全力疾走綱渡り
訓練や実践的な指導を例外とした場合、『遍在』に捕縛された回数が最も多いのは恐らく俺だろう。
そんなクソの役にも立たなさそうな経験が、すんでのところで首の皮一枚を繋ぎ止めた。
仕掛けてくる間合いと掴みかかってくる場所の予測が立てば、後は接触部に補助魔法を張り巡らせておくことで速やかに無力化できる。
【膂力曇化・三折】。姉上以外のやつに使ったのは初めてだった。
エクスは極力使いたくない。魔力を限界まで弄くり回すことで効果を飛躍的に高めたこの魔法は、使用した魔力の根幹を破綻させる、らしい。
不可逆的な土壌汚染のようなものだと魔王は言っていた。言うなれば世界の寿命を削るに等しい。魔王が俺に洗脳を施して封印するのもやむ無しといったところだ。
その事実を考慮しても、今は躊躇っていてはならない場面だった。
ここでシクス人格を失えば『例の件』の真相も、こいつらが王都に出張って来ている理由も探れなくなる。それはまずい。
俺はひとまず無力化したミラさんを人質にした。三人がかりで来られたら普通にやられるので、【隔離庫】から短剣を取り出してミラさんの首に添える。
いくら猪突猛進、直情径行が常の冒険者一同と言えど、仲間の命が懸かった状況で短慮に走ることはないだろう。
俺は俺が平和主義であることをアピールしてから考えを巡らせた。
こ……ここからどうしよう……。
完全に初動で下手を打った。ちょっとカマをかけただけなのに問答無用で襲い掛かってくるなんて予想できねぇよ……常識を持ち合わせてるならここは冷静に話し合う場面だろ。
エンデの主力を差し向けた以上、何か厄介な事情があることは察せられる。だからこそ慎重になると思っていた。
逆なのか……? こいつらは俺の想像以上に切羽詰まっている……?
わ、分からん……。何も分からないまま事態が悪化していく……!
【鎮静】。クリアになった頭で策を練る。
まずはこいつらがスラムに足を運んだ理由を特定しなければ。話はそれからだ。
こいつらが痺れを切らして突貫してきたらシクスは死ぬ。ミラさんを無力化できたのは経験と決め打ちのおかげだ。もしもミラさんが捕縛ではなく拳での制圧を試みていたら俺は無様に倒れ伏していただろう。
なんとかして交渉材料を探さなければ……。俺は意思を飛ばした。オリビア! オリビアー!!
(るっせぇ!! 急に馬鹿みたいな大声送ってくんなよ! びっくりするだろ!! 今何時だと思ってんだ! もう寝てんだよ、コッチは!)
圧縮された抗議の意思が届くが全て無視する。焦ってんだよ、コッチも!
(金級二人にノーマンの野郎が王都に来てるんだが!? どうなってんだよおい! 一体何があった! 同じ金級のお前なら何か知ってんだろ!?)
(あぁ? ……そういやあの筋肉馬鹿は暫く前線から外れるって聞いたな。理由は知らん)
(他の二人は!?)
(知らねぇよ。アタシはずっと前線に縛り付けられてっから情報が回ってこねーの)
(つ、使えねぇ……)
(あ!? テメーいまなんつっ)
俺は【伝心】を打ち切った。成果ゼロかよ。参ったな……。
ルーブスに繋ぐか……? ……いや、それはない。さすがに、それはない。
オリビアは【伝心】を遠隔共鳴式と称した。まさにその通りだ。今の思考がダイレクトに伝わるため一切の誤魔化しが利かない。互いに手札を暴露し合うようなものだ。使う相手は選ぶ必要がある。
策が……これ以上の策が思い付かない……。どういう綱渡りなんだこれは? どういう流れで俺は『遍在』の生殺与奪を左右する状況になったんだ?
……ミラさん返すからスラムに近寄るなって言ったら一旦引いてくれっかな。それで行くか……。行こう。よし。
「ノーマン」
そう決心した直後、俺よりも先にアウグストが口を開いた。
いつものふざけた調子とは異なる鬼気を帯びた低声。
「指示はまだか」
指示。その一言で閃く。こいつ……俺のことを殺す気だ。
アウグストは頭が悪い。スラムに飛び込んだら確実に要らぬ騒ぎを起こすだろう。だから手綱を握っているんだ。ノーマンが。
指示を出されるまでは待機。しかし、指示が下されたその時は……!
「俺様は……いつでもいけるぞ」
アウグストが拳を握り込んで骨を鳴らす。俺は鼻を鳴らした。ミラさんに突き付けた短剣をさりげなくアピールして言う。
「やるつもりか? そちらがそのつもりなら構わんが……もう一度言っておく。俺は……平和主義者だ」
その場しのぎの言葉を吐きながら再度意思を飛ばす。オリビアー! オリビアーッ!!
(テメーわざとやってんのか!? 寝てるっつってんだろ! 寝不足で肌が荒れたらどーすんだコラ!)
キンと頭に響く抗議を無視して続ける。
(アウグストの野郎の弱点を教えてくれ! 大至急!)
(はァ? ……女に弱え)
(そうじゃなくて、肉体面の話だ! お前の眼でなんか分かんねぇのか!?)
(んー、ねぇな。アレはキモいけど戦士としちゃ完成形だよ。戦うために生まれたんじゃないかっつー才能を持ってて、ソレをひたすら磨き続けた。アレはその結果だ)
(……俺、いまそいつに命を狙われてるんだけど)
(アンタはなんでそう放っといたらすぐ死のうとするんだ?)
しらんわ。ちょっとやつらの内情をひけらかして交渉に有利な立場を作ろうとしたら向こうが襲ってきたんだからよ。
やつらの活動拠点はエンデだ。闇市でやんちゃしてるシクスのことは知らないはず……だというのに、この性急に過ぎる態度はなんだ?
……いや、逆にか? やつらはシクスを知っていた、のか?
以前、俺がエンデに屠龍酒を持ち込んだ時、ルーブスは王都に連絡を取って仕入元を看破したと言っていた。
その連絡役が王都で幅広く情報を仕入れていたとしたら。もしもやつらがシクスという男の情報を事前に仕入れていたとしたら。
……急襲を仕掛けてくるのは、妥当かもしれん。
やつらが何のために王都に、それもスラムに足を運んだのかはしらん。『例の件』か? とカマをかけてみたものの、それらしい反応は返ってこなかった。
しかしスラムに踏み入ろうとしていたのは紛れもない事実であり、そこへ訳知り顔で現れた俺は、やつらにとって重要参考人となるだろう。強引に捕縛を試みるのも頷ける。
だったら、シクスは生かされるか……?
俺はちらとアウグストを見た。
あ、ダメだわ。あいつ完全にやる気になってやがる。指示が下されたら最後、やつは確実に俺の息の根を止めに来るだろう。
クソがッ! どうして今日に限ってここまで巡り合わせが悪いんだッ!
(おい、そろそろ遠隔共鳴式を切ってくれよ。あれこれと要らん情報をアタシの頭に垂れ流すな……。ま、安心しろって。あの筋肉馬鹿は手加減ってモンが苦手だから……ひと思いに死ねると思うぞ? 苦しむこたぁねーだろ)
(てめぇ他人事だと思いやがって……いやまて。あいつは手加減が苦手、なのか?)
(んあ? あぁ、体質的なもんだろうな。本気を出すと細かな調整が利かなくなるみたいだな。だからアイツは武器を持たねぇ。すぐブッ壊すからな)
なるほど。なるほどね。この情報は……使える、か?
(ナイスだオリビア。もう寝ていいぞ)
(感謝してんなら今度クロードをア)
俺は【伝心】を打ち切った。軽く膝を曲げ、いつでも飛び出せるよう構えたアウグストを諭すように言う。
「やめておけ。お前は体質的に手加減が苦手なんだろう?」
アウグストが僅かに眉を顰めた。眉間に皺が刻まれ、頰が微かに震える。なぜ知っている。そう言いたげに。
「今、この状況でお前が本気を出せば……俺は兎も角として、この女はどうなるかな? 義に厚い冒険者様が、よもや味方を手に掛ける策を良しとするとは思えんが」
「…………」
アウグストが握っている拳の力を弱める。き、効いてる……のか?
よしよし。大衆娯楽の詩劇に出てくる露悪的なやられ役みたいな台詞を吐くことになっちまったが、それなりの成果はあったみたいだな……!
「軽挙妄動の果てにお仲間を一人失ったとあれば、古巣に錦を飾ることも叶わないだろう。それに……ただの力押しで俺の首を獲れると思っているのか?」
「…………」
「やめておけ」
アウグストが低く唸り、視線だけでノーマンを見た。当のノーマンは対処を決めあぐねているが、頭の回るアイツならそのうち停戦を選ぶだろう。なんとか仕切り直しには持っていけたか……。
「耳を貸す、必要は、ありません……!」
おっとミラさん。
「私の失態で、任務に支障をきたすくらいなら……いっそ私ごとやうみゅ」
俺は速やかにミラさんの口を塞いだ。
馬鹿! この馬鹿! 簡単に命を放り捨てようとするんじゃねぇよ! 本当に死んじゃうだろ! 俺が!
「ミラ……今の言葉に……偽りはないな?」
アウグストが再び拳を握り込む。同時、遠目でも分かるほどに濃厚な圧が放たれた。
エンデでの溶岩竜騒動の折、俺はアウグストの戦いを見ている。やつの用いる兵法は至ってシンプルだ。
突っ込んで、殴り倒す。技や駆け引きを排したシンプルな肉弾戦は、策も計略も意に介さない爆発力を秘めている。
アウグストが姿勢を落とした。緩い下穿き越しでも認識できるほどにやつの下肢が張り詰めているのを感じる。極限まで引き絞られた力が解放された時、俺は至極あっさりとブチ殺されるだろう。【膂力曇化・三折】を掛ける隙などあるわけない。
ど、どうする……!? 何か策を……アウグストに毒は効くのか……酒に酔うならば毒も……だが即効性に欠けるうえに、そもそも毒を食らわせる隙がねぇ……。
一刻の猶予を争うというのにまるで考えが纏まらない。オリビアから聞き出した手加減が苦手という情報も、ここに至っては気休めにもならない。女に弱いという情報も…………
待て、待てよ? コレか! コレしかない! 俺は言った。
「娼婦ウェンディの情報を知りたくはないか?」
そう言った瞬間、アウグストが大きく目を見開いた。身体から発されていた暴力的な圧が霧散する。
どうやら……コレだったらしい。
「貴様はァ……かの乙女の行方を知っているのか!?」
「答えてもいいが……それはお前の態度次第だな」
「…………!」
アウグストは面白いほどあっさりと戦意を手放した。
ここしかない。そう直感した俺はミラさんを解放し、軽く背を押すと同時に【膂力曇化・三折】を解いた。
つんのめったミラさんは身体に力が戻ったとみるや跳躍して後退した。血の気の引いた蒼白の表情を貼り付け、得体の知れないものを見るような視線を投げかけてくる。
「…………! 一体、どういうつもりですか……?」
『柱石』を黙らせ、『遍在』を手玉に取ったあげく、わざと身柄を解放した今なら冷静な話し合いに応じるだろう。ここで再び奇襲を仕掛けてくるのはただの考えなしだ。
なんとか……なんとかして初動のミスをイーブンまで戻したぞ……!
【鎮静】。内心に吹き荒れていた動揺を消し去った俺は左手を挙げた。握っていた短剣をこれ見よがしに袖へとしまうことで敵意がないことを示す。
【隔離庫】。目に見えないところで短剣を格納した俺は余裕を気取って左手を払った。上衣を靡かせて不敵な笑みを浮かべる。虚仮威しだけがシクスの全てだ。
「お前、は……一体……」
金級二人をいなしてみせた存在が信じられなかったのか、ノーマンが喉を震わせて声を絞り出す。
「クックッ……そう怯えてくれるなよ」
【六感透徹】で気取られていないだろうか。
俺はそれだけが気掛かりで、嘘と断ぜられることがないように言葉を選んだ。
「さっきから言っているだろう。俺は……平和主義者なんでね」




