陰の地の洗礼
挑戦を辞すれば男が廃る。
それがアウグストの釈明――あるいは開き直り――であった。
「力比べを……挑まれたんだ。雄のプライドを賭けた立ち合いを拒むのはァ……礼を欠くというものだろう」
「…………機密性の高い任務を遂行中だっていう認識も欠かないでもらえると……助かります」
大通りから離れた位置にある宿の一室。
アウグストが大衆から注目を浴びるというアクシデントに見舞われた冒険者たちは、当初の予定を大幅に変更して目立たない宿へと身を隠した。
ノーマンが此度の任務における要点を説くも、アウグストはどこ吹く風の姿勢を崩さない。
ルーブスから『戦場でしか生きられない男』『絶対にギルドマスターの椅子に座らせてはならない男』という評価を下される所以であった。
「まあ……ほら、その……緊張は解れたから……」
「メイ、無理に擁護しなくていい」
「はい……」
アウグストの手綱を握るのが難しいことはエンデを発つ前から承知していた。今さら論うのは効率が悪いと判断したノーマンが話を切り替える。
王都スラムの現状と、要警戒人物の動向。斥候の男から聞いた情報を余さず共有する。
シクスという男の異常性についての話を聞いたアウグストは低く唸った。訳知り顔で頷いて言う。
「まずは……ソイツを潰せばいいんだな?」
「そろそろ殴りますよ?」
「野郎に殴られる趣味はねェ」
「……手出し厳禁です。専守防衛に努めてください。そもそも関わり合いにならないことが最善なんですよ」
「なら……ソイツが犯人だった場合はァ……どうする?」
それは、意外にも核心を突いた疑問であった。
事件の流れの行き着く先がシクスという男であった場合、避けては通れない障害となることは明白である。
「……まずは交渉だ。ことを荒げるのは極力避ける」
「向こうが応じなかった場合は?」
「可能であれば捕縛。どうしようもなくなったそん時は――やり合うしかねぇだろうな」
「そうか。なら……その時になったら指示を出せ。それまでの話し合いはァ……お前らに任せる」
「はい。メイ、不測の事態が起きたら即座に【伝心】を繋げ。いいな?」
「分かりました。……まあ、出くわさないことが一番なんですけどね」
「そりゃあそうだ」
話が一段落したちょうどその時、部屋の扉が開いた。情報収集を終えたミラが両手に抱えた大荷物を床におろして端的に告げる。
「戻りました。状況に変化は?」
「特にないっすね。話の共有も……まぁ、終わりました。そちらは?」
「つつがなく。各所でスラムについての話は仕入れました。潜入計画も練ってあります」
言いながら、ミラは調達してきた荷物の口を開いた。
「注目されてしまったことはもうしょうがありません。もとよりあの図体で目立つなという方が無理な話でした。なので利用する方向に舵を切ります」
若くして治安維持担当の頭を務めるミラの判断力を疑う者はこの場にいない。殆ど独断で進められた計画であるが、それが最善であることを確信している三人は口を挟まずに話を聞いていた。
「物見遊山気分で闇市に足を運んだ好奇心旺盛な商家の娘と、腕っぷしを買われて雇われた護衛たち。そういう設定でいきます。金を持っているならスラムでも排斥されないし、立ち居振る舞いを誤らなければ過剰に警戒されることもないでしょう」
ミラが取り出したのは豊富な種類の衣装と装飾品だった。エンデの街では売りに出されない豪奢なものから、淑やかさを際立てる可憐なものまで数多く並べられていく。
「潜入は今夜にします。夜のスラムは賢い一般人なら近寄らない危険地帯と化すようですが、その分確度の高い情報が得られるでしょう。もし襲われたら捕縛して尋問する大義名分も立ちます。よそ者には真実を告げない可能性もありますが、それはノーマンの勘で真偽を判断しましょう。集めた情報を消去法で選別すればある程度の真実を導き出せます」
ミラは煌びやかな瑪瑙が嵌め込まれたブローチを左胸の上辺りに添えながら続けた。
「商家の娘役は私がやります。油断を誘えれば動きやすいですからね。【偽面】は使いません。単独で動く必要がある場合に向けて温存しておきます。一日に使えるのは二時間が限度なので。……こっちの方がいいかな」
ミラが購入してきた大量の荷物はその全てが服飾品であった。
けして安くないであろう精緻な出来の衣装を見比べるミラ。その様がなんとなく上機嫌そうに見えたので、メイは恐る恐るといった声色で尋ねた。
「あの……ミラさん……ちょっと楽しんでません?」
「いえ別に。これは潜入のための小道具に過ぎません。いわば武器の手入れのようなものです」
花柄の髪飾りをつけ、仕立てのいいフレアスカートの丈を確かめていたミラはノーマンとアウグストの視線に気付き、コホンと咳払いを挟んでから真顔で言った。
「別に、楽しんでません」
▷
廃棄された区画であるスラムに近づくにつれて王都の華やかさは見る影もなくなり、陰鬱とした空気が立ち込めるようになる。
崩れた家屋の修繕は放棄され、人の営みの気配は消え失せ、整然とした街並みはかつての名残という形でしか感じることができない。
不規則な間隔で設置された魔石灯は、道しるべというよりはむしろ獲物をおびき寄せる誘蛾灯の様相を呈していた。
戦場とはまた違う異様さに警戒を抱いたメイが僅かな音も鳴らさぬようにゆっくりと唾を飲み込んだ。
「顔とか……隠さないで大丈夫ですかね?」
「そりゃ怪しいモンですってアピールするようなもんだ。堂々としてた方が溶け込めるだろ」
「スラムを根城にしている人間がエンデで活動している私たちの顔を知っているとは思えません。護衛らしく毅然としていてください」
「はい……!」
「俺様の勇名が国の中心まで届いていないというのは……些か不愉快だなァ……!」
「自惚れないでください。あと声でかいです」
「んー……やはり貴様の罵倒ではどうにも――――ノーマン」
緊張感に欠ける会話をしていたアウグストが態度を急変させた。口をついて出た声は獣の威嚇にも似た気迫が込められている。一瞬で臨戦態勢に入った証左であった。
応えるノーマンの声も固い。
「……真っ直ぐに向かって来てる。迷いがねぇ。警戒しろ。表情には出すな」
幾度も死線を越えることで身についた鋭敏な感覚が何者かの接近を察知した。
迷いない足取りは確実に四人のもとへと向いており、それ即ち四人の存在が既に捕捉されていたことを意味する。
押すか、退くか。
刹那の逡巡の末、ノーマンは進行を選択した。無言で足を進めれば、意図を察した三人が横並びでついてくる。
接近する人物は、果たして廃墟の陰で足を止めた。
奇襲に適した位置である。余りにもあからさま過ぎて罠を疑わざるを得ないほどであった。
――来るなら来やがれ。どうとでもしてやるよ。
心中で毒づいたノーマンはすぐにその結論を後悔することとなった。
廃屋の陰に潜んでいた人物が姿を現す。
一目で最高級品と分かる漆黒のガウン。富を主張するかのような真紅のアミュレット。魔石灯の光を浴びて輝きを放つチェインブレスレッド。
『いま、この瞬間、ふらっと目の前に現れてもおかしくない……あいつは、そういうやつなんだ』
いっそ清々しいほどに己の財力を主張する男――神出鬼没のシクスは、四人の顔を順繰りに眺めた後、全てを見透かしたように挑発的な笑みを浮かべ――
「随分と……遅かったじゃないか」
そう、歓迎の言葉を吐いたのであった。
▷
メイは言葉を発せないでいた。ギルドへの厚い忠誠と確かな戦果を認められて銀級の位を授かった彼女は、しかし戦地以外での経験が不足しており機転を利かせることができなかった。
アウグストはただ沈黙していた。己の役割は指示があるまで待機することであり、そして指示が下された時に力を全うすることである。究極まで割り切った考えは状況を好転も悪化もさせなかった。
ノーマンは思考の袋小路に陥っていた。穏便に潜入して内情を探る計画が瓦解した今、どう動くのが正解であるのかを判じかねたのだ。
対話、撤退、先制のいずれであっても無視できないリスクを伴う。相手がこちらを狙って接触してきたのはもはや明白で、既に進路も退路も塞がれているように思えてならなかった。
勘は沈黙している。正体不明の人物にあっさりと先手を取られ、分の悪い択を迫られた状況への解がまるで浮かばなかったのだ。
故に、動いたのはミラであった。
「遅かった……ですかぁ?」
ミラは呆けた声を出し、空惚けたように人差し指を顎へと添えた。一歩踏み出し、軽く腰を屈めてシクスの顔を遠目に覗き込む。
「ええと……人違いじゃないですかぁ? 私たち、多分初対面ですよねぇ?」
闇市に興味を持った好奇心旺盛な商家の娘。
油断を誘うための設定を忠実に演じるミラは朴直な笑みを湛えて応じた。自然な足運びで、警戒されぬよう、じりじりと距離を詰めながら。
「うん、やっぱり初対面ですよね。私、仕事柄人の顔を覚えるのが得意なので間違いないと」
「『遍在』のミラ」
シクスはミラの言葉を遮って言い放った。
「『柱石』のアウグスト」
前置きはいらぬと言わんばかりに。
「懐刀、ノーマン」
知人に声を掛けるような気軽さで。
「銀級、メイ」
四人の素性を暴いてみせた。
シクスが鷹揚に両手を広げる。
「錚々たる顔ぶれじゃないか。ここを制圧でもしに来たのかと勘繰ってしまうほどだ」
おどけたように肩を竦めたシクスは、次の瞬間に目を細めた。刺すような声で言う。
「目的は……『例の件』だろう?」
『例の件』。それは斥候の男から聞いた符丁と一致していた。今現在、スラムを騒がせている枢軸がそれであるという。
四人はその正体を寸分も把握していなかったが、今この瞬間に確信した。
神出鬼没のシクス――こちらの内情を全て見透かした上で余裕を見せつけるこの男は、既に『例の件』とやらに深く関与している。
その上で自分たちに接触してきたということは、やはり盗難事件の行き着く先は『例の件』とやらの渦中なのだろう。
「『例の件』……? 何ですかそれ!? 面白そうな響きですねっ!」
素性を看破され、しかしなお演技を続けるミラが軽快な足取りでシクスとの距離を詰める。
後ろ手に組んだ腕がハンドサインを示す。右手で作った二本指。意味するところは『捕縛、のちに尋問』。
事ここに至っては穏便な交渉は不可能か。
そう悟ったノーマンはミラを止めなかった。こちらの素性が割れている以上、腹の探り合いは圧倒的に不利だ。撤退を選んだところで事態は好転しない。
それならば、治安維持担当の頭として成果を上げ続けた彼女の判断を尊重するのが最善だと直感したのだ。
四人を睨めつけるシクスはミラに近寄られても微動だにしない。
「私、王都の闇市に興味があったんですよねぇ〜。これでも割と大きな商家の娘なので、色々と経験を積んでおかなくちゃって。目を養うっていうんですかね? その『例の件』っていうのも――」
口調から手足の先まで緩慢な所作だったのは確実に不意を突くためであった。
静から動への切り替えは刹那。瞬時に四肢を跳ねさせたミラがシクスの背後へと回り込む。
微塵の反応をも許さぬ速度。無警戒に垂らされていたシクスの右手を絡め取ったミラは対象を無効化するべく腕を背中に回し、その身体を引き倒そうとして――だらりと全身を脱力させて崩れ落ちた。
唐突に気を失ったかのように膝を折ったミラの腕をシクスが掴んだ。強引に引き上げて身体の前に掲げる。
左手にはいつの間にか短剣が握られていた。鋭利な切っ先はミラの首筋に突きつけられている。
『遍在』のミラは瞬きの間に無力化され、流れるように人質に取られた。
溢れ出る狂気を堪えるような――昏い衝動を理性で押し殺した余韻が表れ出たような震え声が闇に響く。
「おいおい……あまり事を急くなよ。手荒な真似をさせるな。俺は……平和主義なんだぜ……?」
状況は、転がるように悪化の一途を辿る。




