入れておかねばならないことは……無いと思われますが」


「本当にそう思っているのか?」


 はぐらかしは通じず、ただ核心に触れることを促すように問いかけてくる。

 迂遠なやり方だ。何が目的なのか判然としない。


 まさか、彼はギルドが何をしに四人を王都へ派遣したのか知りたいだけなのでは……?


 不意に浮かんだ不敬な考えを即座に押し殺す。それはさすがに勇者ガルドを舐め過ぎだ。

 そもそも、そうならそうと言えば済む。あえて物々しい空気を纏って圧をかける意味が分からない。なぜこんなにもあからさまな態度をとるのか。


 理由が判明しないうちは心を許してはならない。

 ルーブスが義理を感じている勇者ガルドと目の前の人物はあまりにも乖離していた。もしや偽者なのではないかと思わせるほどに。


「……勇者ガルド殿、やはり申し上げることは……皆目見当もつきませんな」


「あくまで白を切り通すか」


「ふむ……何が知りたいのか……判断に困りますな。具体的に仰っていただくことは適わないのですか?」


「お前が一番良く知っているはずだ」


「さて……いよいよもって心当たりがない。何か勘違いをしておられるのでは?」


「それがお前の答えというわけか」


「そもそも仰られている意味が分かりません。彼ら四人は……ただ慰労の旅でエンデを離れているだけですのでね」


 ルーブスは王命に従い白を切り通した。

 しかし、その判断に至る最も大きな決め手となったのは王命そのものの重さではなく目の前の存在だ。

 あまりに人間的な反応がなさすぎる。喋る人形を相手にしている錯覚に陥るほどだ。


 この男は勇者ガルドではない。

 冒険者たちを、そしてこの街の民を『生きている』と保証してくれた者のする目では――断じて無い。


 手練れの偽者が服飾を用意し、【偽面(フェイクライフ)】でも使用して乗り込んできたのか。もしくは姿を変えられる呪装を用いたか。

 不気味な無表情は副作用によるものだろう。ルーブスは最終的にそう仮定した。

 悟られぬよう戦意を研ぎ澄ませながら言う。


「お分かりいただけたなら……早々にお帰り願いたい。そろそろ床に就きたくてね。全く……夜遅くに何をしに来たのかと思えばくだらんな。老骨は労ってくれ給えよ」


 あえて挑発することで神経を逆撫でる。

 ここまでやれば偽者も馬脚を現すのではないか。そんなルーブスの狙いは確かな効き目をもたらした。


 目の前の偽者がゆっくりと立ち上がり、そして懐に手を伸ばす。短剣の柄が見えた瞬間、ルーブスも瞬時に動いた。


 机上に置かれた『空縫い』を手に取り椅子を蹴り立つ。

 剣を肩の位置で構え、切っ先を偽物へと向ける。いつでも四肢を斬り落として無効化できるよう算段を立てながら爪先の位置を調整していると勇者ガルドが短剣を首に添えて力のままに掻き斬った。血飛沫が眼前を舞う。


「………………!?」


「ったく……ふざけた野郎だ。まさか……お前がそこまで恩知らずで、恥知らずの、クソ野郎だとは……思わなかったぞ」


「…………えっ……?」


「とんだ……無駄足だ。覚えてろよてめぇ……ここまで虚仮にされたのは……クソ漫画……以来か……割と最近じゃねぇか……クソが……あっ死ぬ」


 勇者ガルドは死んだ。光の粒が宙へと溶けていく。十秒もすれば部屋は元通りの静寂を取り戻した。


「ほ……本物……だったのか……? 何かの間違いだろう……?」


 問い掛けに答える者は既におらず、ただ己の呼吸音だけが響く。

 何もかもが分からない。勇者ガルドは何を思ってあんな不気味な無表情を貼り付けてこちらに圧をかけてきたのか。あれでは警戒しろと言っているようなものではないか。


 悪夢の只中に放り込まれた気分だった。

 勇者ガルドに喧嘩を売ったという事実だけが残り、それ以外が露と消えたのだ。魔物に囲まれた時にも感じなかったほどの焦燥が込み上げてくる。


「何だったんだ、今のは? ……どういう状況なんだ、これは……? 私が……耄碌したとでもいうのか……? うッ……!」


 誰かに相談しようにも、軽々に口外できる内容ではない。自分一人でどうにかしなければ。しかし……どうやって?


 今すぐ教会へと駆け込んで女神像から弁明を送るべきか。いや、それをしたら他の二人の勇者にも事情が知られてしまう。王命の遵守は――


 頭の中を延々と巡る懸念が消えてくれない。

 ルーブスは震える手で羽ペンを握り、優秀な錬金術師への発注書に胃薬と睡眠薬と強壮薬の注文をそれぞれ五つ書き足した。

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― 新着の感想 ―
笑いすぎて腹が痛い(笑)
根本的なところで誰も信じられないアレな性格が裏目に出てますねぇ!
謎が謎を呼び誰も幸せになってねぇ! ガル君はさぁ、不幸を巻き散らす呪装なのかい?
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